我が家の紅葉

 先日奈良県の信貴山に紅葉狩をした。運良く平城遷都1300年記念御神酒奉納の特別展示かと思われる展示に行き合い、「青い雪・my birthday」と題した私のラベル付き御神酒に遭遇。嬉しかった。収蔵展には参加出来なかったから。良く晴れ上がった一日で、紅葉が美しく輝いていた。 
 11月5日〜16日まで、 日・ハンガリー芸術交流祭がブダペスト歴史博物館であったが、担当者からの連絡で、私が「ハンガリー芸術文化遺産特別賞」を戴いたとのこと。
2000年にあった、ハンガリー建国1000年祭の時に請われて一点を寄贈している。4号の小品。「らくだ」という絵。担当者さんの言うことには ただゆうこ はいろんな人たちが知っていたとのこと。誇張としてもうれしい。
 さて、我が家の庭の紅葉も日に照らされて美しい。上手に写せなかったがお見せしましょう。

ポール・アンビーユ氏の批評文

フランス語、英語、そして日本語です。訳してくださった馬郡俊文氏の語彙の豊富さで、アンビーユ氏の詩のような私への餞(はなむけ)でした。
感謝しております。ご冥福をお祈り致します。

追悼ポール・アンビーュ氏

 フランスの美術界の大御所、ポール・アンビーユ氏が亡くなられたとのこと。7月3日がご命日。享年80歳。3日前に知った。沢山の思い出がある。優しい人だった。
1989年にポール氏のクレルモンにある庭園で10号サイズを5枚、4号を1枚仕上げたことがある。雨のときには馬小屋ににげた。2週間のエコール参加。ここから私の絵画が始まったといっていい。なんとか5枚を仕上げようと必死になって、寒さと闘い、筆ふきのペーパーを身体に巻き付けていたが、その紙が脇からはみ出し、恥ずかしいので思わずキャンバスに貼り付けた。コラージュの始まりだった。一枚の5号サイズの絵を提供してくださったポール氏のご褒美の絵をわたしはとうとうじゃんけんで勝ち取った。じゃんけんには全く弱いのに、あの時だけはどうしたことだろう。10人以上はエコールに参加したから、はじめから私に下されるとは思わなかった。今も我が家の他のポール氏の絵画と共にコレクションしてある。最後の日の午後は批評の日であり、じゃんけんの日だった。
 エコールを企画してくださった欧州美術クラブ代表の馬郡俊文氏の名訳と共に次にポール・アンビーユの批評文を披露したいが長いので後で、といことで本日はおわりにします。ポール・アンビーユ氏に感謝の念を表して。

ポール・アンビーユ氏から絵をいただく
後方はポレットさん中央馬郡さん
ポール・アンビーユ氏から絵をいただく

京都のもみじ祭り

第64回嵐山もみじ祭り
うれしさは角倉了以の母の役
葵の衣裳 もみじ祭りに





 京都御所
舞ひ散れるくぬぎ右手にひとにぎり
をとこ出でゆく 御所は秋冷

今年の京都のもみじ祭り

 今年も京都のもみじ祭りに参加してきた。嵐山の紅葉が例年よりも美しかった。第2日曜日が14日と、中旬までずれ込んだためでしょう。お天気は上々とはいかなかったが、暑くもなく寒くも無し。薄曇り。風はそよかぜ。渡月橋の上流。大堰川は観光客であふれ、午後はボートも沢山出て、平安管弦船を操る船頭さんの竿捌きに感心。私は午前はカメラマンをご奉仕。祭りを彩る船の数が少ないので、観光客の視線が集まる。緊張感があって爽やか。午後は葵と橘の模様の衣裳を着付けしていただき、角倉了以の母親の役。
午後カメラを担当した夫は普通のカメラが嫌い。で、途中からカメラが壊れたといってデジカメを使用。カメラが動かないという。だだ単に36枚撮影が終了しただけ。ずーっと
使用していなかったので、忘れたらしい。私はデジカメ嫌い。どちらの写真もまだ見てはいない。
 13日は朝早く願成寺にお参り。阿保親王様の墓陵に御挨拶。3日のご開帳日には欠礼しているここ2年のお詫びを申し上げる。明石和尚さんが私達のためにお取り置きくださった御幣を頂戴する。有り難い。丁度炭点前の最中に小半時おじゃまをして昔のこと今のことを語り、ちょっと大きく育った芭蕉の木を眺めてお暇。
やはり上賀茂神社が外せないので、先に御祖下鴨神社をお参りの後、上賀茂神社に。葵の苗の里親にしていただこうという目的の下、担当の権禰冝さんに運良くもお会いすることができ感謝。
翌日の午後には葵の模様の衣裳で平安管弦船に乗船でき、本部席での式典に代理で出席させていただいき、今年のもみじ祭りは記憶に残る一幕。
15日は奈良に。平城京遷都1300年祭をお祝いして信貴山玉蔵院に御神酒を奉納した際に私の絵画から「My Birthday・青い雪」のラベルでご奉納させていただいたが、その御神酒が運良くも本殿に奉納されているところを目の当たりに出来て、これも大感謝。信貴山の紅葉はとても見事でした。聖徳太子が毘沙門天を感得したお山に訪問が叶いました。
阿保様のおもうさま 平城天皇のご陵には今回は参りませんでした。次回に参るところが無くなっては目的がありませんので。自動車道の右手にご陵を感じつつ帰りました。

願成寺でいただいたご弊
願成寺でいただいたご弊

仙台市みやぎ台

旅の空
望の月こがねの色にいできたり
杜の都に知己と語りぬ


旅の空 爪きる静寂 満月の
雫あつむる卵ゆで居り



群雀屋根ににぎはふ みやぎ台
矢車の花は白く咲きたり


鍵ひとつひろひものらし バス停の
標識板に冬陽浴びをり

宮城県&栗原市&若柳ありがとうございました。

 9月27日〜始まって一月半に渡った宮城県での展覧会が終了した。家を出たのが9月23日。義母の祥月命日でもあるお彼岸のお中日の法要を済ませて出発。11月5日の真夜中、丑三つ時に帰宅。夏服から冬服に変わって、多いに寒い思いもした。従弟の家でも弟の家でもストーブやら炬燵が出ていて、冬支度。宮城県迫桜高等学校での創立10周年記念展では初日に有賀小学校の児童教職員合わせて72名が訪問。母校の児童に抽象画の説明をした。音楽もお菓子もいわば抽象の世界。ということなど話す。そのまま町中の“あめやギャラリー”にもバスで移動していただき、たったひとつある町のギャラリーにご案内。一度期に72名もの大勢さんが入ったことなど皆無。ギャラリーのオーナー伊藤雄三氏は花火を打ち上げたかった、花火を打ち上げたかった、と2度云われ、嬉しさを語っていた。次代を担う子供たちが、「町にはギャラリーがある」ということの認識をいだいてくれたことが本当に良かったことなのだ。あめやギャラリーには高等学校時代のグループが35名まとまって訪問してくださったがそれを含めて350名程の方々にご高覧いただいた。
 岩手宮城内陸地震のさいに崩落した荒砥沢崩落現場での絵画教室は、子供に大人の参加者を入れて60名ほどの大勢。お天気も良く、地元の長老5名の見守る中で、蛇のひなたぼっこもあったりして、 NHKのTV,仙台放送のTV,河北新報、大﨑タイムスが取材、報道して下さった。事前には毎日新聞社が取り上げて下さっての前宣伝も有り難かった。
子供たちには「顔がそれぞれ違うように、イメージも違うはず。自分のイメージを大切に、他人(ひと)真似ではないものに挑戦。他人のイメージしたものを尊重しよう」と。それが世界平和に繫がればと願っている。
 仙台市での個展は初めて。10年程以前にグループ展があったが、同会場。まぁはじめての気がしないのはオーナーとは顔みしりの所為。いろいろと公私にわたって面倒をお掛け致しました。ありがとうございました。面倒をお掛けしたと云えば仙台市の名士・神永久雄氏ご一家。並びに河童亭の二代目久次郎氏、店長、親方。夫と延べ8回も。大変ありがとうございました。熊のクマソバ。美味しかったです。瓶覗き。私は運転手で飲めずにとても残念でした。サンマのお刺身、その他活き造りありがとうございました。
 仙台市では従弟の家一軒をかりました。これもとても有り難かった。自炊しました。といっても夜はほとんど河童亭でしたから、朝、つくりました。ハイ、パンを焼いたりだけでしたが。弟夫婦が持たせてくれた炊飯器とお米も最後の数日間は使いました。姉がゴーヤーの佃煮を送ってくれご飯の共に良かったです。どなたもありがとうございました。
 ところで同好会の「かっぱ村」の35周年記念祭も兼ねて仙台市に集まりましたが、遠くからは京都、秋田、東京、静岡・下田、郡山、横浜、二本松からありがとうございました。かっぱ村についてはこれくらいに。
 
 若柳から仙台市に観に来て下さったかた、仙台市から若柳に観に来られた方、京都や東京からいらして両方ご覧くださったかたとさまざまでした。長い期間お邪魔をいたしました故郷での展覧会、大盛会に導いて下さった多くのご協力者のみなさまありがとうございました。なかでも従弟の鎌田兄弟、弟の家族、同級生の二階堂富也さん、あめやギャラリーの伊藤雄三さんとその仲間のかたがた、ブログでお礼申し上げます。

ご無沙汰でした。

 十五夜。星を従えている。あんなに明るい月の左下に。月が明るすぎるから他の星は見えない。☆を従えた月。私の好きな夜空のありかた。いつまでも、月の消ゆるまで見続けていたい。
 さて、宮城県迫桜高等学校と若柳のあめやギャラリーそして仙台市での展覧会がはじまる。ここしばらくはその準備に追われた。今日午後暑い中を車に積み込んだけれど、80号サイズが入らない。50号3点30号2点、その他宅配になった。3箇所だからごもっとも。家中がダンボール箱だらけ。ダンボールの箱との格闘に疲れて、夜空を仰ぐ。今夜はゆで卵を外の月の下に。月の雫をいっぱいに受けたゆで卵をいただくのです。
明日から11月5日まで田舎と仙台市におります。遊びにいらしてくださいな。