第61回 多田祐子展の準備をしています

 まあいわば「終わりの始まり展」です。油彩、オイルパステル、墨、ちぎり絵、全部で92点ありました。夏のマレーシアの
アート・エキスポ・マレーシア・プラスに出展して、“日本で未発表だから”みんな持ち帰るは! と、持ち帰った作品がある。
予約の黄色いマークを付けたものもあったり、2度来て、もう一度来る、と言う言葉を頼りにしていたが、アート・フェアーの
出展常連の作家が、内金はもらったの? と。で、あっ、「戴いていないわ」。もう来ないよ。と言うアドバイス。
デレクターと私は、商売が下手という一点が判ったアート・フェアーだったのですが、絵を後ろに展示しつつ、テーブルに
ひじを附くともなくいると、後ろの絵たちが、日本に持ち帰ってよ! 日本で未公開じゃぁないの! と云っている。
すぐに予約のマークをはがした。最終日にもやはり待ち人だったはずの女性は来なかった。

 フランスのルーブル美術館地下カルーゼル・デュ・ルーブルでは、旅行中の女性たちが、オイルパステルをまとめ買いして
くださった。主にアメリカ、ニューヨークからの旅空。日本からの旅行中のご夫婦も買ってくださった。
初日はお祭りですから安くして! と、オーナー兼ディレクターがアドバイス。それに従った。
2日目にはフランス人の木版画家が一枚難しい絵を買って帰られた。
赤やピンクを多用した作品が無くなった。木版画家が買われたのは、きみどり色の作品だったかも知れない。
黒地にオレンジの炎とも云えない作品も男性が買ってくださった。フランスの方。
6月のパリはとても平和だったことを思い出す。

 マレーシア向け作品は、比較的大きいオイルパステル画。フランスの直ぐ後で、輸送費がないから紙の作品での展示。
キャンバスに油彩画は全て小品。墨の作品は、お土産に5枚。プレゼントと作品交換とに使った。あとは全部持ち帰った。
あれからもオイルパステル画を沢山描いた。
なにしろ私が使っていた油絵の具屋さん、もう作っていない。キャンバス屋さん、船岡キャンバスが閉じた。
額縁屋さんしかり。作品が売れないことも困るが、新たな開拓を強いられる問題がありすぎる。
これからオイルパステルを額装しようと思う。48点位ある。油彩は30点。100号2点は額無しになる。割高の0号サイズが10点。
裏打ちの必要な墨が6点。
 終わりの始まり展。出来るだけ沢山展示しようと思う。どうかお買い上げください。毎日作品の数を数えつつ祈っているのです。
2月22日からの展覧会です。3月2日まで。28日日曜日はお休みですのでご注意ください。左サイドの予定の掲示をご参照ください。

100号サイズ( 162.1cm x130.3 cm)
刹那生滅
100号サイズ( 162.1cm x130.3 cm)
SMホール (22.7cm x 15.8cm)
自画像
SMホール (22.7cm x 15.8cm)

Happy New Year

明けましておめでとう御座います。もはや、3日を過ぎようという時刻。元旦は初詣を。まず0時の時報とともに神明社を。氏神様である
天照大神さまに、貧乏神さまのパーティーは終りにしていただきたい旨の言霊を。絵画での活計(たつき)が出来ますようにお願いする。
午後5時を過ぎて鎌倉八幡宮へ。同じようなお願い事を。夕刻になると、20ー30分で本殿までたどり着くことができる。それでもロープ
制限に3回ほどあう。境内の弁財天さまにもお詣りする。5人の若者たちが我々の後からついてきて、お詣りする。何の神様? と聞くので、
芸術とかまあ勉学ね、と、応えておくと、勉学が効いて、ああ なるほど と、納得した様子。みんな学生風だったから。
本当は福徳、財宝などを授ける女神なそう。お賽銭を上げていたのはそのうちの一人だったが。その一人に、所番地と名前を告げてから
お願いしなさい、と、老婆心を発揮。5人ともちゃんと聞いていた。佳いお年でありますように。

帰りしなに、いつも通る道のサイドに在る亀ヶ岡八幡宮さまへ。
とおりゃんせ とおりゃんせ と 声をお掛けしました。

一年が本当に佳い年でありますように、お祈りしています。

バチカン・法王さまの白い四阿 謁見のあった翌日の静寂
2015年9月3日/あれが謁見だったのね、と翌日もう一度訪問
バチカン・法王さまの白い四阿 謁見のあった翌日の静寂
ミラノ ドゥオモ(大聖堂)
2015年9月6日 撮影/谷 智美さん
ミラノ ドゥオモ(大聖堂)

今年の あのね アノネ ANNONAY

6月12日の夕方、といっても、パリの6月は午後10までは明るいのだが、カルーゼル・デュ・ルーブルでの展覧会の際、
アートショッピング の会場入りが遅れた。午後7時からのベルニサージュ(オープニング)の始まりも少し遅れていたが、
人集りのする入り口で、会場整理員の前までどうにかひとをかき分けつつたどり着いた私は、夫や弟夫婦と友人の武藤さん
と共に、一刻も早く入場したいと焦った。
あのね アノネ あのね。整理員の一人が “アノネ" と言いつつ 我々を通してくれた。Je suis Artiste ,アーティストなの、
が出てこなかった。
私の展覧会企画社社長に、遅れたお詫びを言い、あのね アノネ あのね、しか出てこなかった話しをすると、アートショッ
ピングの総ディレクターが  アノネ   ANNONAY さんというの。と。ビックリ!?
知っていたならば、マダム アノネ というところ。呼び捨てにしてしまったのです。SALON ART shopping の
DIRECTRICE Madame Myriam ANNONAY CASTANET.
Merci.

2015年はあと一時間15分で終了する。
夏バテはしなかったが、「金バテ」の年末が終わる。
来る年が、貧乏神の集まりにならないように祈って、これから氏神さままで、初詣に行きましょう。
皆様にとっても良い一年で有りますようにお祈りいたします。

芸術奉納切手

本日12月29日、日光東照宮400年式年大祭記念 芸術奉納切手 が届いた。作品起用作家宛のもので、取り急ぎといった具合である。
というのは一般にはもうしばらくの間が必要のもよう。
1月1日からの発売でないのは少し残念ながら、切手の入っている封筒を見れば致し方ないところ。
黒地の封筒には金色の三葉葵の紋が入っている。
想像力が及ばなかった設えの袋入り。

日光東照宮がいつから売り出すものやら私には分からない。
分かり次第またお知らせします。取り急ぎデザインをご紹介します。

指揮する角倉了以 芸術奉納 切手
82円切手 20枚シート・シール式
指揮する角倉了以 芸術奉納 切手
封筒のデザイン
封筒のデザイン
貢献の証
貢献の証

夕顔忌 と 山の村

「天の夕顔」の作者・故中河与一の祥月命日12月12日の昼、中河家の菩提寺である小田原市の通称みみづく寺、傳肇寺での「夕顔忌」を
今年も無事に済ませた。
我々のお仲人でもある中河与一は、画家に成りたかった若い時期がある。中河与一はお墓の形を37才で世を去ったヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
(1853-1890)の墓と一緒のものにした。ゴッホのお墓の隣には、弟、通称・テオ、テオドロス(1857-1891)の同じ形のお墓がある。
いたく気に入っておられた墓の形。

「夕顔忌」のあと、用事があって飛騨高山市に向かった。車のタイヤを冬用に交換していたが、雪はなくて、20時を過ぎる予定がその45分前には
目的地に到着。余談だが、途中夕飯を済ませて行きます、と、電話で伝えてあったが、豪勢な夕食が誂えられていて、この日は、軽い昼食を含め
四度の食事をした。5つ星ホテルの夕食である。相済みません、と云いつついただいた。

さて、「天の夕顔」の石碑がある森茂は山の村、山の村牧場まで行ってみたかったが、上って行くと、途中で通せんぼのガードが道を遮断。
12月はもはや雪があろうと無かろうと、山の村までは行かれない模様。残念!と夫の運転の車は引き返した。
有峯湖はもっと高いところにあるが、そこにも確か石碑はあるはず。有峯湖には未だかつて行ったことがない。いづれ通せんぼのガードが遮断
しているだろうことは想像が付く。今回は諦めた。山の村牧場の石碑には「天の夕顔の主人公、かつてここに幻住す」という表記がある。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホのお墓に真似た中河与一のお墓を紹介。
クリーム色、レモン色よりも、少し淡い色のマフラーを愛用しておられたので、クリーム色のガーベラを添えてみたのです。

天の夕顔の作者・中河与一夫妻の墓
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの墓によく似ている
天の夕顔の作者・中河与一夫妻の墓

円空仏

岐阜県高山市丹生川の袈裟山千光寺に参拝した。5年前に一度多くの仲間たちと訪れて以来。夫と二人で、人けない長い坂道を上った。
車でだが。やがて一人歩きで上る男性を追い越した。カメラを持った様子から、車には乗らないだろうと判断した。
やはり途中で被写体に向かっている姿が上からはよく見えて、野暮をせずに良かったと、そう若くないカメラマンの案外速い脚に感心。
始め、誰もいない境内を二人で参拝していると、5人ほどの小父さんたちがやって来て、我々と同じように本堂での参拝を済ませ、
そのまま寺院の中に入っていかれた。最後の方が、私たちに入るか? と聞かれたが、今回は入らないことにして、辞退した。
引戸が閉まってまた静寂が戻った。
 12月とあって、円空仏宝物館は閉館。眺めの良いとても高いところにある袈裟山千光寺は、弘法大師の10番目のお弟子、真如さんが開山。
円空さんが滞在していた時の円空仏が山のようにあり、宝物館に保存されてあって、一般公開されている。今回は入り口にある、大きな円
空仏の5ー6体を眺めて帰ってきた。
 本堂での参拝内容は今は明かせません。

 掲載する円空仏は上記が袈裟山千光寺の円空仏
下記の仏は、京都嵐山の大悲閣千光寺の正ちゃん仏
です。正ちゃん仏の左は日光東照宮からいただいた、記念コイン入り
「眠り猫と雀」。猫が安眠し、雀も安心してたわむれる「平和な世」の
到来を表す図柄。2年前に頂戴した「栃木県記念貨幣」です。(3・11の大災害復興展出品記念)

袈裟山千光寺の円空仏
反対側にも在るのです
袈裟山千光寺の円空仏
大悲閣千光寺の正ちゃん仏
そして、日光東照宮からの記念コイン入り栃木県記念貨幣
大悲閣千光寺の正ちゃん仏

bun ten 55 より

文化展望 bun ten 55 号 に載せた「Fine Jacket(素敵な上着)」に
編集部からの一言が載っている。次のような記述。
「抽象、具象、コラージュなど、ジャンルに囚われ無い氏は、画家としての物の考え方と
アート・パフォーマーとしてのプロデュース思考が内面に混在しているアーティストであり、
氏の作品は発表の度に人をおどろかせる。」

と、ありましたが、そんなことはなくて、プロデュース思考なんて程遠いのです。
よくわからないのですが、手のおもむくままに表現してきました。
「Fine Jacket」を載せますね。

Fine Jacket. 100号サイズ
油彩にオイルパステル&コラージュ
Fine Jacket. 100号サイズ

墨の線画が出来ました

次回の61回展には、さまざまな種類の作品を紹介しようかと考えている。 中に墨での線画作品を展示してみようかと思っている。 21年前の個展で、少し発表したが、スケッチブックから拾ってみたいとも 思っている。非売かなぁ 数点掲載しておきます。

30x24cm
ススキの野(雑踏)
30x24cm
30x24cm
30x24cm
24x20cm
潮の風
24x20cm
旅の終わり より.  14x8.5cm
エジプトで 1994年2月
旅の終わり より. 14x8.5cm

13日の金曜日

Happy holidayのはずの金曜日に、パリでは、多数の死傷者が出たテロがあって心が傷む。
とても悲しい気持ちのままに、日曜日を過ごした。
奥歯を抜く日を歯医者さんが13日の金曜日だけど、いい?
と、聞くので、happy holiday だから構わない、と返事して、抜いた。
怖がりの私は、歯医者さんですっかり緊張。
家に帰ってから、力が出ずにヘナヘナと、眠ってしまった。幸いにも痛みがなくて、鎮痛剤は
服用せずに済んだが、夫にはやはり笑われた。まあ通常通りの結果。
左側の奥歯も、やがて抜くことになっている。
その 「happy holiday 」のはずの夜にパリでは、悲惨な状況下になってしまい、
6月に旅をしたあの愉しかった日々を思い返すにつけても、とても悲しい気持ちが
この2日間続く。
被害に遭われた方々におみまいの気持ちを伝えたい。
亡くなられた多くの方の無念さを思うと、3・11のあの津波の時と同じように
哀しみでいっぱいになる。
パリに住んでおられる知人の方がたにはメールで、安否を確認しましたが、
ご無事で何よりでした。ご主人が、メキシコに出張で、帰国出来ないかもしれない、
(入国出来ないかも)ということもあって、本当に大変な事態です。
この先何が起こるかわかりませんが、とにかく平和を願っております。

抜歯する前日に、富士宮市の「ARATAぎゃらりー」に絵を6枚飾って来ました。
個人収蔵の12点に加えて、18点が展示されております。
平和なればこそ、展示出来ますこと、有難いことです。

ARATAギャラリー/富士宮市
ARATAギャラリー/富士宮市
追加してきました。
追加してきました。

角倉了以が記念切手になります

本年は日光東照宮400年式年大祭ということで、さまざまな記念公演や奉納祭と言った記念行事が
めじろおしで、多くの観光客も賑々しく佳節をお祝いしているようです。
先日天下泰平祈願 日本芸術奉納美術展~真秀(まほら)~が、日光東照宮客殿で開催され
私も主催者側の要請を受けて出展していましたので、初日の10月31日に開会式に参列させて頂きました。
日光東照宮と一般社団法人世界芸術文化交流会の共催でした。
開会式ではキッズ太鼓 ゆりかご の演奏があって、その太鼓演奏にあわせ、書家の揮毫パフォーマンスが
繰り広げられました。
お名前は判らなかったのですが出来上がった作品を見て、インタビューに応えられておられる白髪の
美しい袴姿のご老人を歌にしました。
" 泰平のもん字書き上げ清し声 日光山の真空にひびく " 真空は
みそら と読みたいのですが、京都にお住まいの杭迫柏樹(くいさこはくじゅ)さんと知りました。
厚かましくもたまたま、将軍着座の間で、お祓いの儀式がありました際に書家の先生の左隣り
に居合わせましたので、歌をつくりましたと、ご披露。
お互いに顔を見せて、笑いあいました。そして、メモ程度の書き付けをお持ちいただいたのです。
その時の歌は「日光山」ではなくて「杉の木立」でした。帰りの電車で、推敲しました。
錦秋の日光山の灯ともし頃を帰ってきたのです。

さて、この行事に参加しました私の出展作品が記念切手になるそうです。
来年は家康公のご鎮座400年。これを記念しての切手に採用されました。
絵は「指揮(差配)する角倉了以」という題名で、豪商、角倉了以(1554-1614)を描いたものです。
何故かというと、徳川家康から御朱印を赦された角倉了以が、河川開削工事で亡くなった
工夫を弔うために京都嵐山の大悲閣千光寺を創建。大悲閣千光寺には家康公の大きな大きなお位牌が
奉ってあるのです。
その大きなお位牌を参拝したことがあって、ふと角倉了以を描いたのでした。

この記念切手の件は、共催の一般社団法人世界芸術文化交流会が発行するbunten(文化展望)56号
にて紹介されます。12月末発売です。
記念切手は枚数限定、日光山限定発売の模様です。

記念切手になる予定の絵  10号サイズ
指揮(差配)する角倉了以
記念切手になる予定の絵 10号サイズ
参道を飾る幟
当代徳川さまの幟
参道を飾る幟