富士雲
ふじぐもを一刻あまり愉しみぬ
木花咲耶姫のみもとに
ふじぐもは見飽くことなしいづこ
となく湧出で肌をなでゆく風と
富士宮市役所の七階からの眺めは
今まで知りませんでした
紅葉狩り
12月1日土曜日。少しの間、小雨が降りて寒い都内。井の頭線の駒場東大前で下車。駒場公園に。旧前田侯爵邸洋館、〃和館そして日本近代文学館を訪問鑑賞。散歩道は雑木林の間。どんぐりが無数に落ちている。和館の庭園は丁度見頃の紅葉。縁側から金沢の兼六園を思わせる雪吊された松の木に混じって赤や黄色に色づいた深山紅葉が数本。おもわぬ都内での紅葉狩り。洋館では美味しいコーヒーをゆっったりといただいた。ベルギー製のクッキーが添えられていた。昭和4年に建築されたという前田侯爵邸。中庭を設けて、応接室、サロン、大食堂(これは見学出来ず)、階段広間から2階の書斎、婦人室(次女室、婦人室、)寝室、3女室、女中部屋、会議室、執事室、3男室、少し広い長女室と時計の針とは反対回りに見学。目黒区の管理下にあって、東京都の有形文化財であるが、都民ならず、国民の財産として大切に保存されたい。建物のデザインはチューダー様式といってイギリス後期のゴシック様式を簡略化したものだそう。落ち着いた雰囲気と装飾は雑木林の中でその野趣に見事にマッチして、豪華に、自然の巨木と共に、その豪邸はありました。おとぎの国に遊んだ1日でした。
富士宮市で詠む
二度目の夕刻
わさびやの亭主割しか江戸キリコ金継ぎ
の痕愉しき酒宴
あの二たり今し横断この画廊来む雰囲気
をあふれさせつつ
心地良く波動で観るとふ女はいひ両目見
えずも一刻語る
ります。絵も短歌も好きです。
俳句は両刃のようで、私には怖いのです。
しかし先日上手く愉しい句集を戴きました。
手習いをしようか?
先日ある文化祭を覗いた。文字が上手くないわたしは手習いの時間を持たないといけないなぁーと考えている。たまに歌を作り、ひとさまに書きおくったりするから。モデルの人がいる時には特に手習いが必要だと思うが間に合わない。上手くもない字で申し訳なく思いつつ贈る。
さて、文化祭の会場で思わず2周りしてしまった短歌のコーナーだったが、文字が皆同じ気がする。手習いも続ければ同じになるか? と、歌の内容はともかくも、30〜40枚はあっただろうか、短冊のサインまでジッと見入った。あまりの不思議さ。勧誘のために近づいてきた女性に訊いてみた。何年くらい歌と手習いを続けていらっしゃるの? 応えが更にびっくり! “字はみな先生にお願いして書いて頂いたのです” 実は歌が内容もほとんど同じで感動がない。と言っては失礼だが、文字も一緒だからきれいな風景の歌が個性を持っていない。誰が悪いということになる。先生! どんなに頼まれてもご自分で書きなさい!っていわねば。です。
その後で、自分の短冊に出会った。まずい字だなぁ。歌の内容はすこぶる良いのですが。
富士宮市は8ヶ月ぶり
午前11時45分頃に富士宮市駅到着。車窓からはすでに大きなおおきな富士のお山が望めていて、山頂に薄い雪をいただいた霊峰を眺めながら駅を降り立つ。前方の富士山を携帯電話で撮影。留守の夫にメール。返事は“何処に富士山?”。建物の間から、富士山の大きさが判るようにという思いの撮影は、失敗らしい。目には大きく見えているのに撮すとそれほどではなくなる。
街中を行くと、「このはなさくやひめ」の幟かんばん。プロのかたのデザインの中に「木花之佐久夜毘売命」のお顔のみ描かせて頂いた。オイルパステルで。急ぎ描き送付した時にあぶら紙をあてておいたが、そのあぶら紙がわずかに下にずれたか?お口の下あたりが
ほんのすこしピンクが濃い。次回があるなら印刷の時に立ち会いたいものだ。
翌日の帰りぎわは美しい夕空。
ゆうさりて富士駅発てば既に無し 赤きふじ山もも色の雲
と歌にしたが、富士の霊峰も浮かぶ雲も桃色でした。でしたから、桃色が少し濃かったことを「このはなさくやひめ」さまがお許し下さったかと、帰って来ました。
さて、よんで下さった講座のみなさまには喜んでいただきました模様でありがとうございました。
また12月7日、8日と今度は夫金城と共に参ります。忘年会と「咸臨丸」のお話しを伺いに。
Affordable Art Fair Seattle 2012
短いアートフェアーが開催中だ。シアトルには絵のみ行っている。ポップ調のブルーの絵。担当者さんの好みに従った。
お話しがあった季節にはイチローがシアトルにいて、フーン シアトルねぇ って行ってみたい気持ちがあったが、財布のほうで、無理。メキシコ経由でキューバに行った時に、シアトルの近く、バンクーバー空港を利用した。バンクーバーはカナダだった。バンクーバーも空港だけ、行ったとは云えない話し。
さて、いろいろせわしない。漢字で書くと、心を亡くすということで、ひらがなにしたい。
過日、岩手県の山田町立大浦小学校から思いがけずに、お礼の手紙が来た。夏の慰問の旅で、仮設住宅住まいの知人にお持ちしたお菓子が、小学校に届き、全校遠足の日のおやつに役だって、それでお礼の手紙をいただいたのだが、校長先生と児童代表のお手紙、そして校報の文面に思わず涙して、突き上げられるように描いたパステル画が額装なってきて、学校にお届けした。月曜日には届くと良いのだが。
14日には富士宮市に講演で行く。絵を持ってきてかまわない、という主催者さんのお言葉で、15点準備した。わたしの分身と一緒なので、わたしとしては心強い。絵をみていただく方が話しなどよりまし。と。
そんな今日、友人のひとりが亡くなった。14日が葬儀という。足利市。14日、都合が悪い。遠いので12日か、13日にお悔やみに
行かねば。よく人が亡くなる一年である。
文化の日
小田原市に恩師の住んで居られた
宅地跡に脚を運ぶ
偲び探しぬ旧宅跡地
良き間なり住み継ぐひとに巡り会ひ
我ら三人愉しき一日
建物はあるままテラス付け足しぬと
語るを聴きて満ちたりし帰路
短い時間でしたが、ご存命中の日の
あれこれが浮かんできました。
わらさ・はまち(関西で)
昨日夕飯中に“ブリの子ども”食べます?という電話があった。友人と3人での御夕飯。友人が買ってきてくださった焼き豚をあてに、夫も友人も手酌でアルコールを飲みつつ。
ブリの子ども。さわらじゃない、わらさ、だ。直ぐご近所の人からの電話。丁度いいねぇ! わたしは直ぐに玄関に。少し待ったが、早すぎたか、と、またテーブルに戻って、
待つことしきり。そうかぁ、きっとお刺身にしてから届くんだね。ということで待つこと30分ばかり。玄関でピンポン。友人が飲まなかったビール缶一本持って玄関に。
ということで、なんと一本まるまるのわらさをいただいたのです。電話は近所のご自宅からではなかったのでした。
今日揚がったばかりなので、明日が食べ頃という。その明日、金城は大まな板を物置から出し、包丁を研ぎ、2時間半がかりでようやく一口の大きさに。
友人は惜しいかな昨夜の酒の肴にはありつけなかったので、今日お届けしたいところ。が、切れ味が美しくない!切れない包丁のせい?
例によって教則本を片手にさばいたのでした。
お届けしようか、ただ今考え中。
思わぬ通信・通心
18日の小雨のなか、一通のA4の封書が届く。雨に濡れないように気を配った風で配達のひとの親切な心が伺われる。
山田町立大浦小学校とある。急ぎ開封。校報「おおうら」3部。児童会長6年 山崎寛奈さんからのお礼のおたより。そして校長 中村登志江先生からのご報告とお礼に加え、今後の取り組みの決意がしたためられたお手紙であった。
9月9日の日曜日に大浦仮設住宅に知人の川端弘行、京子夫妻をお訪ねした。3.11の大地震と大津波によって仮設暮らしを余儀なくされておられる。先のブログにあるように、
東日本慰問の旅でわずかな慰問品をお届けした。その慰問品の配り方にご配慮をくださった川端夫妻から「お菓子」は個包装されていたので、校長先生にお話しして、小学校にお届けした旨のご報告とお礼のお手紙をいただいた。なんと足りたのかしら?という思いがあったが、一番良いとご夫妻が判断なさったこと、郷土史研究家で、学校評議員の川端氏、流石! と感心しておりました。
さて、
私達に届いたお手紙には、そのお菓子、28日の全校遠足の際のおやつに配られたのでした。おやつは無い予定だったそうで、子ども達は大喜びでした。と校長先生。
42人の一年生から六年生の児童たちが4〜5列になって列んでいる写真も載っている校報「おおうら」を読むと“おやつ付きの遠足となりました。ありがとうございました”と
書かれている。思わず涙ぐむ。個包装は50個。先生方には渡らない人もあったのでは。わずかなお菓子と、あめ玉2個の内容だったのですが、袋詰めした甲斐がありました。
全校42名。みんななかよしです! 勉強も、運動も、さんさも頑張っています!! と、さんさ踊の写真も載っていました。
復興へ向けてどうか地域全体で進んでください。
お手紙通心、ありがとうございました。夫金城が言いました。また行きたいね。