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初詣

 あけましておめでとうございます。2013年、平成25年、お正月。初詣は2012年の大晦日、午後11:30過ぎには氏神さまの神明社におもむき、平成24年の諸々を乗り越えましたお礼を申し上げました。氏子の役員のかたがたは既に大勢お集まりで、かがり火代わりに暖をとる焚き火の周りで談笑。おかあさん方は、甘酒の準備にいそしんでおられた。
 午前0時の合図で、今年の初詣。一年間の無事と併せて、絵画でのたつきが成りますようにお願いを。御神酒を頂戴し、干支の交通安全札付きストラップをいただく。
 知り合いの方が多くいるので、お互いに “おめでとう” のご挨拶。甘酒を2杯いただいたところで、年配のご夫婦にお蕎麦を一緒に食べに行きません、とお誘いを受ける。既に年越し蕎麦は夫と食べていた。だが、ご一緒します、と応じる。さて、主祭神、恵比寿様、お稲荷様の各お賽銭で底をついてしまった私のポケット。夫を探して、お札1枚をもらい(何時も何があるか解らないといっている夫は財布を持っていましたから)、三人で蕎麦やさんに。遅くなってごめんなさい、と声を掛ける料亭の女将さんとご主人との三人。エビが終わって仕舞いました、といって若いご夫婦が遅くまで開けて待っていてくださったふう。野菜天の熱い蕎麦をいただきながら、これで年が越せると料亭の主。私は年を挟んでお蕎麦を2回も食べ、2度年越しをしたかも知れないと思いつつ、珍しい年明けを愉しむ。蕎麦も食べ終わり、ご夫妻とは右左お別れ。神社にまだいるだろう夫には声を掛けずに、神社隣りあわせのお墓の下の小径を、19日の月を仰ぎながら帰る。お墓には夫の家族が入っているので、ちっとも怖くない。義母が、うちの嫁なの、って云って笑っていることだろうと。傍で、義父や義姉がうなずいているわ。そんなわけで、年上のご夫妻にお付き合いをさせていただき、記憶に残る氏神さま詣りでした。氏神さまは天照大神です。

 お元日。午後4時。鎌倉に出発。徒歩とバスと電車で。大混雑は終わりかけの八幡宮。ほんの少しの時間列びについたが、これも恒例の初詣。本殿と、脇祭神の丸山稲荷、祖霊社にお詣りを。ここ数年来の我が家の初詣は、この後、中華屋さんでエビそばで虫やしないをして、行きとは逆に電車バスとを乗り継ぎ、葉山の森戸神社に。
ファミリーが二組とわれわれのみ。すっかり遅くなって、海風が冷たい。午後8時をとうに過ぎている。
 私は、歩き過ぎで足裏が痛い。すれたらしい。マラソンマンが靴擦れを起こして走れなくなった、ということがよく分かる。それでも森戸神社からは、海風を受けながら歩いて帰る。途中で、熊野神社が左手にある。夫に熊野様は?と訊くと、もう小銭はない。ということで、“おめでとうございます、通りますればよろしく”と、声だけをお掛けして、道の真ん中を歩きたがる夫を押さえつけつつ、徘徊老人手前の危険極まりない小老人に背中を押してもらいつつの帰路。午後9時。
20日の月が赤く、大きく、何時までも観ていたいところでしたが、汗をかきましたから、風邪を引いてはと帰宅。午前1時半に通ったお墓の下の小径を今度は夫と共にとーりゃんせ、でした。

多田祐子の薄墨  (鎌倉の大経師屋さんの店先で)
まだ名無しです
多田祐子の薄墨  (鎌倉の大経師屋さんの店先で)

いい湯だな を聴きながら

ラジオの湘南ビーチFMで流れている“ いい湯だな"を聴きながら。今年はいよいよ最終日が迫る。
今後の予定を4月まで書き込もうと思う。いろいろ薦められてではあるが、断りきれずのものばかり。
自らが計画は、アイデアも湧き、積極的に進められるが、どうだろう。
これからは若い人たちと一緒に進んで行かねばとは思うので、宜しくお願いします、といったところ。

過日、クリスマスパーティーで、壁にムンクの“叫び"のコピーが貼ってあった。
わたしが、あの叫びは、ムンクが橋の上で生きるか死ぬかというセトギワデ、「誰か絵を買ってー!」
って叫んでいるのよ、と云うと、小学校5年生の子に大受け。笑いがなかなか止まらない。
あまりに受けたので、アンコール。
今年最後の演技は、ムンクの叫び、でした。

平成24年は明日で終了。沢山のご親切、出会い、ご面倒、ご協力、お気持ち、応援有り難うございました。
夫が心臓の上に出来た大動脈瘤の手術を受けて、咳も止まり、イビキも小さくなり、お互いによく眠れることにも
感謝の一年でした。
来る年もよろしくお願いいたします。
みなさまには佳い年末年始でありますように、お祈りいたします。

ふじぐも

説明?なし
木花咲耶姫・世界遺産に
説明?なし

第57回多田祐子展ご案内

 57回目を数えます展覧会のご案内をいたします。来年2月18日〜27日までの期間です。24日の日曜日は休廊ですのでご注意ください。
下北沢駅下車、徒歩3〜5分のところです。1階が家具屋さんで3階のスマートシップギャラリーです。(世田谷区代田6-6-1 フォレッジオ下北沢3F)

2月、東京にご用とご旅行の予定のある方はどうぞお立ち寄りください。新作20数点を発表いたします。

100号サイズ部分(新作)
下北沢
100号サイズ部分(新作)

紅葉狩り

 12月1日土曜日。少しの間、小雨が降りて寒い都内。井の頭線の駒場東大前で下車。駒場公園に。旧前田侯爵邸洋館、〃和館そして日本近代文学館を訪問鑑賞。散歩道は雑木林の間。どんぐりが無数に落ちている。和館の庭園は丁度見頃の紅葉。縁側から金沢の兼六園を思わせる雪吊された松の木に混じって赤や黄色に色づいた深山紅葉が数本。おもわぬ都内での紅葉狩り。洋館では美味しいコーヒーをゆっったりといただいた。ベルギー製のクッキーが添えられていた。昭和4年に建築されたという前田侯爵邸。中庭を設けて、応接室、サロン、大食堂(これは見学出来ず)、階段広間から2階の書斎、婦人室(次女室、婦人室、)寝室、3女室、女中部屋、会議室、執事室、3男室、少し広い長女室と時計の針とは反対回りに見学。目黒区の管理下にあって、東京都の有形文化財であるが、都民ならず、国民の財産として大切に保存されたい。建物のデザインはチューダー様式といってイギリス後期のゴシック様式を簡略化したものだそう。落ち着いた雰囲気と装飾は雑木林の中でその野趣に見事にマッチして、豪華に、自然の巨木と共に、その豪邸はありました。おとぎの国に遊んだ1日でした。

駒場公園和館の庭園
深山紅葉
駒場公園和館の庭園

手習いをしようか?

 先日ある文化祭を覗いた。文字が上手くないわたしは手習いの時間を持たないといけないなぁーと考えている。たまに歌を作り、ひとさまに書きおくったりするから。モデルの人がいる時には特に手習いが必要だと思うが間に合わない。上手くもない字で申し訳なく思いつつ贈る。
 さて、文化祭の会場で思わず2周りしてしまった短歌のコーナーだったが、文字が皆同じ気がする。手習いも続ければ同じになるか? と、歌の内容はともかくも、30〜40枚はあっただろうか、短冊のサインまでジッと見入った。あまりの不思議さ。勧誘のために近づいてきた女性に訊いてみた。何年くらい歌と手習いを続けていらっしゃるの? 応えが更にびっくり! “字はみな先生にお願いして書いて頂いたのです” 実は歌が内容もほとんど同じで感動がない。と言っては失礼だが、文字も一緒だからきれいな風景の歌が個性を持っていない。誰が悪いということになる。先生! どんなに頼まれてもご自分で書きなさい!っていわねば。です。
 その後で、自分の短冊に出会った。まずい字だなぁ。歌の内容はすこぶる良いのですが。

鳥からの手紙 パステル画
パステル画 2012・10
げんげ蒔く
パステル画 2012・10

富士宮市は8ヶ月ぶり

 午前11時45分頃に富士宮市駅到着。車窓からはすでに大きなおおきな富士のお山が望めていて、山頂に薄い雪をいただいた霊峰を眺めながら駅を降り立つ。前方の富士山を携帯電話で撮影。留守の夫にメール。返事は“何処に富士山?”。建物の間から、富士山の大きさが判るようにという思いの撮影は、失敗らしい。目には大きく見えているのに撮すとそれほどではなくなる。
 街中を行くと、「このはなさくやひめ」の幟かんばん。プロのかたのデザインの中に「木花之佐久夜毘売命」のお顔のみ描かせて頂いた。オイルパステルで。急ぎ描き送付した時にあぶら紙をあてておいたが、そのあぶら紙がわずかに下にずれたか?お口の下あたりが
ほんのすこしピンクが濃い。次回があるなら印刷の時に立ち会いたいものだ。
 翌日の帰りぎわは美しい夕空。
ゆうさりて富士駅発てば既に無し 赤きふじ山もも色の雲
 と歌にしたが、富士の霊峰も浮かぶ雲も桃色でした。でしたから、桃色が少し濃かったことを「このはなさくやひめ」さまがお許し下さったかと、帰って来ました。

 さて、よんで下さった講座のみなさまには喜んでいただきました模様でありがとうございました。
また12月7日、8日と今度は夫金城と共に参ります。忘年会と「咸臨丸」のお話しを伺いに。

幟かんばん
木花之佐久夜毘売命のお膝元・富士を世界遺産に
幟かんばん
オイルパステル画・富士宮市に持っていく寸前でお買い上げをいただきました
青ふじ
オイルパステル画・富士宮市に持っていく寸前でお買い上げをいただきました

Affordable Art Fair Seattle 2012

 短いアートフェアーが開催中だ。シアトルには絵のみ行っている。ポップ調のブルーの絵。担当者さんの好みに従った。
お話しがあった季節にはイチローがシアトルにいて、フーン シアトルねぇ って行ってみたい気持ちがあったが、財布のほうで、無理。メキシコ経由でキューバに行った時に、シアトルの近く、バンクーバー空港を利用した。バンクーバーはカナダだった。バンクーバーも空港だけ、行ったとは云えない話し。
 
 さて、いろいろせわしない。漢字で書くと、心を亡くすということで、ひらがなにしたい。
過日、岩手県の山田町立大浦小学校から思いがけずに、お礼の手紙が来た。夏の慰問の旅で、仮設住宅住まいの知人にお持ちしたお菓子が、小学校に届き、全校遠足の日のおやつに役だって、それでお礼の手紙をいただいたのだが、校長先生と児童代表のお手紙、そして校報の文面に思わず涙して、突き上げられるように描いたパステル画が額装なってきて、学校にお届けした。月曜日には届くと良いのだが。
 14日には富士宮市に講演で行く。絵を持ってきてかまわない、という主催者さんのお言葉で、15点準備した。わたしの分身と一緒なので、わたしとしては心強い。絵をみていただく方が話しなどよりまし。と。
 そんな今日、友人のひとりが亡くなった。14日が葬儀という。足利市。14日、都合が悪い。遠いので12日か、13日にお悔やみに
行かねば。よく人が亡くなる一年である。

わらさ・はまち(関西で)

 昨日夕飯中に“ブリの子ども”食べます?という電話があった。友人と3人での御夕飯。友人が買ってきてくださった焼き豚をあてに、夫も友人も手酌でアルコールを飲みつつ。
ブリの子ども。さわらじゃない、わらさ、だ。直ぐご近所の人からの電話。丁度いいねぇ! わたしは直ぐに玄関に。少し待ったが、早すぎたか、と、またテーブルに戻って、
待つことしきり。そうかぁ、きっとお刺身にしてから届くんだね。ということで待つこと30分ばかり。玄関でピンポン。友人が飲まなかったビール缶一本持って玄関に。
ということで、なんと一本まるまるのわらさをいただいたのです。電話は近所のご自宅からではなかったのでした。
 今日揚がったばかりなので、明日が食べ頃という。その明日、金城は大まな板を物置から出し、包丁を研ぎ、2時間半がかりでようやく一口の大きさに。
 友人は惜しいかな昨夜の酒の肴にはありつけなかったので、今日お届けしたいところ。が、切れ味が美しくない!切れない包丁のせい?
 例によって教則本を片手にさばいたのでした。
 お届けしようか、ただ今考え中。

わらささん
うろこをとられました。
わらささん
頭は、大根と煮ます
お刺身の前
頭は、大根と煮ます

思わぬ通信・通心

 18日の小雨のなか、一通のA4の封書が届く。雨に濡れないように気を配った風で配達のひとの親切な心が伺われる。
 山田町立大浦小学校とある。急ぎ開封。校報「おおうら」3部。児童会長6年 山崎寛奈さんからのお礼のおたより。そして校長 中村登志江先生からのご報告とお礼に加え、今後の取り組みの決意がしたためられたお手紙であった。
 9月9日の日曜日に大浦仮設住宅に知人の川端弘行、京子夫妻をお訪ねした。3.11の大地震と大津波によって仮設暮らしを余儀なくされておられる。先のブログにあるように、
東日本慰問の旅でわずかな慰問品をお届けした。その慰問品の配り方にご配慮をくださった川端夫妻から「お菓子」は個包装されていたので、校長先生にお話しして、小学校にお届けした旨のご報告とお礼のお手紙をいただいた。なんと足りたのかしら?という思いがあったが、一番良いとご夫妻が判断なさったこと、郷土史研究家で、学校評議員の川端氏、流石! と感心しておりました。
 さて、
 私達に届いたお手紙には、そのお菓子、28日の全校遠足の際のおやつに配られたのでした。おやつは無い予定だったそうで、子ども達は大喜びでした。と校長先生。
42人の一年生から六年生の児童たちが4〜5列になって列んでいる写真も載っている校報「おおうら」を読むと“おやつ付きの遠足となりました。ありがとうございました”と
書かれている。思わず涙ぐむ。個包装は50個。先生方には渡らない人もあったのでは。わずかなお菓子と、あめ玉2個の内容だったのですが、袋詰めした甲斐がありました。
全校42名。みんななかよしです! 勉強も、運動も、さんさも頑張っています!! と、さんさ踊の写真も載っていました。
復興へ向けてどうか地域全体で進んでください。
 お手紙通心、ありがとうございました。夫金城が言いました。また行きたいね。