ご縁に感謝!『ふれ愛』 講演会

 11日夜『絵画とのふれあい』というテーマで、お話しをさせて頂く機会がありました。先に『視点を変えれば 経済と政治のつながりに気づく!』という、お話しがあって、とてもわかりやすく、おもしろいものでしたから、さて、経験の少ない私の講演をどうしたものかと、尻込みしたい気持ちになったのですが、とにかく努めて参りました。自身の経験から、自身の抽象画を説明しつつ、今に至るジャポニズムについても触れ、絵は点と線と面の組み合わせであることを最初にお話しました。持ち時間40分あって、質問してくださる方が居られ、それに応えていましたら、丁度40分でした。
自分なりのレジュメを作っていったのです。早口になりますから、気を付けるようにはしたのですが、ゆっくりでは、眠気を招く、と思い、それなりに早口でいきました。先のお話しは経済に関わることでしたので、国力には文化が加わらないとならない話しをすることができました。経済人はどこへでもグングンいき、文化も、国交も無い国にも行き、政治は後から来る、という実感がありますので、なんだか得をした講演会でした。
 お話しを聴いて頂きありがとうございました。一般社団法人鎌倉申告会 葉山支部主催/ 葉山・逗子支部合同企画の後援会でした。

新作 New works

 グランオペラ2013記念展が上海市の大田画廊であって、私も出品させて頂いた。整わないものがあって、主催者さんには少なからずご迷惑をおかけしている。
一応8点をお届けした。その内からイメージを掲載する。
これらの他には、タイガー20号 (72.7 x 60.6 cm)
ノースレッド10号(53 x 45.5 cm)
         新凱旋門10号 (53 x 45.5 cm)  が出されるかと思っている。

 上海市に行かれるご予定のある方は、どうぞよろしくお立ち寄り下さいませ。

おしゃべりな扉/ 17.9 x 13.9cm    2012
おしゃべりな扉/ 17.9 x 13.9cm 2012
象の背中/ 17.9 x 13.9 cm   2012
象の背中/ 17.9 x 13.9 cm 2012
オートバイ/ 17.9 x 13.9 cm  2012
モーターサイクル
オートバイ/ 17.9 x 13.9 cm 2012
53 x45.5 cm  2012
Fine Jacket・ 玄天(部分)
53 x45.5 cm 2012
53 x 45.5 cm  2012
Fine Jacket・ 玄天
53 x 45.5 cm 2012

ANIMALS

 2月に展覧会をしたギャラリー、スマートシップ(下北沢)で、ANIMALS展を開催という。私にも出展依頼があって、4点送り出した。1点はキリン。主催者のお気に入り。2点目は猫。瑠璃色の目をしている。3点目、犬。新たに作った。二枚重ねの紙を水彩絵の具で染め、搾って広げ、乾いたら指でちぎって、後は目鼻を金で描き入れる。犬の方は黒い瞳に。哲学犬。後の4枚目はキツネ。可愛らしいきつね。ごんぎつね、という題名。瞳は「にっぽん」 と、「ふじの」 としてある。富士の川、富士の原、富士宮、富士の山となにかの連想はお任せしたい。「ごんぎつね」は新美南吉の名作だが、昔はどこにでもいただろう「きつね」に「ごん」をその名作からいただいた。鉄砲で撃たれて死んでゆく可哀想なきつねではない。8月19日〜31日まで。暑い季節。若者の街、下北沢での午後の一刻をお過ごしいただきたく、ご案内します。10名の作家による展覧会です。

新作/「哲学犬」目がはいる前
忠犬
新作/「哲学犬」目がはいる前
瑠璃色の目
ひそやかな猫
瑠璃色の目

花火

八月三日の横浜の夜
同窓会上階にゐる横浜の
夜の港は予期せぬ花火




たまさかの巨き花火打ち上がる
横浜港の記念なるらし
数分の花火に歓声あげたちて
窓辺に語る誰の記念日

薄翅蜉蝣

日中の玄関先で風を避けているんでしょう
うすばかげろう
日中の玄関先で風を避けているんでしょう

薄翅蜉蝣

玄関先の天井に訪問者を見つけ
ました


天井の一隅清し うす衣やすませ
潜む うすばかげろう
八月に入りました。
何もしなかった七月でした

鎌倉を散歩していて

 小雨のなか、鎌倉市の御成通りを歩いていると、祭らしく、鎌倉武将や、北条政子の幟旗が。日頃通らない路。たまには通ってみるものだわと、思ったのである。中に、大江広元の幟がはためいていて、夕刻の空に懐かしい紋を掲げていた。大江広元の紋所は在原業平、行平、大江音人の父親で、平城天皇の皇子阿保親王と同じである。いわゆる一品さん。大江広元の子秀光が毛利荘(相模愛甲郡毛利荘)に領し毛利を名乗るが、毛利の紋所は上の一がすこし太い一品。にわか勉強なので、詳しくは紹介できないが、私が平成17年の4月8日に、京都東福寺塔頭の願成寺に祭られてある阿保親王に絵画を奉納した際に、頂戴した「四ッ頭」があって、大切にしているのだが、紋所が、同じである。
 大江広元さんがその昔、相模の国におられ、鎌倉武将として馬上にあったかと思うと、フト通常とは違う路を通っていることに不思議な思いを抱いた今日の散歩であった。

御成通りで
源頼朝の幟
御成通りで
鎌倉の御成祭の幟
大江広元
鎌倉の御成祭の幟
願成寺から頂いた、『四ッ頭』
一品の紋
願成寺から頂いた、『四ッ頭』

暑中お見舞い申し上げます

 先日、日光東照宮に奉納した記事を載せた美術雑誌が送られてきた。bun-ten 文化展望Vol.46である。書店にも置かれるはずだが、なかなか手に入らないのではないかと思う。美術雑誌は売れ行きが芳しくないので、置いてある書店は少ない。県の図書館や美術館・博物館、各国大使館、それに加えて、東京都の各区立や市立図書館に配布されている。小さな図書館には生憎と届かない。今日は熱中症の心配がないくらい“ぼんやり”している太陽の下、その記事をブログします。ページそのものをと思いましたが、アップできないので、受納証をいただいているところの写真のみになります。エッセイは下記します。
       絵は先のブログご参照です。(3・26は我が家の壁にあったとき。4・14は日光東照宮・客殿での展覧会で)

「東日本大震災復興祈念ということで奉納が赦された『花回廊』は、震災の後随分長い期間筆がとれなかった時に、風に舞う花びらと、水の流れに運ばれる花びらをあしらった花の廊下を描いた。世界が花で結ばれる、というイメージだ。
さて、国力は経済に文化が伴ってこそであるという思いから国際文化交流には出来る限り参画してきた私は、世界文化遺産である日光東照宮に奉納出来たことを、画家冥利に尽きると思い、復興祈願展を嬉しく思っている」

4月13日・日光東照宮・客殿にて
受納証拝受
4月13日・日光東照宮・客殿にて

エジプトの旅

 1994年3月の話。だいぶ旧い。エジプトに一人旅をした。ニューヨークでの3回目の個展のあと、アムステルダムを経由しての9日間の旅だった。その前年、ルクソールで列車襲撃事件があって、日本にいる夫は電話の向こうで“行くのは止めにしたら−“といっていた。私は“列車には乗らないから”と応じて、計画を実行した。カイロのホテルはナイルヒルトン。エジプト考古学博物館のお隣。今日話題の、軍事クーデターなどで知られる「タハリール広場」からは、200メートルから300メートルのところにあって、ナイル川が部屋の窓いっぱいに眺められた。
 9日間のうち、ルクソールに1泊2日。アスワン・ハイ・ダムへの旅に一日。アレキサンドリアに一日のバスの旅をした。
 ルクソールでもアスワンでも日本語を習得したい若いガイドや、ファルーカ(帆船)を操縦する青年は愛想も良く、日本語を知りたがって集まってきた。“おしん”と言う言葉が挨拶代わりになっていたほどテレビドラマが知られていた。ルクソールでのガイドは左薬指にリングが光り、イスラム教徒ではなかった。王家の谷までの往復はトロッコを利用した。カルナック・アメン大神殿にでは、太い柱を見上げてはただただ感嘆。
 カイロに話を戻す前に、アスワン・ハイ・ダムでのガイドは、ナセル大統領の功績を讃えていたことを思い出す。遠い目をしていたが、何か大きな希望を持っていたのかも知れない。
 カイロ。ヨーロッパとは違った雰囲気を持った街と人々だった。ガイドは雇うと親切で、夜遅くなった翌早朝でも、すでにホテルのロビーで待機している。マァ、ガイドがガイドを雇っていて、余分に支払わされた? 気のすることもあったが、危険な思いは皆無。ホテルの売店で買った宝石はまぎれもない偽物ではあったけれど、それとて、高価なものではない。
 タハリール広場では、向こう側に渡ろうと車の流れの中を泳ぐようにして人が渡っているのを真似して、渡った。帰りがまた大変。信号は果たしてあったものか、いまもって不思議だが、幸いに事故には遭遇しなかった。
 ギザでピラミッドを見たり、ナイル川クルーズは運良く、日本語を話し、日本人が大好きというチリー人のレヒナさんと出会っていて、アレキサンドリアへの旅もご一緒した。レヒナさんは最早日本には居ない。
 ムバラク大統領の顔看板と日本車があふれていた1994年の旅は、旅行社のミスか、エジプト大使館の聞き違いから、ビザの日程が大幅に違っていて、その事を知らない私は、カイロ空港で警察のお世話になった。訳がとんと分からない私を相手に、ホテルは何処か?証明出来るか?といったやり取りがあった。ナイルヒルトンの今もらってきたばかりの、大型サイズA4の紙、8枚綴りをデスクにビラーっと、偉そうに広げて見せて、無事に通管した。あんな大きなサイズの領収証はもらった時には、なんでこんなに大きいのって、カバンに収めるのに苦労したけれど、レシート?っていうことで、あれが役に立つの、と、捨てなかったことをつくづく良かったと思った。
 それにしても、再度訪問したい国にエジプトを挙げている私としては、エジプト文明を貫く人間性尊重が結実したエジプト史を信じたい。ゆえに早期におおらかなエジプトに戻ることを期待している。(2009年4月・ブログP.25にエジプトの旅あります)
 

建築家の多田祐子さん来宅

 そうそう、27日木曜日に建築家の多田祐子さん夫妻が来ました。極々近所のオープニングハウスの壁を看てください、と、業者さんのお薦めがあっていらしたのですが、更には、これもご近所の現場の上棟式が夕方からある、というので、車を止めさせてと。幸い早めにいらしたので、お茶を。たくさんのご注文を頂いていて、次々と、設計図を引いておられる中に、私の絵をお持ちの人がいらしたのです。
 昨年だったか、神奈川県立美術館葉山館の近くに現場があって、一度見学に行ったのだったが、そこの建て主さんのお友達が、お姉さんが新築を考えているということから、
多田祐子さんのことをお姉様にお話ししたんだそうです。多田祐子さんって画家さんでしょ!??? で、その後、建築家の多田祐子さん夫妻に会って、お話しはまとまった、とのこと。
 この絵でしょ?と写真コピーを見て貰いました。庭の雑草類を描いたものでした。題名は『花火』でしたか? もう一枚は、『隅田川』という題名で、歌舞伎や浄瑠璃を良くなさる女性。しかも日本画も描かれ、アトリエも設計図に入っているそうな。<すみだがわ>に惹かれてお買い上げくださった“さきこ”さんのことでした。銀座一丁目での展覧会には、骨折なさった足を引きずって、来られましたが、その後のDMは届いていたのでしょうか。名簿の点検が必要と判ったのです。

 それから多田祐子さんには、ウイルス性の風邪ではないから移しません、と言いましたが、大丈夫でしょうか?
ちなみに夫には移った試しがないのです。ヘナチョコ風邪なんか移るか、と言われています。