九谷焼き

昨日九谷焼きの角皿が届いた。
第二段のイベントに参加して、自分の絵を皿に仕立てていただいた。
前と同じ九谷焼きの堀江祐夫子さんが手掛けたもの。
姪と姪の子、17さいの娘が金城のお見舞いに来てくれたので、夕飯の八宝菜を、それらのお皿に盛り付けて
楽しい食事をした。
夫金城はラコールでの食事で、17さいの娘が手伝ってくれたので、同時に夕食を始めた。
あとは、絹とうふに、納豆という手抜きで、我慢してもらって、デザートはカステラ。
昼食後はお持たせのケーキを頂いたので、何時も食べているチョコレートは遠慮。

今夜は友達から枝豆を頂いたので、それをお皿に盛って、やはり夫と同じ時間に夕食を。
後で一人で食べるのは寂しすぎるから、枝豆のことも、明太子のことも夫に話して、食べられるようになったら
食べようねと話しかけて、いただく。

そのお皿を掲示します。

九谷焼きの三枚のお皿
九谷焼きの三枚のお皿
枝豆を載せて
枝豆を載せて

梅雨空に

窓の外を黒揚羽が飛んでいる。雨が上がった?と外に出て、黒揚羽を追ったが、すでに何処かに飛んでいったらしい。
ほんのちょっとの間だ。先日から咲き始めているノウゼンカズラを見上げると、虫が蜜を吸っている。
黒と黄色の縞模様。タイガース色で、触角を持っている。カミキリムシ?
夫は眠っているし、言葉を失っているので、訊いては気の毒。
昆虫の辞典は持っていない。iPad を近づけて撮影したが逃げない。まぁ静かに邪魔をしないようにしたけれど。
お食事中をそれでも邪魔をしました。

さて、部屋のある箇所の書類の山が3日前に、なだれ を 起こした。2日前の日に手をつけて片付け始めたが、昨日は手付かず。
今日もすでに午後3時。眺めるだけで、手が出ない。要らないものばかりとは限らず、寄り分けに時間がかかる。
大きな箱を3個準備して、2箱はいっぱいになった。シュレッダーをかけないと捨てられないものでもないが、一応は手で破かないとならない。
後何日かかるかなぁー、と、また眺めるだけ。今8畳の和室が、紙でいっぱい。泊まりがけで来られる人がいると大変。
早く始末を!と、いうところを外に出て撮影。雨が上がっている。

食事中の虫
食事中の虫

雨に咲いています

今日6月19日は涼しい。雨の季節。雨の中をアジサイをipad で撮影。
ベッドの夫に雨の1日が始まったことを伝えて、山紫陽花の様子を見せよう。今眠っている。
小さな苗木を買って植えたのは金城。いろんな苗木を植えたのに、植えたことを忘れて仮払い機で刈ってしまった。
ようやく花壇に植えたものだけが育ったけれど、山紫陽花だから、こんなに大きくしなくても。されど育つ。
花の名前の名札だけが、花壇に残っていてどんな風に咲くんだったか、忘れている。
植えたわけでは無い月桂樹の木が西側の花壇を占拠。萩の木も無くなった。サツキの木がわずかに頑張って小さい木のまま
一つ二つ花をさかせる。ドウダンツツジ(満天星ツツジ)の木下で陽が当たらない。月桂樹にも栄養を取られて気の毒。
鳥のふんに混じって来た月桂樹の種。それが育っての木。大きくなるので低くすると、沢山の木木木木になる。もはや根は深く
て引き抜けない。
まだ咲き終わっていないけれどサツキの刈り取りはうまく行くかどうか。

コロナや、紛争、人種差別などには関係無く育ち、季節には花を咲かせ、鳥や蝶、虫 風をよんで雨に打たれている。
そういえば今空き地という空き地にどくだみの白いがく花。花では無いらしいがわたしには花、が咲いて金城の
作業小屋回りを浮島にしている。

名前は忘れました
可愛いでしょ

目の見えなかった人の所在が判らず仕舞いに

富士宮市の展覧会の折りに、目の不自由な方がご入場くださって、アッ!ここにピンクの絵があるのね、とか、赤い絵が多いのねぇ、といった具合に、展覧会を
見て下さった。見えないけれど、わたしの絵からの波動を感じ、赤やピンクが判るんだそうでした。私は勿論驚き、夫や会場におられた人達も一様に感心したのでした。
2012年の2月でした。
それからしばらくして、北鎌倉古民家ミュージアムで展覧会を開催しておりますと、そのご婦人がお友達を共に来て下さったのです。
見えなかった目の手術を受けられ、見えるようになったと仰って。目の手術は、一目で良いから「ひ孫」の顔が看たい、80を過ぎているから失敗しても構わないの。
そう電話で仰って。無事に見えるようになられ、私の展覧会にも遠路をお運び下さったのでした。
そこで、一点いただくわ、と。驚きました。選ばれた絵が「うずまき富士」。誰も買ってはくださらないだろう絵だったのです。エネルギーを感じるの、というご説明でした。
お供の方にもお買い上げ戴いたのですが、こちらも富士山の絵。お正月に飾るは、とのこと。雲海の上に赤富士を描いた絵でした。

さて、極最近、何となく落ちている写真がはいった小袋を手に取りました。富士宮市に展覧する前に上海市のギャラリーに出品していたことが判る写真でした。
担当者のコメントがあって、撮影する人が多くて、なかなか会場風景を撮ることが出来ませんでした。とのこと。
結局は上海では売れずに私の元に返ってきた作品でした。
見つけた写真と担当者のコメントをコピーしてお送りしたのですが、生憎と宛所に訪ねあたりません、とのことで戻って来たのです。
長い間お電話もしませんでした。展覧会のご案内は忘れたわけではありませんでしたが、来られないのが当たり前のことですので、格別には追いかけませんでした。
初めてお目にかかった時が80歳を過ぎて居られました。ご家族様と住むためにお引っ越しなさったのでしょう。
江戸川区にお住まいだった妙子さま、「波動を感じるの」ということをお話し下さってありがとうございました。

最も心に残り、どんな言葉での評論よりも衝撃的で、凄い出来事でした。画家冥利に尽きます。

豆冊子の表紙

手作り豆冊子の歌集第37の表紙を掲示します。今ホッチキスで綴じているのだが、時々飽きてしまう。ページを抜かさないように気をつけながらの、単純作業。
一度期にたくさん綴って、最後に残ったページがあったりするとガックリ。で、40冊づつにしている。今のところ単純作業は、大丈夫だが、途中でのれんが汚れているのが気になって、洗濯。布が横に切れている部分を糸でかがったりしている。
田舎、私とは反対に神奈川県から宮城県の栗原市に今住んで居る人から、栗駒山の残雪と、田植えの終わった田んぼにいろんな鳥がエサを探している画面をラインで送ってきてくれて、どうも「金成耕土」とは違う、伊豆沼辺りの田んぼらしいと、思いながら懐かしく繰り返し見ているところ。
で、白い画面に金と淡い緑で描きかけている私の絵のマット状態にあまりにも近い画面にも驚いているところ。
鳥を描いたら、具象画になるからどうしたものかと、ここ4日程になり、すっかり乾いている。思わず絵を撮影して送信した。
鳥を描き入れたら「堀越保二」画伯の真似ということになる。そんな地塗りのキャンバスを今日も眺めて終わったしまった。

さてさて、豆冊子の表紙です。「くえなんだらくうな」の大徹さん。始めの動きは一生の鏡、という意味と読んでいるのですが。間違いないでしょうか?

曹洞宗の高僧 「関 大徹」和尚の書  裏書きは多田祐子の薄墨
曹洞宗の高僧 「関 大徹」和尚の書  裏書きは多田祐子の薄墨

枇杷の実が届きました

土曜日の昼前。ご近所の枇杷の大木をお持ちの方が今年も実をたわわにした枝を持ってきてくださいました。いつものように先づ生けました。

[ 枇杷の実のたわわなす枝活けし時しなる重みの円みかな ] といった具合いです。

今昨夜から手作りしている短歌の豆冊子、第37番を取り急ぎ40冊作った。
はじめた頃の1〜8はきちんとして置かなかった。8番は1〜8までのものを一冊にまとめたもので、この8番は52冊の限定版。「揄雨」と題した絵の表紙を透明のビニールでカバーした。揄雨とは、雨だれを描いてあるから、雨に濡れないようにという思いからで、52冊でもうビニールが無くなってしまった。夫は北海道に出張で、夜遅くまで作業したことを思い出す。ビニールは夫のものだった。もらって良いかどうかは聞かずに使った。
今見ると粗末で、可笑しい。されど37冊目だって粗末。
1番目が無いけれど並べてみた。今回は表紙に自分の絵では無いものを使用した。曹洞宗の今は亡き高僧 関大徹さんの書を賜っているので、ご紹介がてら裏に私がおそれもなく描いたもので飾ってみた。この大徹和尚、「食えなんだら食うな」、という本を書いている。実家が曹洞宗なので弟に染み抜きをさせ、衝立に仕立てさせて所蔵させた。
豆冊子には2首歌ってみた。記録的に。
最近は81首にして綴じている。これ以上紙数が多いとホッチキスの針が通らない。最初から歌数が多いわけではなくて、既に37冊目になった。次の歌は19首ほど出来ている。ここいらで作っておこうと綴じているところ。

ではその37までの表紙をアップします。

私の手作り豆冊子歌集の表紙
私の手作り豆冊子歌集の表紙

源平しもつけが咲きました

草茫々の庭。ワイルドになってしまっている。まぁ何時ものこと。夫が元気ならチョットは手入れをしてくれるのだが。
刈って欲しくないものはその回りを刈っておくように、といって仮払い機でかってくれるのだが、自分が植えた山紫陽花やら
山椒の木やらを、すっかり忘れて刈ってしまう。よもや自分が買った来て植えたものまで刈るとは思わないから、毎度呆れるのでした。
松の木が伸びて困っている。時々手入れしてくださったご近所の小父さんが3年ほど前に亡くなったので、自分で手入れするしかない。秋まで待とう。
そんな荒れ庭に源平しもつけが咲いた。肥料を遣らなかった所為で花の塊りが小さい。
花壇ではサツキが咲き始めている。去年の夏前に花が終わって間もなく、思いっきりカットしたつもりが、まだ足りなかったらしく
まばらな咲き方。今年は早めに深く刈ろう。

8月24日からの展覧会は開催出来るだろうか?コロナには困り果てる。
今日一枚どうにか完成?させた20号サイズの絵の題名を考えている。題名を決めて描いていたが、そぐわないようだ。
40号サイズのものはイメージ通りにいかない、といった塩梅。
夫は土曜日からショートスティに預かって頂いている。左腕が力が入らずに、よく床に沈めてしまう。
朝方は力があるのだが、夜にはベッドに移ってもらおうとして失敗してしまう。ご近所の若者層に助けて頂いている。
夫に左腕が痛いのよというと、笑っていました。
ズーッと一緒にいたいところなれど、二週間もしないで、力尽きる。こんなに力が無いって思いませんでした。
右手首は治っています。

ではサツキとしもつけをアップします。

サツキ
サツキ
源平しもつけ
源平しもつけ

雨の緑の日

一日中シトシトと雨が降っている。「月さま  雨が」「春雨じゃぁ 濡れて参ろう」 といった具合い。 明日は立夏でも旧暦では4月13日。
濡れながら近所のスーパーまで行ってきた。肘傘雨。それほど強く降るわけでもなく、庭の草木にはちょうど良い具合。また当分水遣りを省ける。
新たなシンビジュームが咲き始め、初めに咲いたものの2本が枯れて、痛々しい。切らずにそのままにしている。全部一度期に咲いてくれるとゴウジャスなのに、
新たなシンビジュームも5本のうち3本がまだ雨に打たれている。

昨日から左肩がだいぶいいので、馬力をかけて絵を描き始めた。眺めている時間の方が長いのだが、描きかけのまま放って置いたものが、ようやく動き始めた。
ここ要らない! とか もっと細い方が! とか 教えてくれる。小手調べといった感じ。途中から掃除が始まって、いくらも進まないが、仕事場が広くなった。
今日もこれから始めよう。もはや午後5時。

1984年の第11回目の展覧会に岡本太郎画伯がご来場くださった。ポーズをとってのサービス精神までいただいた時の写真を掲示します。
左の絵は、姫路市での展覧会で、「こんな絵があるのね」といってお買い上げくださった絵描きさんがおられた。36年ほど前のことです。

岡本太郎氏と
第11回目の展覧会。銀座画廊で
岡本太郎氏と

新型コロナの中で

スイスのローザンヌで開催予定だったART BLEND も延期の知らせがあった。
9月ごろというが日程ははっきりしていない。
私自身は展覧会を8月下旬から予定してるが、画廊サイドが今のところ何も言ってきていない。
下北沢の何時もの会場。
4月も残り今日と明日。5月いっぱいには、8月に出来るかどうか、判断しなければと思っている。
案内状は未だ出来ていない。実は作品も少ない。これから拍車をかけて造らねば。
会場が広い。
小さな脳味噌が働いてくれない。右手首はほとんど治っているが、、、、

さて新型コロナウイルスが鎮まらないなか、庭の石楠花とシンビジュームは咲き続ける。

石楠花
石楠花
シンビジューム
10本咲いている
シンビジューム
三番目のシンビジューム
5本咲くはず
三番目のシンビジューム

日欧宮殿芸術祭 マルタ共和国 延期のお知らせ

 新型コロナウイルスによって5月に予定されていたマルタ島での展覧会が延期になった。今日4月15日の郵便による。
感染拡大が何時了とも知れない世界的大流行・発生だから当然でしょうね。関連の運営事務局の皆さまには苦渋の決断が
迫られたこととおもいます。

スイス・ローザンヌは6月だが、どうだろうか?
いずれにしろ国際交流展を開催する事業者さんには、この困難をどう乗り切るのだろうか。
我々アーティストにとっては、元気よく自作を宣伝出来ない! 困った情況であって、一刻も早い終息を願うほか無い。

ではマルタ島での展覧会の延期情報でした。