雨にしょんぼりでした。
今日7月22日の日食をとても楽しみにしていました。部分日食であってもかなり欠ける太陽を見ようと、19日の日曜日には、大きめのダンボールを用意して、小さな穴をあけたところに、アルミホイールを貼り、そのホイールにさらに小さい穴をうがち準備万端。ダンボールの底に月のような影ができるはず。だった。「日食の観察」の仕方で一番簡単な方法みたいと。あとは上空の水蒸気次第だった。皆既日食はメディアを通して観るしかない。朝。雨の音。空を見上げる。雲が厚い。9時半になっても10時になっても、厚い雲は垂れ込めたまま。小雨も上がる様子がない。玄関では手作りの日食観察ダンボールが横たわったまま。10時ちょっと過ぎに日本郵便の配達の女性がやって来たので、雨で残念ねぇと見えない日食の話しをしながらもなんとか晴れ間がやってくることを期待。ダンボールの準備までしたことを話題にする。彼女の小学生の息子さんは学校へ行ったそう。先生の指導があるそうな。雨の所為とともに上空では欠けていく太陽のせいで室内はだんだん暗くなる。蝉は啼かない。単なる雨の所為? 雨は小降りになっても雲が厚い。とうとう時間切れ。幕切れ。なんともしかたのない一日。2035年までお預け。26年後。生きていよう。
子供のころに黒い下敷きを通して日食をみたことがある。部分日食だった。その頃は紫外線の危険は言われていなかった。今のようにオゾン層の破壊が無かった頃の時代。
同じく雨で観られなかった人々や飛行機に乗って雲の上で観た人たち、奄美諸島や鹿児島県で観た人、東京都下でもほんの一時、雲の切れ間から観ることの出来た方達の話しを聞いて今日の「世紀の皆既日食」の一日は終わりました。悪石島に出掛けられた人たちと同じくらいに私もがっかりでした。少し「輝く闇」を見たかったのです。