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秋のアート展

秋のアート展・スマートシップギャラリーに出掛けてきた。小雨の降ったり、止んだり涼しい一日。あんなに暑かった日々が何故か懐かしい。
施設に居る夫・金城がお風呂に入れる日。身体拭きの要らない一日。それでも特急を乗り継いだり、出来るだけ時間の節約に努めた。しかし
3時のおやつタイムには、間に合わなかった。20分の遅れ。クッキリと目覚めていないが、眠ってもいない。文字のリハビリはどうも
面倒らしい。万華鏡、それもニューヨークはマンハッタンのアインシュタインの店というか、アインシュタインの関係のものばかり置いてある
店で買ってきた万華鏡を覗かせて、髭剃りをして終わり。30年くらいも前に買ったもので、いつしか忘れていた万華鏡がヒョッコリ出てきた。
日本の普通の万華鏡と一緒にリハビリの一助になればと金城の部屋に置いてある。

私の絵を見に来た知り人が電車に向かう途中で出会った。アンコールはせずに、有り難うとさようなら。
会場にはもう一人大学の後輩が待って居てくれ、有り難かった。
個展と違って、2点しか出展していない。まあグループ展の良さも有る。

その2点を掲示します。

美し山(左) 秋をまとう(右)
美し山(左) 秋をまとう(右)

新時代のArt Scene

昨日12日木曜日、夫・金城は施設でお風呂をもらえる日で、身体拭きの一仕事がないことがあって、11日から始まっている展覧会に行ってきた。
監修者のポール・フロート氏が来日している。オランダの美術評論家で、7年程前にお会いしている。横浜市の県立美術館であった展覧会の時以来で、
2度目かたぶん3度目。
今回、担当者の女子がフランス語を話すので、ご挨拶ができ、写真も撮って頂いた。フロート氏は私のことを覚えていてくれたかどうか、尋ねなかった。
絵の前で、マチスのようだ、というのだが、タダユウコ!だ、とワタシ。
絵の真ん中にドットがあるのは何か?と。
筆でパシッ と、絵の具を落として終了のサイン。である、上手くいった。と。で、ご覧のような掲載の写真になったのです。

『お正月心に飾る門松は微笑みさても日がなめでたき 』 といった塩梅の絵

オランダの美術評論家ポール・フロート氏と
微笑み 20号サイズ
オランダの美術評論家ポール・フロート氏と

国際博物館会議京都大会後援イベント展参加

九月三日 四日 五日と『みやこメッセ』特別展示場に上記のイベントがあって、私の作品は、京都岡崎の平安神宮前
京都伝統産業ふれあい館・みやこメッセ特別展示場に展示された。5日の今夜は夜9時まで開館予定である。
2011年10月から11月にかけて京都左京区岩倉で、第55回の展覧会を開催したのだが、多くの京都方面の方々にご来廊いただいたので
今回、ご案内をさせていただいた。
3日は午後3時の開場であったが、4日とも夜遅く20時まで観覧できる。
“つくりびと”総合芸術展 という触れ込み。まさに総合芸術展であった。
3日午後1時半頃着の新幹線で、出掛けてきた。
知り合いがお宿を提供して下さって、一泊の旅。この展覧会も夫と一緒に行こうと計画したのだが、やはり夫は医師のいう新幹線の
微動問題で、諦めざるを得なかった。朝方施設に「行って来ます」と顔を見せ、翌夕刻4時半には“ただいま”というスピードでの
京都行き。

長いお付き合いの夫言うことろのおあねさまが、和菓子を準備くださって、濃茶を振る舞ってくださった。
そして、夜は、知り人の家で午前2時までおしゃべりを。
おしゃべりが過ぎて、眠れぬままに、8時には顔を洗って、お化粧。
11時の開場にあわせて、車で送って戴き、一応2日目も自分の作品に対面して、京都伝統産業にも触れ、また車で駅迄送って戴いた。
帰りの新幹線車内では眠りっぱなし。さいわいにも空いていました。

出展作は『西行』さまよう心 20号サイズ

西行・さまよう心/ 20号サイズ
スポットライトが当たっていない時の撮影でした
西行・さまよう心/ 20号サイズ

をんなの時間さまざま 34

私の手作り歌集豆冊子、をんなの時間さまざま は34冊目。
夫の喜寿を何もできないので、お祝いに急ぎまとめた。
“連れ合いは喜寿に” の副タイトル。62首。これ以上厚くなるとホッチキスで苦労する。
氏子として、神明社をお祭りし、20年ほど振る舞いをしてきた。ご近所の奥さんと。
その奥さんが、神様のことだから、と。
ご近所中の年配のお母さんたちに助っ人を頂きつつ。またはゴーヤチャンプルーを作るので、
ゴーヤを栽培しておられるお父さんに、ゴーヤをたくさん頂いて。
一番若い助っ人が軽トラックを出してくださって、料理を皿ごと運ぶ。運転手も。
お団子は、岐阜県高山市のホテル“焼岳”からのご提供。300個は直ぐに無くなる。

主が居ないのでは振る舞いもできないので、一時帰宅してもらった。夫に祭りの格好をしてもらい
4人がかりで、会場まではこんでくださった。車椅子ごと、ありがとうございました。
その金城を裏表紙にして、豆冊子は出来た。一番に金城に見せると、手に取って、見ている。

一番最初に詠った歌は、絵描き仲間が、絵を描く道だけが残った、というので、家の中の通り道
とあわせた。姉の孫がサッカー少年で、東京代表でマレーシアに行き、それも歌にし、
施設では夫は静かに寝ていないことが分かったこともあって、直ぐに数は多くなった。
最後にお正月の歌があるが、来たる9月に川崎駅側での展覧会に、「門松」微笑み(副題)という
作品を出展。選者がオランダの評論家。歌を添えた。訳していただき、意味を判っていただこうと
いうさんだん。この絵は長い間ニューヨークのMr.Jainの画廊に預けっぱなしであった。
一度銀座の個展で発表したが、大勢の人に見てもらっていない。

さて、豆冊子の表紙と裏表紙をアップします。
お読みになりたい方は、コンタクトください。

をんなの時間さまざま 34
連れ合いは喜寿
をんなの時間さまざま 34

新天皇・新元号改元記念 至芸の邂逅展 2019

上記のタイトルで8月の15日から17日にあった、愛媛県松山市の萬翠荘での発表は短歌作品であった。
ステンドグラスに作品が書かれて、届いた友人からの写真によるととても可愛らしい。
萬翠荘は国指定の重要文化財なそうで、松山市の市政130周年を記念して、合わせての目出度い
展覧会であった。
生憎とお盆とかさなり、ご先祖さまが戻られるとあって、松山市訪問は叶わなかった。
大学3年の時に、リュックを背負い、ビーチサンダルばきで、およそ3週間の四国巡りひとり旅のときに
ひとり旅の私を泊めてくださって、洗濯機を貸してくれたお宿のことが忘れられない。
道後温泉であった。もう一度訪ねてみたいが、叶うだろうか?
さて、届いている写真を掲載します。

同時に作られた令和元年からの一年間のカレンダー、題名は『こげ茶の意地』です。

友人と企画会社の顧問・正岡明氏/撮影  企画会社サイド
正岡明氏のお母上のお父上さまが初代松山市市長さん、加藤拓川医師 とのこと
友人と企画会社の顧問・正岡明氏/撮影 企画会社サイド
令和元年からの一年間のカレンダー
こげ茶の意地/撮影・友人の清水良子氏
令和元年からの一年間のカレンダー

九谷焼xアート展2

12月2日から〃7日までのグループ企画『九谷焼xアート展2』の作品を昨日画廊に送ったところ。
前回は赤絵で「元禄』という作品を絵付けして焼いて戴いた。
画廊サイドが第二弾を企画。早くから私にも参加をというか、もう次は『青』でいきましょう、とのこと。
赤絵はどうにか8枚お買い上げ戴いた。素晴らしい出来でした。今回も間違いなく素晴らしい出来栄えの絵皿になることでしょうが、
ご注文のほどは今回はどうでしょう?私も早くから宣伝しなければと思い、ブログします。
『雲の上では』というタイトルで、1000m級の高い山の上にキャンバスを据え描いたものです。雷は下に落ち、おみなえしの花は
既に枯れていました。後はご想像ください。
九谷焼の堀江祐夫子氏によるトリミングも楽しみです。

次の九谷焼xアート展2で絵皿になる「雲の上では」
I am Here
次の九谷焼xアート展2で絵皿になる「雲の上では」

明日は満月

旧暦では7月15日。明日は戦没者を追悼し、永遠の平和を祈念する一日で8月15日。旧盆と月遅れ盆も重なった。珍しい暦物語。
台風が近づいていて、夜空の月を眺められないことだろう。昨日8月13日の13夜は美しい夜空に月影を飽きること無く眺められた。
さて、曇っていようがいまいが、月は出ている。出ているのです。

私の作品の中で「月」という絵があって、ルビを「うさぎ」としたものがある。
ワインラベルになって、フランスのパリ、ベルシー美術館にラベルが永久保存された一点である。
明日は望月・満月が見られそうも無いので、その「うさぎ」を掲示します。

個人収蔵 /50号
「うさぎ」=「月」
個人収蔵 /50号

今日の同窓会で

8月3日、夕刻から大学の同窓会が横浜であって出席。
恒例のくじ引き、景品当選のチャンスには例によって当たりくじを持っていなかった。
しかし、後輩である横浜べィスターズ、DeNA の山﨑康晃投手のサイン入り自伝書を
司会者と全員のじゃんけん対決で、わたしが一人勝ってget
一っ冊景品として持ち込まれたものをである。
ハマのクローザー、初の自伝!
帰りがけの電車の中で読みつつ帰宅。『約束の力』
掲示します。

約束の力
サイン入り
亜細亜大学青々会横浜支部総会で

昨日のこと・続き

昨日の日イラン外交関係樹立90周年記念芸術作品集『美がつなぐ4700マイル』発刊記念式典ではイラン文化センターの
森島聡氏が通訳を担当されました。メモ無しで、日本語に、そしてペルシャ語に訳されます。すっかり感心してしまいました。
若い頃、私はいわゆる “あご あし やど” の国際会議とうの時などは主にお金を扱う担当部署でした。
ご一緒していただいた田中とも子氏は通訳の担当でした。詳しくは省きますが、京都国際会議などでは、東京のホテルや、京都国際会議場、
そして京都のホテルで一緒に働いたのです。お会いする度に遠い日の思い出に立ち返るのです。
その田中とも子さんと、メモ無しで通訳される森島氏のこと、二人して誉めあっていました。

森島 聡氏と撮していただいたものを掲示します。

森島聡氏と田中ともこ氏(右)
撮影/イラン文化センターの方でパキスタンの方
森島聡氏と田中ともこ氏(右)

日イラン外交関係樹立90周年芸術作品集『美がつなぐ4700マイル』発刊記念式典

今日7月20日午後2:30〜16:30、東京都港区南麻布の駐日イラン大使館において、タイトル(上記)の式典が挙行された。
出展の私もコレクターのひとり、田中ともこ氏に同行を願って、参席した。
イランとの交流は歴史が非常に長く、奈良時代に遡るとのこと。正倉院にペルシャ様式の工芸品が数々残されているとのこと。
平城宮跡地から出土した八世紀中頃の木簡にはペルシャを表す名字を持つお役人の名前が存在するとのこと。
シルクロードを経由して古代日本にイランの人々が渡来していたともいわれているそうです。
そんなイランと日本の外交関係樹立90周年記念芸術作品集『美がつなぐ4700マイル』発刊がなされ、芸術を通じた両国の友情の証しとして
在東京イラン大使館の文化部門のトップである文化参事官、ホセイン・ディヴサラール博士より感謝状が贈られました。
レセプッションでの美味しいポテトサラダをお代わりをしていただきました。
なによりも駐日イラン大使のモルテザ・ラフマーニ氏のご参席と祝辞があって、感謝状は、ホセイン・ディヴサラール博士と、主催者の
国民みらい社長小林氏と、イラン大使ラフマーニ氏の三人で、代わる代わるお手渡しされたのです。
なお、習慣から、握手は出来ませんでした。男性間では問題が無いそうでした。

合間には弦打楽器、サントゥールの演奏が岩崎和音氏によって奏でられ、クルミの木で出来ているというサントゥールという楽器の音色を
愉しみました。
何点か写真を掲示します。

感謝状をいただきました
撮影/田中ともこ氏
感謝状をいただきました
文化参事官ホセイン・ディヴサラール博士と田中ともこ氏と
 撮影/イラン文化センターの方でパキスタンの方
文化参事官ホセイン・ディヴサラール博士と田中ともこ氏と
「旧き もの』私の作品左と
 撮影/イラン文化センターの方でパキスタンの方
「旧き もの』私の作品左と
感謝状
感謝状
訳文
訳文