自慢話をつづります
先の展覧会から一月あまりが過ぎた。時効?かな、と思い、今回は自慢話の数々を披露したい。血縁関係があったり無かったりの親戚が買ってくださったということは既にブログ済み。赤い絵を飾るとお兄ちゃんがギャンブルに走る!という娘の声に、家の中に、赤と青の色彩が欲しいの!と、決めた、お母さんの有ったあの話し。
さて、昨年2月から3月のはじめに富士宮市での展覧会場に偶然ご来場くださった方がおられた。なんと両の目が見えず、浅間大社には随分と参詣に来られるご様子で、お友達と3人でお茶の時間を過ごそうとご入場くださった。会場が元々レストラン風で、ランチタイムには食事のお客様がこられる。その広い会場をギャラリーに使おうということで、こけら落としの展覧会であった。その目の見えないご婦人が、ここに赤い絵があるのね、あらここにピンクの絵があるのね。と会場を移動なさって“波動”を感じるお話しをしてくださった。その波動のお話しを含めて2時間あまりを遊ばれ東京の江戸川まで帰られた。もちろん好い波動を浴びたとのことであったので、わたくしは言葉にならない感動をいただいた経験をしたのだった。
そのご婦人が、今年の3月に目の手術をなさった。ひとめ、曾孫まごさんの顔が視たいと思われたそうで、失敗しても元々と思うことの覚悟ができたので、と電話があった。
さてさてである。そのご婦人が富士宮市でもご一緒だったお友達と連れだって北鎌倉の古民家ミュージアムまで来て下さったのだからびっくり。手術は大成功。曾孫おまごのお顔を“可愛いの”とおっしゃって。で、わたしのことも、“かわいいのね”と。そして、今回は他ならぬ「富士山展」だから絶対来なければならないと思われたそう。中3階まで階段を上ってくださって、私の富士山をあれこれと観てくださった。さらには一ついただきます、とおっしゃって、「うずまき富士」を選んでくださった。とても飾ってくださる方は居ないだろうと思っていた作品で、自宅に持ち帰りの作品の一つに入っていた「うずまき富士」。とてもエネルギーをいただけるの。とのこと。後日談があって、曾孫まごのちいさいお子さんが、どうしても大きいおばあちゃんに買うの、と、デパートからお孫さんが買ってこられたベレー帽が、ローズ色で、後に小さく渦巻きのステッチ、刺繍があったそうで、不思議なの、と、とても喜ばれ、あの絵は買うべきだったのね、とお電話があった。
私の喜びは、ご一緒に来て下さった方、こちらは、熱海から来られたのでしたが、この方も「祝い富士」をお買い上げ下さって、お正月の飾り物になさるそうな。初日に“赤富士じゃぁないね”と言われた、金色の富士山でしたが。
その少し前、秋田県からご年配夫婦がご来場。2日前の夜に電話があって、わざわざのお越しとのこと。新幹線を使って1泊の日程。それだけで、済まない気のするのに、記念に一つ、と「素敵な気分」という題名のパステル画をお選びに。木地のお椀を作られ、写真も良くなさるご主人さまが、“飽きない”でしょうと、抽象画を決められたのです。
夫が昨年3月、心臓の左上、大動脈瘤の手術を受けた際に、数居る入院患者さんの中でとても親しくなった方がおられる。その人は夫が手術室に運ばれる時に、ストレッチャーの夫に、深々とお辞儀して、いってらっしゃいと言ってくださった。麻酔薬が効いてきている夫には判らないが、わたしはその姿を目に焼き付けたのだった。夫は無事に退院。集中治療室には1日半居たのみ。3週間の入院生活。訳の判らない咳と大鼾が無くなっている。話しが逸れるから、心臓のことは以上で。で、そのなぜかとても親しくなった人は、夫よりも前に手術を為さった方であったが、ある日の検査の日に、誕生日が同じ日と判る。看護士さんが誕生日を確認する時に、偶然ふたりは相前後していて、何故自分の誕生日に金城さんは返事をするんだろうって、思っておられたそう。
で、今回の展覧会にはご夫妻で来られて、付き合って下さった、のです。
長くなります。田舎の方のいい話を。従弟が経営の「話し処」に時々飾ってもらっているのだが、彼の同級生が一つ買ってくださったという。其の同級生が家に持ち帰ったら、母上様がえらくお気に召されたそう。で、絵の代金は自分が持つと仰って、早々にご送金いただいた。少し大きめな作品なので、この一件には大助かり。あちこちに滞っている私の文化交流など、参加、いわゆる協賛費用の支払いが、片づいたのです。冷や冷やものの国際文化交流。協賛費用に貧乏人は困り果てていますから。
今回は神奈川新聞社、毎日新聞社、タウンニュースの3紙が取り上げて下さった。
どちらさまも有難うございました。後はまたの日に。