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平成平和賞

2月1日。個展の準備を終えて帰宅すると、小荷物が待っていた。
開包すると、「平成平和賞」という表彰状。
「平成の終わりと新たな時代の幕開けを記念して」というもので、
1月31日付けであった。
一般社団法人世界芸術文化交流会 代表理事さんから。

平成の終わり。チョッピリ淋しい気がする。
しかし仰る通り新たな時代の幕開け、に違いない。
有り難うございました。アップします。

一般社団法人世界芸術文化交流会 代表理事さんから
戴いた表彰状
一般社団法人世界芸術文化交流会 代表理事さんから

飾り付け終了

2月4日からの展覧会。今しがた飾り付けが終わった。担当のSさんがキャプッションを誂えている。大きさにこだわって、試し印刷。もう出来るが、こんな感じです。
照明がやはりこれからです。

探し物

先日亡くなられた哲学者、梅原猛さんから頂いた一枚きりの葉書を探した。
京都左京区、哲学の道のなぎの木のある神社を思い出す。
二時間半。見つからなかった。あまりにも大切にしてしまった模様。是非見つけ出さねば!
中河与一先生(天の夕顔の作者)からのおびただしい手紙、葉書はほとんどまとまってある。
まああちこちにあったけれども。
そんな中で、近松麗江さん、女優さんからのお手紙が出て来た。お引越しをしたということの
お知らせ。私の絵を一枚お買い上げくださった頃、確か第2回目の展覧会だったから、43年くらい前。
フランスのロワール地方にあるシュノン城へのアプローチを描いた絵。
宇奈根に引越したことが知らせてあった。
古いポエムのなぐり書き、短歌の草稿もあった。
忘れていたものの中に、白黒の写真が。ニューヨークに初めて行ったときのもの。
カメラマンはプロの方らしく、名刺も入っていて、写真の裏には、しっかりと
JAREK IWANSKI とある。四枚のうちの一枚を掲示することに。
Mr. JAREK IWANSKI 、 Thank you.

あれから28、9年が過ぎ去った。ソーホーでの展覧会を1ヶ月開催して、都合3ヶ月ニューヨークに
滞在した時のもの。髪の毛は残念ながらこんなには無い現在。
あとは言わないでおく。

1991年2月
From Photographer. JAREK IWANSKI
1991年2月

日本フランス文化芸術友好協会からの楯

今しがた届いた小さな小包を開梱すると、思ってもみない楯が。
日本フランス外交関係樹立160周年記念 日本フランス芸術文化賞 とある。
(贈) 日本フランス文化芸術友好協会 〜2018年度〜 とされて。

昨日誕生日だった私へのプレゼント!
なんだかあまりよく知らないが、頂いておきましょう。
阪神淡路大震災後誕生日を祝って来れなかった。
夫にも報告しましょう。 有り難う。
Merci beaucoup

楯
日本フランス文化芸術友好協会 からのプレゼント

新春サムホール展・スマートシップギャラリー

スマートシップギャラリー恒例の新春展が開催中。サムホール4点を出品してあります。
2日目の火曜日に早起きをして行ってきました。
イノシシ歳生まれの私。瓜坊を2枚描きました。目の前に瓜坊がいるわけではないので
大体の感じで描いてみました。
あとの二枚は抽象画です。

サムホール
瓜坊の2枚と私の思い
サムホール

あけましておめでとうございます

正3日。音も無く時間がながれて行きます。昨日今日と「をんなの時間さまざま」 31 を
手作りしています。年賀状を作りませんでしたので、豆冊子をお届けしたいと、なんとか7日頃までには
発送を、と思いつつ焦っております。今回は100首になってしまいました。
ページ数が多いので、綴じる前には神経衰弱になる事でしょう。
パソコンでなんとか打ち終わりました。明日朝コピーして綴じます。
その冊子の一番目の作品と最後の作品を載せておきます。

頂戴の生漉き懐きて新幹線 きさい(后)の宮の好みし和紙とも ( 9月16日)

眠ゐる児にかしたる腕三日後の疲れは別物うれひ消たしむ (12月下旬)

をんなの時間さまざま  の表紙 &裏表紙
せっかくの明るい絵が、日差しが強くて暗く写ってしまいました。
をんなの時間さまざま の表紙 &裏表紙

行く年 来る年

後2時間で2018年・平成30年が終わる。
何をしてきたか忘れてしまっている。20109年は亥歳。私は何度目かの“年をんな”。
まあ適当に良いことがありますようにといったところ。欲張ってはいけない。
夫と共に、もう少し生きてみようと思って、2月には63回目の展覧会を予定している。
今回は48点くらいの展示になる。一昨年、昨年に比べると少ないが、なにしろ気に入りの
絵の具がない。中粗めのキャンバスの準備も出来ない。
オイルパステル画を額装した。墨のドローイングも額装。油絵が少ない。
どうかご勘弁ください。

1月7日から新春サムホール展が下北沢のスマートシップギャラリーで始まる。4点出展。
24日からはミラノであるアートフェアーに7点出展。墨のドローイングばかり。ディレクターさんが
これで行こう! ということで。
また、パリのマドレーヌ寺院では27日28日29日と化粧箱展が開催され、私は「ウイーンの森の恋」
の絵柄での展示があることになっている。
イタリアとフランス。一日だけだぶっている。もはや、フットワークが悪くてついていかれない。
フットワーク?ようするにお足が無い。

今年一年間ありがとうございました。又来年もどうぞよろしくお願いします。
皆さまにとって素敵な一年でありますようにお祈りいたします。

マドレーヌ寺院での化粧箱展ご案内

作曲家 大中恩氏 逝く

わたしのペンネーム、「ささやかな」改め「河名千絵」のポエムに対して6つもの曲、しかも歌曲として、作曲くださった
大中恩氏が亡くなられた。12月3日。お葬儀のあった8日はあいにくと小田原での用事が前から決まっていて、参席できなかった。
せめてもの弔電で、大中先生とのお別れをした。
『大中恩先生、ご生前はありがとうございました。36年前にわたしのポエムにたいし6つもの曲をつけてくださり、今年の夏には初台
でのソプラノの独唱曲に編曲してくださいましてのコンサート。本当に嬉しい私の人生を飾ってくださり有り難うございました。
どうぞ安らかにお眠りください。』                               河名千絵 こと 多田祐子

というものであったが、6曲の題名は「ひとに」「あなたは眠りにつく」「何か手伝うことはありませんか」「光りの中」「月に」
「わたしたち」。「わたしたち」は合唱曲から独唱曲に編曲されて、2度歌われた。
写真は2016年7月3日に紀尾井ホールでしたかね、「おれとおやじ」と銘した“大中寅二生誕120年記念”コンサートにお招きされた
ときのもの。撮影は夫金城。遠くから写しておったのです。

今しがた奥さまの清子(北原聖子氏)氏に日付けの確認はしたのですが、会場の確認は忘れてしまいました。

大中恩氏
2016年7月3日 紀尾井ホールで
大中恩氏
河名千絵 と名乗っているのです
河名千絵 と名乗っているのです
夫が遠くから写していますので、そちらを向いて頂く
夫が遠くから写していますので、そちらを向いて頂く

中河与一のお墓

てんのゆうがお・天の夕顔の作者中河与一はお墓をゴッホのお墓に習った。文化勲章授賞者の建築家、谷口吉郎博士に
デザインを依頼。よく似ている。ゴッホのお墓の形に感銘した中河与一。与一からゴッホのお墓のことを聞かされた時には
まだお墓は無かったので、その形が良くは判らなかったことを思い出す。
なるほど、素敵だ。このお墓が谷口吉郎博士の最後の作品ということが、今回判った。

つれづれと空ぞみらるる思ふひと天くだり来むものならなくに  和泉式部

第一章の前に掲示してある一首。作品全体のイメージを暗示してあるものか。
作品の結末をもイメージしているものか、式部の歌を冒頭においてある。

42年前の我々のお仲人をしてくださった中河与一、少し写真を載せます。
お仲人のもう一人は大濱英子氏。大濱信泉氏はすでに亡く、
私を中河与一に引き合わせてくださったのは大濱英子氏であった。

葉山マリーナにおける私たちの結婚式
昭和51年6月6日 左が中河与一 右端大濱英子氏
葉山マリーナにおける私たちの結婚式
箱根の別荘で、先生の壊れ傘を二人で修理中
無事治りました。1977年8月
箱根の別荘で、先生の壊れ傘を二人で修理中
先生が焼いてくださったパン・トーストで朝食をいただく。手前が金城
鎌倉の擂亭   1984年12月7日
夕焼けのなかで。撮影は多田祐子
鎌倉の擂亭 1984年12月7日