筑豊の邦
田川市における展覧会を開催するにあたってご挨拶とした中に、懐良親王の御霊安かれと祈念して、ということがあって、この地方の郷土史研究家、嶋井恒博さまからお手紙をいただいた。消印は9月16日である。筑豊の香春の郷に、応安元年(1368年)の秋に、懐良親王征西将軍は肥後国へ御下向の時、神無月(10月)14日、御輿をかきすゑさせ給ひ御詠されて「 駿河なる富士の高根と名のみきき 香春の里に富士を見るかな 」 「 磨かれて出づる鏡の山の辺の清き流にうつる月かも 」ということで、明らかにこの地方を通られたと、あった。「応永戦覧記」という書物に載っています。というお手紙であったのだが、今日は10月14日だ。あいにく新暦ですが。
懐良親王(?=〜1383)は第96代後醍醐天皇(1288〜1339)の第16皇子(第6皇子とも)で征西大将軍として九州に渡られた。書物で読んで惹かれた。惹かれているが正しい。
いつしかに訪ね来たりぬ 懐良の親王しのびし筑豊の邦
すくなからぬえにしはこたびむすぼれて 夏を久しく田川にあそぶ
パーティを明日に控えて芝生など 手入れさすなり 心映えのひと これはギャラリーの主のことです。以上3首 祐子詠む
なお 香春 は かわら と読み 懐良親王 は かねながしんのう である。