建築家の多田祐子さん来宅

 そうそう、27日木曜日に建築家の多田祐子さん夫妻が来ました。極々近所のオープニングハウスの壁を看てください、と、業者さんのお薦めがあっていらしたのですが、更には、これもご近所の現場の上棟式が夕方からある、というので、車を止めさせてと。幸い早めにいらしたので、お茶を。たくさんのご注文を頂いていて、次々と、設計図を引いておられる中に、私の絵をお持ちの人がいらしたのです。
 昨年だったか、神奈川県立美術館葉山館の近くに現場があって、一度見学に行ったのだったが、そこの建て主さんのお友達が、お姉さんが新築を考えているということから、
多田祐子さんのことをお姉様にお話ししたんだそうです。多田祐子さんって画家さんでしょ!??? で、その後、建築家の多田祐子さん夫妻に会って、お話しはまとまった、とのこと。
 この絵でしょ?と写真コピーを見て貰いました。庭の雑草類を描いたものでした。題名は『花火』でしたか? もう一枚は、『隅田川』という題名で、歌舞伎や浄瑠璃を良くなさる女性。しかも日本画も描かれ、アトリエも設計図に入っているそうな。<すみだがわ>に惹かれてお買い上げくださった“さきこ”さんのことでした。銀座一丁目での展覧会には、骨折なさった足を引きずって、来られましたが、その後のDMは届いていたのでしょうか。名簿の点検が必要と判ったのです。

 それから多田祐子さんには、ウイルス性の風邪ではないから移しません、と言いましたが、大丈夫でしょうか?
ちなみに夫には移った試しがないのです。ヘナチョコ風邪なんか移るか、と言われています。

富士さんおめでとう!

 富士山が世界文化遺産の登録認定を受けて一週間が経つ。先週の土曜日には午後4時半頃には決定をみるか と、ラジオに耳を傾け、速報を待っていた。なかなかその速報が流れない。なにを揉めているやら、と気が気でなかった。果たして、「三保の松原」を含む文化遺産登録、というニュースが流れた。午後5時半だったか。諸外国の方々が、『三保の松原』を含むことで、推して下さったことが分かり、嬉しいニュースであった。様々な課題を抱えていることは勿論理解しているが、とにかく、富士山がいまだに、世界遺産ではなかったということだったから、いかにゴミなどに関連したことが障害になっていたかがあらためて判った。
ともかくおめでとう!富士山   入山料や屎尿問題は専門家に任せるとして、ゴミは個人個人のモラルに訴え、日本人のモラルの良さを発揮していただくことでしょう。
私の次回の展覧会のテーマは『富士山』。ここで世界文化遺産認定が決定をみなかったならば、、、それでも富士山にしたでしょう、きっと。

3日前の朝、“寒いなー” このままでは風邪を引く、と思いつつそのままにして寝ていたら、やはり風邪を引いた。一日で治すつもりが、微熱のまま3日間が過ぎ、とうとう昨夜は38,3°Cの熱に。あわてて寝て、今朝又微熱に戻ったけれど、作ろうと予定していたカレーが出来そうにない。夫に野菜を切らせて、と思っているのに、夫は物置小屋の屋根の
塗装をするらしく、一昨日は一日錆落とし。今、塗装用のローラーを買いに出掛けてしまった。高熱のことは秘密。医者に行け!と怒鳴られるのがせいぜい。夫の言葉に「寒い」は無い。暑い、暑いと言ってばかりいる。部屋の温度は23°Cか24°Cだというのに。本格的夏日には「暑い」が「うるさい」のです。 また。

びわとやぐるま 

暦通りに梅雨に入った日に詠む
枇杷の実はまづ生けにけり
梅雨の入り鈴なす房を青き壺もて



春の日に咲きし咲き継ぐ梅雨時も
姉が持たせし矢車の花
果たして、梅雨のずる休み、
だったのでし ょ うか
暦通りに梅雨入りしましたね。

我が家のあじさい

 雨が降らない。暦上では11日が入梅日。ラジオの番組報道では「梅雨のずる休み」などと云っている。 今年は北鎌倉古民家ミュージアムでのあじさい展には出展していない。展覧会の形でのお話しを秋にいただいた。近々あじさい展を観に行こうと、思っている。 一昨年と、昨年と買い求めた“山あじさい”が今、乾燥のなかで咲いている。その報告も兼ねて期間中には行こう。 名前が判らなくなったあじさいもあったり、咲いていないあじさいもある。あじさいを育てているあじさい名人に観ていただこう。 それにつけても、毎日水やりに勢を出さないとならない程乾燥しているから、生花を展示しているあじさい名人や、お弟子さんは大変だ。 我が家の山あじさいたちを。写真はいつも携帯で撮影。

アイ姫 でしょう
枯れそうな具合でしたが
アイ姫 でしょう
日が当たりすぎ?
シンデレラ と思われる
日が当たりすぎ?
深山黒姫
一番元気
深山黒姫
山アジサイではないのですが、ここは山なので
私の好きなあじさい
山アジサイではないのですが、ここは山なので

世界文化遺産登録間近 富士山おめでとう

 昨日北鎌倉古民家ミュージアムの館長・長谷川さんから展覧会の会場等、使用についてのお電話をいただいた。秋の事。有り難くお引き受けした。
今、美術年鑑社が刊行予定の、「日本の美Ⅴ・富士山」に載せて頂く「富士山」を制作。昨日、ほぼ完成か、といったところ。サインを入れた。
20号のミデアムサイズ。木花之佐久夜毘売命。ピンクの富士山。で、世界文化遺産登録間近の富士山をお祝いして、展覧会は“おめでとう富士山”とめいめいしよう。
9月25日〜10月20日です。北鎌倉駅下車、円覚寺並びです。

えじゃないか 富士山七つ桃色に染めてシャボンの向こうにあるの
                            祐子

初夏の思い出・Paul Ambille

 1989年、5月から6月にかけてフランスはパリの北70キロ〜70.5キロのところ、クレルモンに行った。今は亡きPaul Ambille ポール・アンビーユのもとに。やはり故人の馬郡俊文氏の勧めで、エコールアンビーユ参加したのだ。宿泊のホテルから広い麦畑が続く道をアンビーユの邸宅まで朝夕歩いて通った。夫は絵を描かないが、10号サイズのキャンバス5枚と4号サイズを持ったので、観光とカメラマンと荷物持ちを兼ねて参加。初夏は夕方が長く22時を過ぎてようやく夕焼けてくる。時間がたっぷりの2週間あまりを過ごした。主婦をしないで済む。
 私は持参のキャンパスに向かって初めの1週間は迷うばかり。ポールさんの庭に庭師が入って薔薇を植えたり、整備に余念がない。「5月のバラ」や「6月の庭園」「風化」
「ポールの窓」「芝生で昼寝」「KOO」を完成させた。どうにか完成させてポールさんの批評が欲しかった私は必死だった。題材を求めて門を出ると、足下の門の敷石がすり減っていて良い具合。直ぐにスケッチ。それが「風化」になった。ある日雨が降ってきて、馬小屋だった物置に場所を移して、描いたが、あの馬小屋はホントに具合が良かった。そこで、仕上がった絵が6枚。とうとう最終日には10号サイズ5枚を広げることが出来、ポール・アンビーユさんから批評をいただいた。長い文章であった。
 夫は、途中でパリまで2回行った。一度はル・サロンに出品するという参加者の一人に、荷物持ちとして連れて行っていただき、もう一度は、エコールの途中でウイーンに行くのだが、その切符を買い求めに、馬郡さんと。馬郡さんはまとめて日本の新聞を買いこんで来たのだった。ウイーンへは「寅さん」の撮影があって、寅さんのフアンクラブに入っていた夫に、ウイーンで、エキストラをやらない!という話しが、あったから、誘って下さったフアンクラブの人人と落ち合うためにウイーンスカンジナビアホテルに宿泊。ウイーンで3日間を観光や、エキストラを愉しんだ。竹下景子さんや淡路恵子さんとのツーショットもある。「寅次郎 心の旅路」の映画の初めに単線電車が田園地帯を走る場面がある。私のふる里、若柳だ。ウイーンで皆さんに会った時にはまだ知り得ていない。映画を観た時に うんっ!知っている風景??? ふる里だった。
このウイーンまでの行き帰りのハイヤーがまた面白い経験。クレルモンにある数少ないハイヤーを雇ってドゴール空港までとばした。帰りも迎えに来てもらうのだが、相乗りとなった。見知らぬご夫婦。あちらにとっても見知らぬ東洋人夫婦。クレルモンまでの間にそのご夫婦の館に到着。シャトーである。夫人は小切手を取り出して、運転手に渡す。
私はおもわず、ヴォートル メゾン?(貴女のお家?)夫人 ウイ。 私、写真かまいません? ウイ。で、アヒルやらが泳いでいる家の周りに廻す池を手前に、館を撮影。
運転手には相乗りなんて聴いていなかったが、ハイヤーが数少ないって知っていたので、文句言わずにクレルモンに帰った。夫と面白い気分を味わった帰り道。

 翌1990年8月。ポールさんは東京に来てエコールを開催。馬郡さんの企画だ。私も参加。ここでは20号サイズを4枚仕上げた。3日間だった気がする
 モデルを示されたり、与えられるが、私は抽象だから、その場の雰囲気や、その日の天気から着想して仕上げ、批評をいただいた。ポールさんは滅多に人の絵には触らない。
ジーッと観察なさる。4枚の内一枚はタイランドの内閣府に寄贈した。
 さて、そのポールさんを鎌倉や葉山をご案内した。葉山では丁度祭で御輿を担いで頂いた。夕食はホテルで。で、明日は夫の誕生日だわ!という私に、貴女は今日は結婚記念日だ、明日は夫の誕生日だわって、と大笑いしつつ高級ワイン“ドン・ペリ”を注文してご馳走して下さった。クレルモンで丁度結婚記念日となって、この絵は夫にプレゼントという一件があり、それを覚えておられた。この日は通訳の女性と、クレルモンに一緒に行って、夫がパリまで荷物を持ってボディガード役をし、パリを味わわせていただいた友人と、我々ふたりの計5人。

ポールさんも馬郡さんも今は天界の人。先日ふる里に行ったが、八重桜とフジの花が咲き、田圃には水がはられ、早苗が植えられて、栗駒山が田圃に逆さまに映っていた。
日本はお米。フランスは麦。ある作家と、ヴァン・ゴッホの話しをして麦畑を思い出したので、クレルモンの麦畑を思い、夕日を思い出した。

 そうそう、長くなりついでに。ポールさんの門扉にロープの先に捨てられたヤカンを取り付けて、ヤカンが音を立てるように工夫し、外に題材を探しに行ったアーティスト
がベルを鳴らして、いちいちポール先生を呼ばないようにと、絵を描かない夫が面白いことを考えたのでした。皆で、もっと早くに工夫してよ!と云って終わったエコールでした。

鎌倉八幡宮で1990年夏
ポールさんと夫
鎌倉八幡宮で1990年夏

蛙の合唱

 18日〜20日にかけて私の故郷宮城県栗原市若柳に行ってきました。例の大地震で、マグニチュード7.0だった田舎です。従弟の経営する「話し処」きままやで、第2回目のミニ絵画展を2ヶ月間開催してくれるというので、13点の作品を運びました。第一回目は作品が小さい!と、コレクターさんに云われましたから、今回は10号サイズのS、いわゆるスクエアー2点に8号サイズなど加えてみました。ミニ絵画展のミニは作品の大きさではなかったのでしょう。で、数が多すぎる場合は、半分は上半期といった具合でしょうか。昨年は、宮藤官九郎さんが訪問くださったということで、写真が飾ってありました。従弟とは、小学校から高校まで一緒の学校で、従弟が先輩にあたっています。
 弟の家に2泊。毎夜かえるの合唱つきで、安眠しました。田圃が少し離れていて、ここ葉山では数少ない蛙が近くで鳴くのとは違っていました。
 3日間。親戚宅や友人宅を訪問。加えて、「川童大神」があるという情報から案内していただき、加美郡の磯良神社からの分社のいわれのある「かっぱさま」にお詣り。同好のみんなにはいづれ披露します。「かっぱ」の存在を信じているという若者に案内していただいたのです。この「かっぱ」についてはここではこの位に。
 
 18日午後地震がありました。M4〜5。長かったので、不安でしたが、M7を経験している人たちは怖そうではありませんでした。毎日のように地震があってまだまだ落ち着いていない地球です。その地球からの贈りもの、蕗や三つ葉を採取。自然の恵みをいただいております。
 弟の家、実家で祀っているお不動様や観音様にも何時ものようにお詣り。絵画でのたつきが経ちますように、と。

「川童大神」の扁額
新たな発見・場所は秘密です
「川童大神」の扁額

かはづ

ゆうべ蛙の鳴くを聴く

近く聴くかはづ階下に夫もきくや
色さし止めて 空になる夜
今年も鳴いてくれました

久々の雨

 蜜柑の木に花がたくさん付いているのを見つけ、肥料を遣ったのが3日前。花壇のさつきの花が咲かないと言う夫には、これから咲く、ということを教えて、萼の、(さつきの“うてな”は茶色をしている)そのなかの蕾を見せてあげた。同じ日に「葵」の青葉を5株上賀茂神社に送った。葵祭が近づいているので。今年も良く育ったから、葵プロジェクトの里親としては、勝手ながら合格。翌日事務局の方から立派に育てて頂いてといったメールを頂戴した。
 今日は雨。タイミングの良い雨に、蜜柑の木を見やると、花が咲いたり、蕾が膨らんでいる。カラーの花は今のところ4本咲いている。
 庭に直植えのシンビジュームは四方シンビジュームが、3本。根岸シンビジュームは2本。「四方」「根岸」とはくださった方の名字からとった。
居間では、蘭が咲いている。3度目に入っているので、いただいた時のように立派には咲かせられず、「北白川」「清明」「願成寺」共に1本づつ咲いている。「北白川」は2本咲いていたところを、夫がカーテンを引く時に絡めて、1ッポン折ってしまった。

 さて、今日は「今後の予定」を入れました。先日から描き始めております。先ず、世界文化遺産に登録間近な「富士山」を。
これは、美術年鑑社が「日本の美Ⅴ 富士山」を11月に刊行予定で、2000年に刊行した「日本の美」シリーズ第一弾「富士」の第5弾で、再び取り上げるというもの。
私にも作品掲載の案内があって、“るんるん”とピンクの富士山を描いている。

夫が黄菖蒲が可哀想というので、載せます。毎年、邪魔扱いにもかかわらず咲くのです。今日咲いたさつきも。 ではまた

とっても強いのです。我が家では雑草扱い
今年はとても多く咲きました
とっても強いのです。我が家では雑草扱い
さつき 
昨日の今日の花
さつき 

芸術文化奉納受納証 いただく。

 5月1日。日光東照宮から「芸術文化奉納受納証」が届き、添えられた特別祈祷神璽なるお札を頂戴した。受納証には“永く当宮に架蔵いたします”とあった。ご報告いたします。

畏れ多くも
頂戴したお札です
畏れ多くも