エルミタージュって ハーミタッジ

 アメリカでは、ピカソのことはパイカッソウというって知っていたのですが、エルミタージュのことは、調べずにおりました。カヨさんからのメールでハーミタッジというと 知りました。帰国してからです。殆どの方が???でした。わずかに白系ロシアのアーティスト、リチャード・ボーは知っていました。ロシア人とフランス人の間に生まれました彼は勿論ニューヨーク生まれのニューヨーク育ち。  今ニューヨークは零下で雪も凍っているそうで、私は温かいうちに帰りましたことをラッキーというべきでしょうね。バスも来なかったりしますし。飛行場の閉鎖もあったりしますから。  さて、クリスマス・イブ。次の展覧会のDMが届きました。ギャラリーコンセプト21(北青山)からです。これから拍車をかけて絵を描きます。  写真は日本から届いた花束、後藤麗子さんありがとう。そしてボーカリストの美人さん。

カヨさんの友人が歌ってくださる
カヨさんの友人が歌ってくださる
日本から届いた花束
日本から届いた花束

ニューヨーク展と多田祐子集合と

 ご報告が遅れております。ニューヨークニューヨークニューヨークというくらい素晴らしいオープニングパーティでした。かつてないほどの入場者とMr.Jainのご馳走と、平木かよピアノカルテット+ボーカル。ボーカルは飛び入りでしたが、プロの背高美人さん。私の絵も一様に素敵という評価。DMのmy Birthday はMr.Jainが奥さんのBonnieさんのお気に入りということで、コレクションに加えて下さる。新作でしたが、日本では2月にフタバ画廊に展示した後、鎌倉古陶美術館に展示しました。美術年鑑社発行の「日本の秋冬」にも掲載しました。またの題名「青い雪」です。期間が2010年1月8日まで延期になっております。およそ2週間増えましたが、いまアメリカは雪だそうで、開店休業状態でしょうか。わたしがいた3日間と往復の2日間は全く温かだったのです。クリスマスや新年、休廊の日が多く、開いていない事ばかりでしょうが、うまく行き合ってくだされば、ニューヨークのギャラリービルデング6階のA. Jain Marunouchi Gallery で私の絵画がお待ち致しております。  諸々細かいことが沢山あるのですが、また。あっ!帰りのスーツケースに羽根枕二つキングサイスが入って・・・。ボニイさんからのスブニール。ははは。

ご来場者のにぎわい
ご来場者のにぎわい
手前がカヨさん
手前がカヨさん
A.Jain Marunouchi Gallery のアーティストと
A.Jain Marunouchi Gallery のアーティストと
翌日のJMG
翌日のJMG

 12月19日20日と多田祐子の会を葉山、逗子、佐島、鎌倉あたりでいたしました。藤沢の多田祐子さんのご主人:多田博さんが逗子小学校やら劇場、その当たりの市民センターの設計をしたというので、あらためて建物の周りを一周。20日には北鎌倉の現場を見学した。スペインの「ガウディと和」というテーマの素敵なハウス。茶室あり、画廊風玄関あり、図書室あり、トルコ式便座はまあるい形。台所と居間には低めの螺旋状土壁。ガウディを上手く取り入れておしゃれ。  香川県高松市の多田祐子さんは東京での研修後逗子に。まんのう町の西念寺さんの様子を写真にして持ってきて下さった。来年4月10日あたりに西念寺さんに奉納することに決めた。写真を6枚程見たあとの朝、夢に赤い絵が出てきて夢が教えてくれたので新たに描くことにした。昨夜地塗り。勿論抽象画。年内に出来ることは無理ですが、メモをしていないので、忘れないうちに描きましょう。メモをすると、メモ以上のものが出来ず、なかなか、納得に苦悩する。  4月の香川行きには藤沢の多田祐子さんも加わる。香川県にもう一人の多田祐子さんがおられるそうで、その方もとても楽しみにしているという、ブリリアント・ユーの多田祐子さんの弁。多田祐子カルテットになる。では時間がありませんので写真で・・・。

多田祐子の会
左から香川の祐子さん中央藤沢の祐子さんと私祐子
多田祐子の会
・撮影 金城
北鎌倉の現場で左多田博氏
・撮影 金城

準備完了

 ギャラリーのオーナーMr.JainがJFKでは外に出ないで、Bonnieさん(奥さん)を見つけて!。外の寒さがゆうこにはきつい。と言ってメールがあり、一度スーツケースに入れた帽子を取り出した。ピアノカルテットでオープニングを盛り立ててくれようという平木かよさんは方々に声かけをしてくださって、画廊に入りきれないほどだそう。小品を沢山持ってきて!とおしゃる。さあぁ、一応15枚持ったけれど、重い。八つ橋を手荷物にして、さらに小物のお土産も取り出して、プリントした私の資料はやはり重いので、手荷物に。帽子が800グラム、プリントが1.5キロ。体重計と台所の1キロ計器で測っては出したり、入れたり。カバンのベルト自体が200グラムある。20キロに200グラムオーバーするところで、閉じた。中にオイルの小品を2枚入れ、一枚は手荷物にした。三枚入れるとオーバーする。以前に成田で、丁度20.00キロの表示を経験したことがあって、また20.00キロjustにしたい。200グラムはベルトです。で、通るだろうか。そんなこんなの出発前です。
 かよさんからは4人で衣裳あわせも選曲もバッチリです。入り切れない人たちにお断りの言葉を考えなくちゃ! とありました。平木かよピアノトリオ&テナーサクソホンの演奏付き「yuko Tada」のニューヨーク展第10回目にどうかお出掛け下さい。
 13日行ってきます。
 またご報告致します。

ニューヨーク入りしたらしい私の絵画

 今回10回目を数える展覧会の絵が速やかにギャラリーに運び込まれたそうな。9日夜、郵船航空サービスの担当者さんから連絡があった。3日のピックアップだったから、11日までにはと、少々心配だった。広くない画廊に大きな箱が早くも届いて、ちょっと始末に右往左往のMr.Jainが想像される。こちらもスーツケースの重さ制限20Kgやら大きさ制限158cm(縦横高さのプラス)があって、一人旅の、特に重さに関してオーバーする荷物を出したり、手荷物に替えたり、手間取っている。お土産の柿の種が重い。手荷物にすることになった。何か?と税関で訊かれた時には、なんと答えよう。2キロも持っているから。Mr.Jainの奥方Bonnieさんが“おつなみベストワン”と言って柿の種をほめる。
おつまみが、おつなみに変わるから、私の英語もそんなものだと思う。おかきは重くない。カステラも軽い。着替えは少々だから、大きなスーツケースが三分の一空いている。
小さいスーツケースでは入らず、中位のは壊れて夫が捨てたらしい。見当たらない。夫は大きい方がいいに決まっている。どうせ帰りには一杯になっているんだから。という。
そもそも大きいスーツケース自体が既に重い。体重計に乗せようと玄関まで転がし、乗せてみるだけで、疲れる。これは遺憾。初めは6キロのオーバー。今漸く20キロに近い。
Bonnieさんにと持った舌ヒデ子さん作のクラフト風お茶碗が桐の箱入りで準備されて、ちょっとこれも重いが仕方ない。割れては元も子もない。八つ橋。手荷物にしようかどうかといったところ。プロフィールをプリントアウトして沢山持って行きたいと思うのに、紙は重い。必要なので少し。
といった準備をしています。

 パキスタンへ送った荷物は無事にMr.fujiwaraに届きました。夏は一ヶ月もかかったのですが、今回は15日間でした。味噌が一つ破裂していたそう。2重に包装を加えておいたので、他のものへの影響はなかったそうです。一度タイランドを経由してイスラマバードに行くまでにいったい何日かかるのでしょうね。12月4日に到着しました。

 では、また。

平木かよピアノトリオ&テナーサクソフォン

 ニューヨークでの展覧会が近づいた。今日3日郵船航空を通して絵が空輸される。7点しか箱に入らなかった。50号3点。40号1点。20号3点。予算がないので、後は画廊に預けてある分でご勘弁を。オイル オン ペーパーの小品をちょっとスーツケースに入れて持参しよう。只今マットを付けてもらっている。インチサイズで。
 さて、ニューヨークはマンハッタンに住みピアノで活躍をしている平木かよさんが、ピアノトリオ&テナーサクソフォンのカルテットでオープニングを飾ってくださるそうな。今朝メールを見ると盛大なオープニングにしましょうとあって、私も俄然元気になりました。有り難い。ピアノ、ベース&ドラム、それにテナーサクソフォンが加わる。
ジャズ大好きな夫が口惜しがっている。聞きたいところやまやま。夫の分のチケットは取っていない。ビデオに撮ってきて。という。誰かに頼まねば。
 こうなったら、あの紅い暖簾、紅絹の暖簾も飾るとしよう。画廊の入口に。日本と多田祐子を表現しよう。クリスマスのイルミネーションに対抗でもないけれど、第10回目のニューヨーク展。通算51回目の展覧会。100回に向かっての展覧会がニューヨークからスタート。盛大にと言ってくださるかよさん、ありがとう。

 11月27日。江戸は東向島に遊んだ。時代小説によく出てくる周辺。面白いことがあった。友人ふたり、夫金城と四人で食事をして、そろそろメニューも終わり頃。金城からよく見える席でお食事中だったご夫婦の、主人が、私たちの席に来て、「御徒町のメガネ屋です。先日はありがとうございました。」と言いつつ、袋を差し出された。袋のなかは、ちりめんじゃこ100g X 4袋。ここの和食レストラン製。金城の顔をちらちら観ておられたそうな。隣のわたしにどうぞ、と、おしゃって、さぁーっとお帰りになり、後から続く奥様もお辞儀をされてレストランを出て行かれた。先日、メガネ、御徒町で買った? いいや、と夫。??? ちりめんじゃこ、山椒の実入り。4袋。安くない。友人はトイレでチラシを見たそうな。値段を知っていた。???。???。結局、戴いた。きっと金城にあまりにも似た人が先日鼈甲の値のはるメガネを誂えたのでしょう。という結論になった。お店の常連さんで、昨年までお隣さんだったそうな。更に値段を知っている友人はその二日前に、彼女の友人にちりめんじゃこをあげそこなったそうな。荷物になると思い、帰りがけにあげるわね、というまでは良かったが、宝くじを買う時点で、宝くじ売り場に忘れたそうな。友人の方が口惜しがっていたの、と言って、手に入ったちりめんじゃこを、なんとも不思議な事件と笑ってその一日は終わった。四人ともかっぱ村村民。かっぱのいたずらに遇ったのです。
 12月1日。葉山下山川、水源池橋。午前8時。100年は続けておられる河童さまへのお供え餅を合掌とともに供えに来られた須藤さん親娘を取材する。
 夕刻6時からは横須賀芸術劇場に「龍馬」・ミュージカルオペラを観に。世界が龍馬を知るときが来た! という触れ込み。脚本 ジェームス三木。 演出 江守 徹。音楽 小六 禮次郎。振付 國友 須賀(スガジャズダンススタジオ・IZANAI アカデミー 等主宰)。この須賀さん大向こうからひとりひとりに大声援の連続。ご苦労さまが言いたくて、出口にたたれる須賀さんに思わず声をお掛けした。私たちの席が須賀さんの席の前。初め誰?と感心したが、出演者の多くが須賀さんの教え子。元気をいただき、教えられ、感激したり、感動したり。國友須賀さんがんばって!応援します。

 そんなこんなの、師走の初め。パキスタンに送った荷物は14日2週間が過ぎましたがまだ到着していない模様。MR.FUJIWARAが年末年始の旅に出掛けてしまうというのに。

 また。

千早振り・・・

・・・嵐山もみじ祭りの午後の平安管弦船の写真が届きました。桂川(保津川)での模様の一端をブログでご紹介します。読経をされる和尚さんにあわせて散華。花びらを川面に浮かべ故人を偲びました。この川の開発に尽力なさった多くの人々の御魂安かれと。そして角倉了以の母上さまの御霊にも時代を隔てての供養をしたのです。千早の袖を振りつつ。あっ、今このブログの最中に電話があって、もう一人の多田祐子、香川県のブリリアント・ユウの多田祐子さんからだったのですが、まんのう町の西念寺さんに行ってくれました。私の代わりにお寺の様子、壁の具合を写真に撮ってくれるのです。突然の多田祐子の出現に瀧口修薫さんはびっくり。電話口で驚きと嬉しさの連発でした。西念寺さんにその昔法然和尚さまが滞在なさっておられたとのこと。今浄土宗の私は法然さまに一枚の絵をこの西念寺さまを通して覧ていただこうと思ったのです。ご奉納して、というお言葉を先におっしゃたのは修薫さま。それも場所はお伊勢さまのお宿、伊勢神宮館。去年のことでした。来月12月19日に葉山で3人の多田祐子が集まるので、その時に西念寺さんの壁の具合やらお寺さんの全容が判るでしょう。香川県の多田祐子さんは北鎌倉の古陶美術館で既に多田祐子の100枚程の絵画を覧ていますから心強いばかり。
嵐山の千光寺さんよりも早い時期にご奉納が叶うかも知れませんね。ではまた長くなりました。香川の多田祐子さんありがとう。

念のため。この千早は伊勢神宮さまから拝領したものなそうです。
千光寺の和尚さんと散華する私
念のため。この千早は伊勢神宮さまから拝領したものなそうです。

嵐山のもみじ祭り

畏れ多くも袖を紙縒でくくった千早を着けました。

千早着け 散華供養の桂川
集ひしひとに 冬日ほほえむ
風もなく温かな晴天の一日でした。

第63回 嵐山もみじ祭りに参加

 11月8日は63回目を数える京都嵐山もみじ祭りの日。夫金城の運転で葉山を出発したのが6日の午後11時過ぎ。土山サービスエリアで仮眠。私は一度も運転を交替せずに眠ってばかり。朝早く、貴船神社に参り、折良く7日は御火焚祭とあって護摩に願いをたくす。家族のあれこれも含め、今年は願成寺での護摩お焚き上げ祭に参加できなかったこともあって、幸いの一日。聖域での2時間。火渡りは残念ながら12時からとのことで、参道で焼きもちを買い次の予定先、舌夫妻のギャラリーへ。この焼きもちやさんで、舌さんのところにお土産、と言うと、このお店が「舌」のご本家さん。不足の40円をおまけして下さる。
 時代小説で読んだ徳川家重の見聞役三田村元八郎と黄泉の醜女の闘いをこの聖域に想像しながらお別れ。
 舌ヒデ子さんのかっぱさんをピックアップしようという予定が、梱包されておらずに、実際は9日に再訪問してピックアップ。北鎌倉の古陶美術館で出会ったかっぱさんファミリーが今、家の玄関に移ってきた。
8日。朝から温かい快晴の日。小川貴子さんの朝ご飯をいただき、嵐山に。もみじ祭りは三回目の参加。夫金城は真新しい雅楽装束。わたくしは、千早。巫女さん。紙縒で袖をくくったもの。お伊勢さまからの拝領物とのこと。畏れ多い。
 午後は角倉了以の偉業に力を貸してこの川で亡くなった多くの人々や、了以の母親に散華。河川開発工事をおこなった角倉了以の第17代さん、18代さんと共に船遊び。
保津川の両岸はカメラの放列。小川さんの平安管弦船は雅楽の音に迦陵頻伽の舞。上流で一度、下流で一度船足を止め迦陵頻伽のサービスの舞。お辞儀をする子供たちには拍手とカメラのフラッシュの観応。

金城は雅楽装束 私は千早
金城は雅楽装束 私は千早

 9日。神戸から合流している野崎波津子さんと、小川さんのご案内をいただいて再び嵐山に。大悲閣千光寺にお参り。2013年が角倉了以没後400年祭に当たり、わたしは100号の絵を2点描かせていただいて奉納の予定。100号2点のキャンバスは既に準備して地塗りも6回済んでいるが、いよいよお参りをすませ、描き始めたい。この栄誉をありがとうと申し上げ、お力をお貸しくださるようにと、祈念。険しく細い道。急坂ばかりでくねくね道。図柄は既に夢枕で教えてもらっている。
 8日船でご一緒だった千光寺の和尚さんは免許書き換えで、街にお出掛けとか。十分に場所やら未来のお堂完成図を見て、了以さんに朱印状を与えた徳川家康の大権現とあるお位牌にも手を合わせ、なにより聖徳太子にも縁あるこの千光寺を後にした。
 最後は一ノ宮の上賀茂神社参り。ここで引いたおみくじ“うるはしき神のみさとしあるからは 萬の願ひ叶ふぞと知れ”第一番の大吉であった。一年間のご報告。
願成寺さんへは今回はお参りできず終い。11月3日のご開帳の日には阿保さまがおみえだったと小川貴子さんからお聞きした。阿保親王堂の多田祐子の50号“明日会いましょここで”をご覧くださったそうな。有り難いことでした。

保津川

シャンソン・ルタンの会

 昨日は高等学校の同窓会が上野であって、愉しい一時を過ごした後、新橋のヤクルトホールで2009Le Temps Festival に夫金城と。なんと最も絶妙な座席を与えてくださったのは東丘いずひさん。夫と晴れがましい気分を満喫しました。東丘いずひさんありがとうございました。彼女は大振り袖姿でのシャンソン。草履にもキラキラのラメ入り鼻緒。蝶々夫人のシャンソン版。どれほどの所作の稽古をなさったか知らないが、もともと女優業の彼女のこと、様になっておりましたよ。
 このフェステバルには、私の知り合いとしては東丘いずひさん、安奈淳さんが居り、三人目として瀬間千恵さんがおりました。東丘いずひさんは絵描きでもあってご一緒にタイランドにも国際文化交流使節として行き、なによりかっぱ村民です。いつも元気いっぱいの女性。仲好しこよしのなか。安奈淳さんとはグループ展・ダブニール展でいつも一緒に出品していて、グループの世話役田久保恵美子さんの処であったBBQの会では夫金城も安奈さんとツウショトの写真を持っている仲。訪ねた楽屋では笑顔でお話しいただいた。
 さて、瀬間千恵さん。およそ35年前に遡りますが、瀬間さんが当時出演なさっていた“銀巴里”に私は彼女の歌声を聴くためによく通っていたのです。河名千絵というペンネームで詩を作っていた時代でした。銀巴里で歌声を聴きながら思索にふけっては詩作をしていたのでした。で、瀬間千恵さんの歌うシャンソンの中で一番好きだったのは“絹のスカーフ”。「あなたのくれた絹のスカーフ わたしは巻いた 寒いんじゃない あなたのぬくもり・・・」という歌詞と声がとてもマッチしていたのです。昨年も出演なさっておられたようでしたが、生憎と甥の結婚式とがかちあってしまい、今年ようやく、パリーから帰られた瀬間千恵さんの歌うシャンソンを聴かせていただきました。そして突然でしたが楽屋にも押しかけていき、35年前の事を勝手にお話し致しました。貴女がわたしの2回目の展覧会、はまのや美術サロンに来て下さったことを。
 第2ステージでの貴女の演出は涙が出そうでした。長ーいフランスでの暮らしを想像しました。2年程昔、新聞の記事のなかに瀬間千恵のことを見ました。日本に帰って来られると待っていたのです。その瀬間千恵さんとほんの50秒、楽屋で会いました。本当は名刺や私のプロフィールを準備していたのです。名刺は河名千絵のものから多田祐子、金城祐子のものまで一枚にまとめた数少ないもの。でもそんなものは必要ありませんでした。先ず35年の空間を埋めることでしたから。
 彼女はシャンソン界の大御所になられました。わたしはエルミタージュ美術館が収蔵してくれる絵描きになりました。35年。嬉しい再会でしたが、瀬間さんはまだ思い出してはいないかもしれません。いいのです。わたしは知っているのですから。
 東丘いずひさん、有り難うございました。