わらさ・はまち(関西で)

 昨日夕飯中に“ブリの子ども”食べます?という電話があった。友人と3人での御夕飯。友人が買ってきてくださった焼き豚をあてに、夫も友人も手酌でアルコールを飲みつつ。
ブリの子ども。さわらじゃない、わらさ、だ。直ぐご近所の人からの電話。丁度いいねぇ! わたしは直ぐに玄関に。少し待ったが、早すぎたか、と、またテーブルに戻って、
待つことしきり。そうかぁ、きっとお刺身にしてから届くんだね。ということで待つこと30分ばかり。玄関でピンポン。友人が飲まなかったビール缶一本持って玄関に。
ということで、なんと一本まるまるのわらさをいただいたのです。電話は近所のご自宅からではなかったのでした。
 今日揚がったばかりなので、明日が食べ頃という。その明日、金城は大まな板を物置から出し、包丁を研ぎ、2時間半がかりでようやく一口の大きさに。
 友人は惜しいかな昨夜の酒の肴にはありつけなかったので、今日お届けしたいところ。が、切れ味が美しくない!切れない包丁のせい?
 例によって教則本を片手にさばいたのでした。
 お届けしようか、ただ今考え中。

わらささん
うろこをとられました。
わらささん
頭は、大根と煮ます
お刺身の前
頭は、大根と煮ます

思わぬ通信・通心

 18日の小雨のなか、一通のA4の封書が届く。雨に濡れないように気を配った風で配達のひとの親切な心が伺われる。
 山田町立大浦小学校とある。急ぎ開封。校報「おおうら」3部。児童会長6年 山崎寛奈さんからのお礼のおたより。そして校長 中村登志江先生からのご報告とお礼に加え、今後の取り組みの決意がしたためられたお手紙であった。
 9月9日の日曜日に大浦仮設住宅に知人の川端弘行、京子夫妻をお訪ねした。3.11の大地震と大津波によって仮設暮らしを余儀なくされておられる。先のブログにあるように、
東日本慰問の旅でわずかな慰問品をお届けした。その慰問品の配り方にご配慮をくださった川端夫妻から「お菓子」は個包装されていたので、校長先生にお話しして、小学校にお届けした旨のご報告とお礼のお手紙をいただいた。なんと足りたのかしら?という思いがあったが、一番良いとご夫妻が判断なさったこと、郷土史研究家で、学校評議員の川端氏、流石! と感心しておりました。
 さて、
 私達に届いたお手紙には、そのお菓子、28日の全校遠足の際のおやつに配られたのでした。おやつは無い予定だったそうで、子ども達は大喜びでした。と校長先生。
42人の一年生から六年生の児童たちが4〜5列になって列んでいる写真も載っている校報「おおうら」を読むと“おやつ付きの遠足となりました。ありがとうございました”と
書かれている。思わず涙ぐむ。個包装は50個。先生方には渡らない人もあったのでは。わずかなお菓子と、あめ玉2個の内容だったのですが、袋詰めした甲斐がありました。
全校42名。みんななかよしです! 勉強も、運動も、さんさも頑張っています!! と、さんさ踊の写真も載っていました。
復興へ向けてどうか地域全体で進んでください。
 お手紙通心、ありがとうございました。夫金城が言いました。また行きたいね。

Smile と 桃花の里

Smile (GRNDO OPERA/2008年) & 桃花の里(美術春秋・天/2009年) の評論文を紹介します。どちらも芸術書院から発行されています。「桃花」で「つき」と読んで下さい。 Smile は日本のお正月飾りからイメージ。桃花の里 は桃の花が月を照らすのか、月が桃の花を照らしているのか、どっちでしょうね。といった印象から。

現在NYのGMJにあります
Smile/2007
現在NYのGMJにあります
our moon
桃花の里/2005
our moon

ART INTERNATIONAL ZURICH 2012 はじまる。

今日からズーリッヒでのアートフェアーがはじまる。短い期間だが、多くの美術愛好家でにぎわうことだろう。「宇宙の進化」多田祐子作にも注目が集まることを祈る。

 11月のシアトルでのアートフェアーには「Mr. J」を展示する。

11月のシアトルでのアートフェアーでお待ちします
Mr.J / TADA yuko
11月のシアトルでのアートフェアーでお待ちします

宇宙の進化

 10月11日〜14日にかけてのチュウリッヒでのアートフェアーに、「宇宙の進化」を展示する。担当者さんの好みに従った。たまたま夏に出た美術の杜社のBM Vol.29に、ル・サロンの現会長クリスチーヌ・モノーさんが評を寄せて下さっているので、スイスとフランスはお隣どうし、お役に立つかな。と、批評文を載せて、絵とともに、一枚の絵はがきにして送付した。生憎と評文は日本語に訳されているが。つまり“個性輝く作品”とある。
 スイスには3回訪問した。国連の平和の間での国際交流展で初めて行って、スイスを一回り、一人旅をした。後の2回はジュネーブでのアートフェアーに出展。ニューヨークの画廊を通しての出展で、ニューヨークに住んでいるアーティストたちと、連日ワイワイ愉しかった。
 今回は絵のみ参加する。スイスでの第一日目に小父さんが “ズーリッヒ” と発音して、道を聞いたわたしは??? ああチュウリッヒは日本語だったか、と、いまだに思い出す駅のホームでのひとこま。その手製の絵はがきを下記します。

 夫金城がかたづけていて、2階に持って行きなさい、という物の中に、1991年のペルー美術賞展のカタログがあって、当時のリマ美術館長セシリア・アライサさんが載っている写真をみつけた。私は「動物園」という50号サイズの作品を発表した。その「動物園」をリマ美術館に収蔵してくださった方だ。
 日本人とか日本人じゃないとかを問題にしない作品で、収蔵したい。と仰った女性の館長さん。このときもリマには行っていないので、いまだにお会い出来ていない。当時はしっかりデータを保存していなかったので、このカタログに掲載されているものしか残っていない。まさかそのままリマに残るとは考えていなかった。1990年の12月初めから1991年2月いっぱいまでの3ヶ月間、わたしは初めてのニューヨークでの個展でマンハッタンにいた。
 マンハッタンで出会ったのが今の常設画廊主。JMGのMr.Jainである。

 さてさて、10月11日〜14日までの間にズーリッヒにお出掛けの方は、是非アートフェアーに足を向けてください。

1991年にリマ美術館に入った50号
動物園
1991年にリマ美術館に入った50号
ズーリッヒのアートフェアー出展作
宇宙の進化 10号S
ズーリッヒのアートフェアー出展作

ミニ絵画展へのご案内

器用な従弟がいて、話し処「 きままや」というのをはじめた。料理は父親が得意だった。影響は早くから受けて、いまや文句のいいようがない。少し前までは、時間がかかり過ぎ? の感あり。だった。蒸し返しの料理は美味しくない。それが腕を上げ感心した。
雪国の片田舎。さらに裏の裏。通りもあるような無いような。続くかなぁ。
とにかく、宣伝です。
そこで、多田祐子のミニ絵画展を開催中です。壁をお借りして。月曜日が定休日。電話をしてからお出掛け下さい。090 2997 4465 鎌田 です。
お買い上げのご連絡があったら、新幹線で行きます。
よろしくお願いいたします。新町裏、平野神社近く、「営業中」の幟が目印です。誘導灯に従って進みますと、赤いのれんが目に入ります。この暖簾は、昼、
よく見えるのですが、夜は?です。

311 Pray for TOHOKU

 先日の東日本大震災慰問の旅には、『311 Pray for TOHOKU』/「いっしょだよTOHOKU」 プロジェクトチームの代表者 高久尚子さんも加わって下さって、二本松市までは、ご一緒した。車の中で結団式。狭い車内で仮眠をして、二本松駅から奥州市水沢に向かった。我々のチーム名は『なんくるないさー!」。沖縄の言葉で、なんとかなるさ。代表者金城のネーミング。のんびりした彼の名付けに従った。あれほど原発事故に怒りを顕して、脳血栓まで引き起こした夫にしては、?。まあ いいネーミング。
 我々が帰って、資金を寄付下さった一人の女性を加え、尚子さんと留守を守る尚子さんのお姉さんと5人で報告会を。この先も続けることで、解団式ではない。
 尚子さんは震災後3ヶ月で「何か出来ないか」と、これから先、一緒に復興を進めていく気持ちをわすれないために、バッジを作った。そのバッジを付ける、バッジを見る、たびに「募金をしよう」「東北の物産を買おう」と何らかの行動を促すきっかけになれば、という思いを込めた、と仰る、お若いかた。経済を滞らせないこと、東北がもとの元気を取り戻すまで、一緒に歩んでいることを、日本中の人たちが応援していることを、感じて下さい。と。
奥州市出身カナダ在住のイラストレーターによってバッジは形になっています。レンガ色の地に抜き白文字と白地にレンガ色のハートと黒字でPray for TOHOKU の2種類あります。
 この先何年もかかりそうな復興には、特効薬を持っていない我々として、微々たる行動しかできないが、それぞれのより良い地域復興を願っております。

 さて、昨日23日、横須賀芸術劇場に 高橋祐次郎・津軽合奏団 風ーKAZEー の公演を聴きにいった。津軽三味線大競演。
のっけからビックリ! 津軽合奏団座長、高橋祐次郎氏 昨日午後急逝 とある。膵臓がんのためとお知らせにもあって、津軽三味線最高峰で民謡会の重鎮、高橋祐次郎氏の演奏は結局聴かれず終い。残念至極。しかし意志を継ぐKAZEのメンバーの演奏は、通夜の思いを込めた卓越した技量はダイナミックですっきり。司会をした女性のいよいよ終盤には、高橋祐次郎は横須賀芸術劇場に来ることをとても楽しみにしていた、いまきっとこの劇場に来ております、の言葉とともに、思いが溢れ、涙する場面があったが、わたしももらい泣きしてしまったことです。公演は15分程延長。アンコールがあった。
 生演奏を楽しんできました。

高久尚子さん代表の「いっしょだよTOHOKUプロジェクト」https://www.facebook.com/isshodayo.TOHOKU.project
プロジェクトのバッジ
高久尚子さん代表の「いっしょだよTOHOKUプロジェクト」https://www.facebook.com/isshodayo.TOHOKU.project

東日本大震災一年半

 9月4日午後11:30分出発で、ようやく東日本大震災慰問の旅に出ました。まず二本松市の友人の家に。大地震後1年半が過ぎるのに、未だに水道が止まったまま、というので、使用中だった井戸に水が来ているかどうかを、夫金城が水位計を使って調べる。水は涸れては居なかったことがわかり、次の段階へ。
 1年半もの間もらい水を続けている友人に同情よりも知恵を、ということで夫は時々電話で話をしている。遠いのが少々残念。
 5日午後3時、次の目的地、仙台市へ。家が半壊した知り合いのところへは、6日訪問。ご本人は病院通い。奥さまが待っていて下さって、20分の予定が3時間。お話しを伺ったり、こちらからの話しも聴いて頂き、2年前に仙台市での展覧会でお世話になったこのご家族に、お見舞いとお礼とを申し上げる。
 6日夕刻前に震度7の若柳到着。倒壊した家屋や蔵などの建築物を取り壊し、更地になった友人の処に。100年の建造物は姿を消した。文庫倉も、ない。
 やはり2年前に1ヶ月以上の展覧会を開催してくださった画廊主や、留守番をかって出て下さった友人にご挨拶。
 我が故郷若柳は、その2年ほど前に、岩手宮城内陸大地震があって、栗駒方面で大被害があったばかり。崩落現場の近くで、子供たちとその風景を絵に残したばかりだった。
 9日の日曜日。小学校の元校長だった従弟が案内と運転を引き受けてくれて、岩手県へ。気仙沼から陸前高田市、大槌町、山田町へ。大槌町御社地に住んでいた、陶芸家小川延海氏、久美子夫妻にお線香を手向け、人気のない大地で一人草刈りをしていた青年に供養の菓子とコロッケをもらって頂く。この青年がいなかったら、全く住まいは判らなかった。伸びた草以外何もないから。御社地ということでは、大きな石が建っていたが、倒れている石もあった。この青年のお祖母さんもここの御社地の建物の2階にいて波にさらわれ、お亡くなりになったという。夫金城は小川氏とは年齢が近かったこと、近年の手紙や年賀状の文章に鬼気迫るものがあったことを思い、思わず涙していた。生活に困ったときに、少し送金して、お皿や、壷を送ってもらったりしたことがあって、それらのものが遺品として今我が家にはある。
 山田町の大浦仮設住宅には迷うことなく、時間前に到着。従弟は災害対策チーム「桜士(さくらもののふ)」の会を当初から発足。岩手県にも何度も通っているので頼りにした。道が不慣れな我々だけでは、あっち!こっち!といってけんかばかりになること必定。時間ばかり食うところ。助かった。
 ここでは、初めてお目にかかる人だが、郷土史研究会の会長さん。奥さまにもお会いして、買い物にも不便な仮設住宅生活を見せて頂く。狭い。玄関先に風と雪と雨除けが付けられて、いわゆるポーチだがこれが付けられて大助かりです、と、会長さんは仰った。慰問品はとても足りなかったが、我々が出来ることで、限界在り。遠野市経由で帰路に。遠野市にも訪問したかったが、日曜日とあって、道の駅に立ち寄り、お買い物で少しお金を遣わせて頂く。
 10日宮城県の湾岸沿いを下る。志津川市、吉浜小、大川小、雄勝、女川市、石巻市、松島市と被災地の瓦礫と、ここに住んではいけないんだよ! という有様を伸びた草のたくましさと共に、感慨、悲しい。ところどころで、お焼香。風が草に火を移さないように、小石を集めて、囲う夫。
 大川小学校の祭壇には向日葵の花。おそらく亡くなった児童と先生の数だけあったに違いない。数えはしなかったが。ここで、以前赴任していたと仰る先生に会う。一緒にお焼香を。日曜日には何処でも人影はほとんど無かったが、月曜日はボランティアで働く人達や、測量に勤しむお役所の方がたが見え、最早なくなったお菓子、もっと持参すべきだったと思う。コロッケもない。コロッケが傷まないようにドライアイスを6000円分買ったが、昨日が賞味期限であった。
 松島では日暮れて、ただ2年前に食事をした処が無事かどうかを金城は確かめたかったらしく、車の中から、覗いて、あった!あったと嬉しそう。
 瑞巌寺には最早時間的に立ち寄れず。真っ暗になってしまう。

 2日前にブログ中、指が変なところを押して全てパッ! と消える。

 気を取り直して本日ブログしました。第一回目の慰問の旅でした。これからも時間と健康とお金に余裕が出来次第実行していきます。

 水底や皆で励んで学び欲し 大川小の向日葵の花

この3日後に伐られた
陸前高田市の一本松
この3日後に伐られた
向日葵のはな
大川小学校の祭壇
向日葵のはな

アジア文化顕彰受彰

暑い陽射しの中、明治記念館の芝生は青々と茂っていました。午前10時からの社団法人世界芸術文化交流会WAC認定2012年ソムラップ・キティヤコーン殿下記念 アジア文化顕彰受彰式に行きました。彰の文言は「 貴殿の高い人間性が生み出す芸術作品による美術文化振興と美術文化による社会貢献をここに称え、世界芸術文化交流会は創造者たる芸術家たちに感謝と敬意を表し、ここに「アジア文化顕彰」を授与します。彰を本日頂いたのは40人弱でしょうか。
高い人間性、これは私の事ではありません。授与くださった殿下のことに他なりません。それと先日古稀の誕生日を迎えた、我夫金城の事でしょう。そんな中でわたしは絵を文化振興のために発表しています。社会貢献に関しては、未だ未だと思っています。
とにかく金城家のご先祖にご報告です。感謝。コレクターのみなさまにはこのブログにてご報告とやはり感謝です。
有り難うございました。

Asia Cultural Honor

ロンドンオリンピック最終日

早朝の試合をラジオで聴いて寝不足の日も多かったロンドンオリンピックが了る。男子マラソンは夕食を摂りつつ聴いて、男子レスリングで金メダルが決まったニュースを聴く。閉会式は日本時間で何時からだろう?と思いつつ、今日の午後はズーット胡瓜の甘露煮を作っていた。ただ火にかけているだけで出来る。水分が無くなってきた頃に、焦げないように見るだけ。至って簡単。これが絶品。昨年の夏に、大地震の被災地で教えて頂いた。2キロの胡瓜に三温糖1キロで作ってみた。昨年はもっと三温糖が多かった気がする。

オリンピックの結果は期待通りにはいかなかったゲームと、思いがけない良い結果を運んでくれたゲームと、まあ悲喜こもごも。愉しかったです。選手のみなさんありがとう。次に向かって進んでください。

作り始め。入り切れないので、小さなお鍋が向こうに見えます
胡瓜の甘露煮
作り始め。入り切れないので、小さなお鍋が向こうに見えます
半分以下になっています
完成。絶品の一品
半分以下になっています