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歌人 藤原定家

平安時代から 鎌倉初期の歌人 藤原定家はたびたび経済的に困窮したことが あったようだ。荘園制の時代で、大洪水による被害や凶作によるものだったが、 定家が母親を亡くした後父親の俊成には頼めずに、腐っていた時があったことなどを 知るにつけ、我々のこの不況状態をどうきりぬけたものか、、、 小倉百人一首で名高い定家に色紙画を描かせたのは、定家の息子為家の舅、宇都宮 頼綱(蓮生入道)であったそうな。 互いに、隠岐の島に流されている後鳥羽法皇に気を遣い、極秘の裡に百人一首の 色紙画は障子に貼られ、京都の嵯峨の宇都宮氏の別荘に置かれたもの、だった、のか。 後鳥羽法皇は歴代天皇ピカイチの歌人といわれていて、定家の才能を高く評価しつつも 相容れない、歌人として、また帝王と臣下という立ち位置からの相違点があり、 定家は臣下として法皇の赦しのないまま、その法皇を敬愛しつつ法皇の死後も生きる ことになった。父親俊成は92歳で没し、自らは80歳まで生きたが、とても多くの病持ち。 後鳥羽法皇は隠岐の島で19年、宝算60。在位は15年、高倉天皇の第四王子。 鎌倉幕府、実朝、藤原頼経(摂関家から出された将軍)の時代を共に生きる。 藤原定家のことを少し知りました。 昨今の絵を数点アップします。

ともしびの花
向きを変えました
ともしびの花
未定 6号
戦うわたし 6号

ちぎり絵をアップします

キャンバス屋さん、額縁屋さん、絵の具屋さんの閉鎖で路頭に迷っているわたしの
昨今。
オイルパステル画とちぎり絵で、遊んでいます。
ちぎり絵の子犬を一点アップしておきます。

題名変更です 9月11日
ゆうちゃん 10×10cm
題名変更です 9月11日

オイルパステル画を描いています

ゴールデンウィークの前は、庭の手入れをしていましたが、夫は今も続けています。 松の剪定をしてくれていた知り合いの小父さんが亡くなって、夫はパソコンで剪定の仕方を 研究。とうとう2本の松の枝下ろしをしました。名木になるやら心配です。 東にあった大きく育っていた松は、名木間違いなしだったのに、先年松食い虫の被害を受け 今はもうありません。 さて、ここしばらくは休んでいましたが、まだ寒い時期に制作した オイルパステル画の数点をアップしておきます。 そろそろ、空っぽになっていた頭の中に少しだけ詰まるものがあります。 そんな気がするだけかな。もうゴールデンウィークも終わります。 5月10日決めていなかった題名付けました。

32×26cm
花 春(カシュン・2月のこと)
32×26cm
30×23cm
青 律(1月のこと)
30×23cm
30×22cm
やわらかな富士
30×22cm

画家が見た本の世界 展

下北沢のスマートシップギャラリーで、企画展 画家が見た本の世界展 が昨日から始まった。
4月1日までの短い期間。この春休みを利用して是非覗いて欲しいものだ。
洋本、和本、そして童話、思い思いの画家たちが愛する本の中から、各自のイメージを
水彩にアクリルに、日本画に、そしてコラージュと創造をアレンジして発表している。
わたし自身はヘミングウェイの作品から、「誰がために鐘はなる」と「老人と海」
を取り上げた。
「誰がために鐘はなる 」は中央に鐘をあしらったが、鐘が座す仏のようになった。
描き直しをせずにあるいは、座すマリアさま とも思いそのままにした。
「老人と海」は、ほぼ海と空を描いた。小さく両目と両脚を閉じたマストの脇に描き
中央左寄りに、大きなカジキマグロを担ぐヘミングウェイさんをあしらった。
近くでは見えない。遠く離れると、長い棒の左にあるらしいカジキとヘミングウェイさん
らしき姿が見える。

キューバに行った時に、夫は二種類のヘミングウェイの顔が印刷された T shirt を
買い、今も大事に着ている。
ではその2点をアップしておきます。

老人と海  より
「カリブ海から太平洋へ」 6号
老人と海 より
誰がために鐘は鳴る  より
6号
誰がために鐘は鳴る より

お彼岸の一日。

ぽかぽか陽気の春。我が家のシンビジュウムが満開。双葉葵の芽もめでたく伸びてきて
今年の葵祭にお送り出来ると、一安心。シンビジュウムは3種類あって、今はまだ
その内の1種類のみが咲いている。四方蘭と名付けているものと、根岸蘭がそれぞれ
もうしばらく後になりそう。それぞれ下さった方の名字を冠している。本物の蘭は
私には難しくて、枯らしてしまう。

今日この頃はちぎり絵で遊んでいる。
長く長く使ってきた油絵の具はこの先手に入らないので、残量が少ない材料が惜しくて
使えない。作っていた人が年とかで、もう作らない事になってしまった。
あるものを使わないと、かぜを引いて使えなくなるとは知りつつ、チューブ数を眺めては
大作にとり掛かったら足りないねぇ、といった具合。
オイルパステル画と共にちぎり絵をいじる日々。

今日こしらえた “かっぱ” のちぎり絵を一枚のみアップします

かっぱ
春だ!
かっぱ

我が家の花たち

直植えのシンビジュウム
6本あります
直植えのシンビジュウム
ラッパ水仙
ラッパ水仙
花桃
花桃
オオイヌノフグリ
オオイヌノフグリ
ワイルドな我が家の庭
もうすぐにべつの草が繁ります
ワイルドな我が家の庭

寒月

寒月
オイルパステル
寒月

Stop the War

1996年11月パリ6区エスパス・ド・ネールでの「パリをこよなく愛する作家展」に出展している
“Stop the War" は 同年5月、アートネットアカデミー ニューヨーク展においてアートネットアカデミー大賞を
いただいている。その後、パリから帰ったそのStop the Warはニューヨークに再び輸送。Jainギャラリーの展覧会
で展示していて、NHKがドラマの背景に使いたいというので急ぎ返却してもらい、成田空港から直接NHKに届けた作品。
横浜が舞台のミッキーカーチス主演のドラマであったが、ほんの一瞬映っただけなのに、あれでもあの絵が欲しかった
のかしら?在っても無くてもいいようなもの、というのが感想として覚えている。
その後長く私のところに在って、2015年6月のART SHOPPING L' ART CONTENPORAIN ACCESSIBLE CARROUSEL
DU LOUVRE 要するにルーブル美術館地下カルーゼル・デュ・ルーブルに他の作品12点と共に展示した。
そして今年の1月、美術雑誌「文化展望」bunten の表紙を飾った。60号を記念してということで、話があって、
物騒な世の中、これが良い、と迷わず “Stop the War" で、飾らせていただいた。 
イメージは1996年のパリの画廊エスパス・ド・ネールでの様子と STOP THE WAR です。

エスパス・ド・ネールの階段上に飾られています
エスパス・ド・ネールの階段上に飾られています
Stop the War 30号サイズ
Stop the War 30号サイズ

雪国に

2月19日。日曜日、快晴。海の向こうに富士山を眺めて、圏央道より中央道
経由松本ICよりで、奥飛騨へ。
スタットレスタイヤを当然履いて、安房トンネルを抜ける。こちらも快晴。
雪道は拍子抜けするほどの塩梅で携帯のチェーンを装着すること無く、ホテルへ到着。

翌日、小雨の中を高山まで行こうとホテルを出る。すると、少し昇るだけで、小雨が雪に変わり、
進むほどに激しい雪。道路も雪道。夫はハンドルを持つ手が、なんとなく緊張気味。
この日は途中で引き返す。読書の午後。
翌3日目は朝から雪。私は持って来た道具を広げて絵を描き、幸いベッドで見た夢の「青と白の月」の絵、
その他を10枚ほど描く。
4日目、雨も雪も降らず、高山へ。額装を4枚。3時間で仕上げていただく。運良く在庫が多く在って助かる。
23日、5日目、神岡の知り合いの処で何時もの箱入り、蒸し五目ご飯をいただき、古川へご案内いただく。
世界文化遺産に登録された「起こし太鼓」の里で「飛騨古川まつり会館」を見学。
“こめり” で画用紙やら筆ペン、習字紙を購入。黒い紙が無く、この古川の文房具屋さんで、見つけてくれたのが
夫。1枚45円。一枚では、ここまで来ているのにと思い、5枚購入。カットして20枚になる大きさ。
修正ペンも買ったが、こちらは液が固まっているらしく、修正の役に立たず。少し太めだが持参の修正ペンで
間に合わせる。
黒い紙はホテルのカッターで四分の一にして頂き、一枚だけ好い作品が出来る。
調子が出ずに、先の2枚は失敗、かな? 失敗は成功の元。必ず好い作品にしましょう。

24日快晴の空模様。途中車の中で眠ったりしつつ午後4時帰宅。
一年に一度は雪国で。そういうわがままな私との付き合いに翻弄される夫にはお気の毒。

江ノ島当たりの風景と奥飛騨の雪道を。車の中から。

江ノ島からの富士
R134から
江ノ島からの富士
43880
R134から
43880
奥飛騨の雪道
43881
奥飛騨の雪道

第22回 日本の美術 全国選抜作家展

2月18日-22日まで、上野の森美術館において開催される日本の美術
全国選抜作家展のご案内をします。
長い間我が家の居間兼食堂に飾ってあった50号サイズの絵。
担当者が是非飾りたいということで、上野の森美術館に展示される。
短い期間。
ホームページのWorks にはアップしていない作品なので紹介します。

青の響鳴 116.7× 90.9cm
青の響鳴 116.7× 90.9cm