をんなの時間さまざま 34

私の手作り歌集豆冊子、をんなの時間さまざま は34冊目。
夫の喜寿を何もできないので、お祝いに急ぎまとめた。
“連れ合いは喜寿に” の副タイトル。62首。これ以上厚くなるとホッチキスで苦労する。
氏子として、神明社をお祭りし、20年ほど振る舞いをしてきた。ご近所の奥さんと。
その奥さんが、神様のことだから、と。
ご近所中の年配のお母さんたちに助っ人を頂きつつ。またはゴーヤチャンプルーを作るので、
ゴーヤを栽培しておられるお父さんに、ゴーヤをたくさん頂いて。
一番若い助っ人が軽トラックを出してくださって、料理を皿ごと運ぶ。運転手も。
お団子は、岐阜県高山市のホテル“焼岳”からのご提供。300個は直ぐに無くなる。

主が居ないのでは振る舞いもできないので、一時帰宅してもらった。夫に祭りの格好をしてもらい
4人がかりで、会場まではこんでくださった。車椅子ごと、ありがとうございました。
その金城を裏表紙にして、豆冊子は出来た。一番に金城に見せると、手に取って、見ている。

一番最初に詠った歌は、絵描き仲間が、絵を描く道だけが残った、というので、家の中の通り道
とあわせた。姉の孫がサッカー少年で、東京代表でマレーシアに行き、それも歌にし、
施設では夫は静かに寝ていないことが分かったこともあって、直ぐに数は多くなった。
最後にお正月の歌があるが、来たる9月に川崎駅側での展覧会に、「門松」微笑み(副題)という
作品を出展。選者がオランダの評論家。歌を添えた。訳していただき、意味を判っていただこうと
いうさんだん。この絵は長い間ニューヨークのMr.Jainの画廊に預けっぱなしであった。
一度銀座の個展で発表したが、大勢の人に見てもらっていない。

さて、豆冊子の表紙と裏表紙をアップします。
お読みになりたい方は、コンタクトください。

をんなの時間さまざま 34
連れ合いは喜寿
をんなの時間さまざま 34

新天皇・新元号改元記念 至芸の邂逅展 2019

上記のタイトルで8月の15日から17日にあった、愛媛県松山市の萬翠荘での発表は短歌作品であった。
ステンドグラスに作品が書かれて、届いた友人からの写真によるととても可愛らしい。
萬翠荘は国指定の重要文化財なそうで、松山市の市政130周年を記念して、合わせての目出度い
展覧会であった。
生憎とお盆とかさなり、ご先祖さまが戻られるとあって、松山市訪問は叶わなかった。
大学3年の時に、リュックを背負い、ビーチサンダルばきで、およそ3週間の四国巡りひとり旅のときに
ひとり旅の私を泊めてくださって、洗濯機を貸してくれたお宿のことが忘れられない。
道後温泉であった。もう一度訪ねてみたいが、叶うだろうか?
さて、届いている写真を掲載します。

同時に作られた令和元年からの一年間のカレンダー、題名は『こげ茶の意地』です。

友人と企画会社の顧問・正岡明氏/撮影  企画会社サイド
正岡明氏のお母上のお父上さまが初代松山市市長さん、加藤拓川医師 とのこと
友人と企画会社の顧問・正岡明氏/撮影 企画会社サイド
令和元年からの一年間のカレンダー
こげ茶の意地/撮影・友人の清水良子氏
令和元年からの一年間のカレンダー

九谷焼xアート展2

12月2日から〃7日までのグループ企画『九谷焼xアート展2』の作品を昨日画廊に送ったところ。
前回は赤絵で「元禄』という作品を絵付けして焼いて戴いた。
画廊サイドが第二弾を企画。早くから私にも参加をというか、もう次は『青』でいきましょう、とのこと。
赤絵はどうにか8枚お買い上げ戴いた。素晴らしい出来でした。今回も間違いなく素晴らしい出来栄えの絵皿になることでしょうが、
ご注文のほどは今回はどうでしょう?私も早くから宣伝しなければと思い、ブログします。
『雲の上では』というタイトルで、1000m級の高い山の上にキャンバスを据え描いたものです。雷は下に落ち、おみなえしの花は
既に枯れていました。後はご想像ください。
九谷焼の堀江祐夫子氏によるトリミングも楽しみです。

次の九谷焼xアート展2で絵皿になる「雲の上では」
I am Here
次の九谷焼xアート展2で絵皿になる「雲の上では」

明日は満月

旧暦では7月15日。明日は戦没者を追悼し、永遠の平和を祈念する一日で8月15日。旧盆と月遅れ盆も重なった。珍しい暦物語。
台風が近づいていて、夜空の月を眺められないことだろう。昨日8月13日の13夜は美しい夜空に月影を飽きること無く眺められた。
さて、曇っていようがいまいが、月は出ている。出ているのです。

私の作品の中で「月」という絵があって、ルビを「うさぎ」としたものがある。
ワインラベルになって、フランスのパリ、ベルシー美術館にラベルが永久保存された一点である。
明日は望月・満月が見られそうも無いので、その「うさぎ」を掲示します。

個人収蔵 /50号
「うさぎ」=「月」
個人収蔵 /50号

今日の同窓会で

8月3日、夕刻から大学の同窓会が横浜であって出席。
恒例のくじ引き、景品当選のチャンスには例によって当たりくじを持っていなかった。
しかし、後輩である横浜べィスターズ、DeNA の山﨑康晃投手のサイン入り自伝書を
司会者と全員のじゃんけん対決で、わたしが一人勝ってget
一っ冊景品として持ち込まれたものをである。
ハマのクローザー、初の自伝!
帰りがけの電車の中で読みつつ帰宅。『約束の力』
掲示します。

約束の力
サイン入り
亜細亜大学青々会横浜支部総会で

昨日のこと・続き

昨日の日イラン外交関係樹立90周年記念芸術作品集『美がつなぐ4700マイル』発刊記念式典ではイラン文化センターの
森島聡氏が通訳を担当されました。メモ無しで、日本語に、そしてペルシャ語に訳されます。すっかり感心してしまいました。
若い頃、私はいわゆる “あご あし やど” の国際会議とうの時などは主にお金を扱う担当部署でした。
ご一緒していただいた田中とも子氏は通訳の担当でした。詳しくは省きますが、京都国際会議などでは、東京のホテルや、京都国際会議場、
そして京都のホテルで一緒に働いたのです。お会いする度に遠い日の思い出に立ち返るのです。
その田中とも子さんと、メモ無しで通訳される森島氏のこと、二人して誉めあっていました。

森島 聡氏と撮していただいたものを掲示します。

森島聡氏と田中ともこ氏(右)
撮影/イラン文化センターの方でパキスタンの方
森島聡氏と田中ともこ氏(右)

日イラン外交関係樹立90周年芸術作品集『美がつなぐ4700マイル』発刊記念式典

今日7月20日午後2:30〜16:30、東京都港区南麻布の駐日イラン大使館において、タイトル(上記)の式典が挙行された。
出展の私もコレクターのひとり、田中ともこ氏に同行を願って、参席した。
イランとの交流は歴史が非常に長く、奈良時代に遡るとのこと。正倉院にペルシャ様式の工芸品が数々残されているとのこと。
平城宮跡地から出土した八世紀中頃の木簡にはペルシャを表す名字を持つお役人の名前が存在するとのこと。
シルクロードを経由して古代日本にイランの人々が渡来していたともいわれているそうです。
そんなイランと日本の外交関係樹立90周年記念芸術作品集『美がつなぐ4700マイル』発刊がなされ、芸術を通じた両国の友情の証しとして
在東京イラン大使館の文化部門のトップである文化参事官、ホセイン・ディヴサラール博士より感謝状が贈られました。
レセプッションでの美味しいポテトサラダをお代わりをしていただきました。
なによりも駐日イラン大使のモルテザ・ラフマーニ氏のご参席と祝辞があって、感謝状は、ホセイン・ディヴサラール博士と、主催者の
国民みらい社長小林氏と、イラン大使ラフマーニ氏の三人で、代わる代わるお手渡しされたのです。
なお、習慣から、握手は出来ませんでした。男性間では問題が無いそうでした。

合間には弦打楽器、サントゥールの演奏が岩崎和音氏によって奏でられ、クルミの木で出来ているというサントゥールという楽器の音色を
愉しみました。
何点か写真を掲示します。

感謝状をいただきました
撮影/田中ともこ氏
感謝状をいただきました
文化参事官ホセイン・ディヴサラール博士と田中ともこ氏と
 撮影/イラン文化センターの方でパキスタンの方
文化参事官ホセイン・ディヴサラール博士と田中ともこ氏と
「旧き もの』私の作品左と
 撮影/イラン文化センターの方でパキスタンの方
「旧き もの』私の作品左と
感謝状
感謝状
訳文
訳文

目眩

目眩が続き、医者に行きました
めまひには小突きて半年医師いひし
ゆったりしてねにケーキ買ひ来し




日に千度奇跡願ふは彼ならず欲深き
かなわたしの願ひ



日に千度願い参らす回復を短冊にし
て七夕の夜

脳出血のあと施設に日を送る
夫 金城は車椅子を押すまでに
なっています

肘傘雨

つい最近知った言葉に「肘傘雨」というのがあって、これで歌を作りたいとおもっていたら、今朝出来た。独りで朝食中に。
江戸時代の版画にこの「肘傘雨」が描かれているものがあるそうだが、そういえば見たことがあるような無いような。
どんな絵柄かも判らないから、当然、作者名も判らないままにいる。
短歌の大家から送られて来たA5版冊子のなかの一首。知ったばかりで、使いこなせるかどうか判らないままに、気に入った言葉。

今夕も夫を背に施設出る車直ぐそこ肘傘雨で  
   詠み : 『こんせきも つまをそびらにしせつでる くるますぐそこ ひじかさあめで』    祐子

ノウゼンカズラが咲き始めていました。

半夏生の今日は、雨も小止み状態。ノウゼンカズラが咲き始めているのに気が付かずにいました。
そろそろお仕舞いの紫陽花が、哀れな色合い。右手にある山紫陽花は、相当切り花としてカットされたのに
まだまだあります。
ノウゼンカズラに頭を貸している柘植の木はいささか可愛そう。ノウゼンカズラの花が終わらない限り
剪定出来ません。施設にいる夫 金城に見せようと撮影したのに相変わらず眠っていて見せられませんでした。
起きた頃にはこちらが忘れています。

ノウゼンカズラが咲きました
ノウゼンカズラが咲きました