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16 日土曜日は1万歩以上歩きました。

姪の息子、姪孫の高校のサッカー、東京代表決勝戦の応援にいってきました。
朝早起きをして。帰りを考えて、駐車場を駅近くに取り、駒沢公園サッカー場まで。
あいにくメンバーに選ばれなかったけれど、待機態勢。
國學院久我山との決勝戦。今年は延長戦もPK戦もなく、2:1で勝ったのです。
良かった、ヨカッタ! 早起きをして、遠く来た甲斐がありました。ファミリーで、興奮状態での応援。
周りも全部ファミリーだから、もう大変❣️ラブリーな応援狂❣️
これから全国大会で、まだまだ続くのです。ガンバレー、選手たち、そして応援の皆さま。

さて、その後、お昼をご馳走になったのです。
東急田園都市線が半蔵門線に繋がっているので、半蔵門駅まで。
秋口に直していただいたメガネ。今度はお尻で潰してしまい、ガラスが外れました。
自力ではどうも直せません。
で、半蔵門駅近くにあるメガネ屋さんに行き、またまたなおしていただきました。
ほんの5分程度でした。

さぁ、それから竹橋の近代美術館での『ハニワと土偶の近代』展を見に回りました。
半蔵門駅から竹橋は遠くないので、重たい荷物ではあったのですが、美術館ではロッカーに預けられるので
行きました。
ラッキーなことに、土曜日は午後8時まで観ることができる。
時々椅子に座って、軽く居眠りしたりして7:30過ぎまで3:30位居りました。
上野の国立美術館での埴輪展も見応えがありました。こちらもこちらで見応えがあり、また来るというわけには行かないので、一応丁寧に見て来ました。
美術館を出るともう夜です。毎日新聞社の横の入り口から地下に入り、丸の内線で東京駅まで。
幸いお腹は空かずそのまま横須賀線で横浜まで。横浜からは駐車場との関係で、京急線に乗り換え。
ようやく家に辿り着きましたのが22時。
朝7:45分に出て、サッカーを応援し、メガネを直し、ハニワを観て、一万歩以上を歩きました。
夫金城は施設ではなく病院に入院です。悪いのではなく、施設にコロナが出て、入れないのです。
14日の大学での講演や、少し出かける用事があって、預かっていただいております。
21日に面会が出来るのです。姪孫の高校生のサッカー、勝ったことを伝えたらきっと少し笑うはずです。

では私の応援の様子をブログします。姪孫、サッカー選手のお姉ちゃん又姪と、写っています。

サッカー少年のオネェちゃん。かりん、ペンネームは叱淋。
サッカー少年のオネェちゃん。かりん、ペンネームは叱淋。
ブラジル色に近い、チーム。
ブラジル色に近い、チーム。

母校で講演をしてきました。

昨日、11月14日木曜日、午後12:40〜13:10の30分間、母校亜細亜大学で講演をしてきました。
法学部の卒業ですが、卒業後絵画の世界に進みました。亜細亜大学に入った訳、学生生活、その後の活動について
話をしてきましたが、概ねその後の方がもはや半世紀以上ですので、多くなりました。
亜細亜大学に入った訳。そもそも亜細亜! オオなんと広いことか!アジア か!といったわけで、しかも
東京都下にある。「武蔵野」という地名に憧れてもいたので、選んだということだったのです。
会場は「学園史展示室・太田耕造記念館」一階でした。
無名の画家の話を聞いて下さる人、3人くらいかなーー! と、思っておりました。
それが準備された椅子の数が足りないくらいの人が来てくださいました。
前宣伝が良かったんですね。 母校ということでしょう、自分の宣伝になる話もいたしました。
緊張は全くしませんでしたが、早口になってしまうなぁ! ということは心配しました。で、その通りやはり早口に
なっていました。
相槌をうたれたり、お笑いくださる方がおられ、楽しくおしゃべりができました。
時間をかけた話は、目の見えない方が来られた時に、ここに赤い絵があるのね、 ここはピンクの絵ネ、
と、おっしゃって、見ていかれたことでした。富士宮市での展覧会でした。3年後くらいに、北鎌倉の展覧会に来られたのでしたが、目の手術をされたというお話。見えるようになられ、一点お買い上げくださったのでした。
どうして赤い絵、ピンクの絵がわかるんですか?とお尋ねしますと、私の波動を受けるんですって。
波動で見ていただいたのは初めての経験。とても嬉しかったことでした。
会場に居合わせた方々も感心なさったことだったのです。
最後はニューヨークでの展覧会では、ユウコ タダ の絵は、目が喜ぶ! といってくださって毎回見に来ていた人がいたことでした。
宣伝のポスターや、写真をブログします。

看板  制作:学園史展示室
看板  制作:学園史展示室
2号館に展示していただいた小品3点
2号館に展示していただいた小品3点
話しております。椅子が用意してあったのですが、、、
撮影:高橋英樹氏(教務部メディアセンター)
話しております。椅子が用意してあったのですが、、、
画面にある絵が、見えなかった人が見えるようになってお買い上げくださった絵・渦巻き富士
撮影:高橋英樹氏(教務部メディアセンター)
画面にある絵が、見えなかった人が見えるようになってお買い上げくださった絵・渦巻き富士
2号館にある「雪降るブダペスト」120号
2号館にある「雪降るブダペスト」120号

第32回 国際平和美術展 in Santiago de Compostela

表題の展覧会が 夏の広島からスペインのサンチィアゴ・デ・コンポステーラに移し、開催された。巡礼の聖地だそうで、世界文化遺産で、キリスト教三大聖地のひとつ、とのこと。スペインにはまた行くことが出来なかった。経済的にも無理で、寝たきりの夫を残しては行かれない。
今日11月8日、報告書と賞状(出品証明書)& 感謝状そしてスナップ写真が送られてきた。
出品作は「六月のバラ」10号サイズ。
随分前にフランスのクレルモン、ポール・アムビーユ氏の庭に咲く薔薇を描いたもの。
夫金城に贈ったもので、賞とかは無縁と思った作品である。

出品証明書・エウヘニオ・グラネル財団美術館
出品証明書・エウヘニオ・グラネル財団美術館
感謝状
感謝状
日本語訳
日本語訳
見入ってくださる方
見入ってくださる方
同じく見入ってくださるカップル
同じく見入ってくださるカップル
エウヘニオ・グラネル財団美術館館長 パウラ・ロペス・オヘア氏
エウヘニオ・グラネル財団美術館館長 パウラ・ロペス・オヘア氏
国際美術展開催を告げる垂れ幕
国際美術展開催を告げる垂れ幕

豆冊子の51号ができつつあります

手作り豆冊子、日記風歌集そのNo.51がようやく、できます。
今リリリユースのコピー機で、印刷しています。
表紙印刷で時間、日にちがかかりました。PDF での保存の仕方が分からなくなっていました。
そうだ! と思い出すまでに6日間ほどかかり、長い間やすんでいたので、すっかり忘れていたのです。
その間に上野の美術館に行き、田中一村展をジックリ鑑ました。
友人の七宝展も観て、最後は埴輪展まで行きました。
美術館に入る前にお昼ご飯を食べて、コーヒーもいただいて、金曜日は夜の8:00まで開館。
焦ることなく、楽しんできました。上野の美術館へは6年振りでした。
この日は1万歩以上歩きました。夕飯を食べに行った先が新宿御苑前。
イタリアンです。
歩きつつヨロヨロしている自分。家にいることが多いから一万歩は多すぎ。
ご一緒してくださった若い人に重い手提げをもって、頂いて、それでもよろよろ!
思いっきり楽しい1日でした。

では豆冊子の表紙、裏表紙をアップします。
埴輪をひとつ。この埴輪の撮影は、お若い女性です。

をんなの時間さまざま N o、51
カンナ削り  です
をんなの時間さまざま N o、51
埴輪展 で。
埴輪展 で。

今夜はスーパームーンだそうです

今日は生憎と曇り空。スーパームーンは拝めるかしら?見えなくても出ているお月さま。
今夜のお供えは牛乳カステラです。北隣のまどかさんからいただきました。
花芙蓉に身体ごと埋めて花粉まみれになっているハチを撮影していると声がかかりました。
彼女はプロのカメラマン。信州の野辺山高原のお土産。
彼女と話していると山羊のつくしが聞いている。フェンス越しにちょっとだけ草をあげる。
よく私の歌に登場する“つくし” を撮影しました。私と同じでモデル慣れしていないから、
よく動く。
何か話したい雰囲気が夫金城に似ています。夫金城は今日から一週間の予定で施設に預かってもらいました。
腕と肩が痛いのです。

では花粉まみれのハチと山羊つくしをアップします。

芙蓉の花に身体ごとの、ハチ
芙蓉の花に身体ごとの、ハチ
玉すだれと芙蓉の花
玉すだれと芙蓉の花
山羊“ つくし”
山羊“ つくし”

13夜

昨夜は後の月、13夜。中秋の名月の時は、東京まで出掛けていた。展覧会のアフターパーティが東京タワーの向かい側
プレイスオブトウキョウであって、ヘルパーさんに、金城の施設からの帰宅時間には間に合わずを助けていただき、無事帰宅後のベッドでの状態確認をしていただいた。およそ35分後には帰宅できたけれど、名月にお供えする何も準備できなかった。表で日々の感謝を両手に込めただけ。随分上空に昇っていた名月。
さて、昨日はお団子を作らずに、買ってきた。みたらし団子と三色団子。残り少なくなっていて、ややもすると買えなかったかも。前日いただいた枝葉付きの大きな柿のみの実は、直ぐに落ちてしまったので、その日の内に私の口に。
枝葉に、庭の水引草の花と赤マンマを添えて、渋い花器に生け、お団子をお供え。窓を開けて、今回は満足。
お団子の器は、九谷焼。私の絵を九谷焼にしたもの。

今朝はその九谷焼の器を五客出し、落ちてしまった柿の葉と撮影。
九谷焼は堀江祐夫子さん絵付け。初め、赤、青、みどり、と、作り、最後は黄色い器。
青がふたつある。色が全く違うので、やり直して頂いた。これも違ったが、難しいらしい。

もうお団子は無いけれど、落ちた葉とひどい生花、そして皿五客をアップします。

そして、そして我が姪孫、かんちゃん五回目のディズニーです。アハハ❣️

後の月
後の月
実は食べぬ柿の枝葉を生けひと日水引草に赤マンマ添へ
ひどい生花
実は食べぬ柿の枝葉を生けひと日水引草に赤マンマ添へ
九谷焼のお皿群
今朝落ちてしまった柿の葉と
九谷焼のお皿群
姪孫・カンちゃん
ディズニー大好きらしく五、回目だそう
ヒョウキンな娘です

花芙蓉

我が庭に何時の頃からか、芙蓉の花が咲く。昨日昼間、ご近所の旦那が刈り払い機で伸びた草を刈ってくださった。
有り難い。先日北隣との境界あたりの草や笹だけを、バリカンで刈ったが、一時間くらいで根を上げた。
力がない! 隣の山羊つくしと遊んでばかり。
丁寧に刈って下さる御仁に芙蓉の花と玉すだれの花は刈らないで、とお願い。贅沢を言う。
余計な雨が降ったりして、午後2:30頃には終了。お昼ご飯を食べずに刈って下さった。何時もありがとうございます😊😭。金城に話して、顔を歪めることから解っていることを確認。

芙蓉の花
芙蓉の花

玉すだれ

我が絵の入っている倉庫の前に今年も咲いた玉すだれ。
生い茂る草原の中にも咲いている。彼岸花の一種だそう。増えるのは多分モグラの所為?
北隣の隣で飼っている山羊つくし、には毒があるのでやれない。

さて今日は木曜日、訪問入浴がある。テーブルを移動したりして準備をしなければならない。
ブログは短めに。我が車の移動は済んだ。

さて、今年の夏は何やら知らない草が育っている。葉の大きな奇妙な草。背も高い。花でも咲けば
分かるかもと、そのままにしている。鳥が運んできたらしい。
どなたか教えてください。

下から2番目の写真です。

玉すだれ
玉すだれ
踏みつけにした草の中に咲いている
踏みつけにした草の中に咲いている
この背高は何?
この背高は何?
昨日生けたかんなの葉とツワブキの葉に玉すだれ
昨日生けたかんなの葉とツワブキの葉に玉すだれ

お彼岸です

先日の十五夜と満月、綺麗でした。
もうお彼岸で、さっき、スーパーでおはぎを買って来ました。仏壇にお供えを。
明日来客があるので、お掃除をしています。洗ったランチョンマットの防水加工をしようと物置に行ったら、
下記のようなバッタが破れ日除けのシートに停まっていまして、長い間足と羽根を休めています。
なんというバッタかしら? 始めてみます。
近くに茂っている草、イラクサの中に飛んでいったら、解らなくなるので、急ぎiPad を取りに。

また先日17日に、東京タワーの向かい側の、プレイスオブトウキョウに行きました。
夫が施設から帰宅の日で、ヘルパーさんにお願いをして、ベッドに移すことを見守っていただきました。
およそ40分後には私も帰宅。14日〜16日まで、東京タワーの地下で日独の展覧会があったのです。
つくづく東京は広い!と感じたものです。
これも写真をアップします。
で、お掃除に戻ります。

なんというバッタかしら?
なんというバッタかしら?
イラクサとの比較
イラクサとの比較
日本ドイツ友好芸術展 東京タワー で。
靴屋さん10号サイズ
日本ドイツ友好芸術展 東京タワー で。

8月が終わる

この8月は1日から遠野市に行った。同好会の「かっぱ村」の創村50周年を祝う行事があって2日には会場の常堅寺に。
すでに地元の方々のご協力で展示物は飾られ、キャプッションを待っていてくれた。前日のお寺の本堂には、全国から来る観光客で、いろいろな「かっぱ」作品を見ていただいた。
7月から実行委員会を立ち上げて下さったお寺さん所縁の方々が、暑い中を手伝ってくださる。
この常堅寺の横てに流れている小烏瀬川は「カッパ淵」があることで名高く、やがては猿ヶ石川に注ぎ、北上川に合流する。
2日の夕べは「語り部」さんの話術を堪能し、常堅寺さんの用意したお土産のかっぱをいただいた。
さて3日、暑い日差しの中大勢の観光客が訪問するこのお寺さんの本堂で、まずかっぱ村民の100柱を般若心経とともにお唱えしていただき、で、100柱にもお出まし頂きセレモニーの開始。
三代目村長の挨拶に続いて、ご来賓のお祝いの言葉。
外では暑い中ししおどりのお祝いの踊りが太鼓、増す笛の音に合わせて、白い立髪を振る。カンナ削りのこの立髪を二本お土産に持ち帰った。
「遠野物語」組曲の演奏も広い本堂に心地よく流れて、リーダーの話も面白く、午前の行事は終了。
芳名帳には遠く台湾からの独り旅らしい人の記帳があり、北海道やら、西日本から、大阪や神戸と山形秋田の訪問客のお名前がある。
北村宗睦社中が抹茶席を設けてくださり、和尚さんが提供くださった2間で、私は2服いただいた。
誠に忙中閑ありの一時。

一度長々と書いたブログの文章。写真を載せる段階で、本物の記者さんが撮った写真が載らず、挙句には指一本で、取り返しがきかない消去。
二度目を書いているが、クタクタ!

もっと丁寧に書いたのですが、、、、

実は本物の記者(かっぱ村民)さんが撮った写真を載せる作業に移ったら、載らない!。トリミングしたりして繰り返し掲載しようと試みていて、どこか、変なキィを押したらしい。パッと消えてしまい、編集でどんなにしても元に戻らず。
仕方なしに自分のiPadで写したものを使いました。
「並べられたかっぱグッツ」や「かっぱ村の歴史」がわかる陣羽織や写真のコーナーが紹介できません。わずかに趣存のユニットの後ろに写っているものがかっぱ村の歴史です。

午後4時頃から初代村長中河与一の猿ヶ石川に立つ歌碑見物を目指したが、鬱蒼と茂る草木に阻まれて、よくは見えなかった。
前市長の本田氏が車に乗り合わせていて、一応その場所で記念撮影をすることができた。お宿のドライバーさん、支配人とは知らぬまま
重端渓(遠野名勝)まで行きましょうというご親切に預かっておよそ2時間のドライブを楽しみました。

最終の夜はミュージカルで活躍の北村淳・勧次郎の歌声を聴き、かっぱ村民のタレントぶりに感心したことです。

4日日曜日は実行委員会の方々にお手伝いいただき搬出作業。着払いでの梱包をそこそこに近所のお土産店伝承園で再度のお蕎麦での昼食。
缶バッジを300個いただいたので、そのお礼。お礼にならないか?
缶バッジとは、49年前に多田祐子がかっぱ目撃者二人の地元のおじいさんが語るかっぱ像をチョークで黒板に描いたもので、
運良くバッジになったのです。ラリーとかの景品で配られていて、非売品なのです。

前夜祭で「語り部」としてご登場いただいた大平(おおだいら)悦子さんとご主人の運転で、帰る前の30分ほどを「子どもの本の森・遠野」を訪問。午前中は3周年記念式典が行われた模様。
ああ!素敵な本の森! 安藤忠雄さんの設計。ここの館長さんのお名前が 芳 さん。二代目村長 芳 のかっぱ村なのと説明した。

終わる暑い8月。9月はどんな月かしら。

丸谷清人和尚、100柱の先人の俗名を読み上げる
丸谷清人和尚、100柱の先人の俗名を読み上げる
「趣存」の村上成夫さんと鈴木あゆさん・『組曲・遠野物語』 を演奏。
「趣存」の村上成夫さんと鈴木あゆさん・『組曲・遠野物語』 を演奏。
展示品の前で。地元の実行委員会の方々と前列左田中智子中央多田祐子  石田英司
後列左琴畑錦一 本田敏秋 菊池美保 及川有市
展示品の前で。地元の実行委員会の方々と前列左田中智子中央多田祐子  石田英司
8月3日の朝食 かっぱ村民の参加者
8月3日の朝食 かっぱ村民の参加者
新潟の横断幕を再利用しました。
秋葉区の和尚・藤井養正さんがくださった横断幕
新潟の横断幕を再利用しました。
「こども本の森・遠野」で。右、田中智子 左側 大平(おおだいら)悦子さん
おおだいら悦子さんは語り部の方
「こども本の森・遠野」で。右、田中智子 左側 大平(おおだいら)悦子さん