10月3日 トコポラ後半2日目

 田川市の現代美術ギャラリーto.ko.po.la での後半が始まった。飾り付けをスタッフの桃子さんと中住きよみさんそして急遽園耕治?さんが手伝ってくださったとか。ありがとうございました。そしてご苦労様でした。会場の様子をメールで送信していただいたものをこのブログで紹介します。塩梅よく飾られております。

さて、10月1日に北鎌倉の古陶美術館の副館長さん・長谷川幹晃氏にお会いしました。2009年の秋に「鎌倉古陶美術館」で展覧会を開催できることが決まりました。
2010年の2月に北青山での展覧会が既に決まっておりましたので、出来ればもう少し前の時期と思いましたが、紫陽花の季節は定例の展覧会で埋まっておられるそうです。
平安時代や鎌倉時代の土器、陶器、大甕や貴重な文化財が古民家3軒分の美術館に展示されている。庭園も季節の草ぐさや白萩の花にあふれて秋たけなわ。静かな趣の美術館。
ここに多田祐子の絵を展示させていただく。1年間の準備期間で間に合うかどうか、走り始めようと思う。

ではto.ko.po.la の後半よろしくお願いいたします。

9月16日 

 富士宮市における2ヶ所の特別展が終わった。Rihei 蔵 の主 利一氏が作ってくださった今時タイプのおしゃれな芳名帳をみると旧知の方のお名前がちらりほらり。新しくお目見えするお名前が勿論多い。中に市長さんや教育文化課の方のお名前が3名さまあって、新聞の紙上によるものか、Rihei の主利一さんが印刷してお出しくださったDM
によるものか、その双方の広報で、より多くの方々にご高覧いただいた。一緒にタイランドやトルコに国際交流展で行った絵描き仲間のメッセージ“お元気ですか?”の添え書きがある。彼女もお元気のようすがわかる。
 今回の富士宮市での展覧会がにわかに開催されたいきさつは、増田屋さんの恭子さんのご協力、実行力、お世話力による。福岡行きのための車 キャラバンロングをお貸しくださり、車を取りに来るときに絵を何点か持っておいで、とのご意見があった。甘味処の“ぷくいち”さんにまず飾っていただいた。照明も、看板もあって芳名帳も準備していただき、無事に福岡県田川市に行き、帰って、田川市から持ち帰った大きめの作品を13点、今度はRihei 蔵に飾っていただいた。4日〜14日まで。主の利一氏がいろいろと面倒を見てくださって、急にもかかわらずに大勢のご来場であった。ほんとうに感謝の秋。
 ぷくいち さんはお客さんでいっぱい。ろくにご挨拶も出来ずに帰ってしまいました。お宮横丁は大勢の人でごったがえしていました。飾り付けの日の午前中とは趣ががらりと違い、人々に圧倒されるまま、浅間様にお参りを。3連休の中日、14日の日曜日であった。
 増田やさんの皆さん、ぷくいちのご兄弟、Rihei蔵のみなさん、そしてご高覧下さった多くの方に、ありがとうございました。
また、いつの日にかよろしくお願いいたします。

9.11

9.11。明日はあの忌まわしい「慰霊」の日。多くの人が亡くなった。夜テレビの画面でまさかの実況放送を見てしまった。はじめは映画か何かと思った。今思うと何故実況放送がなされていたのだろう。崩れるビルを目の当たりにした。逃げまどう人々を見た。一月以上も過ぎているのにまだ立ち上る煙を見た。36回目の個展をJMGで行おうという矢先のこと。アーティストとして何が出来るかと考えた時、キャンセルせずにニューヨークに行くことだった。ホテルをとってあったが、Mr. JAIN・画廊主が自宅に泊まることにこだわった。毎日一緒にバスと地下鉄を乗り継いで57丁目のThe America Art Gallery building に通った。そこでバスの窓から煙りを見たのだった。近くの地下鉄駅もすじかいをしたりする太い棒が痛々しかった。7年目になる。あの後2003年と2005年に行った。2006年のグループ展には作品のみで私は行かなかった。ニューヨークがだんだん遠くなる。私の体力が追いつかないし、金力も追いつかない。Mr. JAINが10月東京に来る。まだメールに返事をしていないが、私の予定とかち合わないと良いのだが。10月の下旬は甥の結婚式で仙台に行く。多分3日〜4日は田舎で過ごす。移動日をいれて。9日10日も予定あり。早くMr. JAINの予定を聞かないと。英語が達者じゃあないから苦労する。アメリカに行くと英語を勉強せねばと思い、日本に帰っては、それより絵を描かねばと思い、18年が過ぎた。

 さて、今年のはじめには何も予定がなかった。それが中住きよみさんからの年賀状によって田川市での展覧会になり、to.ko.po.laギャラリーでのロングラン多田祐子展が11月24日まで開かれる。さらには静岡県富士宮市で二ヶ所多田祐子展が開催されている。甘味処「 ぷくいち 」と「 Rihei 蔵 」。文具の利兵衛蔵はRihei で店内に川が流れている。どちらも看板があって、照明も設備され、新聞社が4社取材してくださった。ぷくいちは11日までなので明日終わる。Rihei 蔵 は14日まで。ぷくいちさんはもともとあんこ屋さんでクリームあんみつなど美味いものがたくさん。近くの方は是非お出掛け下さい。そして記帳をお忘れ無くお願いいたします。
そういう訳で今年は4つの個展ができたのです。
 トコポラのwebsiteはhttp://www.tokopola.com/です。こちらにもお立ち寄り下さい。

少々疲れています。頭がクリアーになかなかなりません。でも夢を見ました。不思議な夢です。教えて上げられませんが、なんだか心地の良い夢です。このまま絵が描き続けられると良いのですが。描き続けますとも。刹那消滅を。ではまた。

田川郡香春町の嶋井 さまへ

コンタクト から通信いただいた模様ですが、何故か返信が出来ません。そのまま返信しておりアドレスはいじっていないのです。赤村の方には返信できました。
この私のホームページのブログを是非気付いていただいて、もう一度電話番号でもお知らせ下さいませ。
懐良親王についての件とお察しいたしました。尚、
田川市美術館ではご高覧をいただきましてありがとうございました。

9月4日 

 九州は福岡県田川市に滞在すること10日。展覧会はまだ続くが、9月3日帰宅。ほとんど夫に運転させて。途中行きと同じく宮島SAで遅い昼食を摂った。行きに見られた景観は生憎。下りサイドで晴天の宮島や瀬戸内の海を眺めたことで先を急ぐ。天候が荒れているらしく、あちこちで大雨洪水警報が出されているなか、新名神高速道路の土山SAで夕食。20時。甲賀地方に大雨警報が出ているのでここで仮眠4時間。もう富士宮は近いという夫と富士SPで朝食。
 9時過ぎ、店内に川が流れ、蔵のある文具店「Rihei」 に13点の絵をハンギング。120号80号60号50号を含めて20号までの13点。趣の十分な蔵に入って、広い美術館とは又違った雰囲気に即順応する絵画を正座して見るのもいいもの。2ヶ所の新聞社の取材が早速あった。明日5日はもう一ヶ所の新聞社が取材をしてくれる予定。
 お宮横町 「ぷくいち」と 「Rihei 蔵」 の2ヶ所で28点の多田祐子の絵画を見られます。どうぞ多くの方々にご高覧いただきたく思います。

 さて、田川市では、西日本新聞社が取材してくださってカラー掲載。NHK福岡放送も美術館開催中に放送してくださったので、遠くからも興味をもった同じ美術家の方たちが駆けつけてくださった。朝早い時間帯の放映であったが、見ていた人たちはとてもキレイな色だったといって教えてくださった。急ぎ掲載やら放映やらにご協力くださったマスコミ関係者さんに感謝です。
 田川市では毎朝自炊をして健康に気をつけた。夜は滞在先の所から10数メートルくらいの所にある“海鮮茶屋”で、夕刻にただいまといっておじゃまをした。すっかりお世話になった。丁度中日あたりに夫金城の誕生日だったのだが、その日美術館に来合わせた茶屋の女将姉妹に、夕刻は一品なにか造っておいてとリクエストしておいたら、蟹が出されしかもお店からのプレゼントとのこと。次の日からも一品づつ多くいただいた。テレビ放映の在った日に又トコポラも含め姉妹で鑑賞に見えられて家族関係。

 以前に牛久市に住んで居られた荒川ご夫妻が現在は田川市の隣町、添田町におられ、荒川和子さんにもすっかりお世話になった。毎日美術館に来てくださって受付を手伝っていただいた。
入館者数を数えるということがあったから、受付が2人では窮屈で、田中ゆき枝ちゃんと3人で交代できた。トコポラのパーティでは蟹のハサミのサラダを大盛皿一杯に差し入れをいただき恐縮と共に有り難うございました。ご主人が東京では銀座や青山で毎回見てくださったとは知らずに居りまして、このこともびっくりでした。同順会にあったPIGA画廊から10年目だったとおしゃる荒川氏に、お礼を改めて申します。

搬出は荒川さんのお友達も手伝ってくださり助かりました。ハンギングの時はMr.Fujiwaraが高ーい脚立を上り下りしてくださり、照明も同時に調整してくれて
思ったよりも早く終わりました。その脚立の上り下りが搬出時はなくて大助かり。金城にやって貰うしかなかったのでしたが、彼も疲れていたから、やれやれでした。

トコポラの主はじめ、田川市のみなさんは親切で頼りがいがあり、陽気でおもしろい人ばかり。みんな名物人物でした。
まだまだ続く多田祐子展を宜しくお願いいたします。
特に家を貸してくださった中住きよみさん、私多田祐子を呼んでくださって有り難う。深くお礼を申し上げます。

ニューヨークと田川市の出会いによって

25日朝9:30〜 市美術館の飾り付けを、イギリスから帰国して加勢してくださったMr.Fujiwaraに加えて、千葉県佐倉市の田中ゆき枝さん。地元に住む、荒川和子さんとその従姉妹の方を加えて、夫金城の6名で無事16時頃に終了。

美術館の方は3号から120号までの39点を展示したが、発表出来ずにいたoil on paperの3点を飾った。15年前にニューヨークのアパートで作製した作品がようやく人目に触れる。
声を掛けてくださった中住きよみさんのおかげで、ニューヨークで出会ったときに作った作品を引っ張りだすことができ感謝。

田川市美術館
写真は全てMr. Fujiwara 撮影です。

8月21日 富士宮行

 朝4時起で、富士宮市へ行ってきました。田川市行の大型キャラバンロングの車を借りるために。貸してくださるコレクターの方がセットしてくださった「甘味処のぷくいち」に油絵11点を持参。コレクターの持つ作品を含めて15点をハンギングしてきた。白い壁に。午前中には飾終わって、夕刻キャプションを貼って、田川市行にもれて、焼き餅を焼いた我が作品群が満足していた。奇しくも本日8月21日に、田川市の現代美術ギャラリーto.ko.po.la と 兼ねてからの馴染みの街の富士宮、浅間神社前 お宮横丁「ぷくいち」で、多田祐子の作品展が始まった。26日からは田川市美術館でも開催されるから、なんという幸せ者の貧乏絵描き 多田祐子 だろう。ぷくいち のオーナーは若い頃
葉山のジャンボクラブで4年間働いていたそうで、我が家から歩いても20分のところ。さらには奥さんのお父様のご出身が宮城県の鳴子とのこと、いっきに話しが盛り上がる。
つぶあんの白玉しるこをいただいて、コレクター一家の大お世話にあずかり、無事帰着。ボストンで美術品の学芸員の勉強に勤しむ“ボン”も帰国中で、一昨年京都の願成寺で会って以来、一年10ヶ月ぶりに会い、いろいろと力及び知恵を貸していただいた。富士宮の街の方々にも親切に迎えていただいた。
 田川市のto.ko.po.laギャラリーではなんとなんと垂れ幕を準備してくださっていて、中住さんさえ感激して写メールを送ってきた。金色をした布地に yuko tada Exhibition とある。まるでメトロポリタンミュージアム。なにやらなにやらかたじけなさに なみだこぼるる。
 25日に飾り付けをします。26日からオープンです。トコポラは水曜日はお休み。土曜日にはパーティを。

 なお、富士宮市のお宮横丁「ぷくいち」の展覧会は9月11日までです。美味い甘味と共に「いぃ絵画」をどうぞ一度お試し下さい。大きい富士山が迎えてくれます。

8月17日  旧暦では7月17日望月

 今日は望月。残念ながら曇り空。昨夜美しい月を眺めることができたから満足している。少しゆがんだ月が絵画的で流れゆく雲がマラソンのように速かった。
お盆の送り火をしながら、実は夜空を眺めていた。秋のように澄み切った空と思ったら、今日は涼しい一日。田川市での展覧会の準備をしている私としては、汗をかかずに
一日を過ごすことが出来た。梱包におわれていた3〜4日前はアイスノンを首の後ろにまいて、暑さをしのいだ。夫はじゃまだといって玉の汗をかきながらも手伝ってくれた。
47点の作品を送った。21日から始まる現代美術ギャラリーto.ko.po.laさんの分。飾り付けをギャラリーのスタッフの方にお願いした。お世話してくださる中住きよみさんも
加わってくれる。かなり重量のある梱包2個が、お気の毒。個数は9梱包。今は無事に18日の午前中に配達されることを祈っている。
 そして、本日は市美術館の分のキャプションを準備。制作年代を調べるのに手間取る。挨拶文も考えた。長くならないように。
21日、キャラバンロングのフラットフロアーの車を貸してくださる富士宮市のコレクターのところに行く。
22日、車に田川市美術館の分を積み込み、23日いよいよ出発することになる。
その前に19日、佐倉市のコレクターのところのお嬢さんが来てくださる。一緒に田川市に行って手伝ってくださることになり、こころ強い。
24日の午前7:30には京都の深草バス停でMR.FUJIWARAをピックアップする。彼は今イギリスのエジンバラで芝居の公演中。今日が最後の芝居の日。
市美術館でのハンギングの事をお任せしたい。かなりセンスが信頼できるから。
田川市では近隣に引っ越して行った元かっぱ村民の荒川さんが手伝ってくださる。お電話を頂いたときには飛び上がるほど嬉しかった。車で20分〜30分のところという。
毎日手伝って、ということになっている。なにしろ26日から31日までは2ヶ所の美術館での開催。30日は市美術館は開館時間を延長してくださる。7時まで。
この夕刻はto.ko.po.laギャラリーでパーティをするので、それにこどもさんたちの親御さん方が美術館の閉館が早すぎて自分の子の絵を観に行かれない、といったご要望が
あった為らしい。私としてはラッキー。市美術館とギャラリートコポラは徒歩5〜6分。
昨日、葉山コロッケを100個届くように手配した。手作りのピクルスも作った。2週間後には美味しく出来上がっているはず。日に何度かタッパーウエアーを逆さまにしては
冷蔵庫で出来上がるのを待つ。持参のことを忘れないようにしないと。
 
ああそうそう、10日のお祭り、神明社の御神輿お渡りは無事住みました。ゴーヤーチャンプルー、さくら飯、お団子、枝豆、シャーベット、かまぼこ、赤こんにゃく、
そして、曽我漬などなど例年通り、皆さんに楽しんでいただきました。反省会は、来年もどうぞ宜しく、でお仕舞いでした。では、田川市から帰ってから、また。

8月5日  旧暦では7月5日

 田川市での展覧会が近づいた。市美術館のほうの看板が、なかずみ清美さんの手描きで、8月3日に設置された。ベニヤ板を横2枚に使用しての看板で、なかなかしゃれている。それに大きい。携帯電話の写メールで送ってくれた。看板は送るには大変で、田川市に行ってからでは遅すぎで、諦めていた。1ヶ月前から掲示ができるそうで、なかずみさんは少々遅れていることを気に掛けてくださった。ありがとう、ありがとう、ありがとう。
 8月10日のお祭りが終わり次第、梱包作業にかかります。8月7日に道路の草刈りと清掃。8日はお寺さんのおせがき。9日は“かっぱ村”の封筒の準備と買い出し。
17日にはto.ko.po.laギャラリーさんの前期の展示作品を発送します。まだ倉庫から出していません。お盆やすみの夫の力を借りないと上手には出来そうにないから。ニューヨークに送るときよりも4倍近い数で、一人では出来ない。それにしてもニューヨークへの発送時代は夫の手伝いはあまりうけなかった。夫も仕事が忙しく、私が若かったのだと、つくづく思う。最初は41才だった。福岡県の赤村に住んでいる、なかずみ清美さんと会ったのは45才の頃。彼女は現在、絵画教室を田川市と赤村の2ヶ所で主宰している。
 元気いっぱいのシャレた看板に早く逢いたい。