有峰湖までの道
快晴の空の下、友人がご友人二人を誘い、合計5人で夕顔の道をドライブ。
クネクネみちですが。
天空の牧場 山之村で一台の車に乗り合わせ、一路有峰湖へ。
途中で熊に遭遇。わたしは一頭しか見なかったが、みんなは2頭見たとのこと。
有峰湖の湖面は深い木立ちに囲まれて、わずかに木々の間から覗けるのみ。
「天の夕顔碑」に近ずくと通行止めのチェーンが。
歩いて行こうとはじめ考えたが、往復7キロ以上。
中河与一先生には報告出来ないが諦めて引き返すことに。
途中の熊さんを。
快晴の空の下、友人がご友人二人を誘い、合計5人で夕顔の道をドライブ。
クネクネみちですが。
天空の牧場 山之村で一台の車に乗り合わせ、一路有峰湖へ。
途中で熊に遭遇。わたしは一頭しか見なかったが、みんなは2頭見たとのこと。
有峰湖の湖面は深い木立ちに囲まれて、わずかに木々の間から覗けるのみ。
「天の夕顔碑」に近ずくと通行止めのチェーンが。
歩いて行こうとはじめ考えたが、往復7キロ以上。
中河与一先生には報告出来ないが諦めて引き返すことに。
途中の熊さんを。
2017年は日本とタイ国との間は修好130周年にあたった。私は期せずしてラマ9世前プミポン国王の一周忌、日本でいうところの法要を滞在中のブルネイ王国において参列し、白い花を祭壇に手向けることができた。
駐在ブルネイ国のタイ大使館で、であった。
ラマ9世プミポン前国王の72歳をお祝いした展覧会が開催された時に、出展要請と共に献上の旨の話しをいただき、宮殿での献上式典の際に私は幸いにも一番に陛下の前に進まされ、献上作品のご説明をした。時の皇太子妃・現ソムサワリ王女殿下芸術勲章を賜った第一回タイ国バンコク芸術博の時で20年前のこと。
さて今年、2018年6月23日から27日までの短い期間だが、チェンマイ・日本友好美術展が開催された。タイ王朝スコータイからチャクリー王朝に続く780年の歴史を祝った美術展で、チェンマイ市芸術文化センターにおいての催し。あいにく、今年はチェンマイ市には訪問出来なかったが、チェンマイ市芸術文化センターが私の作品を収蔵したいということで、寄贈した。
出展作200点からおよそ50点が収蔵されたという。これまでは王宮や王妃の経営される美術館への収蔵であったが、芸術文化センターという気軽さ。多くの人々の目に触れるだろうことを思っている。また、公共施設というべき収蔵はエルミタージュ美術館を筆頭に21箇所24作品に達し、ひとつの僥倖というべき事柄であろう。
もう一つは、20才の頃に河名千絵というペンネームで詩を発表していた。
詩集を3冊出したが、その2冊目「ただふたり手をとって」(1975年発行)の中の詩の6つに曲を付けて下さった作曲家がいる。大中恩(おおなかめぐみ)氏。「さっちゃん」「犬のお巡りさん」が特に有名で、今年94歳。
もう35〜6年も昔になるが、「歌曲」としての譜面をいただいた。手書きの譜面には作曲した日付けが書いてある。1982年12月2日夜半に始まり、1983年12月4日夜半と。そして最後の1983年12月4日とある6つ目の「わたしたち」という詩を8月9日の「歌曲の夕べ」で演奏して下さるという招待状をいただいた。1987年の第44回コールMeg(大中恩の歌だけを歌うコーラスグループ)の演奏会につづいて「わたしたち」は2度目の披露。
35年も昔、作曲して下さったころは、プログラムに河名千絵の名前が在る時には出掛けて行った。姉や友人をお誘いしたメモがある。
大中恩氏の奥様、さっちゃんが亡くなられたり、従兄弟の作家・作詞家阪田寛夫氏も亡くなられたりして、随分と月日が流れていった。
私は詩を書かず、油彩画を世界に発表し続けて今が在り、大中氏はソプラノの北原聖子氏と2004年にご結婚された。
そして2018年8月9日、東京オペラシティリサイタルホールでの大中恩
「歌曲の夕べ」のプログラムに「わたしたち 河名千絵 詩」が 谷川俊太郎 西条八十 落合惠子 阪田寛夫 高田敏子 やなせたかし という有名人たちと並んで印刷されているパンフレットと共に招待状をいただいた。
(詩を読んでみるともう作れない若い頃の作品。現在は短歌に取り組んでいる)
僥倖の二つ目である。
大多和峠には中河与一の歌碑がある。まだ行ったことが無く、当然見ていない。
富山県の有峰県立自然公園の中にあるそうで、岐阜県飛騨市との境、薬師岳が眺められる
大多和峠に「天の夕顔」と題字があり『夜ふかきやまの庵に夢さめて空わたる月を消ゆるまでみし』と歌碑があるとのこと。
中河与一は昨年生誕120年で、夫人の幹子とともに眠る小田原の伝肇寺(通称:木兎寺)でその法要を
開催した。今年も命日に近い土曜日の昼に集まって法要をする。いわゆる「夕顔忌」である。弟子のノンフィクッション作家大野芳を筆頭に
文藝評論家や大学の教授、そしてかっぱ村の面々。かっぱ村の初代村長が中河与一で、その中河を村長に据えたのが2代目村長大野芳である。
今年の「夕顔忌」は、12月8日土曜日だ(命日は12日)。ちなみに“かっぱ村”とはかっぱを探す 同好会で、昭和50年に発村。今年43年目である。
岐阜県の神岡町山之村にある「天の夕顔の主人公誓ってこの地に庵を結んで幻住す」は昭和46年9月に除幕されたが、薬師岳の中途の有峰峠
の歌碑は、昭和37年8月5日に除幕され、中河与一の文学碑としては、2番目のもの。香川県砂彌島の「柿本人麿」碑が昭和11年で最も早い。
全部で21基あり、遠野市の猿ケ石川の「世の常のはめをはづせる河童殿 いたずらしても楽しくあれよ」は2度見ている。
神奈川県山北町洒水の瀧を歌った「一直線に空よりしろく落つる瀧息も止まりて見つつ飽かなく」は、夫と除幕式に招かれている。
青森県三沢市の古牧温泉にあるはずの「年ごとの河童祭はたのしけれ世外の人の集まる二日」は今もそこにあるだろうか。たびたび訪問した。
茨城県牛久市にある「朝夕に芋銭したしみ眺めたる沼の向ふの富士美しき」の歌碑建立の際には我々も僅かながら寄付をしている。
碑の後ろに、刻印されている。昭和63年10月であった。
我々がお仲人をしていただいた昭和51年から42年の月日が流れた。
観光案内の地図を富山県と岐阜県飛騨市から送っていただいた。熊がそうとう出るようである。鈴の準備をした。夫と、一昨年熊を5頭見てから
「蕗」をとりにいくのが怖くなったという神岡町の友人の3人で行くのだが、またご報告します。
写真は我が家の庭のヤマアジサイとノウゼンカズラ。ノウゼンカズラがそのままの大きさでは載らず、写真が段段小さくなった。
今日6月13日作曲家大中 恩氏から一通の封書が届いた。
8月9日の歌曲の夕べ への招待状であった。
中には若いころに書いた詩「わたしたち」河名千絵 詩 とあって、プログラムに
私の詩に曲を付けて下さった1983年12月4日夜半のサインがはいっている曲が
盛り込んであった。なんという嬉しいニュースだろう。
プログラム Ⅱ. ピアノが醸し出す魅力を探る として、5曲リストアップされているその一つ。
どなたが歌われるのだろう
考えると次第にドキドキしてくるのを覚える。
詩を此の段の下にブログしておきます。
台風の影響もあって早速雨の一日。今日からスマートシップギャラリーでの企画展覧会「雨を愉しむ」が幕開け。
30号サイズと小品3号4号の各一点を届けてある。2段掛けでかまわない、と思っていたが、映像のように飾り付けてくれている。
「揄雨」の30号は窓についた雨垂れをワイパーで払う前、または大窓に雨が打ち付けられた様子等を表現した。
4号の「雨雨降れ降れ」又は「ダン ダン」は雨のラインダンス。
3号はあじさい。
さて、私の「元禄」の絵皿にさっき鰹のたたきをもり昼食をした。映像は今夜の夫の肴の分として残したもの。
食べる前は、絵皿の模様が見えないので、半分以上食べてからの撮影に。
もう一枚は昼前に描いたオイルパステル画。
最近の作品から
5月に制作した墨絵の2点を披露します。非売です。
6月に入った。
カラーの花を撮り忘れた。今咲いている我が庭の花を今撮影したのでアップします。
明日は下北沢のスマートシップギャラリーに行きます。いよいよ九谷焼の絵皿に
あいます。とても楽しみです。
28日から始まる「九谷焼」のグループ企画展の飾り付けがほぼ終了したという報告とともに、その画像がメールされてきた。
そのイメージをブログします。
蒼、碧、青の絵を得意とするのかしら? と思われる作品を見てきたので、私の赤盛りだくさんの絵を是非挑戦して欲しいと、勝手に思い
「元禄」という絵を九谷焼にして戴いた。
28日から6月2日までの短い期間である。本物を見てみようと思われる方は是非下北沢のスマートシップギャラリーまでお運び下さい。
原画「元禄」と四角い「お皿」がお待ちしております。
何かの記念行事のお遣いもの、お嬢様のお嫁入りの記念に、玄関の飾りに是非ご用命ください。