第63回 嵐山もみじ祭りに参加

第63回 嵐山もみじ祭りに参加

 11月8日は63回目を数える京都嵐山もみじ祭りの日。夫金城の運転で葉山を出発したのが6日の午後11時過ぎ。土山サービスエリアで仮眠。私は一度も運転を交替せずに眠ってばかり。朝早く、貴船神社に参り、折良く7日は御火焚祭とあって護摩に願いをたくす。家族のあれこれも含め、今年は願成寺での護摩お焚き上げ祭に参加できなかったこともあって、幸いの一日。聖域での2時間。火渡りは残念ながら12時からとのことで、参道で焼きもちを買い次の予定先、舌夫妻のギャラリーへ。この焼きもちやさんで、舌さんのところにお土産、と言うと、このお店が「舌」のご本家さん。不足の40円をおまけして下さる。
 時代小説で読んだ徳川家重の見聞役三田村元八郎と黄泉の醜女の闘いをこの聖域に想像しながらお別れ。
 舌ヒデ子さんのかっぱさんをピックアップしようという予定が、梱包されておらずに、実際は9日に再訪問してピックアップ。北鎌倉の古陶美術館で出会ったかっぱさんファミリーが今、家の玄関に移ってきた。
8日。朝から温かい快晴の日。小川貴子さんの朝ご飯をいただき、嵐山に。もみじ祭りは三回目の参加。夫金城は真新しい雅楽装束。わたくしは、千早。巫女さん。紙縒で袖をくくったもの。お伊勢さまからの拝領物とのこと。畏れ多い。
 午後は角倉了以の偉業に力を貸してこの川で亡くなった多くの人々や、了以の母親に散華。河川開発工事をおこなった角倉了以の第17代さん、18代さんと共に船遊び。
保津川の両岸はカメラの放列。小川さんの平安管弦船は雅楽の音に迦陵頻伽の舞。上流で一度、下流で一度船足を止め迦陵頻伽のサービスの舞。お辞儀をする子供たちには拍手とカメラのフラッシュの観応。

金城は雅楽装束 私は千早
金城は雅楽装束 私は千早

 9日。神戸から合流している野崎波津子さんと、小川さんのご案内をいただいて再び嵐山に。大悲閣千光寺にお参り。2013年が角倉了以没後400年祭に当たり、わたしは100号の絵を2点描かせていただいて奉納の予定。100号2点のキャンバスは既に準備して地塗りも6回済んでいるが、いよいよお参りをすませ、描き始めたい。この栄誉をありがとうと申し上げ、お力をお貸しくださるようにと、祈念。険しく細い道。急坂ばかりでくねくね道。図柄は既に夢枕で教えてもらっている。
 8日船でご一緒だった千光寺の和尚さんは免許書き換えで、街にお出掛けとか。十分に場所やら未来のお堂完成図を見て、了以さんに朱印状を与えた徳川家康の大権現とあるお位牌にも手を合わせ、なにより聖徳太子にも縁あるこの千光寺を後にした。
 最後は一ノ宮の上賀茂神社参り。ここで引いたおみくじ“うるはしき神のみさとしあるからは 萬の願ひ叶ふぞと知れ”第一番の大吉であった。一年間のご報告。
願成寺さんへは今回はお参りできず終い。11月3日のご開帳の日には阿保さまがおみえだったと小川貴子さんからお聞きした。阿保親王堂の多田祐子の50号“明日会いましょここで”をご覧くださったそうな。有り難いことでした。

保津川