作家 故中河与一のお墓参りに小田原まで
平成6年12月12日に亡くなった中河与一。明治30年、香川県生まれ。代表作は「天の夕顔」。この一冊はドイツ語、フランス語、中国語、英語、スペイン語、そして、アメリカの各国語に翻訳されベストセラーとなった。この一冊で、生涯をおくったわけではないが、あまりにも有名になり、そのために苦難もよびこんだ一冊である。97歳でこの世を去った。歌に めぐり来し春かはらねど迎へたる九十七才そぞろたのしき とあり、わたしは最期のたぶんさいごの、短冊を頂戴した。
清水比庵(日光市長を勤められた)の書を最も佳しとした、中河の筆も比庵風だ。随分書かせて、頂いてある。 あふことの須ゆなり志かバ波るばるとこえき志乃やま想も保ゆるか母 うち日射す宮路をゆけるをとめ子の玉乃すがたハ憂へけたしむ このうちびさすの歌は何度か、うちびさ「ず」となって、書き直している。捨てようと為さるのを頂いた。書き損じが2枚あって懐かしい。 黄色なる黍の垂り葉乃和久ら葉のそよぎ澄みつつ月乃保里たり いづれも私が手本としている歌だが、なかなか格調が高く、浪漫的で、とても届かない。
中河与一には、河名千絵という名前で出した詩集に序文をいただいた。フランスへの旅の出発前で忙しいと仰ったが、書いてくださった。そして、それから、私の絵がペルーのリマ美術館に収蔵になったことをとても喜んでくださって、自分の事のように喜んでいる、大変なことと、その比庵風の字体で葉書をくださった。エルミタージュ美術館に収蔵になったのは、最近で、既に中河与一はいなかったから、画家になりたかった先生にはお墓の草を引きつつ、語りかけて来た。来年ユネスコパリ本部で展覧会があって、私にも出品要請が来ていることも併せて、報告した。お墓は幹子夫人と共に一枚の石に名前が彫ってある。幹子夫人も歌が凄いが、与一とは少し違っていて、おもしろみがある。例えば ふたのなきコップに入れ歯沈めゐて夜中にねずみが引いては困る といった具合。もちろん格調高い歌が多いのだが。2才年上の奥さまだった。たしか「ゴッホの墓を模した」といっておられた。
今日は朝から晴天。12日は「夕顔忌」。それでお墓の掃除をしつつ、ガーベラとバラをお供えして、自分の事を報告した。将来的には、お仲人でもあった中河与一の、我々だけの「夕顔忌」になるかもしれない、と思わないでもないのだが。「かっぱ村」の初代村長であった。果たして何人来て下さるか皆目見当が付かない。木曜日でもあって村民も来にくい日程である。ご存命であれば116才。私達も間もなく黄泉へ旅立つ。が、既に遠い遠い高みに達しておられるから、届きません。レモンイエローのマフラーをしておられた中河与一を今日は一日偲んでいます。