上賀茂神社と願成寺と

 京都の東福寺塔頭:願成禅寺の苦労消除祭/阿保親王堂ご開帳は11月3日。紅葉には少し早かったが、夫金城と友人の篠原孝子さん、野崎波津子さん(神戸から)の4人で参詣。2日の午後2時には到着した。篠原さんは、花を生ける小川貴子さん(願成寺の理事)の手元としてお手伝い。金城は何やら諸々。わたしは苔の上に落ちている笹だけの葉を拾い、兎に角庭師のたまごらしいおにいさんの手伝いを。これが大変。踏みたくはない苔。チョツト踏まないと届かない落ち葉。2時間少々の奉仕作業。5時野崎さんの待つホテルへ。夜は小川さんのご案内で庭園の素晴らしいト コ ロへ。
3日朝、はじめに上賀茂神社に。明治節の行事でにぎわう境内。先ず社務所に寄り、お神籤のことやエルミタージュ美術館収蔵の件をお話申し上げる。“うるはしき神のみさとしあるからは万の願ひかなふとぞしれ”のおみくじを引いた翌年にエルミタージュのお話が有った。今回歌をご奉納しつつ、ご報告を、と申し上げる。すると思いがけずも、昇殿のお許しがあって、今しも明治節の式の最中である沢山の神主さんがたがお祈りを捧げておられる近くから、私たちも2礼2拍手の参拝がかなう。その後宝物殿にご案内をいただき真にもったいない朝の出来事。最高のステージを予想しませんでしたから、皆でいいのかしら?いいのかしら?。和歌を準備したこと等金城にも言っていなかったので、社務所に突然消えた私をどうした?と思って呆れていたら神官様の行列のあとから付いて来るように指示があってびっくりの4人でした。
 さて、急ぎ願成寺へ。お寺さんですが阿保親王の親王堂があり“阿保大明神”として祀られ、墳墓もあるのです。もう震えはきませんが、初めて境内に足を入れ、荒れ放題の様子や墳墓まであることで、鳥肌が立ち呼吸が苦しくなり目眩がしました。御可哀想。大明神の祠も実に小さい物で崩れ落ちんばかり。今思っても涙が出そうです。
在原業平、行平、大江音人のお父君。第51代平城(へいぜい)天皇の第一皇子。
桓武天皇のお孫君。今回ホテルの隣が護王神社。桓武天皇をお護りしたという和気清麻呂とその姉君が祭神。なんともいえず京都は難しい。行きたいところが多く、急ぎ行きたいものを、そうはさせてくれないのです。
 とにもかくにも、お隣に桓武天皇ゆかりの神社さん。みんなでお参り致しました。
来年は源氏物語の楽水苑と鳥羽離宮跡にも参ります。そこまで行くと平等院が近い。2泊3日では無理でしょうねー。

モスクワ国際芸術博覧会での賞

Heart art in MOSCOW: モスクワ国際芸術博覧会の賞状が届いた。 文化親善名誉作家認定証とモスクワ文化遺産至宝賞というものであった。 文化親善名誉作家認定証はロシア国立芸術アカデミー総裁のズラブ ・ツェレテリ氏のサイン入り。文化遺産至宝賞はどうも主催者であるHeart art Communication からのもの。日本現代芸術の発展および日本文化の普及に大きく貢献し独創性の高い素晴らしいものとして評価されました。とあった。博覧会全体からの賞状だから文句を言ってはいけない。しかしズラブ氏のサインがこちらにもあったらもっと嬉しかった。 絵は青い月の “嬉野の月” The moon of Japan であった。 ありがとうございました。

掲載の絵が違っていて、「若草」が載っています。本来の絵が載せられず、どうすればいいのか判りません。(修正しました)

佐賀県嬉野別館でのスケッチから
The moon of Japan
佐賀県嬉野別館でのスケッチから

作品を追加しました。

10月31日、MR.Fujiwara の更なるご協力をいただき、作品を旧作に新作を加えて追加しました。あまり多すぎるので、いずれは前ページといった具合にしたいと思います。
 さて、本日は絵画教室を実行してくださった母校の校長先生と全校児童のお手紙が届きました。1年生から6年生までの全員が私にお手紙をくださったのです。教頭先生が
先頭に為られて、何か子供達と共に感想文などを書いていると聞いていたので楽しみにしておりましたら、6冊の文集になって届きました。それぞれの表紙が花束で飾られて。ハートが上下にいつぱいならんでいる。中身の用紙にも工夫があって、柿の実をついばむ小鳥だったり、毛糸かごに毛糸と入っている子猫、靴の中にどんぐりとリス、かごの中の果物、たぬきが両手を広げていたり、栗の実だったり。なんというステキさ。それに思い思いの色がぬられている。あれあれ絵画教室は必要なかったか、と言うほどの出来栄え。参りました。こういう工夫をする時間を持てる児童たちは幸せ。良い母校を誇りたいです。みんな一様に大きな紙にみんなで絵がかけて楽しかったとあって、私もとても嬉しく、文集は宝物になりました。全員のお手紙を読ませていただきました。
 あっ、子供達に運動のことについてはなにも言わずに終わってしまいましたが、運動もとても大切。勝ったり、負けたり、精神性を考えるとき鍛えてくれるのは、勝負事。みんな身体を鍛えて大きくなろう!
今日はありがとうございました。fujiwaraさんも先生がたも子供達も、父兄のみなさんも。

母校小学校のPTA会長さんからのお手紙と掲載新聞到着

先日の母校での絵画教室、子供達の反応はまだ分からない。絵を描くことが好きな子供は風邪ぎみでも楽しみにして学校を休まなかったという情報を得ることができた。
私もPTAも初めての体験。児童の代表が「全校で絵を描くのは初めてでたのしかったです。また遊びに来てください」とお礼を述べてくださった。PTA会長の三浦健さんもこの体験が「芽吹き」となってもらいたいと、私の寄贈した120号のタイトルにかけておられる。また、私の活動の成果の程を故郷全体で念じておりますとあり、プレッシャーもあるが、ありがたい励ましのお言葉。
河北新聞が同封されていて大きなカラー写真を含めB5サイズの記事にまとめられていた。
さて、近々website HPホームページの作品を新しいものにしようかと思いつつおります。今度は25点程しかないのです。初めは52点でした。少なすぎでしょうか。
注文が来ませんので、寂しい気持ちです。注文はtakefreeのマガジンに掲載の話のみ。
掲載料をこちらから取るという悲しいもの。文化活動は地味で哀しいものです。
今日はこの辺で。また。

故郷の有賀小学校で

 10月12日に招かれて母校の有賀小学校に行きました。全校児童84名に幼稚園児の数名と参加してくださったお母さん方を加えて8チームに分かれ、体育館で絵画教室を体験しました。
幼稚園児の子供達は畳2枚分の大きさの紙。後のチームは畳3枚分の大きさ。小さな手に大きな刷毛を持ってもらって先ず地塗りから始め、花を描くチーム、葉っぱを描くチーム、魚のチーム、木の実のチーム、動物チーム、野菜チームと縦割りのチームがありましたから自由に描いてもらいました。ママさんチームには少し難しく乗り物をテーマにしました。空を飛ぶものと、文房具チームは残念ながら割愛。地塗りから何処まで完成に近づけるか時間との関係で心配もないわけではなかったのですが、進むうちにみんなはかどってきて、空きスペースには好きなものを描いてもらい、更に縞模様やよろけ縞を加えたり、☆模様を加えて画面をしめてみました。幼稚園児の子供達は虹を描きましたが、手首の力がまだ備わっていないので、刷毛を使ったりといったことや、紙が大きかったので大変そうでしたが、どうにかきれいに仕上がりました。ママさんチームも地塗りが美しく全体にまとまってできました。児童の6チームも1年生から6年生までの混成でしたからおもしろいものが出来ました。体育館の中央に8枚を縦に並べて見ました。1時間30分位の絵画教室でした。
体育館の2階に並べて展示してくださるそうな。写真が届くことでしょう。とても楽しみです。みなさんお疲れさまでした。楽しかったです。

44回目の展覧会を終えて

長いような短いような人生の中で先月30日に44回を数えた個展が終わった。数多の国際文化交流に関わってその出品料の支払いに苦しんでいる私に神様はあまり微笑んではくださらなかった。で、もう国際交流は止めなければと思うのに今年はインドとの間の
日印文化協定締結50周年にあたるそうな。まあとにかく色々と計画企画実行される。今、ヌーボウジャポニズムの時らしく、葛飾北斎に学んだ時以来の日本美術、
“日本芸術”に大きな期待が寄せられているそうだ。一方ではやはり励みにはなっている。
 個展で今回お買い上げくださった小学校以来の友達(同級生)は老人施設に勤めているが、その施設にしばらくは飾っておこうと言われた。以前は看護婦長という難しい
仕事をこなしておられた。そんなお話であったから、友達を偉いと思うと共に、ありがたかった。お年寄りに元気をあげたい!と言って買ってくださったんだから。
 さて、11日から小学校に講演に行くために出掛けます。講演依頼でしたが、みんなで絵を描こうとおもいます。講堂で。

日マレ友好50周年大賞

前のブログで賞をいただくとやはり嬉しい、と書きましたが、書いた後すぐに連絡が入り日本マレーシア友好50年の交流を記念しての展覧会で大賞をくださったそうです。
「日マレ友好50周年大賞」です。なにやら子供たちが大勢私の絵の前に集まって見ていたそうで、改めて検討、討論があったそうです。「カマル」という題名で猫を描きましたが、とても気高い猫なのです。まだしばらく手元には帰ってきませんが、10月には
戻るでしょう。NYの画商Mr.Jainと来年2月末と3月初めにドイツのArt Show に出点するのですが、さて此の「カマル」を持って行くかどうかは考えてみたいと思います。モナコに出展しようとしていたのですが、モナコには間に合いませんでした。
モナコではセルジュ・リファール賞(フランスの有名ダンサーで舞台監督の名前)を
モナコ政府から頂きました。『振り向けば』という作品でした。フランスのル・サロン現会長クリスチャン・ビエ氏が軽くタッチしておられます。
 さて、もうすぐ44回目の個展が始まります。後1〜2点仕上げたいと思いますが、
うまく仕上がるかどうかと、いったところです。
 ああそういえば今モスクワの芸術アカデミー美術館での展覧会が始まっているのです。見に行きたかったですが、かち合いましたし、今金欠の病に冒されていますので
ジイッと我慢です。では、どうぞ銀座1丁目5−6フタバ画廊でお待ち致しております。

「カマル」

芸術親善大使として

 7月28日~30日にかけて、マレーシア独立50年記念・および日本マレーシア国交樹立50年ということで“東方友好交流展”があった。これもどうにか出品したが、ツアーへの参加は出来なかった。WAC世界芸術文化交流会正会員としてはWACのメンバーにマレーシアが入っている以上、出品要請が(担当者を介してだが)再三に為る前に出品した。9月に入り、イタリアからの楯が届いた翌日、マレーシアからも楯が届いた。
芸術親善大使 と英語で書かれてあった。マレーシアはイスラム圏でアラビア語を話す人が多いと聴いているので絵のタイトルはアラビア語で“カマル”として出品した。月という意味。しかしムーンと表記されていてがっかり。
 さて、「国力」には文明に文化が伴わなければなりませんから、及ばずながら、国際文化交流に貢献してきた。もはや、金銭的に底をつきましたので、これからは、
「家計力」を養いわねばなりません。たった今もTELがあった出品要請をも断らざるを得ませんでした。海外に文化を輸出するのには多額の費用がかかるので、我々芸術家はそうとう大変。大家と呼ばれる方々の作品は保険が高額なのか、取り扱わなさそうですし、(大家の方もお出ししておられる方もいらしゃいますが)何かもう
少し企業や政府の後援があってもよさそうなもの。
 私のそもそもの海外への出品は、外国の美術館に日本人の絵画が無い(北斎はのぞいて)のでつまらないから、少しでも収蔵していただこうという思いからはじまった。それが、なかなか難しい。収蔵したいという話がない限り、輸出入の点数をあわせなければならない。国際交流展なのだから。
 たった今断った出品要請のことを考えながらーーーーー。

日伊芸術使徒賞 をいただきました

イタリアのヴェローナに於ける「 第4回 日伊芸術驚異と美の饗宴 」(7月20日から22日)がグラン・ガルディア宮で開催されたのにともない,“ウイーンの森の恋”
を出品していたが、タイトルのような賞をいただきました。8月29日に賞の楯と共に
訳文がとどきました。PREMIO DEDIZIONE ARTISTICA NIPPO-ITALIANO と楯に
ありました。ヴェローナはロミオとジュリエットの舞台とか。行ってみたいのがやまやまでした。請われての出品で、出品料の支払いがやっと。そういう状態ですからとても残念でしたが、ツアーには参加できませんでした。
 さて、酷暑が続きました。庭の木々に水やりを怠り、枯れそうな気配がしていたのです。昨日の雨で助かりました。ここの山の上に畑をもっている小父さんが時々肩に水の
入ったポリタンクを担いで坂道を登っていかれるのを見つつ、ホースでの水まきなど
出来ませんでした。水不足の地方もありますし、野菜がどんどん値上がりしていて、雨雨降れ降れと天に祈っておりました。そういえば19日の日曜日の氏神様のお祭りの日に作ったゴーヤーチャンプルーとタコ飯が御神輿を担ぐ担ぎ手の方達によって
お褒めの言葉をいただきました。来年も作ります。来年は水不足がなく、ゴーヤーの
値段がそこそこだといいのですが。

日伊芸術使徒賞 Premio Dedizione Artistica Nippo-Italiano

7月20日から22日にかけてイタリアのヴェローナ グラン・ガルディア宮で行われた
「 第4回 日 伊 芸術驚異と美の饗宴 」 において 日伊芸術使徒賞をいただいた。8月29日に楯と訳文が届けられた。発表作品は “ ウイーンの森の恋” 20号。 ありがとうございました。