額装
廊下に広げつつ晩夏を
差し渡しのいとこの応援額装
に満足夏は去りつつあるも
玉すだれ咲いているわと伝え
たしコロナで会えぬ離(か)れ住む
夫(つま)に
坂道の上下水道の工事が続く。
九月いっぱいは車両通行止めがあるから、
施設に預かっていただいている。
「世界大使館最優秀美術家大賞」という賞をくださる美術商さんがあって、対象となる作品を飾ってあるホテルに、
急に出掛けた。裸でハンギングしてあるので、額装のお願いにホテルのオーナーさんに頼みに行って来たのです。
そこの大女将がお祝いのランチをしよう、ということもあったので、この賞をいただくお返事の前に。
別に賞金がある訳ではないが、国立新美術館でのグループ展で、クリエートアート賞を何年か前に頂いている。
人がぶつからないように高目に飾ってあって、額装してもう少し低いところに飾ろうと考えた私に、予算がないので
オーナーにお願いした。高山市まで出掛け、お馴染みの画材・額屋さんにお願いしてきた。
大女将が言うお祝いのランチは、フレンチレストラン。贅沢なお料理が面白い思考の器で運ばれてくる。
本番のフランス料理店には無い、日本人のセンス。コロナの所為でアルコールは禁止。それだけがちょっぴり残念。
ホテルに帰ってお夕食は、飛騨牛ステーキ。厚めに切られたステーキの上に大根おろしが、おしゃれに載っている。
私は牛肉の時には大根おろしで、いただく。塩胡椒で。
この夕食のメニューの中で多すぎて茶碗蒸しは、もう入らなかった。
往復の高速バスには、行きは6人。帰りは4人であった。
夫金城とは2014年の7月から15回通い、金城が運転出来なくなってからはバスで、これで4度目の奥飛騨温泉郷行き。
私には仕事である。不要不急の反対で、必要有り。
まぁ、お会いしたい人たちに会って、取り止めのない話しと、さよならだけで帰宅した。
ちなみに、ホテルは休館、真っ只中。日帰り温泉もお休み。私は家族あつかい、なのです、念のため。
昨日届いた小品の額で、今日は額装して写真を撮っている。
ガラスの上から撮影した。4号サイズからサムホール・SMで、19点。すでに発表した作品の数々だが、新たに額装した。
どこかで小品展を開催してみたいのだが、コロナの所為で叶わない。
また箱に仕舞います。
初夏の在る日、締め切りを明日の到着必着とある募集要項に目が行くことがあって、その日の午前中から昼過ぎまでかけて、一枚の書を仕上げた。出来上がりは完璧にはとおかったが 、いくら書いても、書いても、ウーン素敵! にはほど遠かったし、にわか手習いも時間なし。午後四時頃には宅配便の集荷があろうと、印を押し、大きめの封筒に厳重に納めて、無事送付。高野山までは遠いので、翌日到着してくれるやら、と気掛かりではあったが、問い合わせるほどの度胸なし。
コロナの件が無かったならば、掲示される会場に出掛けたかも知れなかったが、八月の中旬に、感謝状が送られて来たので、間に合った事を知り、更に、コロナ禍で、展示会は中止されたことを知らせて来た。
優秀作品のみの展示会なので、きっと私の作品は無かったと思う。それでもA3サイズの大判用紙での感謝状をいただいたことが、嬉しい。
手作り歌集豆冊子のNo.XLIII(43)に2首載せました。下記します。それと共に、感謝状を。本名の金城で応募しました。
献書への感謝状来たり起きあがる淋しき夏を寂しく居りて
筆は草 旅路の初夏の献書なりし 月花の二文字かすれしままに
手作り豆冊子No.43 の表紙が出来てきた。今回は68首に。日記のようなもので、日々の暮らしを歌の形に表現している。
これからホツキスで留めるのだが、頭を揺すらずに一回に100部位は留められると良いのだが。
途中で船酔い気分に襲われたら止めにするとして、表紙を撮影したので、ご披露します。
小品の類、昔の作品(web以前)を除いてほぼホームページ上に載せる事が出来ました。ウッカリ、題名を記録しなかった作品が幾つかありました。お買い上げの際には証明書を作りますから、幾つか遡っていきますとパソコン上に出てくるのですが、大部遡らざるを得ないので
諦め(忘)(??)で表現しておきました。忘れるとも書いてあります。オイルパステル画にはサインと共に作品の下に題名を入れてあるので、問題は無いのですが、オイル・油彩画の場合はキャンバスの裏を見ないとなりませんで、困りました。
このホームページを読まれて、ご自身が持っておられる作品の題名が無いとお気付きの方は教えて下さいね。
「夢の黒丸」という作品は、題名が判るので、編集仕直したいのに、何故か他の場合と違って動きません。
まだ油彩の小品があるのですが、500点の手前で少し休みます。編集仕直しで空いてしまった処への再編集がコレも何故か出来なかったのです。出来る時と出来ない時の違いが判らないまま、作品を追加しました。
先日40年近くもハンギングしっぱなしだった絵が落ちて来た。紐が切れて、少し高いところから落ちたが、アクリル額装だったのでセーフ。下に置いてある本が受け身になってくれて、埃が落ちただけ。かれこれ一週間程過ぎて、今日鎌倉まで出掛け額装してきた。
運良く金額的にも私のお財布に合っていて、直ぐに入れて戴いた。明日から夏休みに入る画材屋さん。当分待つ事が無くラッキー!でした。
他に額装したい作品が15点程あるが、経済的に無理。で、帰宅。掲示します。
もう一点は九谷焼とのコラボレーションの時にご来場下さったお三人さまと。
標記の展覧会が26日から始まっている。今日早起きをして下北沢まで出掛けてきました。
とても久し振りの下北沢。友人たちをご案内して、姪の娘が夏休みなので誘い、4人で素敵なレストランでランチを。
4時10分に第二回目のコロナワクチン接種を予約してあって、余り長い時間を下北沢で過ごせなかったのですが、
2時間半楽しんできました。
私が住んでいる山の上が今下水道工事中で、9時〜夕方まで全面通行止めになるのです。山の下辺りは済んでいて通れるのですが。
下の方に車の駐車スペースをかりている人が多い中、私は昼日中の外出を避けて、夕方郵便局に行ったり、買い物をしますから、
それ程不便は無いのですが、それでも夫金城の訪問入浴や訪問介護、訪問診療の点で不便なことから施設で過ごしてもらっている昨今です。
救急車も昇って来られません。9月いっぱいは続く工事です。
そんなわけも手伝って、今日一日にまとめました。
月末の銀行行きは日中にしないと、と、思案しているところです。
お皿と原画を掲示します。小さな背荷物を担いだ修業者さんの行列が空中を錫杖の杖をならしつつ、行進するという絵です。
錫杖は描いていません。説明になるからです。白い点々はパーカッション。会場で説明しましたら受けましたので、種明かしです。
昨日、7月1日。ロートレック没後120周年を記念したアートラベルのワインが届けられた。〜ENISHI 〜 と名付けられた蔵元シャトー・マルメロと、フランス政府芸術文化勲章を叙勲されておられる造形作家で東京国立博物館名誉館員の長谷川栄氏、そして企画会社20G の企画である。
二本組で、一本はロートレックの絵「Divan Japonais」。
ツールーズ地方を訪問した際にロートレックの館も訪問した。
ワインのラベルは蔵元並びにワイン博物館やベルシー美術館に特別収蔵されるという企画。ベルシー美術館には多田祐子作品の3作品が収蔵されることになる。日本酒のラベル、シードルのラベル、ワインのラベル。一点じゃぁないところに喜びがある。
賞が付いてきて、「百合の花」金賞とあった。掲示します。
手作り豆冊子「をんなの時間さまざまⅩLⅠⅠ(42)」が出来た。81首収録。
そろそろ発送作業をしたい。が、切手代が無い。少々お待ち下さい。
表紙と裏表紙は1990年にニューヨークで制作した「マンハッタン」20号、それに1992年に制作の「They Talk」20号サイズ。
ふたつとも、多くの作品をコレクトして下さっているタナカトモコ氏収蔵から。
お供なり お礼参りが出来ぬほど遠路の神さま ただ通りゃんせ
わがことを三十一(みそひと)にして安定を保つほとんど病ひなるらむ
わかみどりドボルザークの新世界しづかに流し君の脈看る
手作り歌集より3首
昨日の毎日新聞夕刊に大きく小松孝英氏の映画監督としての記事が載っていた。懐かしくて、ブログする。
小松孝英氏とはクアラルンプールでのアートフェアー・プラス で、お会いした。勿論初めてのお目通り。
小松孝英氏にはキットお名刺を戴いたのでしょうが、2015年の春から夏、秋と多忙を極めた頃で、箱入りのまま整理が出来ていない。
6月のパリーでの展覧会、クアラルンプールでのアートフェアー・プラスへの前の、イタリアの旅。これは法王さまへの献上の旅で、成田到着から、成田のホテルに泊まり、そのままマレーシアに飛んだ。
パリのルーブル美術館地下・カルーセル・ドゥ・ルーブルでの展覧会を覧て、一枚オイルパステル画小品を購入したという、マレーシアの方から、アートフェアー・プラスの会場を真ん中に取りましたから、という連絡。私の都合なんか問題にしていない状態で、時間的に、金銭的に小品しか出品出来ないなか、オイルパステル画と油彩画の小品を準備。イタリアに旅立った。
マレーシアのアートフェアー・プラスは時の皇太子殿下主催。
マレーシアの要人の方々がご来場の時間帯には到着出来なかったが、日本語で、おはようございます、が皆さん通じたお国。
会場の真ん中に小品ばかり飾って、マレーシアの豪華ホテルに泊まった。メガネの置き場所探しに時間の取られたほどの広い部屋。
何枚かオイルパステル画を制作した。
ここの会場でお目に掛かったのが、小松孝英氏。日本人は私と小松氏だけ。
私の会場まで来られて、アジア諸国での国際アートフェアー参加のことのお話しを伺った。
新聞夕刊では映画監督としての記事だが当然アーティストということの紹介もあって、連絡が出来ないので、ブログすることに。
多田祐子のこのホームページにお気が付かれることを祈ってブログします。
ここ2ヶ月間、このブログのせいでしょうか、インドネシアの方々の訪問が多いのです。
ただ日本語のみの表記のため、直帰率100%。小松氏はインドネシアでのアートフェアできっと有名なのですね。