続き

写真が一気に入りませんでした。
もう一枚は入れたいのに入りません。又後日

ノンフィクション作家大野芳氏のご挨拶後
ノンフィクション作家大野芳氏のご挨拶後
撮影オーケィ
撮影オーケィ

展覧会は終了

9月9日重陽の節句。菊の花ははびこる雑草に覆われてもはや無い我が庭。
黄色の菊の花を買ってこなければ。黄色の菊の花ビラをお酒や料理に載せていただくと有り難い気がする。
菊の花ビラは血流を良くする脇役。

さて、第62回多田祐子展は終了した。はじめは残暑の中をと思ったが、北朝鮮のミサイル発射問題、
秋の長雨などが人の足を止めたらしく、何時もの展覧会と比べるとご来場者数は半分。
そんな中数点がコレクッションされ、人の手に渡りわたしの手から離れた。
長くニューヨークにあって日本初公開の油彩1点と66点の展示であった。
飾りきれなかった作品共新作で、何処かもう一回展覧会でお見せしたいものだ。
10月に一応予定されているブルネイ国での展覧会は、今現在国際交流基金センターからの返事待ち。
基金の提供があれば持参または輸送するだろう。

パーティー模様を掲示します

差し入れの食べ物もあって
差し入れの食べ物もあって
30人のパーティー模様
30人のパーティー模様
ちぎり絵の説明中
ちぎり絵の説明中

2日目の展覧会は

朝早い出来事。北朝鮮のミサイル発射。日本上空を平気で飛ばすということ以上に
危険極まりない行いを続ける独裁者。小さなこの私にも少し影響があって、2日目の
展覧会場は、がらんどう。
わずか8名の方がお越しくださっただけ。
ビル1階の看板を見て、興味持たれご来場くださった方が2名おられ、版画家の方、
水彩画を描かれる方だった。水彩画を描かれる方はメルボルンに明日帰るという
オーストラリアからの旅行者。

北朝鮮のミサイル発射問題があっても一般人の私には、何もできない。
ただこの先が本当に怖しいと思うばかり。

先の写真掲載が無いものをアップしておきます。

観音様の頂にお坊さん 左 と かっぱ 右
観音様の頂にお坊さん 左 と かっぱ 右
表の看板
表の看板

第62回 多田祐子 展 会場風景

午前中かかって逆さまになってしまう写真をどうにか、解決。
今少し前に、展示作業を続けてくれている担当者さんから会場風景写真を
メールで知らせて来ました。
28日月曜日から始まります。67点展示しました。壁に飾れなかった作品
2点はミニイーゼルで、デスクにおきました。
「かっぱ」と「観音様の頂きにお坊さん」の2点です。

ではスマートシップギャラリーでお待ちいたします。

えんとらんす付近
えんとらんす付近
油彩画右サイド 奥・オイルパステル画
油彩画右サイド 奥・オイルパステル画
ちぎり絵左側・奥オイルパステル画
ちぎり絵左側・奥オイルパステル画
エンピツ画左側 オイルパステル画 右
エンピツ画左側 オイルパステル画 右
右端/油彩画
右端/油彩画
40号の油彩画/バイオレットヘッド(中央) とオイルパステル画
40号の油彩画/バイオレットヘッド(中央) とオイルパステル画

逆さまですが

どうしても逆さまにしかアップ出来ません。
明日試みます。

飾り付けの途中です

28日から始まる展覧会の搬入、飾り付けをしてきました。途中までで、残りは画廊の担当者・Sさんが
致します、と言うお言葉に、安心して帰って来ました。
何せ小品が多く、67点の飾り付けです。
油彩は予算も無く、額なしです。お買い求めの方の趣味に副いたいと思います。
これまで頑固に自分の好みで額装してきたのですが、その額屋さんが閉じました。

さて、その途中の飾った壁の様子を2枚ご披露しておきます。

おやおやどうしても逆さまに

作業途中です切り絵
切り絵 そして パステル画
作業途中です切り絵
油彩
油彩

第5回 多田祐子 きままや展

従弟が自身の店 “きままや” で開催してくれている展覧会が五回目を数える。
“きままや”だけあって、食事の予約なしに来られたというご夫婦が、何か食べたい、と
希望されたが、叶えてあげられなかったそう。遠く石巻から、絵を見に来られたそうな。
はなしを聞いてお気の毒と思ったけれど、従弟は、料理を半端には考えていない。
人数分の仕入れをして、品数も豊富。
小学校の校長だった彼は、充分に人情は持ち合わせているが、私に出す賄いの料理で
お客様をもてなすというわけにはいかない。絵を見に行かれる時には、どうか覚悟を。
食べる時には、時間がかかりますから。

河北新報の記事をアップします。奥に見えるのが従弟です。

もう一点は、28日から始まる下北沢での第62回多田祐子展の案内です。

新聞より
新聞より
ご案内のはがき
ご案内のはがき

果てもなく

果てもなく
果てもなし夢つづくなりあかつきに
覚めてひととき物思ひせば


暑い 日 々 、ここは水不足
平均して降って欲しいが。言葉にならない
災害地。お見舞い申します

雑なる思い

ヨハン シュトラウス2世の曲が流れる朝の食卓で、ウィーンの思い出を語り、なんとか
穏やかに暮らしている。
38年間続けてきた夫の会社を、解散すべく、法務局へ書類を提出した。
素人の私たちは、解散 閉鎖の手続きを自分たちでやることにして、解散登記所が辻堂
にあることを知った。これまでは、横須賀の法務局出先で間に合っていたのに。
しかも電話予約制という。今日 明日直ぐに速やかに進行しない。しかしなんとか
議事録のことも、辻堂の法務局の机を借りて作り、日付だけは会計士さんに相談したほうが
良いのでは、という窓口嬢のアドバイスに従って持ち帰り、一度書き込んだ日付を訂正印を
あちこち押して真っ赤になりそうな書類を提出した。およそ一週間後に解散登記が
出来、管轄の鎌倉税務署、県税事務所、葉山町に提出した。
あと二ヶ月後に閉鎖の議事録を提出して終了する。
この38年間、税金を納め、各種ローンを払い、私多田祐子のメセナ(芸術擁護)を続けて
くれた夫は、二度、エンジニアを育てるべく人を雇い、メーカーに預けたが1年程で覚えると
独立してしまうことがあって、三度目は挑戦しなかった。夫の仕事は特殊計器サービス業。
メーターのメンテナンスということだが特殊がつく。75歳が近く、仕事はこない。

、、、、ウィーンの思い出を語りつつドナウ川を眺めた話から、私はブタペストのドナウ川、
チェコのボルダウ川(ドナウ川の支流)も見たと言うと、俺は見ていない、と。また行く
ワよ!一緒に、と私。

今、8月28日からの展覧会にむけて案内状(DM)を製作中。そして1年程止めていた豆
冊子を作っている。短歌が80首に及んでしまい、日記のような短歌だが放出してしまわ
ないと次に進めない私は、経済的に困窮しつつも、藤原定家や中国の春秋時代の管仲の
逼迫状態に心を寄せて、作業している時は経済のことを忘れられることも手伝って、働い
ている。(稼げない仕事)。
一方、故郷の応援団長をかって出ている従弟の居酒屋「きままや」では夏の恒例の
展示会を開催してくれて、一週間が過ぎた。五回目という今回は私の新作数点に加え
て、故郷の人たちが持つ作品を借りて展示している。
会場の様子を写メールで送信してくれているらしいのだが、互換性のないツールで
受信できない。残念!

豆冊子は展覧会のご案内フライヤーが出来次第一緒に送りたいと思います。お待ちください。