ブログ「素良の舌」

故郷の有賀小学校で

 10月12日に招かれて母校の有賀小学校に行きました。全校児童84名に幼稚園児の数名と参加してくださったお母さん方を加えて8チームに分かれ、体育館で絵画教室を体験しました。
幼稚園児の子供達は畳2枚分の大きさの紙。後のチームは畳3枚分の大きさ。小さな手に大きな刷毛を持ってもらって先ず地塗りから始め、花を描くチーム、葉っぱを描くチーム、魚のチーム、木の実のチーム、動物チーム、野菜チームと縦割りのチームがありましたから自由に描いてもらいました。ママさんチームには少し難しく乗り物をテーマにしました。空を飛ぶものと、文房具チームは残念ながら割愛。地塗りから何処まで完成に近づけるか時間との関係で心配もないわけではなかったのですが、進むうちにみんなはかどってきて、空きスペースには好きなものを描いてもらい、更に縞模様やよろけ縞を加えたり、☆模様を加えて画面をしめてみました。幼稚園児の子供達は虹を描きましたが、手首の力がまだ備わっていないので、刷毛を使ったりといったことや、紙が大きかったので大変そうでしたが、どうにかきれいに仕上がりました。ママさんチームも地塗りが美しく全体にまとまってできました。児童の6チームも1年生から6年生までの混成でしたからおもしろいものが出来ました。体育館の中央に8枚を縦に並べて見ました。1時間30分位の絵画教室でした。
体育館の2階に並べて展示してくださるそうな。写真が届くことでしょう。とても楽しみです。みなさんお疲れさまでした。楽しかったです。

44回目の展覧会を終えて

長いような短いような人生の中で先月30日に44回を数えた個展が終わった。数多の国際文化交流に関わってその出品料の支払いに苦しんでいる私に神様はあまり微笑んではくださらなかった。で、もう国際交流は止めなければと思うのに今年はインドとの間の
日印文化協定締結50周年にあたるそうな。まあとにかく色々と計画企画実行される。今、ヌーボウジャポニズムの時らしく、葛飾北斎に学んだ時以来の日本美術、
“日本芸術”に大きな期待が寄せられているそうだ。一方ではやはり励みにはなっている。
 個展で今回お買い上げくださった小学校以来の友達(同級生)は老人施設に勤めているが、その施設にしばらくは飾っておこうと言われた。以前は看護婦長という難しい
仕事をこなしておられた。そんなお話であったから、友達を偉いと思うと共に、ありがたかった。お年寄りに元気をあげたい!と言って買ってくださったんだから。
 さて、11日から小学校に講演に行くために出掛けます。講演依頼でしたが、みんなで絵を描こうとおもいます。講堂で。

日マレ友好50周年大賞

前のブログで賞をいただくとやはり嬉しい、と書きましたが、書いた後すぐに連絡が入り日本マレーシア友好50年の交流を記念しての展覧会で大賞をくださったそうです。
「日マレ友好50周年大賞」です。なにやら子供たちが大勢私の絵の前に集まって見ていたそうで、改めて検討、討論があったそうです。「カマル」という題名で猫を描きましたが、とても気高い猫なのです。まだしばらく手元には帰ってきませんが、10月には
戻るでしょう。NYの画商Mr.Jainと来年2月末と3月初めにドイツのArt Show に出点するのですが、さて此の「カマル」を持って行くかどうかは考えてみたいと思います。モナコに出展しようとしていたのですが、モナコには間に合いませんでした。
モナコではセルジュ・リファール賞(フランスの有名ダンサーで舞台監督の名前)を
モナコ政府から頂きました。『振り向けば』という作品でした。フランスのル・サロン現会長クリスチャン・ビエ氏が軽くタッチしておられます。
 さて、もうすぐ44回目の個展が始まります。後1〜2点仕上げたいと思いますが、
うまく仕上がるかどうかと、いったところです。
 ああそういえば今モスクワの芸術アカデミー美術館での展覧会が始まっているのです。見に行きたかったですが、かち合いましたし、今金欠の病に冒されていますので
ジイッと我慢です。では、どうぞ銀座1丁目5−6フタバ画廊でお待ち致しております。

「カマル」

芸術親善大使として

 7月28日~30日にかけて、マレーシア独立50年記念・および日本マレーシア国交樹立50年ということで“東方友好交流展”があった。これもどうにか出品したが、ツアーへの参加は出来なかった。WAC世界芸術文化交流会正会員としてはWACのメンバーにマレーシアが入っている以上、出品要請が(担当者を介してだが)再三に為る前に出品した。9月に入り、イタリアからの楯が届いた翌日、マレーシアからも楯が届いた。
芸術親善大使 と英語で書かれてあった。マレーシアはイスラム圏でアラビア語を話す人が多いと聴いているので絵のタイトルはアラビア語で“カマル”として出品した。月という意味。しかしムーンと表記されていてがっかり。
 さて、「国力」には文明に文化が伴わなければなりませんから、及ばずながら、国際文化交流に貢献してきた。もはや、金銭的に底をつきましたので、これからは、
「家計力」を養いわねばなりません。たった今もTELがあった出品要請をも断らざるを得ませんでした。海外に文化を輸出するのには多額の費用がかかるので、我々芸術家はそうとう大変。大家と呼ばれる方々の作品は保険が高額なのか、取り扱わなさそうですし、(大家の方もお出ししておられる方もいらしゃいますが)何かもう
少し企業や政府の後援があってもよさそうなもの。
 私のそもそもの海外への出品は、外国の美術館に日本人の絵画が無い(北斎はのぞいて)のでつまらないから、少しでも収蔵していただこうという思いからはじまった。それが、なかなか難しい。収蔵したいという話がない限り、輸出入の点数をあわせなければならない。国際交流展なのだから。
 たった今断った出品要請のことを考えながらーーーーー。

日伊芸術使徒賞 をいただきました

イタリアのヴェローナに於ける「 第4回 日伊芸術驚異と美の饗宴 」(7月20日から22日)がグラン・ガルディア宮で開催されたのにともない,“ウイーンの森の恋”
を出品していたが、タイトルのような賞をいただきました。8月29日に賞の楯と共に
訳文がとどきました。PREMIO DEDIZIONE ARTISTICA NIPPO-ITALIANO と楯に
ありました。ヴェローナはロミオとジュリエットの舞台とか。行ってみたいのがやまやまでした。請われての出品で、出品料の支払いがやっと。そういう状態ですからとても残念でしたが、ツアーには参加できませんでした。
 さて、酷暑が続きました。庭の木々に水やりを怠り、枯れそうな気配がしていたのです。昨日の雨で助かりました。ここの山の上に畑をもっている小父さんが時々肩に水の
入ったポリタンクを担いで坂道を登っていかれるのを見つつ、ホースでの水まきなど
出来ませんでした。水不足の地方もありますし、野菜がどんどん値上がりしていて、雨雨降れ降れと天に祈っておりました。そういえば19日の日曜日の氏神様のお祭りの日に作ったゴーヤーチャンプルーとタコ飯が御神輿を担ぐ担ぎ手の方達によって
お褒めの言葉をいただきました。来年も作ります。来年は水不足がなく、ゴーヤーの
値段がそこそこだといいのですが。

蝉の少ない夏かしら?

 いよいよ梅雨も明けようかという昨日今日。夏休みに入った近所の子供たちが網を手に、朝から虫を探している様子が窓越しに見られる。ここはよく紋白蝶や紋黄蝶がひらひらと飛んでいる。塩辛蜻蛉を4日ほど前に見たときには嬉しかった。夫はオニヤンマ
を見たらしいが私は生憎と今年はまだ。去年と今年枝を伐採せずじまいのモチノキに
大量の花が咲いて、そのとても小さな花に揚羽蝶が沢山集まっていて、さながら日本画の世界。幻想的で。午後5時くらいはお食事タイムらしく、蝶に混じっていろいろな虫たちが飛んでいる。いままで23年間気付かずにいた風景。只今は2時。暑いのでいない。夕方が楽しみなのだが、でももう花が随分と落ちてしまった。来年のために伐採をどうしたものか。お隣の屋根より高く伸びているから切らないとならない。当然夫が登って行って伐るのだけれど、来年も花が沢山咲くようにするためには、何時伐るのがいいのか?
 去年伐らずじまいだから良かったということだと考えものか。黒揚羽、青い模様の
ある揚羽。小虫たち。あっちにこっちにと忙しい。直ぐ下に金柑の木があるから、多分卵を産み付けたと思う。そのうちに大きな青虫が葉を食べる。夏ミカンの木は反対側にあるが見たところ葉はまだ食べられていない。花が咲いていた頃はよく黒揚羽が来ていたから当然そのうちには葉はちょっとは食べられる。
 ところで、蝉の鳴き声が少ない。遠くでしか鳴いていないように小さい。たいわんリスの鳴き声にさえ消される。可愛らしくない鳴き声のたいわんリスが増えた。たいわんリスに夏ミカンが半分は食べられて、去年は誰にも送ることが出来なかった。
 今年は兎に角たいわんリスから夏ミカンを守ろうと思う。北国の人達に送れるように。

6月30日は友引でした。

 弟の一人娘の結婚式が6月30日に仙台市内であった。弟には4人の子があり、後は男。娘は3番目に生まれた。その姪のお祝いの日は当然、前後して実家に泊まった。
弟は家の玄関に紅白の祝い幕を張った。6m位だったかもしれない。私はもっともっと
長い紅白の幕が弟の心には張り巡らされていただろうと想像した。まことにめでたい
日日であった。あと3人息子がいるから、弟夫婦には合計で8人の子供がいることになる。来年、再来年そしてその次の年というふうに屹度“華燭の典”が続くことを祈って
いる。
 この友引の日に、大?タイムス社(宮城県大崎市)が私の21世紀世界美術館賞と
レフォルマ賞受賞のことを記事にして発表してくださった。2面に大きく。
大?タイムス社の新聞は7月5日に我が家に届き、2つとも写真掲載であったから、そこはかとなく嬉しさが湧いてくる。記事は、私の報告から、きちんと賞を与えたアートジャーナル社に取材をしていて、私が知らないことが加筆されていて、重みのある
賞であることが判った。そして、この日の新聞は大?タイムス社創刊60周年の記念式典や懇親会、ジェームス三木氏の記念講演が24日にあったことを載せている。
 ここで 大?タイムス社さんの60周年を、せめて言葉でお祝いを申し上げたい。
“「グローカル」な視点でさらに躍進を目指す” との代表のご挨拶に感銘しつつ
還暦をお祝い申し上げます。おめでとうございます。

after beautiful play Piano

7月3日。昨日のこと。
サロン小坂での展覧会でお世話になった小坂さんのご友人夫妻が小坂さんと共に訪ねてくださった。同窓会があって、アメリカでご活躍のお二人はたまたま日本にご滞在中。
ご主人はピーターさんといってアメリカの方。Jazzのピアニストというご職業。
奥さんのご職業はアメリカ各地で活躍されるスタイリスト。ヘヤー、メークアップ、
マニキュアなど兎に角、make-up & Grooming 全般。
 で、絵が見たいとおっしゃって来てくださった。旅の空、の途中。
お二人で好きな絵をお選びになり、一枚お買い上げ頂いたのだが、なんと、それは
ものすごく素敵なピアノの演奏を聴いた後急いで帰って、紙とエンピツを用いて
ドローイングしたものでお気に入りのため、非売品だった。それがJAZZピアニストの
ピーターさんの目にとまり、勿論なにも説明はしていないのに、なにか、旋律を感じる、ということで、とてもお気にいられたご様子。奥さんが初めに決めようとしたものではなく、ドローイングがいいとおしゃるので他ならぬピアニストの方にお買い上げ頂いた。紙 紙 紙 エンピツ エンピツ エンピツ といってB4のエンピツで
表現した19年ほども前のドローイングだった。
まだ題名がなかったので after beautiful play Piano  とした。
ピアニストは 葉山のレストラン経営者でもある 三嶽さんだった。お名前の方は
はっきりしない。バレンタインというお店で聴いた。英語での表現がうまくいっていないかもしれないが、感動ものの演奏だったのです。
 海を渡ってのお持ち帰りに”ありがとうございました”。

母校で32年前の絵と再会 7月1日のこと

 日曜日。幸運なことに、私は実家にいた。弟に用事のあった人が帰り際にこれから小学校に行くというので、私にとっての母校に書類を届けていただいた。書類というのはwebsiteのアドレスや新たに拵えた名刺(エルミタージュ美術館作品収蔵の文字を入れたもの)を校長先生にお届けしたかった。するとすぐに連絡があって、午後1時過ぎに
学校訪問が実現して、校長室に案内いただくやいなや、左手の壁に私の絵があるではないか。昔の小学校が高台にあった頃のもので、石段を描いた冬景色。何処に行ったものか思い出せずに気にかけていた一枚。32年前の絵がそこにあった。
 もう10年ほど前になるが、佐藤勝治さんという知人のお世話で120号の絵を小学校の
玄関に飾らせていただいた。その絵は「芽吹き」という題名で、5月にレフォルマ賞に輝いたので、そのことはすぐにご報告してあった。レフォルマ賞とは、革新性のある絵にたいして与えられた。メキシコの女流画家フリーダ・カーロ生誕100周年を記念して
(株)アートジャーナル社が設けた賞であった。
 小学校に行くと、その賞状はカラーコピーなのだがちゃんと額装され、絵の脇に飾られてあり、その事を掲載してある絵画雑誌も絵の前に置かれてあった。
 久しぶりに会う”芽吹き”は雑誌で見るよりも断然良かった。
 まあこの日の午後はPTAのバレーボール大会が開催されており、校長先生はご挨拶を終え、そろそろと校長室に向かって来られた時、私も”芽吹き”の撮影など終えて、もういいかいと進み始めたから校長室の前で、鈴木安子校長と出くわした形でのご挨拶。
すぐに教頭先生、PTA会長も来てくださって、そして32年前の絵がそこにあった。
 PTA会長の三浦健さんはサイン・”ゆうこ”からわたしに間違いないと思われてこられたそうな。10号サイズでいずれ額縁を取り替えたいと考えている。

ダイアナ に寄せて

アルマ橋ダイアナ沈めさびしかり遠くのぞめるエッフェル塔も

1997年のフランスにおける日本年記念で南仏のミヨー市で”日仏芸術と音楽の祭典”が
ありフランスに行った。時期を同じくしてアートネットアカデミーヨーロッパ巡回展が、オーストリアのウイーン郊外であり、早めにパリに行き、ウイーンに向かったが
パリーではダイアナがアルマ橋で事故にあい、亡くなられたばかり。私もアルマ橋に
弔問の心で佇んだ。あれから10年がすぎた。今年ワインのラベルコンクールのような
ものが、ジャンヌ・ダルクの日に行われ、「ダイアナ」という絵を出展。シャンゼリゼ
芸術ワイン大賞をいただいた。賞状にはパリに新たな仏日の友好をもたらすべく高尚
な芸術を発表した、とある。絵は”エンドレス・ラブ”という副題があるのだが右サイド
の色は事故の深刻さを表現した。アルマ橋の悲しみである。赤はラブそのもの。
美しいダイアナを失ったのだ。
もうすぐ暑い夏。夏はダイアナの事故を思い出させる。

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