4月は、油絵はおろか、Oil pastel も描かなかった。なにかと愉しい日々をおくった4月を振り返ってみる。先ず、京都の知人、夫が御姉様といっている人の老前整理の手伝いに行き、形見分けの仕分け。物の多い方で、随分捨てたのよと仰るが、最後の判断は他人には出来ず、取り敢えずは残したい人がいる物だけと、まだ捨てる訳にはいかないものを、仕分けした。勿論まだまだ荷物は残っていたが、3日間の日程でほんの僅かばかり手伝った。なにしろ到着第一日目は午前3:45分にお布団に入るまでおしゃべり。11:35分に八条口でピックアップしていただいて、お昼のお総菜を買い、お昼ご飯を豪華に食べ、夕方は銭湯に行き、といった状態。2日目は9:00に朝食。
お昼抜きでかたづけましょうと、午後2:00まではお茶も飲まずにいたが、炊飯器に残っている前夜のご飯で小さいおにぎりを適当に作り、休憩。引っ越し先の天袋に納めるお茶道具のあれこれを運ぶ。お夕飯を食べに入ったお店は何故か外国の方々でいっぱい。ここで「円安」を思い知らされる。ご飯の量が少ないので、情けないね、とつぶやかれる79歳に、おかわりしましょうか、と云わず終い。それで、夜10:00には、お腹が空くから寝ましょう。ということに。
3日目、話しが伏見稻荷に及び、まだお詣りしたことがないということから、帰りがけに行きましょう、ということで、見つからない物を探し、思わぬ所にしまってあったことに笑いあい、箱詰めを急ぎ、昼ご飯は、私が京都で展覧会を開催中によく行った、お好み焼き屋さんがいいと、云われ、ご飯も注文、味噌汁も注文。ご飯の量が前夜のようには少なくなかったので、お互いに安心の心地。3:00頃には探し物もみつかりガムテープで箱を閉じる。小さからず、大きからずの箱を道々で宅配依頼。一つのけじめが付いたと云われ、私のために伏見稻荷社詣り。境内は広く、やはり円安利用の外国人旅行者がなんとも多く、ここは何処っていう感じのお稻荷様。夕刻6:00近い。鳥居をくぐって、ヨーロッパの人たちがぞくぞく歩いている。私は池の畔で拍った柏手のこだまが示してくれる教えに有り難く、お詣り。この池の畔に何時もいるのという不思議な人にいろいろと教えて頂く。外国の人が奥へ奥へ小径を進んでいくと、ちゃんと英語で何処を目指すのか聞いて対応していた。スペインからの旅行者も多いということだった。
2ドル出してもタバコが買えないと、円高の時には日本に来なかったニューヨークの画商・Mr.Jainを思った。今年は来日あるかなぁと。
13日は日光東照宮・客殿での奉納の儀。男体山を仰ぎ、二荒山神社、日光山輪王寺に参詣。名物お土産らっきょうのたまり漬けを買う。この朝早く、淡路島で地震があった。知り合いには幸い被害が無く、取り敢えず安堵。日帰り強行ぐん。日光線車内もカップルは皆外国人でした。右も左も。
20日、横浜。県民ホールであった”日本におけるイタリア2013”に出品中で、イタリア作家作品を観ましょうと、出掛ける。パーティがあって、10人程のイタリアのかたがたが居られた。イタリアブースの作品群を鑑賞。うっかりメディチ文化協会正会員である自分の事を忘れてしまって、元ソフィァ大学の学長と仰る神父さまとのみお話しをした。日本語を話されるから。出品作は「花かざり」。担当者さんが選んだが、暢気なピンクや黄色の絵は無いから、社会的風刺性の強い作品群が列ぶイタリアブースの重みには、軽くお付き合い出来ず、ワインの置いていないパーティを少なからず恥ずかしくガッカリして、帰宅。今思うに、会釈を交わした女性とは名刺の交換くらいは出来ただろうに、反省、です。私の絵のある場所にご案内するには階段を上っていただかなければならず、などと、考えてばかりいた。
23日24日。被災地支援で二本松市に。夫と、友人の総勢5名。農家民宿を始める知人を応援。
まだ整っていない様子をみんなで見て、あれこれ加勢。周りの百日紅の花が咲き誇る頃にはツアーを組んで来る、という旅行業を営む友人は、飲食店も営み、料理指導に忙しい。我々は百日紅の記念植樹をしようと呼びに来て下さった、”するすべりさん”と、山の頂に。夫もスコップで小さな穴を掘り、記念植樹。京都からお客さまという4人組もおられ、8本の百日紅が新しく植えられた。内一本はこの夏には咲くだろうという。ツアーで来る予定の料理指導中で植樹祭には来ていない彼にその一本を割り当てる。京都からのお客様は、戦争中の疎開先を訪問中であった。そのとき住んでいた家は最早無い。今は、ビニールハウスがある所、という。過疎の地域。ご近所の人は、数少ない家に灯りが点っていると嬉しい限りと。そう語る人の奥さん手作りのおにぎりや漬け物をご馳走になる。夜には、八宝菜を差し入れして下さった。そうそう、朝はご主人が、おにぎりに味噌汁まで添えて、坂道を上ってこられたんだった。昨夜置いていった、車をとりがてら。おにぎり、多すぎて、みんなでそれぞれ夕飯にといいつつお土産にした。ラップで包んで。明日は雨だという、話しはやがて本当になった。桜吹雪まみれの車で、東北道を帰る。
行きは常磐道を北上。今が桜の見納め時、数多い桜を堪能。山笑う状態の福島だった。
26日青梅市の友人宅に筍掘り。今年はイノシシが出没していて、あまり収穫に期待しないでという友人夫妻。なにしろ鼻が低いところにあって、利きめの良い鼻を持っているイノシシとでは勝負にならない。それでも例年配る人6人ほどには配って周り、我が家で、6本いただいた。なにより友人の手作り料理をいただくことが一番の愉しみだから、筍は少なくても、、、、。27日夜、二本松市に一緒に行ってくれた友人、旅行業者をよんで筍ご飯を一緒に食べたのです。26日夜頂戴した石鯛2匹とカワハギ2匹を、鱗取りと、かわはぎで、すっかり腰が痛くなった夫は今日28日、昼ご飯前に昼寝をしています。
さて、五月。これからは絵を描きます。ゴールデンウィークが過ぎたらですが。まず、富士山を!です。
二本松市
古戦場の桜・ライトアップは今夜でお仕舞い。
明日は雨らしく朧月
14夜の月