ようこそ多田祐子の世界へ

洋画家の多田祐子です。2007年6月から「Web サイト」を開設しております
<現在>
メディチ文化協会正会員
WAC世界文化交流会正会員
ハプスブルク芸術友好協会・宮廷芸術会員
ウイーン市芸術名誉市民
タイ国立シルパコーン大学客員教授 & タイ王室名誉技芸員
ベトナム ハノイ大学芸術部門 名誉客員教授
英国王立美術家協会名誉会員
そして
NA SILPA (芸術の顔)の称号をタイ王国から2006・11・17 に
世界的名作遺産作家認定証 を選考委員長クリスティーヌ・モノー(ル・サロン会長)氏より2011・12・1 にいただきました
エルミタージュ美術館(ロシア)からは「友情と芸術の鍵」を2011・12・30 にいただきました
アジア文化顕彰 ソムラップ・キティヤコーン殿下(タイ王国王族)創設(2012.8.30)受賞
エルミタージュ世界芸術遺産作家認定 ロシア芸術協会 & 選考委員長クリスチィーヌ・モノー(2014.3.1)

認定に関しましては様々な国や市から頂戴しております

また、次のところで展覧しております
【委託画廊:「Ashok k Jain Gallery 」ART d4】10 Grand Central,155East 44th ST. 6th Floor Suite 52 New York 10017
常設展示:「きままや」宮城県栗原市若柳川北新町裏250 090 2997 4465 
常設展示 : 「焼岳」奥飛騨温泉 奥飛騨ガーデンホテル & 朧

サッカー 少年

姪の息子、姪孫はサッカー少年。走るのが速い。先日駒場第二競技場での試合をライブで観戦した。
準決勝戦。早実との試合。3-0で勝利して翌日は決勝戦。修徳高校との戦い。7-0で勝ちインターハイ出場を決めた。
決勝戦にはイレブンに入っていなかったが、前日の健闘ぶりを掲示します。
高校前はFC東京に。小6の時に、確かマレーシアに試合をしに行き勝って来たのです.キャプテンでしたそう。
父親はラグビーを、母親はチェアーリーダーで、アメリカにも行ってコンクールをして来ました。
ではその姪孫の写真を載せます。

帝京のブルーのユニホームで、高く飛んでいます。
帝京のブルーのユニホームで、高く飛んでいます。
太一くんが7か8才の夏休み  奥飛騨温泉郷「焼岳」で
太一くんが7か8才の夏休み  奥飛騨温泉郷「焼岳」で
左はお姉ちゃんの叱琳(ペンネーム)右はわたしの夫 金城  この流れに魚が泳いでいる
左はお姉ちゃんの叱琳(ペンネーム)右はわたしの夫 金城  この流れに魚が泳いでいる

6月14日はハンガリーディというので

ランゴスというハンガリー料理を食べているというラインがあった。ハンガリーディということも教えてくださって、知り合いの写真入りラインから、ハンガリーの旅を思い起こしてる。2000年の2月に二度目のハンガリーを訪問した。
ハンガリー建国1000年祭という展覧会があり、国際議員連盟会長賞を頂いた。出展作とは別に、4号の小さな絵を
収蔵してくださった。国立民俗学博物館にそれはあると思う。
時の大統領 グンツ・アルパード大統領が現れて、握手を交わした写真がある。どなたが撮影してくださったものやら
記録がない。ありがたいことであった。
この前の1997年9月に初めてのハンガリーへの旅をした。ヨーロッパを良く旅する友人がウイーンへの旅にハンガリーが付いて来る、というので、列車の旅。エスカレーターの速いことに戸惑った。5000円だけ両替して、可愛らしいナプキン・紙類を購入。後に、ガーネットのカフスボタンなどを買うのだが、その時は1日の旅でウイーンに戻り、アートネット アカデミー ヨーロッパ巡回展に出かけた。全くどのように行ったものか覚えていない。
当時の地図上には、バスにも乗っているらしい。まぁ、とにかく展覧会の会場へは到着して、今探せないが、数枚の写真はある。この巡回展はイギリスにも渡った。
1997年の9月初めにパリに戻ったので、ダイアナ妃の事故現場、アルマ橋に行き、たくさんの人々と共に追悼をさせていただいた。随分と年月が経つている。
この後は友人とミョー市まで列車の旅を。途中で切り離される方の車両に乗っていたために、ミヨー市には行かないと分かり、友人とハイヤーを飛ばした。運転手にコンフォータブル! などと褒めて、急がせ、パーティに、間に合った。この時の旅では、いろんな絵を描き、わたしの傑作というべきものがある。「ダイアナ」「アルビの広場」
「カルカソンヌの青い月」。アルビやカルカソンヌにも行ったのである。列車の旅に慣れている友人が一緒だったからできた旅である。

長くなった。2000年のハンガリーへの出品作は、「アルビの広場」であった。「ダイアナ」は2015年のアートショッピングで、出展し、そのままいまだにパリに置かれている。

時の大統領 グンツ・アルパード氏 2015 ・10 ・6日死去93歳
時の大統領 グンツ・アルパード氏 2015 ・10 ・6日死去93歳
収蔵作品・「ラクダ」/エジプトで乗ったラクダ、不安定な状態を表現した
収蔵作品・「ラクダ」/エジプトで乗ったラクダ、不安定な状態を表現した
ガイドさんと
ガイドさんと
街でスケッチしている。撮影してくださった方に感謝です。
街でスケッチしている。撮影してくださった方に感謝です。

新作ではありません

今日は雨。何かゆっくりしている。
以前に作った千切り絵や、オイルパステル画を掲示していないものがあり、それらを、まとめた。
千切り絵は、全てではない。オイルパステル画も生憎と全てではない。
ブルネイダルサラーム国における、展示会の時に、しっかり撮影していないままに、くじ引きのプレゼントや、
お土産に各国の大使夫人、ご家族に使った。まぁ、3‥4点ではある。
どのような絵かは思い出せるが、もはや描けない。サインはしてあったが、裏書の証明証は、ないのが気になる.
ですから新作ではありませんので、その点はよろしくお願いします。

かっぱのTシャツ

何から書こう? 長くなる。
かっぱのTシャツが出来た。他にもトートバッグやステッカー、ストラップも出来て来た。
先に昨年の夏、非売品の缶バッチが出来、私は、実に350個の缶バッチを頂いた。
同好会である「かっぱ村」の幾人かには、配った。昨年のかっぱ村50周年記念祭で、記念行事を執り行った岩手県遠野市の常堅寺に集まって、祭りを盛り上げてくださった村民、そして、ご協力頂きました多くの方たちにも、小さな記念としてもらっていただいた。
ここで終わらなかった、というお話をします。(書きます)。
昭和50年8月、かっぱ探しに集まった中河与一、大野芳(ともに作家 ・共に故人)を中心に、50名ほどの人たちが、5日間、遠野市の中心を流れる猿ヶ石川でかっぱ探しをしたのである。
昔昔見たというお爺さん、十年ほど昔に見たというお爺さん、の二人が語るかっぱの形を黒板に描いたのが、当時の
助役・かっぱ村創設者の大野芳(二代目村長)に言われるままにです、多田祐子でした。
そのモンタージュが、近年といっても平成30年の発行の、遠野学叢書No.12という「遠野の河童」に掲載されていました。遠野文化研究センター編集・発行です。
執筆者で校正も担当された熊谷航さんからの連絡で当時の写真も何点か提供したことでした。
それと共に当時描いたかっぱの絵も掲載されていたのです。
当時のスポーツ紙にも載っていますので、黒板に描いたものを紙に書いておいたのでしょう。
あやふやな多田祐子ですが、黒板には白チョウクで書いたのでした。
50年の月日を経て、今、グッズの5種が、デザイナーの手で作られ、伝承園というお土産屋さんで、販売されはじめました。
この5月5日には浅草のかっぱ寺・曹源寺にて大野芳二代目村長と、かっぱ村民で鬼籍に入られた104名の方々の
ご供養をします。5月5日が大野芳さんの祥月命日で、「かっぱの忌」 と名付けた相談役は、大野芳さんの友人で、作家で編集者なのです。
モンタージュを描いてといった大野芳二代目村長には、よくよくご報告いたします。

それらのグッズを掲示します。

白地もあります
白地もあります
ステッカー/ 非売品かもしれません
ステッカー/ 非売品かもしれません
ストラップ  製作者の富川岳さん
ストラップ  製作者の富川岳さん
頒布製
頒布製
当時の新聞(スポーツ紙)
当時の新聞(スポーツ紙)
缶バッチ(非売品)ラリー完成者には配られるそうです
缶バッチ(非売品)ラリー完成者には配られるそうです

今四つの顔をアップしてみようと、思いましたので、覗きに来てください。
5〜6年前に描いた、子供の顔二人。と、今年描いた顔、ふたつ、です。
子供の顔はモデルがいるのです。今年の分は昨年見た埴輪展が頭のどこかにあって、出来たものと、
セレンデピティ的王子さまが、心のどこかにあったものが出て来ました。

知り合いの子供を描きました
知り合いの子供を描きました
先の子供とは従兄弟同士のお子。
先の子供とは従兄弟同士のお子。
埴輪展を見た影響
埴輪展を見た影響
セレンデピティからの優しい王子さま が出て来ました
セレンデピティからの優しい王子さま が出て来ました

春のアート展終了、スマートシップギャラリー

春のアート展の報告をします。春のアート展スマートシップギャラリーで開催された展覧会・グループ展には生憎と出かけられなかった。
4月15日まで、富士宮市・芸術空間あおきでの個展があり、終了とともに、施設に預かっていただいていた夫金城が帰宅。東京往復には時間がかかるために、残念ながら一度も覗けなかった。
油彩画一点と、オイルパステル画二点を出展。油彩画は新作でした。4号サイズです。
ギャラリーさんからの映像をアップします。

右から3点が多田祐子の作品
右から3点が多田祐子の作品
右 王子さま という4号サイズの油彩画
右 王子さま という4号サイズの油彩画
ご案内のハガキ
ご案内のハガキ

~ タイ国立シラパコーン大学創立80周年・日タイ芸術交流25周年記念事業〜

上記の記念美術展・タイ日文化交流美術展 〜 アジア美術の象徴 〜 が東京国際機関日本ASEANセンターで開催中。増上寺の近くにある。地下鉄御成門駅から直ぐのところ。
昨日、初日の夕刻にブッフェスタイルのパーティがあり、場所を移しての会場にはタイランドの国立シラパコーン大学学長をはじめ、大学関係者の方々が来日されての、懇親会が開催された。
日本側のアーティスト93名。タイランド側22名の出展、内
およそ100名近いアーティストがお祝いに、駆けつけて祝福の杯を重ねた。
ロイヤルパークホテルの有明の間。
あたらしい学長さん、そしてアートセンターの所長さん、すでに何度かお目にかかっているパンヤ先生と一言言葉を交わす。
タイランドの伝統的踊りのサプライズもあり、宴の夜は、終了した。
その一端を掲示します。

看板
看板
タイランドサイドの展示作品
タイランドサイドの展示作品
多田祐子と「五月のバラ」
多田祐子と「五月のバラ」
タイランド作家の作品
タイランド作家の作品
パーティ会場
パーティ会場
タイランドの伝統の舞
タイランドの伝統の舞
シラパコーン大学交流作家 という証明書
シラパコーン大学交流作家 という証明書
訳文
訳文
ご案内状
ご案内状

展覧会

昨日の夕刻、訪問くださった画商さんお二人。
長いおつきあいの一人と、一緒に奈良の吉野や川上村まで車で行ってくださった一人。
ご都合で、時間の枠を超えてしまったが、芸術空間あおき のオーナーさん、灯を付けて待ってくださった。
大急ぎで見ていただき、車で送っていただいた。

先の第70回展の会場を決めて来てくださった。
次の第69回展はすでに富士宮市でと、決まっている。
どちらも会場が広い。もう少し頑張る、と、決めた、この四月の前半でした。

2階  マジックアワー左  火焔土器右
ヤマブキの花 と 多田祐子
2階  マジックアワー左  火焔土器右

浅間大社

ここ富士宮市にお邪魔しています。もう6日目。未だに、浅間大社様にお参りをしないまま、時間が経ちます。
昨夜は桜花祭があり、狂言・雅楽の夕べ があり、特設舞台での狂言をのぞいた。大蔵流であった。
大蔵流の大鼓の大蔵さんは生前、葉山の長者ヶ崎で、月夜の晩に、大鼓の演奏を月に向かって奉納されておられた、そう。
お参りは出来ずじまい。お賽銭箱周辺まで行くことができない。
で、今朝、私を車で運んでくださるコレクターのきょうこさんに、浅間大社まで曲がっていただいた。
ようやくお参りができました。
産まれたばかりの、赤ちゃんのお宮参りが、二組あって、小雨模様の中、平和日本を、有難く見届け、お茶席のお菓子と、お抹茶を一服頂戴して、浅間大社を後にしました。
木花之佐久夜毘売命、大山祗神さま、ニニギノミコトさまには、大変遅くなりましてのお参りをいたしました。