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鎌倉古陶美術館での展覧会が決定する

 今後の予定の表示にありますように、鎌倉古陶美術館で、展覧会が出来ることになりました。来年のことですが、すぐにやってきますのが時期。北鎌倉駅の瑞鹿山円覚寺のご近所。並びにあります。描き始めておりますので、是非古民家の建築と庭園の様々なくさぐさ、そして多田祐子の作品を観にいらしてくださいますように今からご案内いたします。なかでも平安時代の陶器・土器、鎌倉時代の陶器・土器、大甕等数多の文化財が展示されております。これらの文化財との融和を念頭におきながら制作しましょう。

 
 逢い引きをするは先頃故人なり 悲運の皇子をみ大空(そら)に仰ぐ         祐子詠む

                                     皇子: 阿保親王
                                         懐良親王
                                         輪王寺の宮(幕末時代の皇子・上野寛永寺方)
 
 遅ければ日暮らしの門あとにせし 月澄む空にこころ遊ばず             祐子詠む

筑豊の邦

田川市における展覧会を開催するにあたってご挨拶とした中に、懐良親王の御霊安かれと祈念して、ということがあって、この地方の郷土史研究家、嶋井恒博さまからお手紙をいただいた。消印は9月16日である。筑豊の香春の郷に、応安元年(1368年)の秋に、懐良親王征西将軍は肥後国へ御下向の時、神無月(10月)14日、御輿をかきすゑさせ給ひ御詠されて「 駿河なる富士の高根と名のみきき 香春の里に富士を見るかな 」 「 磨かれて出づる鏡の山の辺の清き流にうつる月かも 」ということで、明らかにこの地方を通られたと、あった。「応永戦覧記」という書物に載っています。というお手紙であったのだが、今日は10月14日だ。あいにく新暦ですが。
懐良親王(?=〜1383)は第96代後醍醐天皇(1288〜1339)の第16皇子(第6皇子とも)で征西大将軍として九州に渡られた。書物で読んで惹かれた。惹かれているが正しい。

いつしかに訪ね来たりぬ 懐良の親王しのびし筑豊の邦
すくなからぬえにしはこたびむすぼれて 夏を久しく田川にあそぶ

パーティを明日に控えて芝生など 手入れさすなり 心映えのひと        これはギャラリーの主のことです。以上3首 祐子詠む

  なお 香春 は かわら と読み 懐良親王 は かねながしんのう である。

日光に行きました

10月の紅葉陽気に誘われて、平日を日光市の輪王寺に遊びました。実は隣接する小杉放菴記念日光美術館で開催されている「齋藤博之展」を観に行ったのです。孤高の画家の洋画と日本画と副題があって、ぺん画もあるのです。絵本の原画もなかなか楽しい達者もの。ぺん画での兵士の描写は絵本とはまるで反対。重く突き刺さるものがある。実際に兵役についた作家の訴えである。かっぱはいずれも飄々と真似の出来ない筆遣い。最も作者が得意とした「馬」は気高く“殺し合いをしない動物”として表現されている。
あんなに幅広く多岐にわたるモチーフで描いた作家を知らない。もちろん風景や静物も描かれ、裸体の人間やピエロ、大道芸人も描かれた。技法も異なるものを、優れた業績で孤高のままに多くの作品を残されました。19日までの展覧会ですが、かなりの作品群が寄贈されましたから、たまには企画展が催されることと思います。一度お出掛け下さい。
小杉放菴さんもふくよかな絵でした。以前日光市の市長さんだった清水比庵さんの書を観たいのですが、何処にいったならいいものか判りませんでした。
 時間がおしていましたが、兼ねてより参詣をと願っておりました輪王寺に拝観・参拝を果たしました。只今修理中でした。
二荒山神社にも参りましたが、大猷院さまにはもはや時間が足りずに次回に持ち越しとなりました。家光さま又参ります。

心願を 知るや日光輪王寺 蔦の紅葉葉 映えて老松     ちょっとおそまつ 祐子詠む
                              とても良いお天気さんでした

                           

10月5日

 東京銀座での、2009年国際児童年30周年にむけての、社会教育リナシメント選抜100人展も終わり、兵庫県立美術館での2008ハートアートコミュニケーション展も今日5日で終了。銀座の方は小・中時代が一緒の絵を描いているという友人が見てくださった。おはがきをいただいた。私のHPに立ち寄ってくださったことが判る。「MOMOYAMA]を展示した。フィレンツェ大学教授のピエールジャコモ・ペトリオリ博士によるとオランダのエミール・ノルデを私の絵から思い出すとのこと。エミール・ノルデを早速調べた。
私には似ても似つかずと思うがイメージは勝手なので----。もっともっと力強かった。とても楽しんで描いているというご意見には、そうそうと肯いた。もも=ピーチかというところで、安土桃山、鎌倉、江戸といったところの桃山ということを通訳を通してご理解をいただく。4号の小品。コレクターからお借りした。たった1度だけ展覧した作品。で銀座に飾った。
 兵庫県立美術館の方は20号の「カマル」。アラビヤ語で月。かまる。ちからまるに非ず。神戸に住むかっぱの仲間が観に行ってくださった。ありがとう。
 ブラジルの「桜香芸術祭in サンパウロ」も終了。こちらもHPに立ち寄ってくださった知人が、ブラジルのご友人に連絡してくださったとのこと。事前のPRが良かったらしく友人は知っていたわ。といって再度ご連絡をくださった。行くと言っていたわ。とも。行ったら泊まれたのに、ということも。残念ながら行かれませんでしたの。
 というわけで現在展覧されているところは、福岡県田川市のto.ko.po.laギャラリーのみです。写真はパーティの前日8月29日に芝生の手入れ、掃除をする庭師さんと、オーナーの内科医、消化器科医の神崎真一氏。常に「心の刃」に“錆びが付かないように” 磨きに磨いておられる先生。

パーティの前日8月29日に芝生の手入れ、掃除をする庭師さん
パーティの前日8月29日に芝生の手入れ、掃除をする庭師さん
オーナーの内科医、消化器科医の神崎真一氏
オーナーの内科医、消化器科医の神崎真一氏

10月3日 トコポラ後半2日目

 田川市の現代美術ギャラリーto.ko.po.la での後半が始まった。飾り付けをスタッフの桃子さんと中住きよみさんそして急遽園耕治?さんが手伝ってくださったとか。ありがとうございました。そしてご苦労様でした。会場の様子をメールで送信していただいたものをこのブログで紹介します。塩梅よく飾られております。

さて、10月1日に北鎌倉の古陶美術館の副館長さん・長谷川幹晃氏にお会いしました。2009年の秋に「鎌倉古陶美術館」で展覧会を開催できることが決まりました。
2010年の2月に北青山での展覧会が既に決まっておりましたので、出来ればもう少し前の時期と思いましたが、紫陽花の季節は定例の展覧会で埋まっておられるそうです。
平安時代や鎌倉時代の土器、陶器、大甕や貴重な文化財が古民家3軒分の美術館に展示されている。庭園も季節の草ぐさや白萩の花にあふれて秋たけなわ。静かな趣の美術館。
ここに多田祐子の絵を展示させていただく。1年間の準備期間で間に合うかどうか、走り始めようと思う。

ではto.ko.po.la の後半よろしくお願いいたします。

9月16日 

 富士宮市における2ヶ所の特別展が終わった。Rihei 蔵 の主 利一氏が作ってくださった今時タイプのおしゃれな芳名帳をみると旧知の方のお名前がちらりほらり。新しくお目見えするお名前が勿論多い。中に市長さんや教育文化課の方のお名前が3名さまあって、新聞の紙上によるものか、Rihei の主利一さんが印刷してお出しくださったDM
によるものか、その双方の広報で、より多くの方々にご高覧いただいた。一緒にタイランドやトルコに国際交流展で行った絵描き仲間のメッセージ“お元気ですか?”の添え書きがある。彼女もお元気のようすがわかる。
 今回の富士宮市での展覧会がにわかに開催されたいきさつは、増田屋さんの恭子さんのご協力、実行力、お世話力による。福岡行きのための車 キャラバンロングをお貸しくださり、車を取りに来るときに絵を何点か持っておいで、とのご意見があった。甘味処の“ぷくいち”さんにまず飾っていただいた。照明も、看板もあって芳名帳も準備していただき、無事に福岡県田川市に行き、帰って、田川市から持ち帰った大きめの作品を13点、今度はRihei 蔵に飾っていただいた。4日〜14日まで。主の利一氏がいろいろと面倒を見てくださって、急にもかかわらずに大勢のご来場であった。ほんとうに感謝の秋。
 ぷくいち さんはお客さんでいっぱい。ろくにご挨拶も出来ずに帰ってしまいました。お宮横丁は大勢の人でごったがえしていました。飾り付けの日の午前中とは趣ががらりと違い、人々に圧倒されるまま、浅間様にお参りを。3連休の中日、14日の日曜日であった。
 増田やさんの皆さん、ぷくいちのご兄弟、Rihei蔵のみなさん、そしてご高覧下さった多くの方に、ありがとうございました。
また、いつの日にかよろしくお願いいたします。

9.11

9.11。明日はあの忌まわしい「慰霊」の日。多くの人が亡くなった。夜テレビの画面でまさかの実況放送を見てしまった。はじめは映画か何かと思った。今思うと何故実況放送がなされていたのだろう。崩れるビルを目の当たりにした。逃げまどう人々を見た。一月以上も過ぎているのにまだ立ち上る煙を見た。36回目の個展をJMGで行おうという矢先のこと。アーティストとして何が出来るかと考えた時、キャンセルせずにニューヨークに行くことだった。ホテルをとってあったが、Mr. JAIN・画廊主が自宅に泊まることにこだわった。毎日一緒にバスと地下鉄を乗り継いで57丁目のThe America Art Gallery building に通った。そこでバスの窓から煙りを見たのだった。近くの地下鉄駅もすじかいをしたりする太い棒が痛々しかった。7年目になる。あの後2003年と2005年に行った。2006年のグループ展には作品のみで私は行かなかった。ニューヨークがだんだん遠くなる。私の体力が追いつかないし、金力も追いつかない。Mr. JAINが10月東京に来る。まだメールに返事をしていないが、私の予定とかち合わないと良いのだが。10月の下旬は甥の結婚式で仙台に行く。多分3日〜4日は田舎で過ごす。移動日をいれて。9日10日も予定あり。早くMr. JAINの予定を聞かないと。英語が達者じゃあないから苦労する。アメリカに行くと英語を勉強せねばと思い、日本に帰っては、それより絵を描かねばと思い、18年が過ぎた。

 さて、今年のはじめには何も予定がなかった。それが中住きよみさんからの年賀状によって田川市での展覧会になり、to.ko.po.laギャラリーでのロングラン多田祐子展が11月24日まで開かれる。さらには静岡県富士宮市で二ヶ所多田祐子展が開催されている。甘味処「 ぷくいち 」と「 Rihei 蔵 」。文具の利兵衛蔵はRihei で店内に川が流れている。どちらも看板があって、照明も設備され、新聞社が4社取材してくださった。ぷくいちは11日までなので明日終わる。Rihei 蔵 は14日まで。ぷくいちさんはもともとあんこ屋さんでクリームあんみつなど美味いものがたくさん。近くの方は是非お出掛け下さい。そして記帳をお忘れ無くお願いいたします。
そういう訳で今年は4つの個展ができたのです。
 トコポラのwebsiteはhttp://www.tokopola.com/です。こちらにもお立ち寄り下さい。

少々疲れています。頭がクリアーになかなかなりません。でも夢を見ました。不思議な夢です。教えて上げられませんが、なんだか心地の良い夢です。このまま絵が描き続けられると良いのですが。描き続けますとも。刹那消滅を。ではまた。

田川郡香春町の嶋井 さまへ

コンタクト から通信いただいた模様ですが、何故か返信が出来ません。そのまま返信しておりアドレスはいじっていないのです。赤村の方には返信できました。
この私のホームページのブログを是非気付いていただいて、もう一度電話番号でもお知らせ下さいませ。
懐良親王についての件とお察しいたしました。尚、
田川市美術館ではご高覧をいただきましてありがとうございました。

9月4日 

 九州は福岡県田川市に滞在すること10日。展覧会はまだ続くが、9月3日帰宅。ほとんど夫に運転させて。途中行きと同じく宮島SAで遅い昼食を摂った。行きに見られた景観は生憎。下りサイドで晴天の宮島や瀬戸内の海を眺めたことで先を急ぐ。天候が荒れているらしく、あちこちで大雨洪水警報が出されているなか、新名神高速道路の土山SAで夕食。20時。甲賀地方に大雨警報が出ているのでここで仮眠4時間。もう富士宮は近いという夫と富士SPで朝食。
 9時過ぎ、店内に川が流れ、蔵のある文具店「Rihei」 に13点の絵をハンギング。120号80号60号50号を含めて20号までの13点。趣の十分な蔵に入って、広い美術館とは又違った雰囲気に即順応する絵画を正座して見るのもいいもの。2ヶ所の新聞社の取材が早速あった。明日5日はもう一ヶ所の新聞社が取材をしてくれる予定。
 お宮横町 「ぷくいち」と 「Rihei 蔵」 の2ヶ所で28点の多田祐子の絵画を見られます。どうぞ多くの方々にご高覧いただきたく思います。

 さて、田川市では、西日本新聞社が取材してくださってカラー掲載。NHK福岡放送も美術館開催中に放送してくださったので、遠くからも興味をもった同じ美術家の方たちが駆けつけてくださった。朝早い時間帯の放映であったが、見ていた人たちはとてもキレイな色だったといって教えてくださった。急ぎ掲載やら放映やらにご協力くださったマスコミ関係者さんに感謝です。
 田川市では毎朝自炊をして健康に気をつけた。夜は滞在先の所から10数メートルくらいの所にある“海鮮茶屋”で、夕刻にただいまといっておじゃまをした。すっかりお世話になった。丁度中日あたりに夫金城の誕生日だったのだが、その日美術館に来合わせた茶屋の女将姉妹に、夕刻は一品なにか造っておいてとリクエストしておいたら、蟹が出されしかもお店からのプレゼントとのこと。次の日からも一品づつ多くいただいた。テレビ放映の在った日に又トコポラも含め姉妹で鑑賞に見えられて家族関係。

 以前に牛久市に住んで居られた荒川ご夫妻が現在は田川市の隣町、添田町におられ、荒川和子さんにもすっかりお世話になった。毎日美術館に来てくださって受付を手伝っていただいた。
入館者数を数えるということがあったから、受付が2人では窮屈で、田中ゆき枝ちゃんと3人で交代できた。トコポラのパーティでは蟹のハサミのサラダを大盛皿一杯に差し入れをいただき恐縮と共に有り難うございました。ご主人が東京では銀座や青山で毎回見てくださったとは知らずに居りまして、このこともびっくりでした。同順会にあったPIGA画廊から10年目だったとおしゃる荒川氏に、お礼を改めて申します。

搬出は荒川さんのお友達も手伝ってくださり助かりました。ハンギングの時はMr.Fujiwaraが高ーい脚立を上り下りしてくださり、照明も同時に調整してくれて
思ったよりも早く終わりました。その脚立の上り下りが搬出時はなくて大助かり。金城にやって貰うしかなかったのでしたが、彼も疲れていたから、やれやれでした。

トコポラの主はじめ、田川市のみなさんは親切で頼りがいがあり、陽気でおもしろい人ばかり。みんな名物人物でした。
まだまだ続く多田祐子展を宜しくお願いいたします。
特に家を貸してくださった中住きよみさん、私多田祐子を呼んでくださって有り難う。深くお礼を申し上げます。

ニューヨークと田川市の出会いによって

25日朝9:30〜 市美術館の飾り付けを、イギリスから帰国して加勢してくださったMr.Fujiwaraに加えて、千葉県佐倉市の田中ゆき枝さん。地元に住む、荒川和子さんとその従姉妹の方を加えて、夫金城の6名で無事16時頃に終了。

美術館の方は3号から120号までの39点を展示したが、発表出来ずにいたoil on paperの3点を飾った。15年前にニューヨークのアパートで作製した作品がようやく人目に触れる。
声を掛けてくださった中住きよみさんのおかげで、ニューヨークで出会ったときに作った作品を引っ張りだすことができ感謝。

田川市美術館
写真は全てMr. Fujiwara 撮影です。