目の見えなかった人の所在が判らず仕舞いに
富士宮市の展覧会の折りに、目の不自由な方がご入場くださって、アッ!ここにピンクの絵があるのね、とか、赤い絵が多いのねぇ、といった具合に、展覧会を
見て下さった。見えないけれど、わたしの絵からの波動を感じ、赤やピンクが判るんだそうでした。私は勿論驚き、夫や会場におられた人達も一様に感心したのでした。
2012年の2月でした。
それからしばらくして、北鎌倉古民家ミュージアムで展覧会を開催しておりますと、そのご婦人がお友達を共に来て下さったのです。
見えなかった目の手術を受けられ、見えるようになったと仰って。目の手術は、一目で良いから「ひ孫」の顔が看たい、80を過ぎているから失敗しても構わないの。
そう電話で仰って。無事に見えるようになられ、私の展覧会にも遠路をお運び下さったのでした。
そこで、一点いただくわ、と。驚きました。選ばれた絵が「うずまき富士」。誰も買ってはくださらないだろう絵だったのです。エネルギーを感じるの、というご説明でした。
お供の方にもお買い上げ戴いたのですが、こちらも富士山の絵。お正月に飾るは、とのこと。雲海の上に赤富士を描いた絵でした。
さて、極最近、何となく落ちている写真がはいった小袋を手に取りました。富士宮市に展覧する前に上海市のギャラリーに出品していたことが判る写真でした。
担当者のコメントがあって、撮影する人が多くて、なかなか会場風景を撮ることが出来ませんでした。とのこと。
結局は上海では売れずに私の元に返ってきた作品でした。
見つけた写真と担当者のコメントをコピーしてお送りしたのですが、生憎と宛所に訪ねあたりません、とのことで戻って来たのです。
長い間お電話もしませんでした。展覧会のご案内は忘れたわけではありませんでしたが、来られないのが当たり前のことですので、格別には追いかけませんでした。
初めてお目にかかった時が80歳を過ぎて居られました。ご家族様と住むためにお引っ越しなさったのでしょう。
江戸川区にお住まいだった妙子さま、「波動を感じるの」ということをお話し下さってありがとうございました。
最も心に残り、どんな言葉での評論よりも衝撃的で、凄い出来事でした。画家冥利に尽きます。