イタリアの旅 その2
ローマの聖天使城(サンタンジェロ城)の屋上で一人旅をしている女性の河野○○さんと出会った。色々なところにご一緒したあとホテルに帰ることになった。すると同じホテルでしかも同じ階。そんなことに驚きつつ、夕食も一緒にしようとなった。シャワーを使った後に街に出る。スペイン広場にほど近いホテルだった。彼女にトラットリアを教えて頂いた。いわゆる大衆食堂。この先の旅は多いに助かったのである。フィレンツェで地下にあったりするトラットリアに通った。まあおおざっぱな盛りつけで量が多い。小魚の料理などは二人で一皿が限度。夫は母親が逝って、一年は禁酒、を自らに課していて飲みたいワインをこらえていた。ビールも飲まずの旅。そんな旅の途中の夢でとうとう飲んでしまった。朝目覚めて、飲んでしまった夢のはなしを聞いて可哀想になったが自分で決めたこと。やはり帰国しても秋の一周忌まで禁酒を守っていた。ローマでもフィレンツェのホテルでも2日目の朝、3日目の朝と朝食の時のパンの数が増える。4日目ともなるとお昼の分としてテイクアウト出来そうなほど気前よく下さる。愛想もすこぶるよくなってくる。
ミラノの鉱物博物館では髪の毛のような鉱物、綿花に近い鉱物を知った。夫はダビンチの美術館でダビンチの発明品に感心していた。当時はルネッサンス500年祭に向けて、イタリアのあちらこちらでは修復の作業中。バチカンのシスティーナ礼拝堂しかり、トレビの泉しかり。足場ばかり多くて、トレビの泉には水すらはいっていなくて、
乾いた噴水に後ろ向きにコインを投げ入れてきたが、その後まだイタリアに行く機会がない。衛兵がまとうミケランジェロによるデザインの制服。しっかりと撮影してきた。気が利いた美しさの代表みたい。
ヴェネツィア。サン・マルコ広場で月の光を浴びつつ<音楽>を堪能。ガラスの島ムラノ島にも行った。ここで買い求めたピンクのコーヒーセットは夫と、いち、に、さんでどれが好いか指さして、同じセットだったがためにどちらともなく買わざるをえなかったもの。趣味が合うときが多い。困る。ということもある。諦めることが難しいんで。
2003年の10月、イタリア/ルネッサンス500年祭の折に開催された展覧会で、コスタンツァ・デ・メディチ芸術褒賞をいただいた。そして「メディチ文化協会正会員」の認定を受けた。12月の「バチカン聖なる創造展」では、招聘出品ということであった。私は私の絵と共にイタリアには行くことが出来なかった。アメリカとフランスに行ったあとで、9月のロシア サンクトペテルブルク建都300年祭の招聘出品に応じるのが精一杯だった。その後サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館収蔵の時にも私の絵のみが行ったのであった。2007年3月のモナコ行、7月のイタリア・ヴェローナ行きとマレーシア行、9月のロシア行、11月やはりイタリア・アッシジ行きと残念ながら私は行かれなかったのです。Too much でありました。
夫はローマにホテルを買おうかと言っていたのですが、将来の分のお金を含めて私が全て使い果たしました。ハイ、ごめんなさい。