• 12 × 10cm / oil pastels on paper / 2004
  • 72.7X60.6cm/ 2003
  • 50x31cm / Collage / 2010
  • 53X45.5cm/ 2007
  • 53X45.5cm/ 2006

3月12日

 一昨日漸くにして確定申告を終えました。すぐにも絵を描き始めなければならないところを、ご褒美にと又江戸時代は家定の頃の草子を読み始めた。一日一冊。
そうしているうちに、ハート・アート・コミュニケーション審査委員会から先日の第11回エイズチャリティー美術展(国立新美術館)の賞状が送られてきた。「現代美術文化特別貢献賞」とあった。生意気を言わせていただくならば、もう賞はいらないところだ。沢山いただいたから。“晏子”曰わく。「名誉は盗まれることがない」。そうだけれど。
ブンカトクベツコウケン 有り難うございました。国立新美術館に観に行ってくださった方々にご報告致しましょう。
 それから第45回多田祐子展は福岡県田川市美術館でいたします。同時開催でそのご近所のギャラリーto.ko.po.la さんでもお世話になります。今年の全力を注ぎます。
宜しくお願いいたします。

酒井さん?

 鎌倉市に住む友人酒井夫妻が近く家を新築しようと土地を探し、買った。夫人が、同じ酒井さんという方から買ったの。とおっしゃる。酒井忠康さん?とわたし。そう、と酒井夫人。へえ、おもしろい。ご存知?。ご存知と言うほどではないけれど、平成4年の夏に、フランスのマルモッタン美術館長さんだったころのアルノー・ドートリブ氏を神奈川県立近代美術館にご案内して、酒井館長さんにお会いした。16年も前のことで、チケットを買わずに入館したことや、館長室に通して頂いたことを覚えているが、後は、何が
企画されていたか記憶にない。その2年前にはやはりフランスのポール・アンビュー(現テーラー財団会長)氏を鎌倉にご案内した。その時の館長さんはやはり酒井さんだったかと思うのだが忘れている。ポール・アンビュー氏は棟方志功記念館の企画の方が興味深かった模様で、熱心に見入っておられた。それから後、ジャン・マリ・ザッキさん(もちろんフランス人・レジョンドヌール勲章受章者)をご案内したときにもやはり酒井さんが館長さんだったと思うのだが、このときには生憎と館長さんはお留守だった記憶がある。ザッキさんを葉山の「山口逢春記念館」に案内した時には時間切れで残念ながら見ることが出来なかった。“折角世界のザッキが来たのに”、と私が言って、帰ったのだった。いずれも通訳の方が勿論ご一緒。ドートリブ氏の時やザッキ氏の時には欧州美術クラブの代表、馬郡俊文氏が付き添って来られた。建長寺や大仏を暑い中ご案内した。昼は竹薮が多い蕎麦どころで戴き、500羅漢さんを楽しんで頂いた。
ポール・アンビュー氏のいらした季節は丁度葉山の神明社の祭礼の日で、お神輿を担いで日本の祭りを体験して頂いた。この時の通訳は友人の画家・小園ケイ子さん。丁度夫金城の誕生日で、ポール氏は当時はとても高かったドン・ペリを注文してくださって、ホテル音羽の森でのディナーが盛り上がった。“貴女はいつも今日が結婚記念日”とか言って、とポール氏が冗談を言ったから。その前年にポールさんのところ、クレルモンで、丁度6月6日の結婚記念日に絵を一枚仕上げ、夫にプレゼントしようとした“6月の庭園”があり、その事をしっかり覚えておられた。今年は年賀状もいただいた。それは私の宝の一つになった。
 酒井さんの土地はやがて同じ酒井さん、お医師夫妻によってデザインされた家が建つ。楽しみにしている。先日遊びに来た酒井氏の3歳の息子は言った。大きい絵が欲しいね。と。我が家の壁中に飾ってある絵をあれこれ見て、うちのは小さいねぇ。と母親に言っていたことを私は聞き逃さなかったの。フフこれも楽しみ。宜しくお願いします。

地球を護る美術展東京都立産業貿易センターで開催

銀座画廊美術館は変更になりました

桃の節句です。

 江戸時代の浪人ものや岡っ引き、はたまた裏同心ものを読み続けて、やがて弥生。確定申告の事も気になりながら、桃の節句や啓蟄が近づき日差しが強まるなか、恒例の桃色
五目ご飯を5回作った。16軒分宅配をお願いして、如月もお仕舞いなのでもう終わりです。桃色五目はブルーベリーで作ります。ブルーベリージャムがあとわずか。私の春の生理現象に夫は付き合わされて5回も食べ、いや、今夜は食べた内に入らないから4回になるけれど、いずれ明日のお昼には食べさせられる訳で5回になるはず。
 3月3日にお届けでは世の主婦の方々に申し訳ないから、2月中のプレゼント。
 いまここで、嬉しい電話。コレクターの一人、同級生から “絵を買うよ”。って。何という吉報。次のカタログを作るまではいかないが、兎に角今ある支払いのあれこれが出来そう。国際交流の出品料や絵画雑誌掲載料、額縁、画材、年鑑社のカラー掲載料で消えてしまうが、滞っていたから、何とも嬉しい。今日2件あった出品の連絡は断った。今の私には出来そうにもない。最も大きいメセナが消えたのだから。とにもかくにもありがとう、同級生の奥様に感謝。お買い上げの絵は3月下旬に 東京都立産業貿易センターで開催の「地球を護る美術展」 に出品しているので、お届けは4月になります。さて、カタログを作りたいと思っていますが、その訳は8月26日からの福岡県田川市美術館での展覧会と、その近所のギャラリーto.ko.po.la さんでする展覧会のためなのです。田川市美術館はとても広い会場で、ほとんど手持ちの作品を全部運びます。これから倉庫の中の大きな作品を点検します。to.ko.po.laさんはもしかすると3ヶ月間の長きに渡って開催してくださる可能性があるので、この件も嬉しい限です。たとえ1ヶ月としても有り難いです。お話を持ち上げてくださった女性は14年前にニューヨークで出会った絵画教室の先生。ご自分の指導する子供達の絵画とともに私の絵があったらいいなー
と、思われたそうで、それが実現します。遠くからそんなことを思っていてくださる方がおられたなんて、びっくり! 今彼女はそのことで走り回ってくださっているのです。有り難う。
 長い間ブログをご無沙汰しておりましたが、江戸時代の読み物を読みふけって、一方では田川市のことに神経がいっておりました。また、23日の皇太子誕生日の土曜日に、甥の一人が赤坂の氷川神社で結婚式を挙げました。田舎から弟が来まして、我が家にも一泊。しみじみと厳かないい結婚式だったことです。午後から大風が東京に吹き荒れたあの日でした。翌日も天候は大荒れで、弟は仙台まで帰るのに7時間あまり掛かったようでした。仙台に住む孫の“おくいそめ”に予定より6時間も遅れての一日でした。お疲れさま。そんなわけで、長い冬が終わります。シリアに行っていた我らがMr.FUJIWARAも無事に帰ってきました。
 あっ、ドイツのカールスルーヘのアートショウが突然私の予定から消えたのは、ニューヨークの画商さんが抽選ではずれたということを2月10日になって言っていたからです。ちょつとがっかりでもあり、すっきりでもありました。全ては貧乏の所為です。ではまた。

1月28日月曜日

先週はグループ展が銀座と国立新美術館の両方であり、電車に乗ってばかりいた。国立新美術館はハートアートコミュニケーションの主催でわたしは「カマル」アラビア語で「月」を出品している。13室で、入って直ぐの処に飾ってあった。3階の奥が会場。2月4日までの期間。銀座の方は終了。「嬉野の月」を出品していた。
28日月曜日の昼前にスーパーに行くと、知り合い3人に出会う。その中の一人に、車汚いねー、洗いなよ。とご注告をいただく。ハイと言いつつ洗わずに帰宅。スーパーに粉セッケンを買いにいった。洗濯物がたまっていたので洗濯を。後は電車の往復中に読み続けている江戸時代の岡っ引きの文庫本に神経が行く。暮れから29冊読み今30冊目。
キャンバスが届いているので地塗りを始めなければーと、気になりつつ読みふけっている。いつも冬は冬眠だったわよ! と自分と戦っては1790年頃の徳川家重、家斉時代
を楽しんでいる。
スーパーで出会う人は午前と午後又夕刻では違うということも分かった。3人のうちの2たりは私のHPに立ち寄ってくださる方がた。ノロウイルスのことが話題になり、ニュウヨークのことが話しに出る。2月9日にニューヨークの画商Mr,jainと会う。ドイツのart showについてkarlsruheに行く?行かない?行かれない、といった会話が予想されるが
そんな話しをする。昨年5月にお世話になった小坂サロンの彼女は真新しいBMWに乗って笑顔で帰っていった。
さて、またまた江戸草子にもどりますか。

特異日 1月17日

湾岸戦争勃発日  神戸淡路大震災の日 貫一お宮の金色夜叉ー今月今夜の今日。何も起こらないことを祈る。ここ数年はおめでたくない私の誕生日だ。もう13年間はお祝いをしていない。姪がケーキを贈ってくれた。15日に届くように手配したらしい。私の大好きなチョコのケーキ。夫とすぐにカットしていただきまだ半分はある。今日も密かに戴こう。良いこと以外はどうぞ起きませんように。ここ数年の祈もまた新たに致します。

あけましておめでとうございます

1月1日
神明社へ。31日23時45分。夫は既に出掛けている。一人暗い夜道を地元の天照大神さまに元朝参り。すでに多くの参詣者とお世話役の方達が、0時の時報を待っている。ここまでは除夜の鐘の音は届いてこない。太鼓の音を合図に新年が明ける。4番目にお参り。1年間の恙なき生活を願う。神酒と甘酒それにねずみのお守りを頂戴する。夫は午前3時半に帰宅。午後3時過ぎ鎌倉へ出発。同級生のあの有名な漫画家の二階堂正宏氏が展覧会を開催中なので鎌倉駅前の会場に顔を出す。その後、八幡宮に参る。200万人以上の人出の中、夕刻といえども縄規制のため凡そ45分後に漸く本殿前にたどり着く。住所と姓名を告げ今年の安寧をお願いする。夜空が美しい。7時半過ぎ、葉山元町の森戸神社にお参り。こちらでは、世界に貢献出来ますようにとお願いする。元旦3カ所の神様を巡るのは久しぶりのこと。途中でお腹は拵えていたので、バスに再び乗って帰宅。5時間の元旦の散歩が終わる。星がたくさん瞬いて美しい夜空。
1月2日
遅い目覚め。お雑煮で朝の食事。Mr.FUJIWARAと一緒にと思うがTEL繫がらず。二人で兎に角元旦と同じような物を。12時、MR.FUJIWARAが空いた器を手に、新年の挨拶に玄関に立つ。良いところに来た、と言う夫はパソコンで聴きたいところ有り。お雑煮を温めたり、餅が焼き上がるまでの間
パソコンの指導を。田舎から送ってきたお餅は美味しいのでご馳走しがいがある。私も勿論パソコンのHP最終仕上げをしていただく。
さて、次なる絵解きは、三日月を取ってとかっぱにお願い中の“ねずみ”です。まあるい月は既に手中。本年も相変わりませずよろしくお願いいたします。

2007 /12 中旬以降 

宮城県栗原市有賀小学校
16日
子供たち小6年生に5年生一人と4歳のゆなちゃんが加わっての絵画教室。お父さんたちは校庭に篝火。お母さん達はお昼のすいとん (方言ではっとう汁)づくり。14人の6年生。まさに“オパール”か“真珠”。はたまた上等な“漆=JAPAN”めいた子供達。知らない
うちに合間をぬって寄せ書きをしていてくれる。隣区の先生(こどもたちが1年生の時の担任)も、おばあちゃんも担任の先生もありがとうございました。勿論校長先生も親御さんにお昼を準備に一度帰られたりと、ありがとうございました。
17日
 帰宅。 弟の運転で駅まで。小雪が舞う。
18日
多田祐子日曜絵画教室修了証追加分と訂正分作制(名前を一人間違える)お手紙添えて発送。

かっぱ村
19日
かっぱ村公報の校正
20日
かっぱ村公報の校正  OK出し
21日
かっぱ村封筒の準備を小林和美さんと。夫は仕事の報告書を。パソコンの前に日がな一日ならずこれから26日まで続いた。

国際こどもふれあい展
22日
表彰式&懇親パーティがあり銀座へ。氷雨の夜。 マレーシア大使もお目見え。250人以上のパーティ。私も社会教育芸術家の認定をいただく。楯で。タイランドの子供たちとの共同制作の1回目は夢中になりすぎて独り占めを。失敗。2回目は外から観察。これらの2回の経験が母校で活かされた。

ご近所の訃報
23日
通夜  追浜へ
24日
葬儀  追浜へ       この夜半から腹痛と嘔吐はじまる。

医者へ
25日
ノロウィルスと。3日分の薬をいただく。
26日
腹痛 2日間ベッド
27日
腹痛残っている。年賀状作制。シュミレーション通りにはなかなか手におえずMr、FUJIWARAにSOS。
28日
かっぱ村公報出来てくる。夕刻より道(我が家の当たりのみ)の掃除。有賀小学校からお手紙あり。親御さん代表や子供達から感想文集。先生からのメッセージ。いつ撮ったのか沢山の写真。新聞の記事。新聞の記事には安心を覚える。説明している暇がないと言ってしまっていた私。絵を描くことが好きになったという子が多くいて嬉しい。また、写真は卒業アルバムに載ることも嬉しい。
29日
朝の雨上がる。松の枝を剪る。門松と生け花やお墓に。午後お墓参り。その後中川久世さんと かっぱ村公報発送準備を。夜は夫と中川さんの3人で、“ゆうちゃんごはん”でささやか忘年会。 夜中年賀状をポストしに行く。
30日
午前中換気扇とガスレンジの掃除。力が出ない。夕刻から夫が私の書類の整理を手伝う。わたしも渋々従う。整理整頓は苦手。

大つごもり
31日
午前中かっぱ村公報発送。2008年1月1日号。銀行が昼12時までだったかもう閉じていて、なけなしのお金でかっぱ村に立て替えるはめに。いつも午前中でおしまいだったかしら? しまったもう少し早くするんだった。その時12時5分。残念。かっぱ村は カードなし。買い出し。いろいろと頂き物があるのに塩とか砂糖、野菜がない。黒豆を煮るときあやまって塩をどっさりこんといれて、夫には内緒でなんとか洗い流してかえって旨い黒豆ができた。更に一度あることは2度ある。豆を(黒豆ではない)又煮ようと一昼夜水に浸して、又塩をどっさりこんといれてしまった。思わず”またー”って言ってしまった。夫、またーって?。聴かなくていいことは聴いている。で前に覚えた技で、旨い豆の出来上がり。(29日のこと)
午後3時半。一色に蕎麦を食べに行く。Mr.FUJIWARA とその友達仲里君、にCA帰りの佐藤昌平君が加わる。混んでいて、30分以上待つ。てんぷらそばと思ったのに、Mr.FUJIWARAがあまりお腹が空いていないとのこと。田舎蕎麦の大盛りに山菜そばや、ざるそばにかわり、夫は旨い酒と酒の肴。今年も良い一年でした。ありがとうございました。夫は夜10時半から神明社に。甘酒を参拝者に振る舞う役員さんの一人らしく、いつもはさぼるのに、お墓参りの時に、31日は大変ですねー、という声が掛かったのだ。
もうすぐ22時。お酒で寝ている夫をそろそろ起こしましょうか。皆さまも良い新年をお迎えください。また来年も宜しく。

奥羽鎮護 一ノ宮 勅宣日宮駒形根神社拝殿に参詣

ちょくせんひるみやこまがたね と読むとのこと。太古より日宮と呼称。「日本武尊ご東征の折、大日めの尊外五柱の主神に祈願創建」(めの文字が難しい)とある。駒形嶽=栗駒山の古名を奥宮、沼倉の地に里宮を祀ったと由緒書きに誌され、夥しいご宝物・古文書が秘蔵されている。大和朝廷の蝦夷平定に伴って社勢隆盛。延暦20年(801)坂上田村麿が奥羽鎭定を祈願とある。その他由緒書きによると、仁寿元年(841)年に神階正五位贈、清和天皇貞観元年(849)勅使下向正一位贈称号賜勅宣日宮が史料にあり、延喜弐年(901)神名帳登載。下って?保三年(1743)桜町天皇より御宣命と御宸筆の扁額を賜る。諸々の御神徳があり、分けても車社会の今日、交通安全の神としても効験著しいと脚光を浴びている。
 ということを知らずに、12月15日土曜日の昼前に従弟の鎌田清の運転で里宮の駒形根神社にお参り。有賀小学校の先生のお一人がこの神社の禰冝さん、と前回訪問の折りに弟から聞き、次は是非お参りをすることを決めてあり、従弟と岩ヶ崎の里宮に。宮司のお父上さまはおみ脚が少しご不自由。禰冝の先生は大国の主神のお札を氏子の各家庭にお届け中。もうすぐお正月ですから。お母さまが折良く焚き火をしておいでで階段がおよそ200段あることや禰冝の先生のこと、宮司さんのおみ足のこと等伺う。200段の階段を上って、さア、ここ栗駒山の麓で18年間育んでいただいたお礼やら京都の一ノ宮上賀茂神社さまとのご縁を戴いていますこと、こんなに近くに一ノ宮さまがおわしましたか、知らなかったとはいえご無礼をいたしました。絵を描いておりますが、ロシアのエルミタージュ美術館に収蔵という栄誉をいただいたことなどということをご報告し今後もどうぞよしなにとお願いいたしました。
従弟の清さんは枯れ杉が落ちて階段を埋め尽くしているので、大きな枯れ杉の枝を手にご奉仕の清掃に早移って降って行く。私が声に出してご報告しているのを聴いてはいけないと思っているらしい。下りていくと、お母さまが、パンフレットを手に待っておられ、禰冝の先生の奥様もお帰りになられて、ご挨拶できました。
尚ここ栗駒小学校で、その昔清さんの父上が教頭先生であったことを、おかあさまが話してくださり、やはり悪いことは出来ないという結論でした。

有賀小学校での日曜絵画教室

12月16日日曜日。寒風吹き荒ぶ中でのスケッチ。親御さんたちが迫桜高等学校からイーゼルを借りてきたという具合に気合いが入っていた。子供たちには道具の使い方を教えて上げる絶好の機会かもということもあり教室を出た。風対策を施してくださるお父さんも現れ、篝火を燃やし続けてくださるお父さん方。朝、雪が降り、空気はピーンと張って「禊」以上のきれいさ。しかし1時間半が限界。体育館に入る前に、お母さん方が暖かい飲み物を運んでくださる。ありがたい。体育館に移動して、日曜絵画教室は少し残念ながら、戸外での制作をあきらめる。水彩を施す前に暖房で暖まる。さて、思い思いに、6年間通った校舎に思い出を重ねてそれぞれが描いたスケッチに地塗りをさせる。
子供たちは固まりたいらしいが、自分の心と対話してほしいので、一人になることを強いる。顔が皆違うようにイメージも違って当たり前。それぞれのイメージで出来上がった物を尊敬するのが人間ということを今回は教えたかった。12時。まだまだ終わらないが、お母さん達が昼食のすいとんを大鍋で運んで来てくださる。手作りの熱いすいとん。日曜日返上で校長先生も勿論担任の先生も付き添ってくださっていて、全員のご家族、おとうさん、おかあさん、おばあさんの付き添いもある。(このおばあさんが私の詩集“ペンネーム・河名千絵”の第一と第2の詩集を持って来られた。)5年生の子と4歳の女の子が参加してくれていたから、総勢40人は優に超える数。数えるべきだったと今思っているのです。この子供達が一年生の時に担任だったという隣区の小学校に通う先生も子供の成長が見たくてお土産持参でご参加。熱いすいとんをお代わりして、美味しい漬け物は箸休め。デザートはりんご。一時間の昼休みの後は、温まったことと、元気を付けたことで、1時間程で出来上がる。ちょっとアドバイスを上げてサインをしてもらう。日付も加える。6年生14名に5年生の一人と4歳の子の
16枚の作品を横一列に並べてみんなで改めて鑑賞。同じようなものは一つも無い。
一つの校舎を見て描いた絵にそれぞれの思いを加えたことによって、個性溢れる作品が並んだ。みな優しいことがわかる絵で色調がおだやか。絵が好きという感想文を書いていた子はそれなりのことはあって、頼もしかった。が、ちょっと少しアドバイスを。心に少しのすき間が感じられたから。手作りの修了書を一人一人に渡す。
子供達は絵を描く間に寄せ書きをしていたらしく、温かい寄せ書き色紙を花束と一緒に戴く。午後3時。終了。お父さんの一人に送っていただく。参加した子が3人の親御さんでした。さて、初めの方で新聞社の取材の方がお見えになり、質問があったのでしたが、もう始まっていましたし、寒い中を子供達を待たせられずに、“ 何か応えている暇がないわ”等といったことで申し訳ありませんでした。

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