この1週間
焼岳に行き、高山市で美味な焼肉をご馳走になり、美味しい鰻にあずかり、神岡のある酒店では、コーラスタイムを楽しんで、押し寿司、箱寿司をいただき、ホテルでは、総料理長のご自慢の季節のさまざまな食べ物ばかりを愉しんで来ました。残しては罰アタリ! なので、その辺は苦労いたしました。
焼岳に行き、高山市で美味な焼肉をご馳走になり、美味しい鰻にあずかり、神岡のある酒店では、コーラスタイムを楽しんで、押し寿司、箱寿司をいただき、ホテルでは、総料理長のご自慢の季節のさまざまな食べ物ばかりを愉しんで来ました。残しては罰アタリ! なので、その辺は苦労いたしました。
ユネスコパリー本部での国際平和美術展と、ロワール地方のお城で開催される展覧会に出展した。
生憎と出展者ツアーには参加できないが、ご案内します。
秋のフランスにお出かけの計画があるかたは、覗いて見てください。
台風一過の夜空に輝く月が昇ってきたのは、17時前。釣瓶落とし,日没が速い。東の空に白い月がふっと現れている。表に出て仰ぐ。
月の光が増してきた18時頃に、お供えをして、再び表に。
東西南北と天地の神さまに感謝とこれから先の事柄が無事に済むことなどをお祈りした。
早い夕食が終わり、というのは、今日は休肝日にするという夫の言葉で、早々に食事が済み、
十三夜の月を描いてみた。
3号サイズのキャンバスに、薄塗りだが。
20時前位にはもう雲に覆われ、見えない。
見えないが出ている月が大空を渡っていくことに、思いを馳せて。
先日ハワイ大学学長のレオン リチャード氏から直接お手紙があって、作品の寄贈の願いであった。ハワイ大学における教育のために使用されるとお考え下さい、とある。この10日あまり、新作にしたものかどうか、とにかく描き始めたら、夫が珍しく口出しをする。新作じゃぁダメだよ、と。多くの人の目に触れたものじゃぁなきゃ、というわけ。されど、小品はあまり無い。どれも3・11のあの大災害で、色調が淡くなって、強い色調のものが無い。
描き始めた絵も、なんとなく放ったらかしに。8号サイズという上限(わたくしの作品は)。
倉庫に入って、8号サイズの絵を探す。在りました、有りました。“草原の十字星” です。やはり淡い絵ですが、これしかない!
北鎌倉古民家ミュージアムでのあじさい展に飾り、宮城の従弟のきままやにも飾ってある?。それほど多くの展覧会に飾っていないが、そこそこ人気があった。安くないので、売れずにまだ手元に残っている。残っていたわけは、そうか、ハワイに行くためだったか。
そんなわけで、ここ10日ほどが過ぎた。昨日梱包を終えた。websiteの作品群には掲載されていない作品。プロのカメラマンがエジンバラに行って日本には居なかった時期の作品。その内に自前の写真でお目にかけましょう。
因みにこの寄贈の一件は、一般社団法人 世界芸術文化交流会が企画した、「ことなしの美術展 州立ハワイ大学収蔵」州立ハワイ大学カピオラニ・コミュニティカレッジ開校50周年記念事業 ー『終戦70年 〜事無しに、霊験なる御霊を祈り、芸術の架け橋で世界を繋ぐ〜 』ーということで、未来の平和を祈り寄贈に応じます。
今、御嶽山が水蒸気噴火で多くの登山者や登山愛好家が被害に遭われ、死者も多く、火山灰に覆われ見つかっていない遭難者がおられるという時に、心からお悔やみ申し上げますとともに、ご冥福を祈ります。 さて、一週間前に焼岳に行きました。上高地にも行ったのです。夫は今年2度目の上高地。数え切れないほど来ているという友人は、こんなに晴れ上がった日はめずらしいわよ。と。とにかく雲ひとつ無い。ロバの耳やジャンダルムもくっきり。振り返れば焼岳。こちらも見てみて、見て!。 わたしは初めての上高地。いつもこんなだろう、と思ってしまう。穂高連山、焼岳、河童橋。朝早いこともあって、ひとが少ない。 運転は、最近は包丁よりもハンドルを握ることの多い、総料理長。総料理長さんはお宿の主から言われた集合写真を撮ること、の プレゼントのために、河童橋のたもとで、わがままな我々、バラバラ状態の客を待って居て下さる。 そこでまづは記念写真撮影。岐阜大学のドクター夫妻、お宿の主の友人、我々とわたしの名付け子。6にん。みな晴れ人間。わたしはボタンのかけ違いがクッキリと記念写真に残る。夫はいつものことと、教えてくれず。その夫が先頭をぐんぐん行く。どうも明神池まで行きたそうな気配濃厚。帰りの時間は考えていない様子。声に立てて、呼び止め、良いスポットまで行き、引き返す。夫は朝からすき焼きを食べているんだったわ。 お宿の主のお薦めのケーキを食べに、ホテルへ総料理長のご案内。大きめのコーヒーカップでコーヒータイム。 総料理長では長すぎるので縮めて、総長。早朝よ!ということで、車の中では総長。総長も新発売のフルーツの盛り合わせを、味見。流石、総料理長。 途中の大正池でも、わがまま部隊は総長にストップを、おネガイ。 帰ると、お宿の主は待ちくたびれていて、普通は2時間もあれば帰ってくるのに! こんなに長い間待ったことはないよと、ニコニコ。我々は4時間余り。 遅めのランチにご自慢のインドカレーを戴く。 前日の夕刻に展示したわたしの絵「花かざり」の前にレストランにいた皆で集合。集合写真に収まった。 (朝早くにブログ・その文章全部をボタン一つで消滅。ゴミ箱にも無くて、再度ブログ。二度目はなんだか、少々雑?で、短い)
先日、上記の展覧会報告書が届いた。ドイツはシャルロッテン宮殿で、日本は池袋東京芸術劇場でそれぞれ開催されたイベント。ドイツには生憎と行かれなかったが、池袋東京芸術劇場には、出かけてみた。 ドイツからお客様がいらしていたので、敬意を表して。 アーティストを代表して、スチューデント氏、カトリーナ氏が、日独協会事務局長のシュミット氏は、流暢な日本語を話されて、日本の隅々を旅行されたお若い頃の思い出を交え、挨拶下さった。8月22日の夜でした。 もうすぐ、ドイツでのフェアーがはじまる。 スマートシップギャラリーから、小品5点を出品している。 17日から21日まで Postbahuhof/Berlin が会場。 ご案内します。 写真は「絆展」のものです。
7月23日、千葉県館山市に叔母宅を訪問。かねてより、お祖父さんの書を一幅あげるから取りに来るように、との話があって、
頂きに行ったのです。いくつか自分の母親が押入れにしまいこんでいるなかから、貰い受けてきたのだというもの。
叔母さん宅の床の間には、「天照大神」の一幅があって、79歳の時のもの。稲穂を束ねて書いた書もあったけど、人にあげちゃった
のよ。と。いまの私にとっては、是非にも欲しいものだったが、遅すぎた。
母の妹の気の変わらないうちに、「教育勅語」しか残っていないんだけどね、ということで、フェリーに乗って、頂いてきたもの。
ブログします。80歳のときの書です。
近くに金鶏山という山があり、金成吉次が平安時代に京の都に金を運んだ、金のとれた山でした。
その山から師匠にいただいた銘が「鶏山」です。
8月28日、ロシア芸術協会よりエルミタージュ世界芸術遺産作家選考委員会 選考委員長 クリスチィーヌ・モノー氏
ということで認定証がとどいた。
エルミタージュ美術館開館250年を記念しての行事とのこと。
日付は今年平成26年3月1日とあって、およそ5ヶ月前には出ていたことが分かりました。
認定内容は「 エルミタージュ世界芸術遺産作家」 と。
ご報告いたします。