8月が終わる

8月が終わる

この8月は1日から遠野市に行った。同好会の「かっぱ村」の創村50周年を祝う行事があって2日には会場の常堅寺に。
すでに地元の方々のご協力で展示物は飾られ、キャプッションを待っていてくれた。前日のお寺の本堂には、全国から来る観光客で、いろいろな「かっぱ」作品を見ていただいた。
7月から実行委員会を立ち上げて下さったお寺さん所縁の方々が、暑い中を手伝ってくださる。
この常堅寺の横てに流れている小烏瀬川は「カッパ淵」があることで名高く、やがては猿ヶ石川に注ぎ、北上川に合流する。
2日の夕べは「語り部」さんの話術を堪能し、常堅寺さんの用意したお土産のかっぱをいただいた。
さて3日、暑い日差しの中大勢の観光客が訪問するこのお寺さんの本堂で、まずかっぱ村民の100柱を般若心経とともにお唱えしていただき、で、100柱にもお出まし頂きセレモニーの開始。
三代目村長の挨拶に続いて、ご来賓のお祝いの言葉。
外では暑い中ししおどりのお祝いの踊りが太鼓、増す笛の音に合わせて、白い立髪を振る。カンナ削りのこの立髪を二本お土産に持ち帰った。
「遠野物語」組曲の演奏も広い本堂に心地よく流れて、リーダーの話も面白く、午前の行事は終了。
芳名帳には遠く台湾からの独り旅らしい人の記帳があり、北海道やら、西日本から、大阪や神戸と山形秋田の訪問客のお名前がある。
北村宗睦社中が抹茶席を設けてくださり、和尚さんが提供くださった2間で、私は2服いただいた。
誠に忙中閑ありの一時。

一度長々と書いたブログの文章。写真を載せる段階で、本物の記者さんが撮った写真が載らず、挙句には指一本で、取り返しがきかない消去。
二度目を書いているが、クタクタ!

もっと丁寧に書いたのですが、、、、

実は本物の記者(かっぱ村民)さんが撮った写真を載せる作業に移ったら、載らない!。トリミングしたりして繰り返し掲載しようと試みていて、どこか、変なキィを押したらしい。パッと消えてしまい、編集でどんなにしても元に戻らず。
仕方なしに自分のiPadで写したものを使いました。
「並べられたかっぱグッツ」や「かっぱ村の歴史」がわかる陣羽織や写真のコーナーが紹介できません。わずかに趣存のユニットの後ろに写っているものがかっぱ村の歴史です。

午後4時頃から初代村長中河与一の猿ヶ石川に立つ歌碑見物を目指したが、鬱蒼と茂る草木に阻まれて、よくは見えなかった。
前市長の本田氏が車に乗り合わせていて、一応その場所で記念撮影をすることができた。お宿のドライバーさん、支配人とは知らぬまま
重端渓(遠野名勝)まで行きましょうというご親切に預かっておよそ2時間のドライブを楽しみました。

最終の夜はミュージカルで活躍の北村淳・勧次郎の歌声を聴き、かっぱ村民のタレントぶりに感心したことです。

4日日曜日は実行委員会の方々にお手伝いいただき搬出作業。着払いでの梱包をそこそこに近所のお土産店伝承園で再度のお蕎麦での昼食。
缶バッジを300個いただいたので、そのお礼。お礼にならないか?
缶バッジとは、49年前に多田祐子がかっぱ目撃者二人の地元のおじいさんが語るかっぱ像をチョークで黒板に描いたもので、
運良くバッジになったのです。ラリーとかの景品で配られていて、非売品なのです。

前夜祭では「語り部」としてご登場いただいた大平(おおだいら)悦子さんとご主人の運転で、「子どもの本の森・遠野」を訪問。
ああ!素敵な本の森! 安藤忠雄さんの設計。ここの館長さんのお名前が 芳 さん。二代目村長 芳 のかっぱ村なのと説明した。

終わる暑い8月。9月はどんな月かしら。

丸谷清人和尚、100柱の先人の俗名を読み上げる
丸谷清人和尚、100柱の先人の俗名を読み上げる
「趣存」の村上成夫さんと鈴木あゆさん・『組曲・遠野物語』 を演奏。
「趣存」の村上成夫さんと鈴木あゆさん・『組曲・遠野物語』 を演奏。
展示品の前で。地元の実行委員会の方々と前列左田中智子中央多田祐子  石田英司
後列左琴畑錦一 本田敏秋 菊池美保 及川有市
展示品の前で。地元の実行委員会の方々と前列左田中智子中央多田祐子  石田英司
8月3日の朝食 かっぱ村民の参加者
8月3日の朝食 かっぱ村民の参加者
新潟の横断幕を再利用しました。
秋葉区の和尚・藤井養正さんがくださった横断幕
新潟の横断幕を再利用しました。
「こども本の森・遠野」で。右、田中智子 左側 大平(おおだいら)悦子さん
おおだいら悦子さんは語り部の方
「こども本の森・遠野」で。右、田中智子 左側 大平(おおだいら)悦子さん