新春展におでかけください

 今日、2ヶ所の新春展に行ってきた。銀座の文藝春秋画廊は明日で修了。朝早く、家の近くを通っている“ちょいバス”を利用して出掛けたので、銀座では開店準備中の様子を観察しながら、銀ブラ。窓ガラスを綺麗に拭いている男性、荷下ろしして、お店に運び入れる男性、入口に箒をかけている男性。男性が多く働いているのを見ながら。なかなか絵になっているが、スケッチブックを持っていないので、記憶に留める。
画廊が開くまでの間、4丁目交差点を向こう側にわたって、郵便局まで、事務仕事。サンモトヤマの地下にあった郵便局が無くなっているとは知らなかった。お掃除中のお店の主か従業員か知らないが、教えてもらったユニクロ店の2階には郵便局はありませんでした。

 下北沢のスマートシップギャラリーのほうは、18日まで開催。(12日はお休み)まだ時間があります。どうぞお出掛け下さい。

スマートシップギャラリー
3枚の多田祐子の絵
スマートシップギャラリー

昨年の認定から

 昨年11月、タイランドで開催された日・ASEAN友好協力40周年認定事業/ 日タイ交流美術展覧会 の結果、届けられたバッチを新年の報告とします。12月中旬にいただきました。

バッチ
教育技能士ということですが
バッチ

2ヶ所の新春展 そして 世界平和芸術家協会展2014

 お正月7日から11日までの文藝春秋画廊での新春展と、10日から18日までの下北沢スマートシップギャラリーでの展覧会に出品。どちらもサムホールというサイズで、小品。 文藝春秋画廊には「咲ちゃん」/木花乃佐久夜毘売命(富士山のご神体)を私なりに表現したものを出品している。 スマートシップギャラリーの方は 〜旅の始まり〜 というテーマを与えられ、「わたしのフランス」 「ナイルの記憶」 「リヨン駅」の3点を。「わたしのフランス」と「ナイルの記憶」は新作。「ナイルの記憶」はナイルに浮かぶファルーカという帆船をクロッキーのそのままを描いた。 「リヨン駅」は絵のみ行ってわたしは未だに訪問しかねているが、駅のにぎわいを想って描いたもので、絵の具を買えずに、白い絵の具に、紙をちらばしたもの。少し前の作品。リヨン市であった展覧会では賞をダブルで頂戴した。「カルカソンヌの青い月」で。その頃の作品と思うが、、、。  『世界平和芸術家協会展2014』 は第5回目という。毎回出品してきたわけではないような気がするが、世界平和芸術家協会員ではある。こちらは担当者の選んだ「アルビの 広場」を飾らせて戴く。アルビも南仏の街。カルカソンヌを訪問したさいに足を延ばした処。ちゃんとしたスケッチがあるが、それはそのままで、忘れ去っている。 「アルビの広場」は30号。ミデアムサイズ。北千住シアター1010 “THEATRE1010"  であります。  たくさんの作品が会場を飾っているのです。どうかお暇と気分を展覧会にお向けください。お待ち致しております。

咲きちゃん
咲きちゃん
ナイルの記憶
ナイルの記憶
わたしのフランス
わたしのフランス
アルビの広場
アルビの広場

あけましておめでとうございます

 新玉の年。平成の御代は4半世紀を終え、半世紀に向かってあけました。25年なんてあっという間ですね。
“去年今年歩いていたり星の空”(祐子) 月がないので星空です。例年通り氏神さまの神明社に初詣。温かい元日。浜の方では風があって、幟は柱だけで、焚き火もありませんでした。消防隊員の若者たちも、こころなし手持ちぶさたな様子。御神酒を頂戴して、甘酒もいただき、半時あまり境内におり、知り人たちとのご挨拶を交わし、家路に。
夫は氏子役員で、まだ境内におります。ここ山の上には風はなく、海が近づくにしたがって海風の音が激しく聞こえてきました。
 
 さて、今年はまた元気で絵画生活が出来ますように、神さまにお祈りしましたが、みなさんにも、どうぞ宜しくお願い致します。
 そして誰もが、元気で明るい実りある一年でありますように、祈ります。

年の瀬の湊おだやかな海

美しい海
海原はインデゴブル|水色の空に
つづけり富士 ヶ 嶺はさみつ
エジンバラ大学院修了のMr. F u j i w a r a が
帰国。年の瀬の海をあまりの美しさに
撮してもらったのです。

葉山の海

29日、日曜日の午後の海。

美しい海
美しい海
撮影・Mr.Fujiwara 2枚とも
撮影・Mr.Fujiwara 2枚とも

酒飲みサンタ

ちょっと忙しいらしくて、2日早くまかりこしたサンタ。温かい部屋で、お酒をきこしめして、酩酊寸前。もお今夜は空を飛べません。といった具合の、クリスマス前の暢気サンタ。

もはや、サンタは酒もさめて、居りません。

作家 故中河与一のお墓参りに小田原まで

 平成6年12月12日に亡くなった中河与一。明治30年、香川県生まれ。代表作は「天の夕顔」。この一冊はドイツ語、フランス語、中国語、英語、スペイン語、そして、アメリカの各国語に翻訳されベストセラーとなった。この一冊で、生涯をおくったわけではないが、あまりにも有名になり、そのために苦難もよびこんだ一冊である。97歳でこの世を去った。歌に めぐり来し春かはらねど迎へたる九十七才そぞろたのしき とあり、わたしは最期のたぶんさいごの、短冊を頂戴した。
清水比庵(日光市長を勤められた)の書を最も佳しとした、中河の筆も比庵風だ。随分書かせて、頂いてある。 あふことの須ゆなり志かバ波るばるとこえき志乃やま想も保ゆるか母  うち日射す宮路をゆけるをとめ子の玉乃すがたハ憂へけたしむ  このうちびさすの歌は何度か、うちびさ「ず」となって、書き直している。捨てようと為さるのを頂いた。書き損じが2枚あって懐かしい。 黄色なる黍の垂り葉乃和久ら葉のそよぎ澄みつつ月乃保里たり  いづれも私が手本としている歌だが、なかなか格調が高く、浪漫的で、とても届かない。
 中河与一には、河名千絵という名前で出した詩集に序文をいただいた。フランスへの旅の出発前で忙しいと仰ったが、書いてくださった。そして、それから、私の絵がペルーのリマ美術館に収蔵になったことをとても喜んでくださって、自分の事のように喜んでいる、大変なことと、その比庵風の字体で葉書をくださった。エルミタージュ美術館に収蔵になったのは、最近で、既に中河与一はいなかったから、画家になりたかった先生にはお墓の草を引きつつ、語りかけて来た。来年ユネスコパリ本部で展覧会があって、私にも出品要請が来ていることも併せて、報告した。お墓は幹子夫人と共に一枚の石に名前が彫ってある。幹子夫人も歌が凄いが、与一とは少し違っていて、おもしろみがある。例えば ふたのなきコップに入れ歯沈めゐて夜中にねずみが引いては困る  といった具合。もちろん格調高い歌が多いのだが。2才年上の奥さまだった。たしか「ゴッホの墓を模した」といっておられた。
 今日は朝から晴天。12日は「夕顔忌」。それでお墓の掃除をしつつ、ガーベラとバラをお供えして、自分の事を報告した。将来的には、お仲人でもあった中河与一の、我々だけの「夕顔忌」になるかもしれない、と思わないでもないのだが。「かっぱ村」の初代村長であった。果たして何人来て下さるか皆目見当が付かない。木曜日でもあって村民も来にくい日程である。ご存命であれば116才。私達も間もなく黄泉へ旅立つ。が、既に遠い遠い高みに達しておられるから、届きません。レモンイエローのマフラーをしておられた中河与一を今日は一日偲んでいます。

エジンバラ大学院修士課程の卒業式ライブ

エジンバラ大学院修士課程の卒業式ライブ
|あの藤原さん|
エジンバラに学びしひとの卒業の式典
ひとこま見し誉れにも


エジンバラ大学院の卒業のライブの
知らせ式典見をり


きまじめの面持ち日本|やまと|男の
子なり天晴れひとりスコ ッ トランドに
            
昨日27日日本時間20時前後の
エジンバラ大学院の卒業式典を
パソコンライブで見たのです。
知人として、誉れ高い一件です

自慢話をつづります

 先の展覧会から一月あまりが過ぎた。時効?かな、と思い、今回は自慢話の数々を披露したい。血縁関係があったり無かったりの親戚が買ってくださったということは既にブログ済み。赤い絵を飾るとお兄ちゃんがギャンブルに走る!という娘の声に、家の中に、赤と青の色彩が欲しいの!と、決めた、お母さんの有ったあの話し。
 さて、昨年2月から3月のはじめに富士宮市での展覧会場に偶然ご来場くださった方がおられた。なんと両の目が見えず、浅間大社には随分と参詣に来られるご様子で、お友達と3人でお茶の時間を過ごそうとご入場くださった。会場が元々レストラン風で、ランチタイムには食事のお客様がこられる。その広い会場をギャラリーに使おうということで、こけら落としの展覧会であった。その目の見えないご婦人が、ここに赤い絵があるのね、あらここにピンクの絵があるのね。と会場を移動なさって“波動”を感じるお話しをしてくださった。その波動のお話しを含めて2時間あまりを遊ばれ東京の江戸川まで帰られた。もちろん好い波動を浴びたとのことであったので、わたくしは言葉にならない感動をいただいた経験をしたのだった。
そのご婦人が、今年の3月に目の手術をなさった。ひとめ、曾孫まごさんの顔が視たいと思われたそうで、失敗しても元々と思うことの覚悟ができたので、と電話があった。
さてさてである。そのご婦人が富士宮市でもご一緒だったお友達と連れだって北鎌倉の古民家ミュージアムまで来て下さったのだからびっくり。手術は大成功。曾孫おまごのお顔を“可愛いの”とおっしゃって。で、わたしのことも、“かわいいのね”と。そして、今回は他ならぬ「富士山展」だから絶対来なければならないと思われたそう。中3階まで階段を上ってくださって、私の富士山をあれこれと観てくださった。さらには一ついただきます、とおっしゃって、「うずまき富士」を選んでくださった。とても飾ってくださる方は居ないだろうと思っていた作品で、自宅に持ち帰りの作品の一つに入っていた「うずまき富士」。とてもエネルギーをいただけるの。とのこと。後日談があって、曾孫まごのちいさいお子さんが、どうしても大きいおばあちゃんに買うの、と、デパートからお孫さんが買ってこられたベレー帽が、ローズ色で、後に小さく渦巻きのステッチ、刺繍があったそうで、不思議なの、と、とても喜ばれ、あの絵は買うべきだったのね、とお電話があった。
私の喜びは、ご一緒に来て下さった方、こちらは、熱海から来られたのでしたが、この方も「祝い富士」をお買い上げ下さって、お正月の飾り物になさるそうな。初日に“赤富士じゃぁないね”と言われた、金色の富士山でしたが。
 その少し前、秋田県からご年配夫婦がご来場。2日前の夜に電話があって、わざわざのお越しとのこと。新幹線を使って1泊の日程。それだけで、済まない気のするのに、記念に一つ、と「素敵な気分」という題名のパステル画をお選びに。木地のお椀を作られ、写真も良くなさるご主人さまが、“飽きない”でしょうと、抽象画を決められたのです。
 夫が昨年3月、心臓の左上、大動脈瘤の手術を受けた際に、数居る入院患者さんの中でとても親しくなった方がおられる。その人は夫が手術室に運ばれる時に、ストレッチャーの夫に、深々とお辞儀して、いってらっしゃいと言ってくださった。麻酔薬が効いてきている夫には判らないが、わたしはその姿を目に焼き付けたのだった。夫は無事に退院。集中治療室には1日半居たのみ。3週間の入院生活。訳の判らない咳と大鼾が無くなっている。話しが逸れるから、心臓のことは以上で。で、そのなぜかとても親しくなった人は、夫よりも前に手術を為さった方であったが、ある日の検査の日に、誕生日が同じ日と判る。看護士さんが誕生日を確認する時に、偶然ふたりは相前後していて、何故自分の誕生日に金城さんは返事をするんだろうって、思っておられたそう。
で、今回の展覧会にはご夫妻で来られて、付き合って下さった、のです。

 長くなります。田舎の方のいい話を。従弟が経営の「話し処」に時々飾ってもらっているのだが、彼の同級生が一つ買ってくださったという。其の同級生が家に持ち帰ったら、母上様がえらくお気に召されたそう。で、絵の代金は自分が持つと仰って、早々にご送金いただいた。少し大きめな作品なので、この一件には大助かり。あちこちに滞っている私の文化交流など、参加、いわゆる協賛費用の支払いが、片づいたのです。冷や冷やものの国際文化交流。協賛費用に貧乏人は困り果てていますから。

今回は神奈川新聞社、毎日新聞社、タウンニュースの3紙が取り上げて下さった。
どちらさまも有難うございました。後はまたの日に。