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10年前の信貴山玉蔵院のこと

平城遷都1300年祭の記念企画に、御神酒の奉納があった。寅歳の記念でもあった。
推挙をいただき、白い磁器製の瓶に入っているのは日本酒。ラベルを「My birthday」に選んだ。
私の誕生日、1月17日は、阪神淡路大地震、湾岸戦争勃発、ロスの大地震、と、「今月今夜のこの月」など と、
少し特異日なのです。で、「青い雪」が降るイメージを込めました。
ある写真を探していて、玉蔵院のその時のものが手に触れました。
とても紅葉の美しい時期に京都の人たちと一緒に行きました。夫も一緒でした。
奉納の御神酒の数々が「融通堂」にまだ飾られていて思いがけずにこの目で見て、みんなで見て来たのです。2010年の11月15日でした。

信貴山の紅葉をアップします。序でに一升瓶も。

信貴山の秋
向こうの山は何処かわかりません
信貴山の秋
信貴山の紅葉
信貴山の紅葉
奉納の日本酒 鶴齢・My birthday/ラベル 多田祐子
奉納の日本酒 鶴齢・My birthday/ラベル 多田祐子

紅葉する満天星つつじ

今日は施設から11日ぶりに帰宅する夫。施設の車から降りるために、車を移動した。ついでに花壇の満天星ツツジを撮影。陽射しを受けていたらしく紅葉している。日当たりが悪くて例年紅葉が見られなかった。
温かなここ数日だが、今日は曇り空。
いい加減に剪定した松と、柘植が写っている。松はもう少し手入れするが、右腕の傷みを思うとつい、日伸ばしに。

昨日コレクターの友人が、電話で武内陶子さんの陶の字が違っていると教えてくださった。塔 の字を使っていた。お名刺を見ないままに思い込みで、ブログ。前のブログでした。

柘植。もう少し剪定します
柘植。もう少し剪定します
満天星つつじ。例年に無く日差しを浴びた模様
満天星つつじ。例年に無く日差しを浴びた模様

小柴昌俊氏の訃報

午前中にノーベル賞物理学受賞者の小柴昌俊氏の訃報があった。
2014年、飛驒市神岡町にカミオカンデを金城と見学した。今は見学が出来ないらしい。一日も早く見たいという金城の願いが叶って、枠を二つ広げてくださっての実現であった。小柴さんをよく知る知人の後押しを頂いたのだった。金城は「超純水」が見られなかったことを多いに気を荒げていたっけ。天皇陛下さえも見られなかったということなので、怒らないでと、帰ったことであった。
その後、女子美術大学の上葛明広先生が退職記念の展覧会を女子美で開催なさった時に、上葛先生を応援なさっておられるその知人が来られるというので、我々も女子美まで出掛けた。2015年1月24日であった。なんと小柴ご夫妻がご来場という我々にはハプニングがあった。
岐阜県飛驒市からその知人が来られる際も、小柴先生ご夫妻を会場までお運びされたのは、我々のよく知るMr.FUJIWARAであった。Mr. FUJI
WARAは高山市に住んでいる。で、このとき、たくさんの写真を撮ってくださったのもMr.FUJIWARAであった。
偶然にもかなり前に知り合った人が飛驒市から来られていて、お顔を忘れていたが、お名前を覚えていて、それがその方だったりして、ビックリの出会い。飛驒市にはこれこれという人が居られると話すと、その方だったのです。序でにこれをブログした日にその方から喪中のお葉書が来ました。尾内治良氏でした。了解を得ずに載せます。あしからず。
その後、NHKのラジオ番組で、武内陶子さんの「午後カフェ」が始まり、女子美術大学の上葛明広先生との写真や、小柴昌俊先生との写真を構成してお送りしようとまとめた。が、未だにお送り出来ないまま、我がパソコンに。
既にお持ちかもしれないと思ったりして。Mr.FUJIWARAがもう既にお送りしているわね。というわけ。
本日94歳でお亡くなりの小柴昌俊氏との邂逅は人々との入り交じった交流があってのことであった。

小柴昌俊先生のご冥福をお祈りいたします

武内陶子さんにお送りしようとまとめた写真をアップします。陶子さま、「午後カフェ」毎日聴いております。

左上葛明広氏 車椅子の小柴ご夫妻
上葛氏の作品群と
左上葛明広氏 車椅子の小柴ご夫妻
車椅子を押される加藤さん親子 知人 武内陶子さん 我々
車椅子を押される加藤さん親子 知人 武内陶子さん 我々
小柴昌俊氏 何をお話ししたものか今は思い出せません 右側 武内陶子さん
小柴昌俊氏 何をお話ししたものか今は思い出せません 右側 武内陶子さん
左側 小柴夫人慶子さま
左側 小柴夫人慶子さま

JAPAN ART FESTIVAL IN MARUTA

コロナの拡大で延期になっていた「日欧宮殿芸術祭・JAPAN ART FESTIVAL IN MARUTA」が9月に無事開催されて、報告があったのは大分前。忘れたわけでは無いが、日々の煩雑で報告出来ずにいた。写真も無くしてしまいそうなので、慌てて掲示する。
マルタ共和国のマルタ島には行かれなかった。夫が元気なら一緒に行ってみたいところではあった。碧い海を見がてら。
主催者側のホスト、マルタの芸術家ジョセフ・バルバラ氏から令和一年11月30日付けで親書を頂戴している。大使のアンドレ・スピテリ氏からの招聘状と共に。夫が脳出血で色々な方や施設でお世話をいただくようになって、自然に私の創作時間も大幅に削られている昨今ではある。
絵は「Yuko Tadaの富士山の絵」を、というリクエストに沿って 木花之佐久夜毘命を。6号サイズで小品でした。(32x41cm)

マルタ共和国での展覧会・大統領のご挨拶とホストのジュセフ・バルバラ氏
茜ふじ(木花之佐久夜毘命命)
マルタ共和国での展覧会・大統領のご挨拶とホストのジュセフ・バルバラ氏

ナイチンゲール200周年記念章

今日、上記の章が額入りで配達された。
タイランドの赤十字社からで、ソムラップ殿下の紋章とサイン、そしてアヌワット・ブーンニティー氏のサイン入り。
10年前に190周年記念の盾をいただいているので、そう申し上げたが、この度は10年前とは様子が違っていた。
「あなたは博愛の精神を有する美術活動に尽力され多大なる貢献をされました。
 よってその功績を称えます。」 という文言が記されてある。
ソムラップ殿下は現国王陛下の最側近で、さきのプミポン国王の従兄弟にあたられる、と聞いたような気がする。
10年前に御来駕があった。その折は夫金城と1ヶ月かけて家中を片付けた。
逗子駅までお出迎えした金城とハグをしてくださったそうだ。
ここ数年お会いしていないが、もっとも忙しい側近と伺っている。

章状、訳文、そして殿下の評をアップします。

ナイチンゲール200周年記念章
ナイチンゲール200周年記念章
訳文
訳文
右サイドに殿下の評が。
「文展」74号より  影が映ってしまった
右サイドに殿下の評が。

揄雨

雨垂れを払う前、窓に打ち付ける雨、などを見ていての着想が「揄雨」という絵になった。「月の異名」で3月を意味する。
ある業界が出版する美術雑誌に作品を載せたいというので、前日に手にした写真が「揄雨」であったので、これを載せることに。
新国立美術館であったグループ展で、デザイン賞を頂いた。何年だったかを調べることをサボっている。
まだ何処にも掲載していないのでその事もあって、コレでいいか、なのです。

写真は多分「PIGA」画廊、青山だったと思います。
アップします。

「揄雨」と多田祐子
「揄雨」と多田祐子

我が家の草花

昨夜は13夜。いわゆる後の月。栗名月。16時41分頃から1分おきにたなびく雲に乗っかって登ってくる月を撮影した。48分頃にはもう雲の上過ぎて、月だけになり風情が不足。
それからしばらくして玉子を買いにスーパーへ。スーパーの屋上の駐車場から、光を増したお月さまを見て帰って、茹で玉子を作り、外に。網に入れて、月の雫を茹で玉子に集め、今朝一個をいただく。

先日、庭木の伐採をしてくださった小父さん、といってもどうも同い年のようでしたが、東側の植木を刈ってくれました。トラック一台分になっていました。ありがとう。夫は一緒に刈れないといって、泣き顔になります。
例年私と二人で伸びた枝を切って、短くして束ね、ストーブを焚く人に運んで行ってもらっていたのです。

南側の庭はぼうぼうです。今お茶の花が咲いています。
西には山茶花の花が咲きました。
ぼうぼうの庭の草花を載せます。

野菊
野菊
あざみ
あざみ
山茶花
山茶花
お茶の花
お茶の花
野菊 日の当たる所の
野菊 日の当たる所の
16:47 分頃
16:47 分頃

手作り豆歌集「をんなの時間さまざま」のNo.39

手作り豆歌集を作り始めて今No.39 に取りかかり始め、ホチキスで閉じているところ。
少しコピー機でコピーしたが、昨日から紙詰まりを起こす。雨の日が多く、今日も台風の影響で雨。
新しく紙を出そうかとも思うが、きっと湿気ってしまう。
コピー機も古いので紙送りの部分が取り替え期なのかもしれない。
月曜日を待ってコピー機屋さんに連絡しよう。
表紙を夫の車椅子姿にした。ほとんど具象画を描かないので、このくらいで良しにしていただこう。

ちからなく膝上に置く右腕と握りし指を描いておくなり

この歌は次の歌集に載ります

「移動」 金城の車椅子    裏表紙 自画像「紅涙」
「移動」 金城の車椅子    裏表紙 自画像「紅涙」

名月

10月1日の夜、東の空に大きな月が昇ってきた。仲秋の名月は雲も無い大空を一つで渡って、やがて夜の11時頃には南の高い空に輝いている。薄の生け花は出来なかったが、お団子をお供えし、ゆで玉子を13個、名月の雫を集められるように表にセットした。
薄はあるのだが、刈り払い機で2度刈り、活けるほどもない。庭に玉すだれが咲いているので、活けようかと思っている内に、玉子を買いに行き、ゆで玉子を作っていて忘れてしまい、夜遅くになってしまった。
名月の雫を玉子に集めるという風流は京都のお師匠さんから教わった。仙台市での展覧会に京都から来られ、一緒に従弟夫婦の別荘に泊まりがけで駆けつけてくださった時に。「何のお師匠」さんということは格別決められないものがあって、人生の諸々というしかない。

10月29日が十三夜。旧暦の9月13日。この日まで玉すだれは咲いていないだろうが、また何か咲いてくれよう。

十五夜の夜に、手作り豆冊子「をんなの時間さまざま39」をまとめた。
やがて皆さんのところにお届けしたい。

南東の空ゆく名月
南東の空ゆく名月
お団子・お皿は多田祐子の絵皿/九谷焼
お団子・お皿は多田祐子の絵皿/九谷焼

ART BLEND

スイスのローザンヌ,Gallery Art Space で開催された「ART BLEND」は,コロナの影響で初めの開催時期を変更して行われた。
8月下旬から9月11日までの3会期に別けられての開催。私は3会期だったことが送られて来た写真によって判る。ご来場者のかたがたの服装が
長袖になっている。
送られて来たQRコードを読み込んで詳細を知ろうというのだが、あいにくとここの映像には私の「木花之佐久夜毘売命」である「老松」が
かすってもいなかった。実にお地味な作品であったから、仕方が無いが、富士山だと言うことが判る絵なので、少し高く展示してほしいところであった。富士山の絵のお隣が裸婦で、こちらの方が高々という展示のしかた。残念である。富士山は神さまということを教えて上げなければ。老婆心大盛りの多田祐子。
そのローザンヌの展覧会から、写真を掲示します。

多田祐子の「木花之佐久夜毘売命」である「老松」
多田祐子の「木花之佐久夜毘売命」である「老松」
ギャラリーのオーナーのご挨拶文
ギャラリーのオーナーのご挨拶文
上記の訳文
上記の訳文