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同好会 かっぱ村二代目村長の49日

かっぱ村は昭和50年4月に発村した。当時は週刊誌記者だった大野芳が、文学の師である中河与一を村長に据え、自分は助役として遠野市にかっぱ探しに出掛けたりした。ノンフィクション作家として51冊(もっとあるかもしれないのだが)の著書があり、中河与一亡き後二代目村長として26〜7年かっぱ村を引っ張って来た。今年発村から47年目。
参与として走り始めた2年目。5月5日を命日に一期を終えた。肺がんでステージ4だったそうな。癌の著書を多数持つ本人。知人には10月頃までの命かなー、癌は準備ができるからいいよ、と語っていた。
何も知らないわたしは、電話をする時には、今はいいですか?と、聞き、“ 多田さんはいつでもいいよ” というお返事をもらっていたけれど、今思うに晩年であったのだ。“喉が乾いてね、”という時はもはや最晩年。今はもう話をすることが出来ない。かっぱ村50周年記念をどのように計画したものか、三代目村長や、相談役の皆さんとこれからの村運営を考えないとならない。

22日が49日にあたるので、浅草の曹源寺、かっぱ寺で、我々かっぱ村の有志が集まって追悼集会を行う。
宗派を超えて、ご住職がかっぱ村民ということがあってお引き受けいただいた。先代の義勇和尚さんも村民だったのです。
ここかっぱ寺には「安藤広重」と伝えられる紙本彩色軸装の「かっぱ図」があり、また「かっぱ堂」の格天井には
漫画家やらのかっぱの絵があり有名なのです。

大野芳をしのぶ会。明日の昼から始め、かっぱ巻きなどをつまみながら、それぞれの思い出話をしようと思います。
ご霊前に飾りましょうと、我が家の庭に咲いているアジサイを準備している。
今水揚げをしつつ、うどん粉病の虫と蟻を退治中なのです。

山紫陽花の3種
山紫陽花の3種
古いお札
合羽橋 かっぱ寺 曹源寺  とある
古いお札

寒いのです

月例の施設入りしている夫。その夫が居ないので、4日目ともなると家の中が寒いのです。体温36°c のひとりがいるのと居ないのとではかくも室温が下がるのかと、一枚余分に着ています。室温の温度計は24°c 。外は18°c 。今、夜ですが。
この10日間、ここの山に登る坂道が下水道工事で、昼夜24時間車両通行止めなのです。セメント養生に5日間があって、今のところ雨で工事延期ということは無くて、順調に工事は進んでいるのですが、後4日ほど要します。これからアスファルト復旧が終わるまで雨が降らないように祈っているのです。雨が降って、工事が終わらないまま24日が来ると
金城は車が使えないので、車椅子で山坂を登らないとなりません。施設には2日間多く預かっていただいて、これ以上はベッドがない状態なのですから、祈りは必死なのです。工事の人達は、小雨状態の初期のコンクリート舗装版取り壊しを、スケジュールどおり、こなしてくださっていてそれで順調なのですが。
宅配の車も郵便車も、来ません。住民は皆この山の下に設けられた駐車場に停めています。オートバイの人もです。
買い置きをしたつもりでも、3食食べていると無くなり、下まで下りるのが面倒になりつい、野菜不足になっています。
郵便物は郵便屋さんが電話でいるかどうかを確かめてから、運んできてくださる。今日も午後坂の途中まで行って、受け取ってあげたが、大きい箱だとわたしも音を上げる。そんな時は玄関まで運びますと言ってくださる郵便屋さん。
出そうと思っている箱詰めの荷物が2つ玄関に在る。駐車場まで10分。滑らないように明日は日曜日だから、午後3時までには行かないと、と思っている。それに施設に顔を出さないとね。
お天気はさいわいにも曇りマークの連続。降水確率40%の予報。
雨で車が通れない時には車椅子を押してね! とお願いしているヘルパーの力持ちお兄さん、が頼りだけれど、一人ではとてもとても無理な坂道。工事のスケジュール表と睨めっこのこの10日間。半分が終了している。

ここ2日この山坂を下りぬまま 蓮根うどん カルボナーラで    といった具合の怠け者です。

さつき
さつき

わたしの空間

東側の庭が白詰草で覆われている。
奥の方は何やらいろんな草がはびこっている。春の草の丈は夏草に比べて高くない。刈らずにほっぽている。
刈る体力がない。それが本当のところ。
今朝18日のことだが、夫金城が施設にショートスティでいくので、車椅子に移乗するのをやってみようとしたのだが、
右腕にちっとも力が入らずに、残念ながら施設の専門の人にお願いした。そろそろ車椅子に乗せて数10分でも、ベッドから起こそうかと考えているのだが、また床に落としてしまうかもしれないね、と、力無さをガッカリしている。

黄花あやめは次々に咲いてくれる。まとまって咲いていないので、ようやく3本撮影した。

刈られても刈られても咲く
刈られても刈られても咲く
白詰草 
白詰草 
ご近所の人がご自分の育てた花を持って来てくださった
わたしの白詰草も混ぜて
ご近所の人がご自分の育てた花を持って来てくださった

50年前の写真を

見つけました。懐かしくて、居間の床に置いておいたことをすっかり忘れて、探していたのです。
沖縄復帰式典の日本武道館に向けて行列している私。後ろの人たちはどなたなのか思い出せません。
前を行くおじさんたちが3人写っているのですが、ご存命ですと、叱られるやも。トリミングしました。

この頃、婦人公論に詩を投稿していまして、選者が関根 弘氏。何かマイクを握って話している私の後ろに写っている
人がその関根弘氏。ここが後にかっぱ村の新年会を開催する所になって、現在も続いているのです。初め、この地下にあるお店に入ったときに、ウーン!なにか来たことがある? だったのです。

末次一郎事務所時代に安全保障問題研究会、略して安保研の国際会議が京都国際会議場であったのですが、
私はその時、“ あご あし 宿 ” が担当でした。
ホテルにどの先生が泊まる、いつお帰りになる、食事は何人分といったことです。
写真はロシアからの先生の秘書でしょうか。一緒に枇杷の実を食べているのですが、それ以来枇杷の実が好きになりました。あまり甘くもない果物。とにかく47年くらい前の時代ですから、そんなに現在のようにいろいろと贅沢な果物ってありませんでした。
白いパンツスーツをきていますが、この洋服は森英恵さんが、白い色が似合うのね、と言って下さったもの。
その人が森英恵さんとは知らずに、森英恵の店で買ったものでした。

井の頭公園の近くに住んでいた頃はよく公園で絵を描きました。もう描くところがなくなってしまったぐらいでした。
写真は姉が写してくれたもの。しかし、姉が娘をあやしているものがあって、これは誰が撮ってくださったやら?
姉はこの頃はそう遠くないところに住んでいたんで、こんな写真がある。ありがたい。
先日飴デザイナーが送ってくださった飴を小分けしてくれた姪が、大学生の娘と中学2年の息子がいる。
50年。いろんなことがありました。
金城は沖縄には小学校の6年の最後のほうから、高校までのおよそ6年間しか住んでいなかったのです。
4歳から12歳まで育った福岡県の筥崎宮の近くが彼にとっては古郷。まあしかしながら沖縄もふるさとに違いない。

沖縄本土復帰記念式典に向かう
沖縄本土復帰記念式典に向かう
京都国際会議場で休憩時間にロシアの青年と枇杷の実を
京都国際会議場で休憩時間にロシアの青年と枇杷の実を
井の頭公園で姉とその娘  そして私
どなたが撮ってくださったやら
井の頭公園で姉とその娘  そして私
姉の撮影
姉の撮影
ノアノアでの「おんなの机」出版記念の会
後ろが詩人の故関根弘氏 選者
ノアノアでの「おんなの机」出版記念の会

沖縄復帰50年

沖縄復帰50年なので、50年前の写真を探していました。
日本武道館で行われた復帰式典に参列したのでした。
末次一郎さんの元で働いていた時代です。復帰に奔走した末次一郎さん、知る人ぞ知るの人でした。
武道館に向けて行列が進行しているもので、ミニスカートの時代。私もミニスカートの時代があって
履いている写真なのです。
先年、何かの拍子に見たのですが、探すとなると見つかりません。

今日は、同好の村「かっぱ村」の2代目村長の告別式でした。かっぱ村から何人か駆けつけてくださったのですが、
夫金城が寝たきりなので、お別れの式には二人で参列できないという有り様。
2代目とはいえ「かっぱ村」を起こした、ノンフィクション作家。
一代目の中河与一の弟子で、中河与一を村長に担ぎ出した、という人。
彼の遺言で、金城は終身助役。急逝を耳にして、2日間程泣いていたのです。
先日も架かって来る電話に応じている私の声に胸を詰まらせたらしく、水がお腹に入りませんでした。
彼に聞かせつつ彼の気分で弔辞を書きまして、お届けしました。
僕よりはやく逝くなんてひどいじゃないか。
そんなに遠くに行かずに、僕が逝くときには出迎えてくれよ、な。
おなくなりになる24日前のお手紙に、『僕もとうとうダウンです。少し休みます。』とあって、
最後の力を振り絞って書いてくれてありがとう。といったいった内容でした。

お葬儀に参列してくださっている人たちを思いながら、そして何より突然、逝ってしまった村長の思い出
を、脳裏に描きながら、何も進まないので写真を探していたのです。見つかりませんでした。
びっくりして連絡して来る村民に説明して、「号外」をだしたのですが、開始時間を入れ忘れているので時間を告げたり死因を書いていないので、電話が長くなるのです。
金城のお夕飯、胃ろうで、半固形剤のラコールという栄養剤ですが、遅くなったりしました。

今日は薄曇り。花壇のサツキの花が咲き始めるようです。
黄花あやめは今年もちゃんと咲きました。

今日の一首
墨の香に誘われしか蜘蛛硯の辺行き来するかもみどりもゆる日

明日は開きます
明日は開きます
ふ入のサツキです
ふ入のサツキです

石楠花の開花

花壇の石楠花に折りたたまれている花弁が開き始めようとしている。
蕾は5つ。傍のサツキの上に覆いかぶさっている、アケビのツルを思い切ってカット。
このままではやがて石楠花に及ぶ。

新潟の知り合いから送られてきたサツキのひとむれが花をつけてから、およそ一週間。
ここだけに花が咲いて、後は新しい色の葉が繁っている。花は咲くだろうか?
カットする時期が遅かったのでいつものように、わずかな花で終わるかもしれない。
しかしまだ旧暦では3月。皐月、5月まで時間がある。
満天星ドウダンツツジは、写真を撮る前に花が終わって、葉を繁らせている。
白椿もたくさん咲いている。

先日夕刻迫る西の狭い庭に、お隣の奥さんと高枝切りで、タラの芽を採った。
天ぷらは美味しかった。次の芽はもう大き過ぎで、彼女も採ろうと言ってこない。
私の大好きな初夏の到来。ごく短い期間で、すぐに暑い夏が来る。
夫金城は暑がりで、ベッドで脂汗をかく季節。
ヘルパーさんが、よく熱を測ってくれる。籠り熱に気が付かずに、ふわーっと、熱風が伝わってくる。

石楠花の開花前と花壇のツツジを。

石楠花
石楠花
名付けて 洋生ツツジ
名付けて 洋生ツツジ

グループ展ふたつ

4月5日からの日アセアン友好文化交流展・国際機関日本アセアンセンターでの展覧会に最終日、駆けつけた。
この日は、牛久散歩の会を同好の会、いわゆるかっぱ村の行事で、朝早く家を出た。快晴でしかも寒くない一日。
牛久沼は樹々に隠されて、40年や30年前とは様子が変わっていた。芋銭かっぱ、そして何より我々かっぱ村初代村長中河与一の歌碑を新しい村民さんたちと、確認。撮影。小川芋銭のアトリエ雲魚亭は春の燻蒸中で拝観出来ず。
直ぐ近くに住井すゑさんの文学館が出来ていて、見学。令和3年度に開館という文学館は素晴らしいものだった。
この庭からは牛久沼が望めた。
昼ごはんは寿司ランチ。14名の集団。同じものを予約しておいて、私は東京御成門駅に向かった。
牛久大仏を見たいグループができ、案内してくださる運転手さんも、名乗りを挙げてくださって、帰宅組とに別れる。

御成門駅近くの会場は5時まで。どうにか4時に到着。お夕飯を一緒にしようと約束したお友達も現れて、展覧会のスタッフさんたちとお喋りもそこそこに、会場を後にする。
昨日がお誕生日のお友達と、品川駅構内で、あれこれレストランを見て回った挙句、パスタで決まり。

4月12日。下北沢に。こちらもグループ展。3点出品。
9日に牛久でお会いした、笠間焼の研究で大学院に学ぶ、博士課程の聰子さんが来てくださり、やはり9日に御成門駅近くの会場にも来てくださったお友達則子さんと3人で、グループ展を観賞。
その3人官女⁉️で、お昼。リゾットメニューは則子さん。フレンチトーストは聰子さんと私。
水戸市から来られた聰子さんは、立ち並ぶお店を覗きたい❣️というので、彼女を路上に残しサヨナラ。

今下水道工事が続くこの近辺の道は日替わりで、通れなかったり。近くまで来てみないと、今日の工事は終了、が判らない。帰宅後改めて、郵便局へ車を走らす。

写真が大き過ぎで載らない。編集し直して載せます。
庭の伸び放題のカラスノエンドウやら、刺草を刈らずに、豆冊子本を組んでいる。

14日施設から帰宅する夫、8泊9日の不在である。

小川芋銭の河童碑  後ろに隠れているのはかっぱ村民の長老
4月9日/ 碑面にきざまれてあるのは『誰識古人画龍心』・七言漢詩
小川芋銭の河童碑  後ろに隠れているのはかっぱ村民の長老
日アセアン友好文化交流展に出品の「隠れ家」6号
日アセアン友好文化交流展に出品の「隠れ家」6号
春のアート展・スマートシップギャラリーで
左則子さん 右聰子さん
春のアート展・スマートシップギャラリーで

  豆冊子No.45

4月に入った。花冷えで寒い。庭の白い椿の花がいつから咲いたのやら、落ちていて、ああ何日間か庭を眺めて居なかったんだと思う。
東側の庭は一面に春の草が生い茂って伸びつつある。眺めて居る間にも伸びる勢いを感じて、小さな花を付けているくさぐさを、まぁ刈らずにおこう! と、玄関に入る。
今、豆冊子の45号を作りかけていて、取り敢えず4冊ホチキスで留めた。仏壇にご報告。夫金城は今日の午前中から施設に、ショート・スティ。洗濯物をピックアップしに行く時に一冊持って行こう。手に握りしめてくれるので、嬉しくなるが、コロナで会うことは出来ないから、
想像だが、いつもそうしてくれる夫。
今回は68首で止めた。ここのところ前書き、後書きを入れている。同好会の二代目村長でノンフィクション作家 O 氏が、前書きか後書きを入れたら、多田さんの世界が深みと広がりが出るんではないの、と、アドバイスを下さった。で、書き出したら書いておきたいことが山ほど有って、両方書いている。ご感想は怖いので訊いていない。

本の表紙、裏表紙をアップします。

また、二月にグループ展を開催して下さった、企画会社さんと、会場だった西山美術館さんの特別企画で、第65回多田祐子展を開催することが決まったので、その事もご報告します。
今年の年末、12月7日〜18日の期間。月曜日、火曜日が休館なので実質10日間です。
豆冊子の中に歌があって、ご一緒に行って下さった作家の S さんが花壇に敷き詰められたピンククオーツを、なにやら欲しそうに、見ていたのでした。
西山美術館は、『ロダンの彫刻群と、ユトリロのあの白い作品』がコレクションされています。また、さまざまな、宝石になる元の石、大きな「世界の銘石」が展示されていて、ピンククオーツもその中の一つです。近くなりましたらご案内いたします。
12月寒くはなりますが、今、戦争とこのコロナのことが収まることを祈って、日々を一生懸命に活きたいものです。

  豆冊子の両表紙
  豆冊子の両表紙

花桃の開花

ここのところの陽気で花桃の花が咲き出した。
隣で咲いている椿はもう4ヶ月間咲いては散りしながら咲いている。
西に植えられたピンク色の椿も花を落としながら、まだ咲いていて、夫の寝ている側の窓からまだ沢山咲いていてくれるのが見える。白椿はこれからだ。未だ蕾が硬い。
3月11日に撮影した二葉葵が葉を出し始めている。

こんな暢気な事をしているが、昨夜の大地震には眠りかけれいたところを、揺り起こされ、なんて長い地震なの。
もうこれ以上大きな揺れに変わったら、もう観念するしかないわね、と、車椅子もない我々は、逃げる事はしないでおこう、と決めて揺れが収まるのを待った。
大なゐに収まりゆくをじっと待つより他に術なきを知る夜

など、思いながら、戦争をしている国が在ることの愚かさを、夫の傍らで思い、ラジオをつけ、津波が小さいことに
は少し安堵して、眠りについた。

花桃。咲いている枝が届かない
花桃。咲いている枝が届かない
二葉葵
二葉葵
二葉葵の上に咲くピンクの椿
二葉葵の上に咲くピンクの椿
11月から咲いている椿
11月から咲いている椿
これも長く咲き続ける
これも長く咲き続ける
赤い椿が向こうに
赤い椿が向こうに