手習いをしようか?

 先日ある文化祭を覗いた。文字が上手くないわたしは手習いの時間を持たないといけないなぁーと考えている。たまに歌を作り、ひとさまに書きおくったりするから。モデルの人がいる時には特に手習いが必要だと思うが間に合わない。上手くもない字で申し訳なく思いつつ贈る。
 さて、文化祭の会場で思わず2周りしてしまった短歌のコーナーだったが、文字が皆同じ気がする。手習いも続ければ同じになるか? と、歌の内容はともかくも、30〜40枚はあっただろうか、短冊のサインまでジッと見入った。あまりの不思議さ。勧誘のために近づいてきた女性に訊いてみた。何年くらい歌と手習いを続けていらっしゃるの? 応えが更にびっくり! “字はみな先生にお願いして書いて頂いたのです” 実は歌が内容もほとんど同じで感動がない。と言っては失礼だが、文字も一緒だからきれいな風景の歌が個性を持っていない。誰が悪いということになる。先生! どんなに頼まれてもご自分で書きなさい!っていわねば。です。
 その後で、自分の短冊に出会った。まずい字だなぁ。歌の内容はすこぶる良いのですが。

鳥からの手紙 パステル画
パステル画 2012・10
げんげ蒔く
パステル画 2012・10

富士宮市は8ヶ月ぶり

 午前11時45分頃に富士宮市駅到着。車窓からはすでに大きなおおきな富士のお山が望めていて、山頂に薄い雪をいただいた霊峰を眺めながら駅を降り立つ。前方の富士山を携帯電話で撮影。留守の夫にメール。返事は“何処に富士山?”。建物の間から、富士山の大きさが判るようにという思いの撮影は、失敗らしい。目には大きく見えているのに撮すとそれほどではなくなる。
 街中を行くと、「このはなさくやひめ」の幟かんばん。プロのかたのデザインの中に「木花之佐久夜毘売命」のお顔のみ描かせて頂いた。オイルパステルで。急ぎ描き送付した時にあぶら紙をあてておいたが、そのあぶら紙がわずかに下にずれたか?お口の下あたりが
ほんのすこしピンクが濃い。次回があるなら印刷の時に立ち会いたいものだ。
 翌日の帰りぎわは美しい夕空。
ゆうさりて富士駅発てば既に無し 赤きふじ山もも色の雲
 と歌にしたが、富士の霊峰も浮かぶ雲も桃色でした。でしたから、桃色が少し濃かったことを「このはなさくやひめ」さまがお許し下さったかと、帰って来ました。

 さて、よんで下さった講座のみなさまには喜んでいただきました模様でありがとうございました。
また12月7日、8日と今度は夫金城と共に参ります。忘年会と「咸臨丸」のお話しを伺いに。

幟かんばん
木花之佐久夜毘売命のお膝元・富士を世界遺産に
幟かんばん
オイルパステル画・富士宮市に持っていく寸前でお買い上げをいただきました
青ふじ
オイルパステル画・富士宮市に持っていく寸前でお買い上げをいただきました

Affordable Art Fair Seattle 2012

 短いアートフェアーが開催中だ。シアトルには絵のみ行っている。ポップ調のブルーの絵。担当者さんの好みに従った。
お話しがあった季節にはイチローがシアトルにいて、フーン シアトルねぇ って行ってみたい気持ちがあったが、財布のほうで、無理。メキシコ経由でキューバに行った時に、シアトルの近く、バンクーバー空港を利用した。バンクーバーはカナダだった。バンクーバーも空港だけ、行ったとは云えない話し。
 
 さて、いろいろせわしない。漢字で書くと、心を亡くすということで、ひらがなにしたい。
過日、岩手県の山田町立大浦小学校から思いがけずに、お礼の手紙が来た。夏の慰問の旅で、仮設住宅住まいの知人にお持ちしたお菓子が、小学校に届き、全校遠足の日のおやつに役だって、それでお礼の手紙をいただいたのだが、校長先生と児童代表のお手紙、そして校報の文面に思わず涙して、突き上げられるように描いたパステル画が額装なってきて、学校にお届けした。月曜日には届くと良いのだが。
 14日には富士宮市に講演で行く。絵を持ってきてかまわない、という主催者さんのお言葉で、15点準備した。わたしの分身と一緒なので、わたしとしては心強い。絵をみていただく方が話しなどよりまし。と。
 そんな今日、友人のひとりが亡くなった。14日が葬儀という。足利市。14日、都合が悪い。遠いので12日か、13日にお悔やみに
行かねば。よく人が亡くなる一年である。

文化の日

箱根に遊んだ帰り道、
小田原市に恩師の住んで居られた
宅地跡に脚を運ぶ
途中下車古希庵あたり与一師を
偲び探しぬ旧宅跡地


良き間なり住み継ぐひとに巡り会ひ
我ら三人愉しき一日


建物はあるままテラス付け足しぬと
語るを聴きて満ちたりし帰路


短い時間でしたが、ご存命中の日の
あれこれが浮かんできました。

わらさ・はまち(関西で)

 昨日夕飯中に“ブリの子ども”食べます?という電話があった。友人と3人での御夕飯。友人が買ってきてくださった焼き豚をあてに、夫も友人も手酌でアルコールを飲みつつ。
ブリの子ども。さわらじゃない、わらさ、だ。直ぐご近所の人からの電話。丁度いいねぇ! わたしは直ぐに玄関に。少し待ったが、早すぎたか、と、またテーブルに戻って、
待つことしきり。そうかぁ、きっとお刺身にしてから届くんだね。ということで待つこと30分ばかり。玄関でピンポン。友人が飲まなかったビール缶一本持って玄関に。
ということで、なんと一本まるまるのわらさをいただいたのです。電話は近所のご自宅からではなかったのでした。
 今日揚がったばかりなので、明日が食べ頃という。その明日、金城は大まな板を物置から出し、包丁を研ぎ、2時間半がかりでようやく一口の大きさに。
 友人は惜しいかな昨夜の酒の肴にはありつけなかったので、今日お届けしたいところ。が、切れ味が美しくない!切れない包丁のせい?
 例によって教則本を片手にさばいたのでした。
 お届けしようか、ただ今考え中。

わらささん
うろこをとられました。
わらささん
頭は、大根と煮ます
お刺身の前
頭は、大根と煮ます

思わぬ通信・通心

 18日の小雨のなか、一通のA4の封書が届く。雨に濡れないように気を配った風で配達のひとの親切な心が伺われる。
 山田町立大浦小学校とある。急ぎ開封。校報「おおうら」3部。児童会長6年 山崎寛奈さんからのお礼のおたより。そして校長 中村登志江先生からのご報告とお礼に加え、今後の取り組みの決意がしたためられたお手紙であった。
 9月9日の日曜日に大浦仮設住宅に知人の川端弘行、京子夫妻をお訪ねした。3.11の大地震と大津波によって仮設暮らしを余儀なくされておられる。先のブログにあるように、
東日本慰問の旅でわずかな慰問品をお届けした。その慰問品の配り方にご配慮をくださった川端夫妻から「お菓子」は個包装されていたので、校長先生にお話しして、小学校にお届けした旨のご報告とお礼のお手紙をいただいた。なんと足りたのかしら?という思いがあったが、一番良いとご夫妻が判断なさったこと、郷土史研究家で、学校評議員の川端氏、流石! と感心しておりました。
 さて、
 私達に届いたお手紙には、そのお菓子、28日の全校遠足の際のおやつに配られたのでした。おやつは無い予定だったそうで、子ども達は大喜びでした。と校長先生。
42人の一年生から六年生の児童たちが4〜5列になって列んでいる写真も載っている校報「おおうら」を読むと“おやつ付きの遠足となりました。ありがとうございました”と
書かれている。思わず涙ぐむ。個包装は50個。先生方には渡らない人もあったのでは。わずかなお菓子と、あめ玉2個の内容だったのですが、袋詰めした甲斐がありました。
全校42名。みんななかよしです! 勉強も、運動も、さんさも頑張っています!! と、さんさ踊の写真も載っていました。
復興へ向けてどうか地域全体で進んでください。
 お手紙通心、ありがとうございました。夫金城が言いました。また行きたいね。

Smile と 桃花の里

Smile (GRNDO OPERA/2008年) & 桃花の里(美術春秋・天/2009年) の評論文を紹介します。どちらも芸術書院から発行されています。「桃花」で「つき」と読んで下さい。 Smile は日本のお正月飾りからイメージ。桃花の里 は桃の花が月を照らすのか、月が桃の花を照らしているのか、どっちでしょうね。といった印象から。

現在NYのGMJにあります
Smile/2007
現在NYのGMJにあります
our moon
桃花の里/2005
our moon

ART INTERNATIONAL ZURICH 2012 はじまる。

今日からズーリッヒでのアートフェアーがはじまる。短い期間だが、多くの美術愛好家でにぎわうことだろう。「宇宙の進化」多田祐子作にも注目が集まることを祈る。

 11月のシアトルでのアートフェアーには「Mr. J」を展示する。

11月のシアトルでのアートフェアーでお待ちします
Mr.J / TADA yuko
11月のシアトルでのアートフェアーでお待ちします

宇宙の進化

 10月11日〜14日にかけてのチュウリッヒでのアートフェアーに、「宇宙の進化」を展示する。担当者さんの好みに従った。たまたま夏に出た美術の杜社のBM Vol.29に、ル・サロンの現会長クリスチーヌ・モノーさんが評を寄せて下さっているので、スイスとフランスはお隣どうし、お役に立つかな。と、批評文を載せて、絵とともに、一枚の絵はがきにして送付した。生憎と評文は日本語に訳されているが。つまり“個性輝く作品”とある。
 スイスには3回訪問した。国連の平和の間での国際交流展で初めて行って、スイスを一回り、一人旅をした。後の2回はジュネーブでのアートフェアーに出展。ニューヨークの画廊を通しての出展で、ニューヨークに住んでいるアーティストたちと、連日ワイワイ愉しかった。
 今回は絵のみ参加する。スイスでの第一日目に小父さんが “ズーリッヒ” と発音して、道を聞いたわたしは??? ああチュウリッヒは日本語だったか、と、いまだに思い出す駅のホームでのひとこま。その手製の絵はがきを下記します。

 夫金城がかたづけていて、2階に持って行きなさい、という物の中に、1991年のペルー美術賞展のカタログがあって、当時のリマ美術館長セシリア・アライサさんが載っている写真をみつけた。私は「動物園」という50号サイズの作品を発表した。その「動物園」をリマ美術館に収蔵してくださった方だ。
 日本人とか日本人じゃないとかを問題にしない作品で、収蔵したい。と仰った女性の館長さん。このときもリマには行っていないので、いまだにお会い出来ていない。当時はしっかりデータを保存していなかったので、このカタログに掲載されているものしか残っていない。まさかそのままリマに残るとは考えていなかった。1990年の12月初めから1991年2月いっぱいまでの3ヶ月間、わたしは初めてのニューヨークでの個展でマンハッタンにいた。
 マンハッタンで出会ったのが今の常設画廊主。JMGのMr.Jainである。

 さてさて、10月11日〜14日までの間にズーリッヒにお出掛けの方は、是非アートフェアーに足を向けてください。

1991年にリマ美術館に入った50号
動物園
1991年にリマ美術館に入った50号
ズーリッヒのアートフェアー出展作
宇宙の進化 10号S
ズーリッヒのアートフェアー出展作

ミニ絵画展へのご案内

器用な従弟がいて、話し処「 きままや」というのをはじめた。料理は父親が得意だった。影響は早くから受けて、いまや文句のいいようがない。少し前までは、時間がかかり過ぎ? の感あり。だった。蒸し返しの料理は美味しくない。それが腕を上げ感心した。
雪国の片田舎。さらに裏の裏。通りもあるような無いような。続くかなぁ。
とにかく、宣伝です。
そこで、多田祐子のミニ絵画展を開催中です。壁をお借りして。月曜日が定休日。電話をしてからお出掛け下さい。090 2997 4465 鎌田 です。
お買い上げのご連絡があったら、新幹線で行きます。
よろしくお願いいたします。新町裏、平野神社近く、「営業中」の幟が目印です。誘導灯に従って進みますと、赤いのれんが目に入ります。この暖簾は、昼、
よく見えるのですが、夜は?です。