• 15.3 × 12.3cm / oil pastels on paper / 2012
  • 17.9cmx13.9cm/paper& oil on canvas/2009年
  • 22.0 × 17.0cm / oil pastels on paper / 2013(個人収)
  • 33.3 × 24.2cm / oil on canvas / 2013(個人収)
  • 50x31cm / Collage / 2010
室町時代の九州探題のひとり
了俊は探題今に生きてあり 
今川通り県道ならんか
懐良親王が征西将軍として戦い
ついに勝つことが出来なか っ た相手
を讃えて

昨日のつづきです

 さて、長い間あこがれの皇子であった懐良親王さまに墓陵参りというかたちでお会いでき私の思い出が出来た“遙拝”であったのです。
 で、いよいよ長期間の展覧会も明日で終了、という日に観に来られた女性は、翌最終日も来てくださった。しかも母上様を伴って。雨の一日。氷雨の中を嶋井さんもご来場。 この展覧会を計画し実現をしてくださった中住きよみさん、再びお家を提供していただきまして、重ね重ねありがとう。現代美術ギャラリーのオーナーの内科医・神崎真一先生も、スタッフの丸山桃子さんもその他、皆さまのお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。
 毎夜食事では美味しい海鮮料理を食べさせてくださった海鮮茶屋の女将さん家族、また田川に行くことがあったら顔を出します。
 桃子さんの叔父さんのステーキを食べに桃子さんの運転で飯塚市までドライブ。柔らかくて胡椒の具合も良く旨かったです。翌日梱包作業を始めようか、という時、そのステーキ「豊」の叔父さん、叔母さんがケーキを持って来てくださって、ケーキを頂戴し、別れがたいところを時間切れで帰ってきました。
 カーナビが相変わらずデタラメで、道を間違えてしまいさんざん。黒崎というところのガソリンスタンドで教えていただき、都市高速にのり、なんとか30分違いのJR"のぞみ"に乗車出来、無事に帰宅。レンタカーを返却する場所もちょっと違っていました。従業員さんが連絡してくださってなんとかオーケーだったのです。
そんなこんなの福岡行でした。あ り が と う ご ざ い ま し た。

山あいにひっそりひとつの星となり 月を眺めてこの先ざきも

懐良親王を讃え忍んで
山あいにひ っ そりひとつの星となり
月を眺めて このさき先も
さにづらふ紅葉かりつつ小石原
車止めたり 陶の里とて
いつの日にかまいります屹度
次回は大勢でと願 っ ています

福岡県田川市での展覧会は終了しました

 8月21日から始まった現代美術ギャラリーtokopolaでの展覧会が11月24日終了した。斯くも長く開催していただいたことははじめてでした。21日からお礼かたがた福岡県に。駅レンタカーを借りてまず322号線を香春まで。神宮院で嶋井信恒氏と落ち合い、ご案内をいただいた先が河内王の墳墓。河内王は持統天皇3年に太宰の帥として下向、持統天皇8年(694)にこの地に葬られた。と、嶋井氏からいただいた郷土史誌に。さて、懐良親王が小富士と詠んだ小富士山が直ぐ目の前あって、なるほど富士山。「駿河なる富士の高根は名のみ聞く香春の里に富士を見んとは」と詠われたという。万葉の里として文学散歩で有名な鏡山を「磨かれて出づる鏡の山の辺の清き流にうつる月かも」と詠まれた。応安元年の秋のことであったそうな。嶋井氏にご案内をしていただきながらギャラリーの閉館時間も気になり、小1時間の歴史探訪を終え田川市へ。
 嶋井氏はあらためてギャラリーに訪ねてくださった。その時には星野村に行ったことの話しが出来た。22日の土曜日は快晴。レンタカーのナビは古いらしくてとんでもなくデタラメ。田川市を出るのに20分もかかってしまう。同じ道を行ったり来たり。とうとう持参の地図を信号で止まる度に頭にたたき入れては2時間半のみちのりをひた走った。二つの峠を越える。ヘアピンカーブの連続。「遠ければ急ぎ行くなりつづら折りカーブ重ねて星野の村に」と車の中で口走ったりして。美しい見事な棚田が見える。あっもう星野村だ!
と思って走ると突然右手に石碑があり「懐良親王終焉の地」とある。いきなり右折。道が広いことと、車が通らないこともあって停車。交通違反?を思わないでもないが--。
 宮内庁の菊紋がまぶしい遙拝所から山に向かってご挨拶。菩提寺の大円寺は左手直ぐ。境内にはいる前の駐車場に歌碑があり“山深かくわれからむすぶ草の庵に人もすむとや月のもるらん」。境内に“日にそへて遁れむとのみ思ふ身にいとど浮き世のことしげきかな”。この歌は知っていて悲しみも深くなる。奥のほうに菊池から政所として嫁いでこられた姫の五輪塔が。お参りをして写真に納める。人気のないことをいいことに私はその昔、菊池武光と共に九州に王国を作ろうとした親王のことを忍びつつ、九州の地で展覧会をしていますことを告げ、見ていただけたでしょうかと問いかけ、まだでしたら明日までです、と、ひとりごち。丁度良い具合でも、資料館には入ることが出来なかった。やがて、2人の子連れの夫婦が入ってきたので写真を一枚撮っていただいた。なんでも相談事が在ってきたらしい。畑の方からご老人がやって来、ご住職とは思いつつも帰路につく。
 棚田が見事な休憩所にはやはりだぁれもいないので、車を止め、持参のお茶と小さいおにぎりをふたつ広げて懐良親王さんにお供え。約10分。車が3台、オートバイが2台止まり、独り占めならず再び峠を上り下りのマイ・マーチ。途中杷木の柿を買い、蕎麦を食べ、陶の里で小皿3枚を購い、田川に帰ってギャラリーへ。
(後はあした。にします。さっき一度全てを消してしまい再びで疲れました。さっきの方がズーと良い文章だったのですが思い出せません。おやすみなさい。)

香春の小富士
懐良親王の遙拝所
トコポラオーナーの神崎さんとなかずみさん(右)

京都嵐山紅葉祭り

 暦にもあるように、毎年11月第2日曜日は嵐山もみじ祭りが京都の嵐山、渡月橋あたりで開催される。縁あって1995年、1996年と2回参加した。近年は11月3日の願成寺のご開帳に行くため難しいものがあって参加できない。9日の日曜日に大阪などからの訪問者の方々に、このもみじ祭で「麿」の格好をしたという話しを我が伴侶がしていたので写真をお見せしようかと思ったが、すぐには出てこなかった為に話しが中途半端に終わった。今日はこの「麿」の“超盛装”を、websiteでご紹介。大阪方面の“見たかった”という女性の方々のためにいたします。ひとつ、歌を添えてみました。

 骨を病む伴侶を今日も働かす 弁当もたせ たつきのために

1995年11月もみじ祭
1996年11月もみじ祭

京都旅日記

今年も願成寺の苦労消除祭に行ってきました。願成寺は東福寺の塔頭のひとつで願成禅寺ともいう。11月3日はお祀りしてある阿保親王堂のご開帳の日。この親王堂の中に多田祐子の作品“あした会いましょここで”50号が、ありがたくも飾られている。護摩札のお焚き上げのあと火渡りも行い、一年間の“芸術上達”や家内安全を祈念して一つ苦労もお預け、まぁもろもろのことを阿保さまに交信してまいりました。今回は、西京区の大原野辺りに参りまして、阿保親王、伊都(登)内親王、在原業平の親子お三人さまが並んで眠る五輪塔の在る竹やぶを探して、無事お参りを果たしました。張られてあった結界は、畑仕事をしていたお婆さんに“おかあはん、業平はんにお参りをしたいのですが” と声を掛けることで解決。このおばあさんにお参りの後お礼の言葉をと思って畑に行ってみると最早姿なし。朝露と草ジラミが靴やパンツにいっぱいの小径を歩きました。この後、大原野神社に参り、桓武天皇ゆかりのひと日でした。業平はんは、桓武天皇のひ孫。阿保さんは孫。桓武天皇の皇子、阿保さんの御親、平城天皇陵は奈良にあって未だ参拝かなわずですが。
 旅のつれづれを下記します。詠みしまま:推敲はこれからします。おかしいところはお教え下さい。

大原野にて
    佇みて 業平はんも西行も行き交はしたりと思ふ この径

    草草をとり払ふとき はつかにもこころかよふと 不敏(おろか)にも思ふ
   
    五輪塔並べたもふて今に至る 語りはなぁに 竹笹の里

願成寺
    青鷺は知らずやけふのこの祭り にぎはふ庭に一日たたずむ

    にぎはひの庭の一隅静かさのひときわみえて あおさぎはゐる

上賀茂神社
    さにつらふ紅葉愛でつつ連れ立ちて 上賀茂参りことしも無事に

貴子さま
    秋陽や 宝ヶ池にピクニック愛情むすび かたじけなくて

    かへるとて心名残りの手づからの夕餉も さらに頂戴すなり

    澄める月 永観堂に仰ぎ見つ 帰路の事無き 祈りくるるひと

    七日月澄みてかかれり若王子 いとまいふ折 ひときはひかる

                                      本日は以上10首

左から業平はん、伊登内親王、 阿保親王さまの各五輪塔
願成寺境内の阿保親王さまの墳墓と多田祐子

故郷を紹介しましょう

 26日の甥の結婚式にあわせて宮城県の栗原市に行っていました。6月にあの大地震があったところです。あのときは沢山の知人からお見舞いの電話をいただきました。幸いにして弟夫婦の住む実家は被害はありませんでした。だいぶ東にあるためでしょうか。栗駒山の山肌が崩れているのが遠目にも判りました。結婚式自体は仙台市内であったのです。前祝いと後膳があって大好きな餅を心置きなくお腹に入れてきました。まあしばらくは、と言ってもお正月が近い。
 栗原市はラムサール条約で有名な伊豆沼や内沼があります。今回は飛来している白鳥や雁を観てきました。いわば「雁の里」のひとつです。
 推敲していないもので、ああそうですか、の類の歌ですが下記します。

 ねぐらいり見むとつれだち伊豆沼のほとりに来たり くれなずむ道

 日没を知る鳥にしていっせいに ねぐらいりなり 雁の大群

 ゆふまぐれふる里の空 ヒシクイの鳴きねも高く ねぐらいり急く

 西空もひかり消えつつ飽かず見る 急く急く雁のねぐらいりなり

 結婚式はいいお式でしたことはいうまでもあろうはずがありません。美男美女のカップル誕生でした。

A.Jain Marunouchi Gallery でのグループ展 今年もあります

ニューヨークのマンハッタンは5番街にほど近い、The new york Gallery Building (24W) 6F にあるMr. JAIN の画廊での、何度目かのグループ展に参加することにした。
昨日東京で、来日中のMr. JAIN に会って、近々数点の小品を送る約束をしたので、4点ほど選ばなければ。こんな話しが来ることは予想していなかったから、今現在九州で開催中の展覧会のことなどを報告しようと写真を持参したが、これらの絵が今は手元にはない話しになった。現在A.Jain 画廊には3点しか残していないので、そうとなれば送るしかない。12月2日がレセプション。金城さんと来なさい。ショートバケーションで。とのこと。只今の経済的、危機状態は理解しては戴けない模様。とにかく常設画廊だからみつくろはなければ。売れない絵描き“多田祐子”の絵を置いてくださる大切な画廊の主Mr. Jain と1時間程、不完全極まりない英語で紳士協定の話し合いは終わった。
今日、明日にも彼はニューヨークに帰る。これから私はDMの為にiphotoからメールでイメージを送信するのだがどれにしましょうかといったところです。
 しかし絵がないなぁ。描かなければ-----。DMの絵は「SAIGYOU 」西行 または “さまよう心”  20号です

鎌倉古陶美術館での展覧会が決定する

 今後の予定の表示にありますように、鎌倉古陶美術館で、展覧会が出来ることになりました。来年のことですが、すぐにやってきますのが時期。北鎌倉駅の瑞鹿山円覚寺のご近所。並びにあります。描き始めておりますので、是非古民家の建築と庭園の様々なくさぐさ、そして多田祐子の作品を観にいらしてくださいますように今からご案内いたします。なかでも平安時代の陶器・土器、鎌倉時代の陶器・土器、大甕等数多の文化財が展示されております。これらの文化財との融和を念頭におきながら制作しましょう。

 
 逢い引きをするは先頃故人なり 悲運の皇子をみ大空(そら)に仰ぐ         祐子詠む

                                     皇子: 阿保親王
                                         懐良親王
                                         輪王寺の宮(幕末時代の皇子・上野寛永寺方)
 
 遅ければ日暮らしの門あとにせし 月澄む空にこころ遊ばず             祐子詠む

筑豊の邦

田川市における展覧会を開催するにあたってご挨拶とした中に、懐良親王の御霊安かれと祈念して、ということがあって、この地方の郷土史研究家、嶋井恒博さまからお手紙をいただいた。消印は9月16日である。筑豊の香春の郷に、応安元年(1368年)の秋に、懐良親王征西将軍は肥後国へ御下向の時、神無月(10月)14日、御輿をかきすゑさせ給ひ御詠されて「 駿河なる富士の高根と名のみきき 香春の里に富士を見るかな 」 「 磨かれて出づる鏡の山の辺の清き流にうつる月かも 」ということで、明らかにこの地方を通られたと、あった。「応永戦覧記」という書物に載っています。というお手紙であったのだが、今日は10月14日だ。あいにく新暦ですが。
懐良親王(?=〜1383)は第96代後醍醐天皇(1288〜1339)の第16皇子(第6皇子とも)で征西大将軍として九州に渡られた。書物で読んで惹かれた。惹かれているが正しい。

いつしかに訪ね来たりぬ 懐良の親王しのびし筑豊の邦
すくなからぬえにしはこたびむすぼれて 夏を久しく田川にあそぶ

パーティを明日に控えて芝生など 手入れさすなり 心映えのひと        これはギャラリーの主のことです。以上3首 祐子詠む

  なお 香春 は かわら と読み 懐良親王 は かねながしんのう である。

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