第62回 多田祐子 展 会場風景
午前中かかって逆さまになってしまう写真をどうにか、解決。
今少し前に、展示作業を続けてくれている担当者さんから会場風景写真を
メールで知らせて来ました。
28日月曜日から始まります。67点展示しました。壁に飾れなかった作品
2点はミニイーゼルで、デスクにおきました。
「かっぱ」と「観音様の頂きにお坊さん」の2点です。
ではスマートシップギャラリーでお待ちいたします。
午前中かかって逆さまになってしまう写真をどうにか、解決。
今少し前に、展示作業を続けてくれている担当者さんから会場風景写真を
メールで知らせて来ました。
28日月曜日から始まります。67点展示しました。壁に飾れなかった作品
2点はミニイーゼルで、デスクにおきました。
「かっぱ」と「観音様の頂きにお坊さん」の2点です。
ではスマートシップギャラリーでお待ちいたします。
いろいろパソコン駆使、ようやく正常に出来ました。
28日から始まる展覧会の搬入、飾り付けをしてきました。途中までで、残りは画廊の担当者・Sさんが
致します、と言うお言葉に、安心して帰って来ました。
何せ小品が多く、67点の飾り付けです。
油彩は予算も無く、額なしです。お買い求めの方の趣味に副いたいと思います。
これまで頑固に自分の好みで額装してきたのですが、その額屋さんが閉じました。
さて、その途中の飾った壁の様子を2枚ご披露しておきます。
おやおやどうしても逆さまに
どうしても逆さまにしかアップ出来ません。
明日試みます。
従弟が自身の店 “きままや” で開催してくれている展覧会が五回目を数える。
“きままや”だけあって、食事の予約なしに来られたというご夫婦が、何か食べたい、と
希望されたが、叶えてあげられなかったそう。遠く石巻から、絵を見に来られたそうな。
はなしを聞いてお気の毒と思ったけれど、従弟は、料理を半端には考えていない。
人数分の仕入れをして、品数も豊富。
小学校の校長だった彼は、充分に人情は持ち合わせているが、私に出す賄いの料理で
お客様をもてなすというわけにはいかない。絵を見に行かれる時には、どうか覚悟を。
食べる時には、時間がかかりますから。
河北新報の記事をアップします。奥に見えるのが従弟です。
もう一点は、28日から始まる下北沢での第62回多田祐子展の案内です。
ヨハン シュトラウス2世の曲が流れる朝の食卓で、ウィーンの思い出を語り、なんとか
穏やかに暮らしている。
38年間続けてきた夫の会社を、解散すべく、法務局へ書類を提出した。
素人の私たちは、解散 閉鎖の手続きを自分たちでやることにして、解散登記所が辻堂
にあることを知った。これまでは、横須賀の法務局出先で間に合っていたのに。
しかも電話予約制という。今日 明日直ぐに速やかに進行しない。しかしなんとか
議事録のことも、辻堂の法務局の机を借りて作り、日付だけは会計士さんに相談したほうが
良いのでは、という窓口嬢のアドバイスに従って持ち帰り、一度書き込んだ日付を訂正印を
あちこち押して真っ赤になりそうな書類を提出した。およそ一週間後に解散登記が
出来、管轄の鎌倉税務署、県税事務所、葉山町に提出した。
あと二ヶ月後に閉鎖の議事録を提出して終了する。
この38年間、税金を納め、各種ローンを払い、私多田祐子のメセナ(芸術擁護)を続けて
くれた夫は、二度、エンジニアを育てるべく人を雇い、メーカーに預けたが1年程で覚えると
独立してしまうことがあって、三度目は挑戦しなかった。夫の仕事は特殊計器サービス業。
メーターのメンテナンスということだが特殊がつく。75歳が近く、仕事はこない。
、、、、ウィーンの思い出を語りつつドナウ川を眺めた話から、私はブタペストのドナウ川、
チェコのボルダウ川(ドナウ川の支流)も見たと言うと、俺は見ていない、と。また行く
ワよ!一緒に、と私。
今、8月28日からの展覧会にむけて案内状(DM)を製作中。そして1年程止めていた豆
冊子を作っている。短歌が80首に及んでしまい、日記のような短歌だが放出してしまわ
ないと次に進めない私は、経済的に困窮しつつも、藤原定家や中国の春秋時代の管仲の
逼迫状態に心を寄せて、作業している時は経済のことを忘れられることも手伝って、働い
ている。(稼げない仕事)。
一方、故郷の応援団長をかって出ている従弟の居酒屋「きままや」では夏の恒例の
展示会を開催してくれて、一週間が過ぎた。五回目という今回は私の新作数点に加え
て、故郷の人たちが持つ作品を借りて展示している。
会場の様子を写メールで送信してくれているらしいのだが、互換性のないツールで
受信できない。残念!
豆冊子は展覧会のご案内フライヤーが出来次第一緒に送りたいと思います。お待ちください。
8月28日~9月6日の第62回個展に向けて、準備中。
オイルパステル画が多いので、額装屋さんの在庫がないと困る、という
一言に、早めに額装の注文に出した。“ 支払いはおくれる” の言葉と
共に。
オイルパステル画とちぎり絵を合わせて67点。
全てを展示は出来ないが、前回の展覧会と同じように、
見てくださいではなく、買ってください! の展覧会。
手に入らなくなった絵の具や油彩用の私好みの額。
それらのことを忘れて、染めたペーパーを千切って
犬や猫を作っている。
数点ブログアップしておきます。
先日の日曜日、第31回を数える” ふるさと “の会に参加してきました。
大勢の方々にお会いして、挨拶して、エビ餅をご馳走になって
帰ってきましたが、帰りがけは雨。
少しおセンチな気分。
先輩が思わず弾いているピアノに足を止めて、拍手を送り
さらに弾かせつつ、ひとりコンサートを愉しんで満足度満点。
思いが溢れて一首しか出来ていません歌をブログしておきます。
左サイドの展覧会情報併せて覗いてください。
故郷の応援団長が、五回目の展覧会を開催してくれる予定です。
宮城県栗原市若柳川北に「きままや」はあります。
きままやだけあって気が向かないと、休みます。
空梅雨? 雨が降らない中で、紫陽花が咲いている。
アップします。
平安時代から 鎌倉初期の歌人 藤原定家はたびたび経済的に困窮したことが あったようだ。荘園制の時代で、大洪水による被害や凶作によるものだったが、 定家が母親を亡くした後父親の俊成には頼めずに、腐っていた時があったことなどを 知るにつけ、我々のこの不況状態をどうきりぬけたものか、、、 小倉百人一首で名高い定家に色紙画を描かせたのは、定家の息子為家の舅、宇都宮 頼綱(蓮生入道)であったそうな。 互いに、隠岐の島に流されている後鳥羽法皇に気を遣い、極秘の裡に百人一首の 色紙画は障子に貼られ、京都の嵯峨の宇都宮氏の別荘に置かれたもの、だった、のか。 後鳥羽法皇は歴代天皇ピカイチの歌人といわれていて、定家の才能を高く評価しつつも 相容れない、歌人として、また帝王と臣下という立ち位置からの相違点があり、 定家は臣下として法皇の赦しのないまま、その法皇を敬愛しつつ法皇の死後も生きる ことになった。父親俊成は92歳で没し、自らは80歳まで生きたが、とても多くの病持ち。 後鳥羽法皇は隠岐の島で19年、宝算60。在位は15年、高倉天皇の第四王子。 鎌倉幕府、実朝、藤原頼経(摂関家から出された将軍)の時代を共に生きる。 藤原定家のことを少し知りました。 昨今の絵を数点アップします。