高校の同窓会に出席したり、五年先輩がお二人訪問下さったり、コレクターの訪問があって、昼ご飯からズーット酒盛りの日も。
京都の願成寺に苦労消除の「阿保親王祭」奉修。「明治節」祭の上賀茂神社参詣。11月3日の行事は例年通り。願成寺では護摩お焚き上げの後に、火渡り。有り難くも3番目に渡らせて戴き、お礼に、足ふき布のお手渡し。雑巾とは言い難いきれいな布。洗いましょう、と思う間に、お世話役の3人〜4人がご奉仕。夫も5番目に渡らせて戴いたそう。有難う御座いました。木札と御幣、お土産をいただきました。“火は水を喚ぶ”もので、今年もお焚き上げの途中から雨が下り、火渡りが終了の頃合いには止みました。流石なことでした。
なづな学園にお勤めの高校時代の同級生にも会い、夜は焼肉。あちらこちらの大学の名誉教授をなさっておられる先生の台所で、というおもしろさ。
岡潔(故人で数学者)の話も出て、私はすこぶる幸せ。大学を修了するときに、奈良にお住まいの岡潔の処にお手伝いに行きたかったの。と。先生は、ほほほ。きっと、大丈夫成功したはず、と、盛り上がる。伝手がなかったというと、無いほうがあの先生は、受け入れる。そんな話しに花が咲き、逸話の幾つかに耳を傾け、朝の果物セットを頂戴して、7人の焼肉ディナーを切り上げたのです。柔らかくて、美味な京都の牛肉をたくさん食べました。おかあはんご馳走様でした。
翌朝は高山市奥飛騨温泉郷へ。葉山からズーット運転の夫に変わってみれば、先行車のスピードが落ちる。そんな!私眠くなる!早く走ってよ! すると
故障車あり。もおおおお。途中の大型店舗で食料品の買い出し。大好物の漬け物を、おかあはん、にねだって、葉山に持ち帰り分5袋、買い物かごに。
この夜のメニューは忘れたなあ−。あっ、お造りと、おでんでした。次の夜は、二本松市から合流したエジンバラ帰りのMr.Fujiwaraが作る彼の十八番“ビーフシチュウ”。ディナーは何時ですか? 八時です。という応えに、六時〜お布団に入った夫は、高鼾。みんなお腹が空いてきて、一人はお酒をはじめるし、サラダは作るわと言った私は、忘れそうになる。危ういところで、間に合う。美味しい美味しいビーフシチュウ。今度は飛騨牛でした。これはお金が取れます、と言って、誉める人は作り方を伝授させ、作ろうという意気込み満点。温泉にも4回ほど入りましたし、一重ヶ根の与平小屋を辞したのが夜10時過ぎ。夜中に走ることが好きな夫。
わたしは、前にも後にも、対向車もいない路はなんとも心細い。夫は丑三つ時によく山間部を走る。私は眠っていようっと。という具合で、午前3時頃に帰宅。
同好の“かっぱ村公報”発送を7日に。その同好のかっぱ村初代村長中河与一の「夕顔忌」立ち上げに伴って、手ぬぐいを作ろう、と思いつく。
京都の染屋さんにあらいデザインをして注文。藍染めです。3回忌や7回忌、13回忌、17回忌を終わり、これからは毎年墓前にお参りしましょう。と、
「天の夕顔」文庫本も100冊取り寄せました。のし紙も注文済みです。かっぱ村の話しはこの辺で。
鎌倉に住むお友達を昼ご飯にお招き。私の薄墨「月のプロフィール」の作品が見たいと仰るので。「月のプロフィール」を表装していただいた松岡大経師とは親しい間柄とのことで、これも話が尽きない。ご飯は“ゆうちゃんごはん”という普段のものでした。
さてさて、与平小屋に留まったMr.Fujiwaraは、もう今は、エジンバラです。
10月8日に一旦帰国の彼に、エジンバラ大学院修了の(卒業)お知らせがあったのが、10月下旬。二本松市に滞在中の彼に中身が判らないまま転送。
そこにもいなかった彼が2日ほど間を置いて、卒業式のおしらせを受け、再度エジンバラに行くということも含め、周りのみんなが知ったのは、与平小屋。11月4日の夜でした。とにかくおめでとう、だったのです。
また行くとは思わなかった、といってパスポートを探していました。ほんの2分弱でしたが。
14日朝早い便で、といって、前日は東京の友人宅に泊まり、卒業式出席でエジンバラに行きました。卒業式は27日だそうです。20日から順次卒業式があるとのこと。一度には出来ないそうです。人数が多く。
愉しい楽しい日々でした。で、すぐには帰国しないのです。ヘルツェゴビナにいる友人とクロアチアに行って来るそうです。Mr.Fujiwaraに、幸いあれ。
京都でおかあはんに着付けていただいた2年前
Mr.Fujiwara