ブログ「素良の舌」

東日本大地震

 3月11日午後2:46、三陸沖を震源とする大地震があった。葉山の自宅にいた私もおもわずストーブを消し、テーブルの下に。物置にいる夫には声を掛ける暇もない。長い揺れ。天井の灯りがゆらゆら。幸い落ちては来ず。揺れが収まって夫が大丈夫?と言って家に入ってきたが、テーブルのしたから直ぐには出られず。震源地が宮城県栗原市とラジオが告げている。甥の一人にメールで「大丈夫?」と。返事は来ず。数日前にあった地震では震度4。弟は、長かったからねぇ。被害は無いよ。と。その2日後。震度7が襲った。2008年6月に岩手・宮城内陸地震があったときにも、大被害にみまわれた栗原市。なんということだろうと思う間もなく、津波情報。東北方面には知人・友人が多い。従弟も多く、お世話になっている人が沢山住んでいる。仙台市・盛岡市・登米市・二本松市・郡山市、どこも震度6。電話を控えていたが、フッとかけてみた電話が従弟に通じた。今家に帰ってきた。めちゃくちゃ散乱しているという。夜8時半。停電中という。学校長の彼は、子どもが泣くし、窓ガラスは割れるし、避難民は来るし、ようやく家に帰ったところで、電話が通じた、と。とにかく無事とのこと。たった一本通じた電話でちょっとは安堵。みんな携帯電話のメーカーが違っていて、ショートメールさえ受け付けない。東京にいる姪にメール。女親から地震後直ぐに大丈夫とメールがあったという。夜遅くにもう一人の姪の夫からメール。大丈夫ですか?と。自分はこれから徒歩で帰るという。2時間位はかかろうか。彼の母親と祖母が移動途中で電車が動かず避難所にいるということも知り、地震の災害の大きさに非日常を見聞きする。
 翌日の新聞とラジオによって大災害の模様を見、読んで聞いてただ呆然。原子力の災害が加わって、さらに呆然。しかし仙台市の知人の安否、栗原市の多くの知人の消息が気にかかる。伝言サービスしか方法がない。ほぼ一日伝言サービスにかかりっきり。熊本市からの問い合わせもあって、あせる。埼玉県の同級生も誰にも通じないと言ってくる。
14日やはりフッとかけてみた電話が通じた。仙台市の神永久雄さん。ご一家従業員一同ご無事とのこと多いに安堵。青葉区は電話が開通か?と思いきや、やはり通じない。
盛岡市にも通じて2名無事。栗原市は未だに通じないが、ショートメールでぼつぼつ返事があって、いまだに停電中、携帯の電池切れ、家の中には入れず、車の中にいる等知る。
余震がつづく中、家に入れず、愛犬と出張中の夫の帰りを待っている友人もいて、聞くほどに私も身が細る。二本松市と郡山市の知人には15日に連絡が叶い無事と知って胸をなで下ろす。
 以前原子力の水位点検作業に携わったことのある夫はそばで怒りに怒り、情けないの声を挙げている。
 今、計画停電が防災葉山からメールで知らされた。ご飯の支度に取りかかります。暖房はペットボトルにお湯を入れて懐に抱いています。せめてもの節約、節電です。
被災者のみなさんお見舞い申し上げます。

福娘

福娘

我が家に届いたお鈴

日程の変更

 10月の京都左京区ギャラリー左司馬での展覧会の期間が変更になりました。22日からで一週間短くなってしまいました。ギャラリーのオーナーさん舌夫妻が
韓国に用事が出来てしまったそうで、やむを得ず変更です。土、日曜日が3回と11月3日の文化の日の休日があります。この時期に京都行こう−! と計画してください。

江戸の蕎麦

 1月24日から始まったグループ展・ダブニールに行く銀座通いがはじまった。オープニングパーティだったが、夕刻までの時間つぶしをかね、江戸風蕎麦やさんを探して、蕎麦を食べ、満足。江戸草子を150冊以上読んで、すっかりお江戸が好きになった。ダブニール展に出品した作品の一つが「江戸」。その後、銀座1丁目まで散歩しつつ、友人の一人が案内状をくださったので、やはりグループ展だが、画廊を覗きに。ここの画廊が戦災にあわずに残った建物ということで、またとても趣があっておもしろい。小さな画廊だったが、お当番さんや画廊主さんとおしゃべり。お互いのハガキ・DMを交換した。私の友人は93歳。友人と言ったら叱られるから先輩。その先輩は夕方からのパーテイには来るかもしれない、良かったら来ない?というお誘いを残念ながら“ごめんなさい”。私達のパーティは4時頃から始まって、二次会もあるのが普通。月曜日は各画廊でオープニングパーティが開催されるから、ダブってしまいました。“後でダブニール展を覗きに行きます、ちゃんと会場に居て下さいよ”と仰ってくださったお当番さんが本当にご来場。パーティの準備中で、何も召し上がってはいただけなかった。名前は明かせないがとっても素敵な“ダンディさん”。このダンディさんの絵はがきも沢山あって、本画も飾ってあったが、財布の中はほとんど空っぽ。あいかわらずの状態。お蕎麦を食べる少し前にCitibankからニューヨークの画廊にカタログ代やメンバーシップ代を送金。帰りの電車賃しかない。93歳の先輩の“かっぱの絵”を残しては帰れないので、幸い一枚しかないのでこれを購入。画廊主さんも何時か来て下さるお約束。国立新美術館も行って下さるそうな。20号一点が31日まで展示されている。
 1月24日は「からっぽな財布」をあいかわらず持って、新しい出会いがありました。尚「からっぽな財布」というパステル画を買ってくださった故郷のお茶やさん、新しいお客さんが来ますように。また。

描き始めています。

 昨年暮れ、12月初めから終わりに掛けて、ニューヨークのマンハッタンはチェルシーにある名声も高い画廊からのオファーがあった。多田祐子の絵画を飾ろうと仰って下さり、返事を1月8日までにというメールが度々あった。全文英語。当然和訳、英訳が大変でとうとう対応に限界があった。どっさりの英文。同じ事を書いてあるのだが、こちらからの返事がいわゆる日本的。あちらには曖昧? らしい。2011年はアレンジメントが出来ないが、2012年なら応じてもいい。
といった具合にお返事した。2011年が出来ないことが理解していただけなかった。20年来のお付き合いが続いている57th(丁目)の画廊A.JAIN MARUNOUCHI ギャラリーとは3マイルとは離れておらず、Mr.Jain のところに5〜6点預けてあるから、今すぐに私には対応が出来ない。ここ最近、テロ対策上から航空便での輸送が出来ず、船便に限るということも大きな不安だ。彼らの仰る「星のような絵画」を船で送り出すのは、結局は嫌だ! ということで、その上今年はニューヨークには行かれない。返事の内容は「ニューヨークに今年は行かれないこと。和訳、英訳が私にはハードなので、日本語でやり取りが出来ると良いのですが」。ハワイに留学中の25歳の青年Mr.Satou syouhei に英訳してもらった。最早ハワイに帰った?から、次回からはメールの転送で。しかし2012年のオファーがアルとは限らない。
 57thのMr.Jainは私の英語力を先刻承知。20年間ブロークンイングリッシュで済ませてきた。足りないことろは紳士協定で。さて、英語を勉強せねばと思うが、取り敢えずはこのお正月中に小品0号〜15号サイズ57枚のキャンバスの地塗りをした。5〜6回。部屋中が油の匂い。酔っぱらいそうになりつつ。
今年は多田祐子展第55回を京都のギャラリー左司馬で開催予定。10月16日〜11月6日までの3週間。京都散策がてらお出掛け下さい。
また、6月1日からの鎌倉古陶美術館での紫陽花展に出品オファーがあって今描き始めています。何枚でもかまいませんとのこと。5枚は出品しようかとおもいます。こちらも鎌倉散策のついでにお立ち寄り下さい。

1月8日どんど焼き

 少し雨が欲しいくらい乾燥しています。温かな日。朝から葉山下山口のどんど焼き。松飾りや玄関に飾った注連縄を燃やしました。 
富士山がくっきりと。
 どんど焼き 金時山の大向こう 富士の高嶺は孤高きわだつ

 冬の海なぎて水面に花と見る 小さき数多の潮の泡かも

 東(ひんがし)の日を背に受けて 突堤にうつりし影を彫塑と見たり

水面の花
私の影
どんど焼き
テトラポットのさきに見えます霊峰富士

二つの賞が届きました。

 日本とハンガリー間の文化交流〜芸術交流祭が10月にブダペスト歴史博物館で行われ、それに伴っての賞が届きました。ハンガリー芸術文化遺産特別賞というものと、それに添えられた特別感謝状です。特別感謝状はブダペスト歴史博物館館長・ボド・サンダーさんからでした。ブダペスト歴史博物館には以前「らくだ」という題名の油彩画を寄贈したのです。10年程前でしょうか。ハンガリーに最初に訪問したのは、ダイアナ皇太子妃が事故死した年でした。友人と二人旅。ウイーンに宿泊しての一日の訪問。エスカレーターの早いのにビックリ。お土産を買おうにも品数が少なくて、きれいな紙を、ナプキンですが買いました。二人で10000円両替したのですが、5000円ずつ消費するのに、何を買えばいいのか困ったのです。ガーネットのタイピンとか、高価なお土産屋さんに行くことが出来たのは、後に2度行ったのですが、旅行社のガイド付きツアーでした。2度共国際交流展があって訪問したのでしたが、初めの訪問の年から見ると随分街が美しく整備されていました。今年は作品のみの参加でした。担当者さんは「多田祐子」さんはよく知られていて名前が挙がっていたと言ってくれるのですが、全くの嘘をおっしゃっているともおもえませんから、ありがとうございました。
 さて、もう一つは、中国杭州市の博覧会から届きました。「三潭印月賞」という難しい賞でした。これは昨日12月18日に届きました。20000人の中から10人のみ戴いた賞のうちの一つだそうです。こちらも作品のみの参加でした。ここ20年来国際交流展に出展依頼があって、出来るだけ出品してきたが、賞が格別欲しいというわけではない。
大分戴いたので与えて下さるほうでも、賞のネーミングに苦心の様子がみられる。どうかこれからは多田祐子のノミネートは外して戴くようにお願いしたい。制作は卒業はしないが、賛助出品は卒業したい。名誉は盗まれないとはいうものの、器から溢れている。もったいない。でしょ。
 今年もあと12日。春の北青山での展覧会、夏の富士宮市での大掛かりな商店街でのグループ展、秋の宮城県での3つの展覧会と、四国・香川県まんのう町中津山西念寺への奉納、宮城県栗原市沢辺の隋洞山全慶寺への奉納、3月のタイランド王族ソムラップ殿下のご来駕。何時にも増して充実の一年でした。その分だけご迷惑をお掛けしたことが多かったと思います。誠にありがとうございました。

奥飛騨温泉郷に遊ぶ

 12月3日出発で飛騨の温泉郷に行く。富士山麓を経由。朝は雨。ずーっと運転は夫任せ。松本駅で一人ピックアップ。ほぼ定刻なのはいいとして、昼にお蕎麦を食べようという私の希望は叶わず。大雨のせいでか前を走る車がノロノロ。40キロ制限を30キロで付いていくしかない長い道。松本駅に約束の時刻に到着するのがやっと。というか10分遅れになったが、新幹線のほうも5分遅れで、寒い中に長い間お待たせという最悪は避けられた。風邪気味の人を。
 さて、奥飛騨温泉郷は4日は雪。初雪を見る。高山まで出掛けた若者達は帰ってくると、高山には雪が降っていなかったという。スリップやらをちょっと心配し過ぎて損をする。夫は雪かき。車の上に積もった雪を下ろしている。
 午後二本松市まで帰る若者をバス停まで送り届けた二人が帰ったところで、ホテルの温泉に案内される。露天風呂は男女混浴。???でしょ。ちゃんと身体を包み込む専用の布あり。ご心配無用。雪山の中で露天風呂。寒かったり熱かったり。上がるとちょっとフラフラ。
地球のひだから飛騨に。奥飛騨温泉郷の焼岳からの温泉で温まってきました。雪が降ったのはあの当たりだけだったみたいで、帰り道も雪は無し。また夫に任せっきりの運転でした。富士山が綺麗に見えつづける高速道路やくねくね道をほとんど眠って帰りました。

信貴山成福院

本殿に奉納されて寅年の寅の日をお祝いしていました。
私の「青い月・My Birthday」 は前列右です。

信貴山成福院本殿
平城遷都1300年祭記念御神酒奉納収蔵展
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