• 17.9 x 13.9cm / 2007
  • 72.7X60.6cm/ 2007
  • 41.0 × 31.8cm / oil on canvas / 2013
  • 80.3X100cm/ 1996
  • 53.0x53.0cm / oil on canvas / 2010

6月4日

数年おきにおそってくる「ミシン掛け作業」が今年あって、梅雨にはいる前のほぼ1ヶ月間に「袋物」を何口か作った。以前熱海のイベント“物産展”で
古布を手に入れていて、ハサミを入れるには惜しい柄向き。大事に仕舞いすぎていて探すこと一週間。タンスの奥に見付けたときには、思わずため息が
でた。何でこんなにも下のほうに? と。小さな古布。美しい雅な柄で紅絹(もみ)というにふさわしい。三枚の古布で作った袋物を今毎日取っ替えひっかえ手に、わたしは得意。裏地はオーガンジィ。一つ、四才の姪の子にあげようと思っていたのだが、わたしが一番気に入っていて絶対に私の物と決めた一品
を「これ貸して」 という。貸してあげた。で、あげようと思うものを「これカンチャンにあげる」と言うと“いいの?” って聞いてきた。ここでわたしは
いいのよ というべきなのに ウッ ってつまっちゃた。で、結局は四才のカンチャンはどれも持ち帰らずに私の手元にある。こどもが、いいの?って
聞くくらいに手触りといい、美しい布なのだ。お手玉を入れたりして遊んでいたのが、わたしの一品。四歳児のためにかわいらしくオーガンジィの裏地を
工夫したのに置いて帰った。もう一枚布地があるからこの次までには彼女専用のものを縫おう。
それとオーガンジィ、ゴースともいうらしい布を四枚重ねにして「バッグ」を二個作った。ゴースでバラの花を作り9個づつ縫いつけて。
縫い憎い布なのでちょっと手こずった。頭のなかに描かれたバッグはとても美しいのに出来栄えは半分。一個は迷惑でも“イメージのひと”に差し上げた。
もらっていただいたというのが正しい。まあ車の中に置いていただいて、物入れにということで。もう一個はわたし用。こちらは途中から少し飽きが来て
ちょっといい加減。和裁の先生に薔薇の花の作り方を教えて上げた。5月31日の雨の土曜日。今村洋子さんというやはり手作りのモダンなバッグを手にして来られた美人の先生に。この方のバッグを真似して今度はまた何年か先に「ミシン掛け作業」をしよう。
ほぼ一ヶ月間布で遊んでいたら、今日、額縁やさんが遊びに来た。額縁の注文はなし。絵が動かない。額の注文が出来るように絵が動きますように、お祈り
しましょう。そろそろ絵を描こうと、昨日画材やさんに溶き油を注文したところだった。先月100号サイズ2点の地塗りをして大量の絵の具と溶き油を消費。溶き油が少なくなると、トーンが落ちて急に絵が描けなくなる。
梅雨。つゆの季節は夫の会社の決算時。この時期に決めたのはわたし。雨ですから、静かに帳簿の整理をするにはもっともの頃合い、と。
では、左脳を使ってからまた右脳の仕事をしましょうか。右脳が喜ぶから、左脳を少し使いましょう。儲かっていないけれど。

5月27日

ホームページを開設して一年になる。沢山の方にお立ち寄りいただいてありがたい。コンタクトはあまりないが。展覧会の海外企画や、国内企画の方面からは電話がしきり。雑誌関係もまた。最近は応じることが難しい多田祐子である。たったひとつのメセナが終了したから。
さて、田川市での展覧会のことだが、現代美術ギャラリー・to.ko.po.la さんが8月21日からの開催で11月24日まで。中10月1日に掛け替えをする。
田川市美術館は8月26日から31日まで。土曜日の8月30日夕刻6時半からパーティ・レセプションをto.ko.po.laさんのほうで計画してくださる。
この日の市美術館は閉館時間を7時と延長してくださった。市美術館とto.ko.po.laギャラリーの距離は徒歩4〜5分。大勢のかたに観ていただきたいものだ。
レンタカーを借りて、フェリーでお台場から門司経由での運送を考えている。どちらの会場も狭くない。レンタカーの大きさで、今のところは100号のS
サイズは無理ということが判った。2005年の宮城県迫桜高等学校での故郷展の折にもこのSサイズはあきらめざるを得なかった。また物置におきざりかと思うとかわいそうな気がする。物置というと悪い。倉庫です。
7月の開催でクロアチアから招聘状つき展覧会出品の要請があるが、今回は出品出来そうにない。クロアチアとの外交開設15周年事業とのこと。「千羽鶴」
外交のみにさせていただいた。
とても爽やかな5月の“雑叢園”から、ホームページ開設1周年を記念して。また。

5月25日

昨日Mr.Claudのロフトで沢山のコラージュを制作した話をした。そのなかの一点Mr. Claud をご紹介します。
私がコラージュで 彼のイメージュを 作ったなんて当の彼は知りません。その後会っていませんので。
そしてこのコラージュはただいまは動物作家で「たまご博士」の吉村卓三氏がお持ちです。よく似ている同士 というわけで。

Mr.Claud

5月24日

 ニューヨークレッドスクェアーシンフォニーハウス アルフレッドと住まひしを想ふ
「揄 雨」(雨垂れ のイメージ)という題名を付けて手作りの豆本歌集を出したのは2006年の2月。52冊という限定で、主にコレクターにのみ渡った。
カタカナ文字の歌が難しかった。という知り合いがいて、どれ? と聞くと、上記の歌。夫金城が可哀想だとのこと。ハハン。してやったり。
実は3つともアパートの名前でアルフレッドはコロンバス大学の近所。実に思わせぶりな名前で、誤解を楽しもうという気持ちが働いた。誰も言ってくれなかったからつまらない想いで数ヶ月が過ぎたころ、ひとりだけ感想を聞かせてくださった。後の人たちは皆引っかからなかったとしても、まず成功。きっと遠慮しているのだ、ということにした。
ニューヨークに行って初めはハウストン・ストリートにあるレッドスクェアーに縁があって住んだ。次に行った時もレッド・スクェアーだった。3回目が
シンフォニーハウスで、4回目がアルフレッドという。いずれも高級アパートだった。5回目6回目はコロンバスサークルの近くのホテル。この間に夫と
共に5月のゴールデンウィークに行ったときはブルックリンに住んでいたMoMoちゃんの処に厄介になった。で、9/11 の大惨事があった年の10月はギャラリーの主が自分の処に泊まることを望んでくださり、その気持ちをいただいた。毎日バスとサブウェイを一緒に乗り継いで24W,57丁目の画廊に通った。3歳年下なのに年上の気の使いようだった。次からはニューヨークで出会って友達になったChapaさんのアパートに2回お世話になった。
私は都合10回もニューヨークに行ったのだった。8回位と思っていたけれど、住んだところを思い出してみると違っている。
モノプリントの制作をしたのはホテル住まいの時。そのコロンバスサークルの近くのホテルに滞在したのは確か3回だ。ニューヨーク滞在中にアルゼンチンに行ったが、帰った時に泊まったからそれで3回だったのか。帰ったとき部屋が違っていて元の部屋に替えてもらった記憶がある。それも違っていれば
ニューヨーク行は11回ということになる。経歴に間違いがあってはならないので、もう一度記憶をたどらなければならない。アルゼンチンには日本アルゼンチン修好百周年記念事業“日本の秀作美術展”が開催されていて私も出展していたからブエノスアイレスまで一人旅をした。1998年9月だった。ついでだが、風邪をひいて日本領事館に行って風邪薬をいただいた。吉野さんという男性に。ここでお礼を言いたい。
レッドスクェアーの他にも初めの滞在時は3ヶ月間で都ホテルからMr.Claudというひげのアーティストのロフトにも住んだ。ロフトの破れ窓からジャズダンスの激しいレッスン風景を夫と一緒に見たが、いかにもニューヨークの稽古風景で、ミュージシャンのバックダンサーは斯くも激しいものかと深く記憶に残っている。Mr.Claudはその後何処かに住まいを替えた。彼の飼い猫の世話を頼まれての短い滞在だったが、ここで何枚ものコラージュ作品が出来た。勿論油絵も描いた。彼の奥さんのビデオでサウンド・オブ・ミュージックを4回も見た。奥さんは30回見たと言っていた。大きな鏡を使っての作品を制作していたMr.Claudのアパート名は生憎覚えていない。ソーホーだった。1990年12月に出掛けて1991年2月に帰国した。

画商Mr.Jainが次はいつ来る?と言ってメールをくれるのでニューヨークのことを今日は書いた。ではまた。

4月29日 昭和の日

ご無沙汰しておりました。すっかり初夏の気配。若葉 青葉が日差しに美しい。ここ葉山の我が家は静か。先日(4月19日)に2010年2月の展覧会をほぼ決めて、また力をいただきました。北青山のコンセプト21ギャラリーさんです。ほぼ、 というのは今度略歴やら作品の写真を持参の上で決定です。新しい物ができたならいいと思っています。
 25日に友人のところに竹の子堀に行き今少し腰が痛くて、夫に日頃の運動不足をなじられています。竹の子ありがとうございました。

世界の平和

 先日東京都立産業貿易センターで開催された“地球を護る美術展”で マレーシア赤新月社(赤十字社)から「世界平和特別使節」の認定をいただいた。また、田川市から帰宅したあと一枚の表彰状が届いた。〜世界平和祈念芸術文化功労者〜 芸術文化促進政財界推薦大賞 と謳われて
いて、世界中の芸術界でご活躍され実績評価が高く 日本を代表とした芸術家として 平和を祈念し文化の促進をもたらし 政財界に好影響を与え 芸術を通じ国際貢献されました ウンヌンカンヌン  とありました。くださった方にはお目に掛かったことはないのですが、政財界との関わりがあるのですね。もう少しといいますか、もっと沢山といいますか、国際文化交流に関して後援していただきたいと切に思います。われわれ
作家がどれだけ協賛費用を出してきたかしれません。日本ブームがつづいているのは決して悪いことではありませんが、こうも世界中から芸術の分野での国際貢献を強いられると、家計に歪みが生じます。政界のかたがたは、ボランティアを知るべきです。財界のかたがたは儲けを還元していただきたい。何億という近代美術品をお買いになることと共に、さらに現代美術にも目を向けてください。本日はこれまで。

4月5日:清明も過ぎて

 福岡県田川市に行ってきました。市の美術館および現代美術ギャラリーto.ko.po.la さんに。お互いにご近所でしたが、市美術館の学芸員の二人の方にお目に掛かりました。to.ko.po.la さんのお手配で、時間どおりに初顔合わせ、打合せ、会場下見が半日で終わりました。to.ko.po.laギャラリーも決して狭くなく、市美術館のB室は28mの長さ、幅6.15m。しかもto.ko.po.laギャラリーさんのスタートが8月21日。そして
11月24日終了の長期間に。途中展示替えが聞き届けられて10月1日に入れ替えと決まったのです。今、展示する点数を数えているところです。
 田川市教育委員会教育部文化課の方の名刺には“月が出た出た 月が出た  サノヨイヨイ” と炭坑節の歌詞が印刷されていて、2本の煙突とボタヤマが高くそびえています。今はボタヤマを見ることは出来ませんでした。炭坑節のふるさと 田川市 と隣の赤村に行って、私の展覧会を
夢見てくださったNさんのお世話になってきました。菜の花畑と桃の花、そして咲き始めた桜のはなを車窓に眺めつつ1泊2日の旅でした。

3月19日お彼岸です

 ここでまた「貧乏虫」に取り憑かれっぱなしのわが身にぞろ、出展依頼やら掲載依頼が舞い込む。どうしたものか。断るもののご理解いただけない。“ウィ”っていうまでには根負け状態。しかし現在はどうにもならない。日本の芸術家は昔はいざ知らずスポンサーが付かずに道楽状態のまま世界に打って出た。道楽故に良いものも多い。
 この先世界中の芸術家はどう動くのだろう。フランス国も発表しづらくなっている。あのフランスが、だ。グラン・パレなど改装したから最早無料とはいえずに、芸術家を困らせている。ああ,あまり愚痴は言うまい。されど
“ほそぼそとわがゆく畦(くれ)の径つきぬと想ふ小夜更けこころ細さよ”  祐子詠む
本日はこれまで。

3月12日

 一昨日漸くにして確定申告を終えました。すぐにも絵を描き始めなければならないところを、ご褒美にと又江戸時代は家定の頃の草子を読み始めた。一日一冊。
そうしているうちに、ハート・アート・コミュニケーション審査委員会から先日の第11回エイズチャリティー美術展(国立新美術館)の賞状が送られてきた。「現代美術文化特別貢献賞」とあった。生意気を言わせていただくならば、もう賞はいらないところだ。沢山いただいたから。“晏子”曰わく。「名誉は盗まれることがない」。そうだけれど。
ブンカトクベツコウケン 有り難うございました。国立新美術館に観に行ってくださった方々にご報告致しましょう。
 それから第45回多田祐子展は福岡県田川市美術館でいたします。同時開催でそのご近所のギャラリーto.ko.po.la さんでもお世話になります。今年の全力を注ぎます。
宜しくお願いいたします。

酒井さん?

 鎌倉市に住む友人酒井夫妻が近く家を新築しようと土地を探し、買った。夫人が、同じ酒井さんという方から買ったの。とおっしゃる。酒井忠康さん?とわたし。そう、と酒井夫人。へえ、おもしろい。ご存知?。ご存知と言うほどではないけれど、平成4年の夏に、フランスのマルモッタン美術館長さんだったころのアルノー・ドートリブ氏を神奈川県立近代美術館にご案内して、酒井館長さんにお会いした。16年も前のことで、チケットを買わずに入館したことや、館長室に通して頂いたことを覚えているが、後は、何が
企画されていたか記憶にない。その2年前にはやはりフランスのポール・アンビュー(現テーラー財団会長)氏を鎌倉にご案内した。その時の館長さんはやはり酒井さんだったかと思うのだが忘れている。ポール・アンビュー氏は棟方志功記念館の企画の方が興味深かった模様で、熱心に見入っておられた。それから後、ジャン・マリ・ザッキさん(もちろんフランス人・レジョンドヌール勲章受章者)をご案内したときにもやはり酒井さんが館長さんだったと思うのだが、このときには生憎と館長さんはお留守だった記憶がある。ザッキさんを葉山の「山口逢春記念館」に案内した時には時間切れで残念ながら見ることが出来なかった。“折角世界のザッキが来たのに”、と私が言って、帰ったのだった。いずれも通訳の方が勿論ご一緒。ドートリブ氏の時やザッキ氏の時には欧州美術クラブの代表、馬郡俊文氏が付き添って来られた。建長寺や大仏を暑い中ご案内した。昼は竹薮が多い蕎麦どころで戴き、500羅漢さんを楽しんで頂いた。
ポール・アンビュー氏のいらした季節は丁度葉山の神明社の祭礼の日で、お神輿を担いで日本の祭りを体験して頂いた。この時の通訳は友人の画家・小園ケイ子さん。丁度夫金城の誕生日で、ポール氏は当時はとても高かったドン・ペリを注文してくださって、ホテル音羽の森でのディナーが盛り上がった。“貴女はいつも今日が結婚記念日”とか言って、とポール氏が冗談を言ったから。その前年にポールさんのところ、クレルモンで、丁度6月6日の結婚記念日に絵を一枚仕上げ、夫にプレゼントしようとした“6月の庭園”があり、その事をしっかり覚えておられた。今年は年賀状もいただいた。それは私の宝の一つになった。
 酒井さんの土地はやがて同じ酒井さん、お医師夫妻によってデザインされた家が建つ。楽しみにしている。先日遊びに来た酒井氏の3歳の息子は言った。大きい絵が欲しいね。と。我が家の壁中に飾ってある絵をあれこれ見て、うちのは小さいねぇ。と母親に言っていたことを私は聞き逃さなかったの。フフこれも楽しみ。宜しくお願いします。

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