blog

日仏 < 3 アートアカデミー展

上記の催しを今日18日土曜日豊洲に見に行った。豊洲文化センター1Fギャラリーへ。
新橋駅からユリカモメに乗ってゆったりと行ったは良いが、終点とは知らずになにやら急ぐ私にはなかなか辿り着けずに、最果てに来た感じ。しかしながら駅を降りて見ると、東京の街。
特製の化粧箱の展示で、2019年1月のパリ・マドレーヌ寺院で開催された展覧会と同様の第2ダン。
会場には総合監修のARTEC(欧州造形美術振興協会)代表 フランソワーズ・イカール=ラングロア(アカデミ・フランセーズ/芸術学士院会員&理事長であった建築家クリスチャン・ラングロア氏の妻) さんがおられ、およそ20年前の
ARTEC横浜時代(パシヒコ横浜)に撮影した写真を持参した私を良く覚えていてくださって、再会は楽しいものであった。
今回の魅惑の化粧箱は、シックな絵。『旧き もの』がいい、と選んだのは担当者の若者で、前回の賑やかな絵とは
対照的である。いずれこれらの化粧箱は使用せずに大切に保存。美術館ができた暁には展示品となろう。
現代、素敵な化粧箱は沢山あって、わざわざ作るということは自分の作品であることが意味のあることで、それ以外には無い。たった一つの化粧箱である。最小ロットはひとつ、ということは商業ベースではあり得ない。
そう思っているところ。

今日の会場でのイカール氏との写真を掲示します。
イカール氏が持ってくださるのが今回の化粧箱。
私の掲げているポスターは、パリのマドレーヌ寺院で化粧箱に使用した『ウイーンの森の恋』
遠く携えて来られたロワール地方のクッキー、手作りのクッキーを頂きました。
ありがとうございました。merci beaucoup Mme.

歌二つ
遙けくも携へしクッキーいただきぬイカールさんのロワールの味
少し割れ長旅に在りしクッキーのレーズン甘し友情香る

Mme Francoise ICART=LANGLOIS 氏と
一点ものの化粧箱の展示会場で
Mme Francoise ICART=LANGLOIS 氏と

葵祭り

京都の上賀茂神社 下鴨神社は葵祭りで賑わっている昨日今日明日。
何年か前に下鴨神社での神に捧げる茶道 と言って良いのか判らないが その神事を見学することができた。
私が里親として育てている双葉の葵がどのように使われるものか、を知った喜びはひとしおであった。
葵祭りを催行なさるみなさまはご自分のお身体の何処かに、双葉葵の葉を付けられるのでした。
髪飾りにしたり、胸元を飾ったり、帯のどこかに留められてとにかく持たない人はいないのです。
今年も13日に摘み取って郵送し、14日には上賀茂神社の係りの人からお礼の電話をいただいた。
葵の葉を食べ尽くす鹿、ここにはいないので幸いにも毎年100人位の人にわけられる数をお送りしている。
正確に数えてはいないが。
上賀茂神社で御神籤を引いたのは2005年。たぶん11月。この年の春4月8日に願成寺に50号の絵を奉納。
願成寺は東福寺の塔頭で、このお寺さん、阿保親王の墳墓そして親王堂を護っておられる。
阿保親王、在原業平 行平 のお父宮。桓武天皇のお孫宮で、第51代平城天皇の皇子。
初めてこのお寺さんにお詣りした際、私は身動きができなくなった。冷や汗が出、鳥肌が立ち
不思議が起きた。5〜6人いた他の人たちは何ともなさそう。このお寺を護ってこられたご門跡が、
阿保さん、あなたが好きらしいわ! と。で、私は“ 私に出来ることは絵を奉納することしかない”
と、「絵を奉納します」と声に出すと、かなしばりが解けたのでした。1995年の11月の事。
10年後に、すっかり新しい本堂、庫裏そして親王堂と出来上がったばかりの願成寺に、約束をした頃に
描いた絵をお納めしたのでした。
さて、その秋上賀茂神社の御神籤 第一番 大吉 「うるはしき神のみさとしあるからは 萬の願ひ叶ふとぞ知れ」
だったのです。
翌2006年4月エルミタージュ美術館に収蔵のお話があって、秋の11月3日の明治節で上賀茂神社さまにご報告。
今もこのおみくじは大切にしているのです。
この春4月桜が満開の奈良市に行き、平城天皇陵を拝するともなく拝し、これで桓武天皇、平城天皇、阿保親王、
伊都内親王(阿保親王妃・桓武天皇内親王)、在原業平さんのそれぞれの関連神社や墓陵をお詣りしたのでした。

私の絵はその後バチカン市国にも入りました。アッ、絵ではなく書でした。絵は重すぎで、手荷物出来なかったのです。
上賀茂神社さま、また参ります。しばらくの間ご報告お待ちください。

双葉葵/世界遺産
水気を切っているところです
双葉葵/世界遺産

令和元年4日

2日前の令和元年2日。歌で。
車のキィ見失いしを伝へれば 片ほほで又と笑ひくれぬ夫は
エンジンがかかる近くにキィはある なほなほ探す車内とバッグと

狭い隙間に入っていた鍵を後で探そうと、とにかく金城に会いに行ったのです。
未だ何処に落ちているのかわからない時点で。
荷物のバッグの中にも無い。ハンドバッグにも無い。ポケットにも無い。
焦りつついるのですが、心配かけてはいけない! と数時間。
しかしまた明日ね って帰る時に実は、車のキィ が無いの
と。アッ! ただ今別居中です。夫金城は施設に居て、ただ今リハビリ中。
脳出血を起こしてしまいまして7ヶ月が過ぎました。

で、結局は笑ってくれた金城の "また“ が示す通りに、車内にあったのです。
狭い隙間に入って居ました。

昨日の夕方に庭の草刈りをしていましたら、しじみ蝶が飛んでいました。
もう草陰で休んでいたところをガサガサしましたから、慌てて出てきたのです。
3〜4匹でした。真っ青のシジミ蝶と茶色っぽい蝶でした。
4日朝、庭に出て蝶を見ているといました。いました。嬉しくなりました。
また 歌 に。

シジミ蝶露に堪えるかその飢えを 花の少なき庭を飛び交ふ

カラーの花が咲きました。

虫に会っていないカラーの花
虫に会っていないカラーの花
茜富士    加筆しました。
茜富士 加筆しました。
焼岳
未発表
焼岳

雨の中

雨の中西洋シャクナゲが咲いている。蕾を畳んだまま。低木で、今年は2輪。昨年は3輪だった。
しかし来年は咲かないような気がする。蕾がない。
そういえば蝶々が飛んでいない。虫もいない。さあ大変!
蝶々は春のはじめ頃に飛んでいたので、蝶の道にあたるこの辺を誇りに思っていた。
最近見かけないことに気がついて、さらに桜の季節が終わっているのに、毛虫がいない。
大丈夫ではない状態が??? 心配になってきた。

我が庭の西洋シャクナゲを

蕾を畳んで
たくさん畳んでいる様子

我が家の草花

桜、この辺りは既に八重桜が開花している。山桜の花びらが舞っている中を運転して、山々が新緑に輝いている日中は
一年で最も好きな季節。そう 暑くなる前の薄緑色の季節が良い。
我が家の花壇の満天星つつじ、とうとう枯れたかしら? 昨年は水撒きをほとんどしなかったからねー
と、心配して見ていたのですが、花こそとても少なかったが、新芽、徒長枝が出ていて葉が伸びてきました。
そして二輪草も咲き、その隣では、双葉葵が育ってきています。そうあの上賀茂神社の世界遺産の双葉葵です。
葵祭りに併せて神社に送るのですが、今年も大丈夫です。
白椿、一番遅い白ツバキの花も咲き誇っています。

雨の日に
雨の庭 何の花かしらむ 大振りの白き花びら 落ち椿なり

満天星ツツジ
満天星ツツジ
二輪草
二輪草
双葉葵
双葉葵

白椿

青空と白椿
白椿は一番遅いツバキの花
青空と白椿

平城宮跡地

4月5日の奈良行き。とてもラッキーなことに平城宮跡地へのご案内をいただいた。
東日本大震災のおりに、佐保川の桜の苗木を贈られて移植したという、陸前高田市から、取材の方が見えていらして
取材も終わり、市内をさーっとご案内しようというタイミングであったところに私が現れたらしい。
電話を待っていらしたそう。電話よりも速く待機場所に到着。取材の方はお若い女性で、仕事を他にもお持ちで、
なかなか活発な美人で背もお高いオシャレな方。
ご案内を下さるのは、桜祭り実行委員会委員長さん。
まず1300年の歴史を持つというから平城宮と同じ時代からの存在である「海龍王寺」へ、いってくださる。
先のブログにも書いたので、省きますが、平城宮跡地の北側を通る時には少しドキドキしたのです。
第51代平城天皇ご陵まえを通ったからですが、何とこの日は3回も通過したのでした。
大和西大寺駅までに2回行きました。私を8時25分頃の電車に運んで下さった時には3回目でした。
平城天皇の王子 阿保親王の御陵、そして親王堂のある京都の東福寺塔頭 願成寺に絵を奉納させて頂いたのは、14年前でした。
25年前にこの願成寺で、私は突然冷や汗をかき、動けなくなって、鳥肌もたちました。
わーどうしたんだろー! と焦り、私に出来ることは絵を奉納することしか無い、と、絵をご奉納します、と口走りましたところ
金縛りのようなものが解けたのです。
口走ってから10年の歳月が流れ、願成寺がすっかり新しく生まれ変わりました。建て直しに10年かかったのです。
真新しい親王堂にいよいよ私の絵が「荘厳」といたします、というご住職のお言葉によって、飾られました。
桓武天皇のお孫宮。在原業平、行平のお父宮。桓武天皇の神社には既に参拝。夫金城と共に。
阿保親王の御墓にも。お后の伊都内親王(桓武天皇の)、在原業平のお3人が五輪の塔で並ぶ林の中にも夫と共にお参りしたのですが
ただ一人平城天皇の御陵が奈良の佐紀町に在る、ということは知っていたのですが、なかなか来られずにいました。
今回は参拝は出来ませんでしたけれど、一歩近づきました。
広い広い朱雀大路。大きな朱雀門。朱雀門から北に平城天皇ご陵が在ります。そう思って、平城宮跡地を散歩しました。

歌を幾つか作りました。下記します(「をんなの時間さまざま・33」にその内載せます)

 花咲く日平城天皇ご陵まえただただ通過す一気にみたび
 貴人(うまひと)の阿保親王の父宮の御陵の前と胸よ静まれ
 大明神南無阿保親王えにし得て絵を納めたるは14年前
 朱雀門朱雀大路と気軽にも日射しのまぶしき平城宮跡地
 さをを(真小峰)さす奈良の都に住まひする知り人の指は若草の山
 朱雀大路自転車でゆく子供らにカメラを向けぬ日射し受けつつ

朱雀門
朱雀門

哲学の道

4月6日。つまり今日。
今度は哲学の道、京都左京区。何度も来ているこの辺り。花の満開時に当たりました。
大豊神社で舞を奉納される方が知り合いで、夫金城はお姉さまと呼んでいるのだが、なんとこの日に奉納される。お忙しいところをお邪魔して、美味しい京都の仕出し
お弁当にも預かった。舞の方はお弟子さんたちがなさるが、作曲作詞がお姉さま。85歳。やはりお姉さまとは昵懇の文学博士そして秘書の方と、10時過ぎに境内にて
合流。とても素晴らしい空模様。準備に追われるともないお姉さまを中心に記念写真を何枚か。舞が始まる時間までいられない私のために、一つお弁当を車から降ろし
て頂いて、私は時刻どうりに新幹線の人。
新幹線車内は観光外国人で一杯。その観光外国人が、3人掛けしていて、お弁当を広げ、カワイイ、カワイイ を連発している。思わず、奈良で頂いた和三盆の干菓子の
とてもカワイイ 小粒菓子を一人3個 プレゼント。ありがとうの言葉が返ってくる。

この2日間のことを金城に話して聞かせるのですが、夫は目を閉じてばかり。聴いているのでしょう。
さて、明日からは、「をんなの時間さまざま」32 を作ります。68首です。

哲学の道の桜
哲学の道の桜

ご案内頂いた奈良本丸

夕刻までの数時間を桜祭りの実行委員長さんが、馴染みの「海龍王寺」に運んでくださった。
古刹で、平城宮跡地に隣接している。境内は桜と雪柳の木に見事に白い花が咲いていて、
なにかほっこりさせられる。白い小さな花の集まり。桜とともに花見をしてきました。
東日本大震災のあった年に、ここ佐保川の桜の苗木を贈られ移植したという、陸前高田市から
担当の方が取材に来られていて、折もよく、ドライブタイムに遭遇?という訳で、私も一緒に
海龍王寺のお隣のあの広い平城宮跡地にも連れて行ってくださった。
平城遷都1300年祭の時には信貴山玉蔵院に、お神酒のラベル奉納があって奈良に来、昨年9月は
ごく近い春日大社まで来た。横目に平城宮跡地を見ながら、歩いては無理! と、いつの日か
来たいものだと密かに念じていたが、広い広い平城宮跡地を流石車だ。北から南までご案内を頂き
カフェラテで、乾いた喉を潤した。値千金のドライブ。誠に有難う御座いました。

行灯に至っては、実行委員会の方々の桟敷席の前に据えられていて、とってもとっても
かたじけなし 状態でした。
抽象的な絵に、解らない風の人もいれば、ふーんナルホド と言って、通り過ぎる人もおった、
と、実行委員長さんのお話付き。
実行委員会の方々に、お茶をご馳走になり、お邪魔虫の私を歓待してくださる皆様にお会いできて
夕闇も明るかったです。ありがとうございました。

8時29分に大和西大寺を出て、お宿の錦林車庫、京都左京区鹿ヶ谷法然院まで10時少し回った頃に
着きました。私が下車する2つ手前で、倒れた若い女の人がいて、10分ほど、運転手さんはあれこれと
連絡したり、倒れた女性に声をかけたり、親切な対応をしていました。
私は落とされた財布を教えてあげました。疲れきっているのでは! という車内の人たちの声でした。

さてあまり暗い写真はアップできませんでした。夕焼けもとても綺麗だったのです。

佐保川桜祭り

4月5日、佐保川桜祭りの最終日、奈良に来た。
燈火会の代表さんからのご依頼で、行灯用に絵をかいておくってあった。
昼間の桜の下での行灯と、あかりの入った絵の具合が見たくて、朝早く起きて
奈良行きを実行。行灯をブログします。
燈火会の皆さんには良くしていただいて、ありがとうございました。

「繋がる 」の大灯 、行灯
「繋がる 」の大灯 、行灯
薄暮からの火の入った行灯の様子
ピンク色のみの私の作品 中央
薄暮からの火の入った行灯の様子
これから火の入った行灯が21時まで夜桜と共演する
満開の佐保川を有難くも体験していました。
これから火の入った行灯が21時まで夜桜と共演する