夕顔忌 と 山の村
「天の夕顔」の作者・故中河与一の祥月命日12月12日の昼、中河家の菩提寺である小田原市の通称みみづく寺、傳肇寺での「夕顔忌」を
今年も無事に済ませた。
我々のお仲人でもある中河与一は、画家に成りたかった若い時期がある。中河与一はお墓の形を37才で世を去ったヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
(1853-1890)の墓と一緒のものにした。ゴッホのお墓の隣には、弟、通称・テオ、テオドロス(1857-1891)の同じ形のお墓がある。
いたく気に入っておられた墓の形。
「夕顔忌」のあと、用事があって飛騨高山市に向かった。車のタイヤを冬用に交換していたが、雪はなくて、20時を過ぎる予定がその45分前には
目的地に到着。余談だが、途中夕飯を済ませて行きます、と、電話で伝えてあったが、豪勢な夕食が誂えられていて、この日は、軽い昼食を含め
四度の食事をした。5つ星ホテルの夕食である。相済みません、と云いつついただいた。
さて、「天の夕顔」の石碑がある森茂は山の村、山の村牧場まで行ってみたかったが、上って行くと、途中で通せんぼのガードが道を遮断。
12月はもはや雪があろうと無かろうと、山の村までは行かれない模様。残念!と夫の運転の車は引き返した。
有峯湖はもっと高いところにあるが、そこにも確か石碑はあるはず。有峯湖には未だかつて行ったことがない。いづれ通せんぼのガードが遮断
しているだろうことは想像が付く。今回は諦めた。山の村牧場の石碑には「天の夕顔の主人公、かつてここに幻住す」という表記がある。
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホのお墓に真似た中河与一のお墓を紹介。
クリーム色、レモン色よりも、少し淡い色のマフラーを愛用しておられたので、クリーム色のガーベラを添えてみたのです。
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの墓によく似ている