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『レオナルド・ダ・ヴィンチ生誕570周年Paris アート・カイエ展』

上記のカイエ(ノート)展が去る1月18日〜21日まで「ギャラリー モナ・リザ」において開催された。
その報告書が届いている。ノートと、記念のピン📍は既に入手済み。
カイエ(Cahier)は、ダ・ヴィンチがおよそ40年間で15000ページに渡り、芸術作品や、発明、数学などの研究を書き留めて来たといわれており、ダ・ヴィンチを語る上で欠かせない存在とのこと。
「ギャラリーモナ・リザ」はパリの7区にあるそうです。
オーナーのイザベル・ロミック氏が私のカイエを見てくださっている写真が届きましたので、
アップしてみます。
ありがとうございます。

ギャラリーオーナー イザベル・ロミックさん
ギャラリーオーナー イザベル・ロミックさん
多田祐子の 「日本」
多田祐子の 「日本」

春のアート展終了

世田谷区の代田のスマートシップギャラリーでの「春のアート展」が終了して行ってくださって人たちから、写真や
動画が届いた。4点出展した。前に出来ていて、未発表のものがあったので、加えたが、3点は淡い色彩のものばかり。
アップしておきます。
それと、双葉葵の様子をご覧下さい。

左から 列島 春の子 ともしび 4 番目ド忘れ
左から 列島 春の子 ともしび 4 番目ド忘れ
双葉葵  下向きのエンジ色の花はまだです
双葉葵  下向きのエンジ色の花はまだです

白い花の春

我が家の庭は今からは白い花が咲きます。
ピンクの花は終わりました。
灯台躑躅(ドウダンツツジ)は陽が当たらないので、花の数は少ないのです。
当然紅葉の頃のこうようは哀れです。移し替えたいところだが、花壇に根を下ろしているので、私には無理。
今日の夜のメニューはタラの芽の天ぷら、よもぎの天ぷら。それににんじんを少し。
タラの芽は、ちょうど食べ頃なのに、木が高くなりすぎで、夫が作った道具が届かずに、届くところの4個で諦めた。
通りがかりの人に差し上げるからといって、採っていただこうとしたが、使い慣れない道具は、無理でした。
上を見ていて、足元が、崖。少し滑り、お気の毒。

昨日の笠間市からのお客様が、菜の花をくださった。
湯がいて、オリーブオイルで美味。明日の朝の分もあって、しあわせ。

白い花を掲示します。

さつき
さつき
サツキ
サツキ
サツキ
サツキ
2輪草
2輪草
白椿が最後の椿
白椿が最後の椿
11月ごろから先継ぐつばき。もうおしまい。
11月ごろから先継ぐつばき。もうおしまい。
いただいたスミレの花は第二弾
いただいたスミレの花は第二弾
灯台躑躅 去年よりは花が多い
灯台躑躅 去年よりは花が多い
金柑 花橘の実 花は白色  みかんは全部タイワンリスの餌に
金柑 花橘の実 花は白色  みかんは全部タイワンリスの餌に

ソムラップ・キテヤコーン殿下ご薨御

1998年、タイランドでお目もじ。妃殿下のナバラットさま、王女の小さなお嬢様ともお会い出来たのですが、もう25年も前になる。
9回タイランドに渡ったが、いつもホテルに訪ねてくださったり、ソンサワリ王女殿下(現在の)との撮影の時にはナバラットさまが、
ソンサワリさまの隣に並ぶようにと取り計らってくださったのです。
小さな王女殿下からは、赤いカチューシャや、コインの入っている極小さくて可愛いお皿を頂いております。まだ開けていないのですが、
ブルーの縁取りのあるお皿です。
ソムラップ殿下は72歳で一期を終えられました。2月25日がご命日。胃癌を患っておられたご様子。お亡くなりになってから一月近くになって知ったのでした。
昨日は歌ができました。下記します。そしてご冥福をお祈りいたします。

雨降る日哀しき報らせソムラップ殿下ファミリー泣きつつ居らむ

この我らが居間にお遊びパチンコを手にされ笑まひし日のありしよ

Yの字の小枝で作りしパチンコを“こうか ”と仕種我が家の居間で

夫施設殿下の訃報処在なきまで悲しみつ我は眠れず

ナバラット妃殿下いへりナットでと初タイランド仲良しこよし

王様の最側近を務められ息災とばかり思ひおりしを

この六年夫の病にコロナ禍でひと月を過ぎ知る殿下ご薨御

1999年12月2日 シラパコーン大学の展覧会・第2回目訪問時
ソムラップ殿下と金城
1999年12月2日 シラパコーン大学の展覧会・第2回目訪問時
1999年12月2日・アユタヤでタイ式のおもてなしをいただく
殿下から頂戴の紫色のマフラーを
1999年12月2日・アユタヤでタイ式のおもてなしをいただく
2002年8月22日ソムラップ・キテヤコーンファミリーと。王子と王女殿下
私の絵の前で。シラパコーン大学の美術教科書に載った二つの作品の前で
2002年8月22日ソムラップ・キテヤコーンファミリーと。王子と王女殿下
2006年11月。ナバラット妃殿下からの貝の首飾りをつけて
見送りにいらしてくださった妃殿下とソムラップ殿下
2006年11月。ナバラット妃殿下からの貝の首飾りをつけて

弥生も半ば

庭に置いてある水琴窟にヒヨドリが来て水浴びをしている。慌てて,綺麗な水にかえて、見ているが、綺麗にしてあげたら来ない。なんということ!
ピンク色の椿がたくさん咲いて毎日、メジロが来る。大きなヒヨドリが来ている時には小鳥は来ない。
ヒヨドリは逆さまになったり枝渡りを続けて,ずいぶん長く滞在する。そのうちに花ごと食べてしまうが、今はまだ蜜があるらしく、敵に気を付けながら花に顔を埋めて、蜜を集めている。春早いうちは窓に映る自分を敵と思い、トントントンと、叩くが、もはや学習して叩くことはない。窓ガラスが割れてしまうんじゃないかと、心配するくらいの回数。夫の枕元に近いところにある窓ガラス以外でも叩いている。

昨日双葉葵の周りの草を取り除いた。5月の葵祭りに葵の双葉を送るために、養生を。
昨日の今日撮影した。太い茎と若芽が逞しく伸びている。
5月13日頃までには、葵祭りに役にたつくらいに育つ。

夫は、クリアーな日には、声をあげて泣くので、もっとクリアーになったら、車椅子で外に連れ出そうと考えている。
WBCの大谷翔平の活躍とか、かっぱ村(同好会・日本の)の面々の話を聞かせると、泣きそうに顔を歪める。
かっぱ村は再来年が50周年祭だが、来年夏に、前倒しで50周年祭をしようという意見が多いと、聞かせている。
再来年まで体が持つかなー?という人も多くいる高齢化の村なのです。

我が庭、荒れ放題のままに。

双葉葵の茎と新芽
双葉葵の茎と新芽
上と同じ
昨日は葉がもっと小さかったの
上と同じ
水琴窟
水琴窟
花桃の咲きそうな蕾
花桃の咲きそうな蕾
床に虹が!
ほんの5分ほどの滞在
床に虹が!

辻村寿三郎さん逝く

 新聞によると2月5日、お亡くなりに。近すぎないご近所にお住まいだった。ヒョンなことからお近付きをいただき
奥さま(前の)のK さんとは以来ずーっと、離れず,つかずのお付き合いをしてきたのです。
海外の絵の出展やら、展覧会の事などでは、アドバイスをいただきました。期せずして、自転車のK さんと、会うのです。今こういうのもが来ていて、迷っている、といったことを問わず語りでお話しすると、「無理してでもやりなさい! ヨーロッパは評論家のネットワークが日本と比べようもないほどいいから」と言った具合です。
お陰で、多田祐子の絵はヨーロッパで、知られるようになり、パリのカルーセル・デュ・ルーブル での展覧会が出来たのです。ルーブル本館から毎日見に来てくださった方が、最終日に永遠に使えるチケット2枚をプレゼントしてくださいました。夫金城と、弟夫婦、そして毎日来ていたよ!と教えてくださった画商のM氏と5人で乗り込んだルーブルでした。

横浜での人形展の時にいただいた大型カタログを出しました。Kさんは、家に一枚も無い!のよ。と。
1983(昭和58)年に描いた「人形師」という絵、辻村寿三郎さんに差し上げた絵です。
辻村さんの人形は怖いくらいの迫力。
多田祐子の絵は可愛いでしょ!  ひたすらご冥福をお祈りいたします。
そしてブログしておきます。実は遥かにKさんとご一緒に偲んでおります。Kさんは3首の歌を献げて涙の雫を
拭っておられます。さようなら

ジュサブロー さんの大型カタログより
表紙
ジュサブロー さんの大型カタログより
6面
6面
7面
7面
4面
4面
裏表紙
「人形師」 多田祐子作 1983年
「人形師」 多田祐子作 1983年

アーティスト エリタン ドウ ラ ヴォロンテ ドユ グラン オム

レオナルド・ダ・ヴィンチ生誕570周年記念 特別授与称号 という称号が送られてきた。
芸術文化国際推進委員会 からであった。
アート・カイエ展、『レオナルド・ダ・ヴィンチ生誕570周年記念Paris アート・カイエ展』への発表に対して、
アート・カイエ3冊が特製の専用ケースに収まって届き、特別授与称号の証としてラベルピン、いわゆるピンブローチ、職人による手作業にて制作されたものが桐の(と思う)箱入りで同梱されていた。
アート・カイエ、手帳であるが、表面は私の絵、“ニッポン”。裏面はダ・ヴィンチの絵、3種が印刷されている。
どうも使用するには勿体なさすぎる。ご保存用としてお蔵入り。お蔵はまだ無いが。
イタリア・フェドリゴーニ社製の特殊紙を採用してあるそうだが、防汚・防水加工はされていないとのこと。
湿度の高い日本での保存。いつしか湿気を吸って、紙が膨張しそう。
使うが良いか?保存が良いか? 考えさせられるところではある。
掲示します。

アート・カイエの裏表紙 
アート・カイエの裏表紙 
説明書とラベルピン(上)
説明書とラベルピン(上)
多田祐子の“ニッポン” の表紙 での手帳 3冊そして専用ケース左上
多田祐子の“ニッポン” の表紙 での手帳 3冊そして専用ケース左上

第65回 多田祐子展の報告

昨年11月30日からの展覧会の模様を美術年鑑社の新美術新聞が掲載してくださった。
送っていただいたので,自分の部分だけを掲示します。
およそ160人のご来場でした。

2月1日発行の新美術新聞より
撮影/廣岡・担当ディレクター(アートラボ) 使用
2月1日発行の新美術新聞より

World Peace Art Exhibition 2022

昨年の夏にユネスコ パリ本部において開催された World Peace Art Exhibition 2022は、国内では池袋の芸術劇場であった。
ユネスコ本部での様子の写真があって、掲示します。
免許証の書き換えに必要な書類は、既に葉山警察署にファイルされていたことが、判り、4日間ほど探した無駄をしました。ドライビングスクールにはiPad で撮影したものをプリントアウトして持参。どうも無くても良かったようでしたから、あんなに探したのにと、気が抜けたのです。
で、26日今日ですが、午前中に免許証の新しいのを貰い受けに行ったのです。そこでわかりました。
運転技能100点満点の書類は、既に認知症の書類と共に、警察にファイルされていたことが。
今のところ認知症は問題ありませんでしたが、先に届けていたことを覚えていない!。これは問題です。

4日間の探し物の間に、出てきたのが、ユネスコ本部での展覧会場の様子でした。
先に掲示した英国王立美術家協会名誉会員認定証の証も、この探し物で見つけたのでした。

夫の世話と自分の事と、一日がとても短いので、4日間の探し物のといっても、散らかるだけなのでした。
令和8年の誕生日まで有効な運転免許証です。残念ながら、ゴールドではありませんでした。

ユネスコ パリ本部 ミロのホールの看板
ユネスコ パリ本部 ミロのホールの看板
おどる豆  (焦げた豆もあって)
こんなたわいも無い絵が描ける平和は大切
おどる豆  (焦げた豆もあって)

英国王立美術家協会名誉会員証

昨年の4月に届いていた「英王国立美術家協会名誉会員証」を、探し物をしていて目にした。
一年間の有効期間の名誉会員証である。イギリスには行かれず、昨年の4月に帝国ホテル東京で開催されたレセプションパーティーにも行かれなかったので、頂けないものと、半ば思っていた。
出品作は「ガト」。スペイン語で ネコ であった。
ずーっと以前に新宿の文化服装学院で、汗と戦いながら仕上げた一枚。第19回展で、日本橋の画廊で展示して、ニューヨークでの展覧会に持っていった。タイランドの芸術大学、シラパコーン大学の教科書に「マンハッタン」と共に
取り上げられていて、既にコレクターのものであったが、お借りしてイギリスに送った。淡いピンク色の絵。
スペイン語は第二外国語として学んだ時代があって、アルゼンチンに行った時に、あるいはマンハッタンで、雪がたくさん降ってバスが来ない時に、ワンダラー,ワンダラー!とお客を呼ぶ、メキシカン夫婦の車に乗って移動した時に
とても役に立ったのでした。
ただ,挨拶と、ここでいいわ、という片言言葉で、後を振り返って私の顔をその二人は驚いて見たのでした。

横道にそれました。その名誉会員認定証を掲示します。後数ヶ月の有効期間でした。
継続してくださるやらは、分かりません。
いただいたスナップ写真に英王国立美術家協会会長ミック・ディヴィス氏と
観賞してくださる青年の麗しい容が有りました。掲示します。

イギリス国王立美術家協会名誉会員認定証
イギリス国王立美術家協会名誉会員認定証
英国王立美術家協会会長ミック・ディヴィス氏 と 我「ガト」
英国王立美術家協会会長ミック・ディヴィス氏 と 我「ガト」
ジーっと観賞してくださる青年
ジーっと観賞してくださる青年