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お彼岸です

先日の十五夜と満月、綺麗でした。
もうお彼岸で、さっき、スーパーでおはぎを買って来ました。仏壇にお供えを。
明日来客があるので、お掃除をしています。洗ったランチョンマットの防水加工をしようと物置に行ったら、
下記のようなバッタが破れ日除けのシートに停まっていまして、長い間足と羽根を休めています。
なんというバッタかしら? 始めてみます。
近くに茂っている草、イラクサの中に飛んでいったら、解らなくなるので、急ぎiPad を取りに。

また先日17日に、東京タワーの向かい側の、プレイスオブトウキョウに行きました。
夫が施設から帰宅の日で、ヘルパーさんにお願いをして、ベッドに移すことを見守っていただきました。
およそ40分後には私も帰宅。14日〜16日まで、東京タワーの地下で日独の展覧会があったのです。
つくづく東京は広い!と感じたものです。
これも写真をアップします。
で、お掃除に戻ります。

なんというバッタかしら?
なんというバッタかしら?
イラクサとの比較
イラクサとの比較
日本ドイツ友好芸術展 東京タワー で。
靴屋さん10号サイズ
日本ドイツ友好芸術展 東京タワー で。

8月が終わる

この8月は1日から遠野市に行った。同好会の「かっぱ村」の創村50周年を祝う行事があって2日には会場の常堅寺に。
すでに地元の方々のご協力で展示物は飾られ、キャプッションを待っていてくれた。前日のお寺の本堂には、全国から来る観光客で、いろいろな「かっぱ」作品を見ていただいた。
7月から実行委員会を立ち上げて下さったお寺さん所縁の方々が、暑い中を手伝ってくださる。
この常堅寺の横てに流れている小烏瀬川は「カッパ淵」があることで名高く、やがては猿ヶ石川に注ぎ、北上川に合流する。
2日の夕べは「語り部」さんの話術を堪能し、常堅寺さんの用意したお土産のかっぱをいただいた。
さて3日、暑い日差しの中大勢の観光客が訪問するこのお寺さんの本堂で、まずかっぱ村民の100柱を般若心経とともにお唱えしていただき、で、100柱にもお出まし頂きセレモニーの開始。
三代目村長の挨拶に続いて、ご来賓のお祝いの言葉。
外では暑い中ししおどりのお祝いの踊りが太鼓、増す笛の音に合わせて、白い立髪を振る。カンナ削りのこの立髪を二本お土産に持ち帰った。
「遠野物語」組曲の演奏も広い本堂に心地よく流れて、リーダーの話も面白く、午前の行事は終了。
芳名帳には遠く台湾からの独り旅らしい人の記帳があり、北海道やら、西日本から、大阪や神戸と山形秋田の訪問客のお名前がある。
北村宗睦社中が抹茶席を設けてくださり、和尚さんが提供くださった2間で、私は2服いただいた。
誠に忙中閑ありの一時。

一度長々と書いたブログの文章。写真を載せる段階で、本物の記者さんが撮った写真が載らず、挙句には指一本で、取り返しがきかない消去。
二度目を書いているが、クタクタ!

もっと丁寧に書いたのですが、、、、

実は本物の記者(かっぱ村民)さんが撮った写真を載せる作業に移ったら、載らない!。トリミングしたりして繰り返し掲載しようと試みていて、どこか、変なキィを押したらしい。パッと消えてしまい、編集でどんなにしても元に戻らず。
仕方なしに自分のiPadで写したものを使いました。
「並べられたかっぱグッツ」や「かっぱ村の歴史」がわかる陣羽織や写真のコーナーが紹介できません。わずかに趣存のユニットの後ろに写っているものがかっぱ村の歴史です。

午後4時頃から初代村長中河与一の猿ヶ石川に立つ歌碑見物を目指したが、鬱蒼と茂る草木に阻まれて、よくは見えなかった。
前市長の本田氏が車に乗り合わせていて、一応その場所で記念撮影をすることができた。お宿のドライバーさん、支配人とは知らぬまま
重端渓(遠野名勝)まで行きましょうというご親切に預かっておよそ2時間のドライブを楽しみました。

最終の夜はミュージカルで活躍の北村淳・勧次郎の歌声を聴き、かっぱ村民のタレントぶりに感心したことです。

4日日曜日は実行委員会の方々にお手伝いいただき搬出作業。着払いでの梱包をそこそこに近所のお土産店伝承園で再度のお蕎麦での昼食。
缶バッジを300個いただいたので、そのお礼。お礼にならないか?
缶バッジとは、49年前に多田祐子がかっぱ目撃者二人の地元のおじいさんが語るかっぱ像をチョークで黒板に描いたもので、
運良くバッジになったのです。ラリーとかの景品で配られていて、非売品なのです。

前夜祭で「語り部」としてご登場いただいた大平(おおだいら)悦子さんとご主人の運転で、帰る前の30分ほどを「子どもの本の森・遠野」を訪問。午前中は3周年記念式典が行われた模様。
ああ!素敵な本の森! 安藤忠雄さんの設計。ここの館長さんのお名前が 芳 さん。二代目村長 芳 のかっぱ村なのと説明した。

終わる暑い8月。9月はどんな月かしら。

丸谷清人和尚、100柱の先人の俗名を読み上げる
丸谷清人和尚、100柱の先人の俗名を読み上げる
「趣存」の村上成夫さんと鈴木あゆさん・『組曲・遠野物語』 を演奏。
「趣存」の村上成夫さんと鈴木あゆさん・『組曲・遠野物語』 を演奏。
展示品の前で。地元の実行委員会の方々と前列左田中智子中央多田祐子  石田英司
後列左琴畑錦一 本田敏秋 菊池美保 及川有市
展示品の前で。地元の実行委員会の方々と前列左田中智子中央多田祐子  石田英司
8月3日の朝食 かっぱ村民の参加者
8月3日の朝食 かっぱ村民の参加者
新潟の横断幕を再利用しました。
秋葉区の和尚・藤井養正さんがくださった横断幕
新潟の横断幕を再利用しました。
「こども本の森・遠野」で。右、田中智子 左側 大平(おおだいら)悦子さん
おおだいら悦子さんは語り部の方
「こども本の森・遠野」で。右、田中智子 左側 大平(おおだいら)悦子さん

今朝の蝉

庭に水撒きをした。暑い日射しが来る前の6時台。ー
ふと、サツキと枸杞の間に白い蝉がいる。動かずに。iPad を取りに。戻って、記録した。
水の霧をかぶっている。7:30。まだ止まっている。少し色が油蝉の様相を呈している。
こんな感じの蝉です。

朝6:30の白い蝉
朝6:30の白い蝉
一時間後の蝉
一時間後の蝉
午前9時の蝉  もうすぐ飛び立つかな
午前9時の蝉  もうすぐ飛び立つかな
9:20分  油蝉ですね
9:20分  油蝉ですね
9:50分
9:50分
午後1時前にはもう飛び立っていませんでした。
午後1時前にはもう飛び立っていませんでした。
午後4時 もう一匹がサツキの枝から。
午後4時 もう一匹がサツキの枝から。
蝉蛻付きで
蝉蛻付きで

フィレンツェジャポニスモ芸術展2024

イタリア フィレンツェで開催されたジャポニスモ芸術展の<開催結果報告書>が届いた。24日の午後。
今回は行かれなかったが、この展覧会の絵は板に印刷されて、ミケランジェロがデザインしたミケランジェロ要塞に
収蔵される。あのバチカン市国の衛兵のユニホームをデザインし、シスチィーナ礼拝堂の天井画「アダムの創造」を描いたミケランジェロ。生誕550周年を記念してのイベントであった。
1990年に夫金城とイタリアの各地を旅した時に、バチカン市国の庭一面に椅子が置かれ、何事かと思ったことがあったが、ちょうど法王さまとの謁見が終了したところだった、と理解できたのは後のこと。2015年9月のローマ法王謁見・献上があった世界平和美術展2015の時にであった。
初めてのイタリア旅では「ピエタ」や「ダヴィデの像」を仰ぎ見て、絵葉書を買い求めた。34年の歳月が流れた。フィレンツェのアルノ川を眺め、トラットリアで食事をした。

いただいた記念品のレプリカと、「神から愛された芸術家」の特別称号の証、フィビュラ(ブローチ)を掲示します。
展覧会のあったギャラリー360のオーナー アンジェラ・ファグ氏の写真もありましたので、掲示させていただきます。

「中納言」油彩画
「中納言」油彩画
特別称号の証 特製「フィビュラ(ブローチ)
特別称号の証 特製「フィビュラ(ブローチ)
『神から愛された芸術家』の説明書
『神から愛された芸術家』の説明書
ギャラリーオーナーのアンジェラ・ファグ氏と「中納言」のレプリカ
ギャラリーオーナーのアンジェラ・ファグ氏と「中納言」のレプリカ
特製フィビュラ(ブローチ)について
特製フィビュラ(ブローチ)について
開催結果報告書(右下に我が「中納言」をコラージュ)
開催結果報告書(右下に我が「中納言」をコラージュ)

日光東照宮へ

第一回 藝文協会展が日光東照宮の特別協力を得て、7月20日〜24日まで開催されるので、初日に出掛け、神域で一泊して来た。2日目に併設されている『第8回子供ふれあい芸術展』の表彰式があり、私も審査員を仰せつかり、表彰式のプレゼンテーターのひとりとして、参加させて頂きました。
圧倒的に女性が多い、作品展。子供も大人も。男の子たちはスポーツ界で活躍しているのかな? 
日光東照宮客殿及び国宝東西廻廊での展覧会はとてつも無く暑い中、大勢の観光客で賑う世界遺産の神域で始まりました。
何度目だろう?最近は展覧会の度にこの空間に来ている。そして、将軍御着座の間での特別祈祷を戴く。
今回は日光のお蕎麦を2回楽しみました。初日の土曜日は慌てました。ほとんどのお店が夕刻には閉まってしまうのです。どうにか駅の近くの土産物屋さんの2階は営業していて、途中で同じホテル同士が3人になり、3人で同じメニューを注文。ご飯をお蕎麦に変えていただいたのです。
ホテルの朝食も、コロナの所為で、長い間なかった様子。それも改善されていて、コンビニで買わないと、と、の心配は消えて、美味しいオレンジジュースとかにありつけました。
パンをトースターで2分だけ温めていると、ここに6日目の朝の食事をしているというドイツの方が、そう2分が良い!
と、仰る。一人旅のこの背高おじさんは、会話の中で良く“ サムライ” を使い、随分と久しぶりのおしゃべりらしく、
止まらない。幸いにも英語が出来る知人が一緒になってくれたので、朝食時間が思ったよりも長くかかった。
昨夜の夕食を共にした人たちは現れなかった。そもそも何処から来ました?と聞いてしまったのは私です。
左耳が聞こえが悪くなっているというのに!およそ40分のおしゃべりタイム。良い旅を、で、右左。
日曜日の昼。表彰式が終了して、知り合い家族と写真を撮り会場を後に。
さて、美味しいお蕎麦が食べたい♪。20年ほど前に小杉放庵美術館訪問の際に夫金城と大野芳(かっぱ村2代目村長/ノンフィクション作家)さんと一緒に食べたお店を探そう! タクシーに乗って、そのお店は分かったのだが、運転手さんに任せていると、道を左に曲がり、やがて着いた。昼時で、順番待ちの人たちが8人程いる。
昨日からの知人と一緒に日陰で待つこと20分。6人くらいの集団が出て来た頃には、他にも終わった人たちが出て来て、思いのほか早くテーブルにつけ、待つこと2時間という先客には申し訳なし。
知り合ったばかりの画家はアルコールは頂かない。私も要らない。
通の画家は盛蕎麦に、デザート。私はつけ鴨。これには小さいご飯がついて来て、出汁も上出来、当然蕎麦も旨い。
新蕎麦のように甘味はなかったけれど、充分の美味しさ。
葉山や逗子の蕎麦屋さん、2軒とも美味しいが、どれも違う、みな美味しい。
食べ終わって、知り合いが訊ねる事あって聞いていると、知り合いの知っている蕎麦粉屋さんに繋がって、話に花が咲く。残りのお客さんはすでに無く、会計の後に10分は、興奮状態。
ここに案内された訳が解り、世の中は面白い、と、感じいった次第。
蕎麦の味で蕎麦粉屋さんが分かる!通 ってすごいのでした。
東武線で帰る知り合いとJR線で帰る私は、日光駅で、右左。
夜の8時過ぎには帰宅できました。

日光東照宮辺りには赤トンボが飛び交っていて、夕方にはヒグラシが遠くに鳴いていました。

記念品としていただいた日光杉の木札を掲示します。

宮司 稲葉久雄氏の堪忍 と三つ葉葵の風呂敷  木札:60cm x 12cm x 6cm
厚み6cm
宮司 稲葉久雄氏の堪忍 と三つ葉葵の風呂敷  木札:60cm x 12cm x 6cm
裏書
裏書
日曜日の東照宮
この背高ノッポさんにカメラOK の了解をもらいました。
日曜日の東照宮
「my little friend」
「my little friend」

かっぱ村 50周年記念祭

同好会の『かっぱ村』、というグループが、50周年記念祭を計画している。昭和50年の4月に発足しているので、本来は来年が50年にあたる。
50年、みんな歳を重ね、来年まで待てない! ということで、一年前倒しに。この間に、鬼籍に入った村民は100人、100柱になっている。
昭和50年8月に、岩手県の遠野市に於いて、かっぱ探しを1週間ほど行ったが、その時に、地元の長老で、かっぱ目撃者の二人の話から、黒板にチョークでモンタージュを描いたのが私。村を起こしたノンフィクション作家の大野芳氏も鬼籍入りしているが、彼が私に描け!ということだった。動物を描いたことは無かった。
そのモンタージュが、昨年、伝承園というところから缶バッジで登場した。非売品で、ラリーなどの景品で配られ、今年も作る、と聞き、頂くことに。昨年、作ることの打診があった際に、来年の夏50周年祭を予定していて、その際に
100個頂きたい❗️ 旨の話をしておいた。
いよいよ8月が近づいて来たので、伝承園に架電。なんと今年も作る、と。では後200個頂きたい、とちょっとだけ図々しくも、村民の数を念頭に申し入れ。伝承園さま、快くも快諾を下さったのです。
そして昨日、去年の分の100個の缶バッジが届きました。
この小さな缶バッジも記念品のひとつに加えて、参加者の皆さんには配りましょう。
伝承園さまはもとより、このかっぱのモンタージュのことを掲載してくださった、遠野市文化研究センター発行の遠野学叢書No.12「遠野の河童」(平成30年3月30日・発行)のみなさまにお礼申し上げます。
遠野文化研究センター所長は赤坂憲雄氏でした。

缶バッジ
缶バッジ
昨年のポスター
昨年のポスター
画家の多田祐子 とある、でしょ❣️
画家の多田祐子 とある、でしょ❣️

Firenze ・ジャポニスモ芸術祭2024

上記の展覧会がイタリアのフィレンツェで始まっている。
ミケランジェロ要塞に収蔵される絵の展覧会。板絵になって収蔵される。
フィレンツェ、夫といったのは、相当前。イタリアは数回訪問したが、今回は生憎と出来ない。
私に何かあると、夫は生きていけない状態にある。何処にいても危険とは隣り合わせだけれど。
さて絵は、
さる宝石屋さんのダイヤの指輪と交換したのでした。小指ようの太い指輪。確か宝石屋さんは野田さんというかた。
パーティの折に使うのです。恋人募集の右手の小指に。あいにくと恋人は未だに顕れません。
パリのモルモッタン元美術館長のドートリーブさんがいらしたときに、” パーフェクト” と言ってくださった
『中納言』40号。この絵をホームページから、見つけて、推薦して頂き
これで、ミケランジェロ要塞の壁に、収蔵していただく。
イタリア時間で20日から始まっていて、20日 21日 & 27日 28日の展示。フィレンツェの「ギャラリー360」
で開催される。
絵は、ホームページの作品の2ページ目上から7段目、左にある。

よかったら見てくださいね。で、ドートリーブさんが来られた時の写真も掲示します。

左ドートリーブ氏(フランスのマルモッタン美術館長時代)  馬郡俊文氏  多田祐子   
鎌倉の蕎麦屋さんで
左ドートリーブ氏(フランスのマルモッタン美術館長時代)  馬郡俊文氏  多田祐子   
その昔、ホテル音羽ノ森 別館に飾らせて頂いた時
『中納言』  1993年1月15日
その昔、ホテル音羽ノ森 別館に飾らせて頂いた時
画集その3の表紙
画集その3の表紙
スペインのSr.Fernandez  やはり私の絵の前で。この絵は行方不明のまま
スペインのSr.Fernandez やはり私の絵の前で。この絵は行方不明のまま

九谷焼の堀江祐夫子氏との共演

九谷焼で著名な堀江祐夫子氏との共演で、第4弾の黄色い皿が展覧会を終えて、私の元に届いた。
可愛らしいお皿。でもどなたもご予約くださらなかった。とにかく景気が悪すぎる。経済は回っているのかしら。まぁ私達には回ってきていない。されど、各美術団体さんは、休むことなく次々と企画され、その幾つかは私の元にも話しがくる。
困りつつも、その幾つかは出品料という、協賛費用をどんなにして捻出しようか考えつつ、了承する。どうせ「ウィ」というまで、何度か
電話がかかってくる。もう来ないだろう時期、とおもいきや、掛けて来られる。早めのお知らせだった、そうで。
今年も半年が過ぎようとしている。遅れつつもなんとか協賛費用を払い続けている、有り難いことだ。

九谷焼「天才の黄色」と原画を掲示します。一皿 三万四千百円だそうです。
スマートシップギャラリーさんでした。

原画 オイルパステル  19cm x 17cm
「天才の黄色」
原画 オイルパステル  19cm x 17cm
九谷焼になった「天才の黄色」 ほぼ原寸大
18cm x 18cm
九谷焼になった「天才の黄色」 ほぼ原寸大

再びスイスの旅

先に、インターラーケンに泊まったと思いそう記したが、今朝見ると、グリンデルワルトのベラリーという宿に泊まっている。オーナーが日本人ということをガイドブックは教えていて、ヘルマン・ヘッセがこのホテルから見たアイガーの美しさを綴っている、とあったので、泊まったが、あいにくとオーナーさんは日本にお帰りでお会いできなかった。
ユングフラウヨッホ駅にある郵便ポストは丸い日本のポストであった。

欧州国連本部の平和の間での私の作品とユングフラウヨッホの赤いポストを掲示します。
美しいスイスの山並みやレマン湖での寄港先などのたくさんの写真があるのですが。

「Funny」
作品タイトル 「おかしい 」佐藤ファミリーコレクッション
「Funny」
日本のポスト 世界で一バん高いところにあるんでしょうね
この履いている靴が途中で糸が切れるのです。右足の後ろの縫い目。
日本のポスト 世界で一バん高いところにあるんでしょうね

ドモドッソーラ

1997年6月、国際平和美術展が国連欧州本部の平和の間において開催されたこの時、私はスイス一周の旅をした。
ジュネーブのホテルから歩いていける距離のレマン湖をモントルーまで船に乗り、天井がガラス張りの電車に乗って、インターラーケンまで。インターラーケンの駅から徒歩で行けるホテルを予約してあって、一泊。翌朝は雨で、インターラーケンの駅のロッカーに折りたたみ傘のケースというか、袋を忘れ、今もその折り畳み傘を使っているが、おかげでインターラーケンの駅を思い出す。
インターラーケンから登山電車に乗ってユングフラウヨッホまで行った。赤いポストに日本に向けてハガキを書き夫宛に出した。
さてここからまたインターラーケンまで戻り、ブリークという駅を経由。このブリークという駅でリフトはある?ときき、駅員が指差す方に
走った。乗り換えの時間が短い。今日本人が走って行った、とかなんとか、無線電話で伝えてくれた様子で、電車は待っていてくれた。
車掌さんが笑顔で迎えてくれたことで判る。短い2両編成の電車。しかしこのときに走りに走ったので、私の靴は右足の後ろ側が糸が切れてしまいちょっとみっともなくなっている。スーツケースから代わりの靴を出す暇がない。
女性の親娘連れがそばに乗っていて、その靴を見るもんだから、私は”「フィラデルフィア」(アメリカ)(因みにイタリア製)で買ったお気に入りの靴が壊れたわ”と言い訳をした。すると親娘はびっくり顔。なんとフィラデルフィアから来ている旅行者。すっかりニコニコ顔で、国境のところで、長く停車する電車を降りてカメラであたりを撮影していると、ボーダー? と聞いてくる。そうよ、と応えると、電車から降りてきて、車掌さんが戻ってくるまで同じようにあたりをカメラに納めていた。そこはボルガノーネという駅かなぁ?再度スイスに入るときには前もって集められたパスポートを返してくれた。国境の入管と出国の印が押されていた。
ここまでの間にドモドッソーラというイタリアの街を通る。
ここで、私は、夜の宿に電話を入れに電話機を探し、日本の夫にも電話を入れた。宿はズーリッヒ(チューリッヒ)。
遅くなるので、部屋がなくならないように架電してホームに戻る。
あっ!置き忘れをしている!予定表やら住所やらのクリアーファイルを電話機のところに!
おじさん!この荷物見ていて! 近くにいたスイスの人やらはわからないが、声をかけて私は階段を駆け降り、電話コーナーへ。
あった! また走り階段をかけのぼった。ありがとう!(多分日本語)するとおじさんがいう。『この電車10分遅れているよ。』
電光掲示板のような立派なものではなかったが、確かに十分遅れ、がわかる。フウフウいう私の心臓を休めつつ、忘れ物があったことを
おじさんに伝えた。
このおじさんはどこの駅で降りたやら。ずーっと見張っているのもおかしいので、そのせいで見失った。
フィラデルフィアから来たという親娘は、確か途中で下車。乗り換えで、ルカロ(イタリア)に行くと言っていた。
ときどき思い出すドモドッソーラ。何語でお願いしたのやら。おじさんは私のスーツケースの側で立って私が戻るのを待っていてくださった。痩せた、あまり裕福そうではない風体だった。ドモドッソーラ。思い出の駅のホーム。ありがとう!

あれからもう2回スイスに行った。ニューヨークのJAIN ギャラリーのMr.Jainや彼が扱う作家のフェルナンドさん、サンドラさん、シンチィアさん、バルビさん夫妻と。オランダのニコルさんともスイスフェアでお会いした。

いつの日かモントルージャズフェステバルに行きたいね と希望を語っていた夫とのモントルーへの旅は最早出来そうにない。
列車乗り場は船を降りた道路からエスカレーターに乗り、2階?から出ていて、いろいろとカルチャーショックの旅だったのでした。

長くなるが、このときのズーリッヒの最後の夜の遅い時間帯に ”今宵は月も綺麗だし” という美しい若者との出会いが 、帰宅後に
『桜 月』という絵になったのである。月は出ていなかった夜でした。

6月の我が庭に咲く山紫陽花を載せました。

我が家のアジサイ
我が家のアジサイ
ヤマアジサイ
ヤマアジサイ
アジサイと小虫
アジサイと小虫