心配から生まれるものは何もないと分かりつつーJapan money は何処にゆく

 15年程前の湾岸戦争の時は日本は口出しはせずお金をだした。そのすぐ後エジプトを旅した私は尊敬の念で迎えられた。日本人ということでお金は出すが、口は出さない。エライということだった。三度目の滞米中に湾岸戦争は起こり、その日は私の誕生日だったけれど街を歩いている人はおらず皆テレビの放送に夢中だった。旅行者としての私は、日本はお金なんて出さなければいいのにと思いアメリカに住んで長い日本人は、せめてお金を出してくれないと肩身が狭いと思っていることが分かった。さて、そのお金は出すが口は出さないエライ日本人が世界的に、おそらく世界的にマネーの面で攻撃を受けることになった気がする。“世界に回せ”ということだったに違いない。今、ヌーボージャポニズムが叫ばれていて、北斎に西欧が学んだとき以来の日本ブームだ。
 絵画や書のみならず映画やアニメ、ファッション、茶道、生花の華道、タイコや踊りの果てまでもジャパンウイーク、ジャパンフェスティバル、何々における日本年といった具合で、世界各地で日本の文化が花開いている。今、更に料理の分野が加わった。俳句は既に加わっている。先に国力には文明に文化が伴わなければならないと書いたけれど、兎に角政治と経済、そして芸術は三位一体というわけであろうか、怖ろしい程の日本ブーム。そして世界中の美術品が日本に押し寄せて日本中を駆けめぐっている。
 アルゼンチンに行った時「企業戦士は何処までも行く」ことを知った。日本の企業の大看板が大都会の中にそびえていて、心強かったし誇らしかった。一方文化面では知られておらず、展覧会が開催されたことを嬉しく思ったものだ。
 日本の文化を知ってもらうためにはヌーボージャポニズムはありがたい。なにしろ最後の戦争から60年そこそこで「平和な日本」が現出したのだから。江戸300年や、安土桃山時代も平和・・・茶人の古田織部や千利休にとっては不幸が名を不滅にした・・・な御代であったことが考えられる。
 将来は功罪のどちらに傾いているのだろうか。今のところは分かろうはずがない。
「One world 」が叫ばれている現在を生きている私は、世界が求めているのならば私の絵画を展覧しよう。岡倉天心や大観の時代ではないインターネットの世界に私はいる。岡倉天心は明治時代にボストン美術館顧問として国際的にも活躍した。快挙だ。
 地球温暖化防止、AIDS撲滅、地雷撤去、貧困からの脱却などに対する地球規模での取り組みに、絵画出品を通して世界に貢献しているのなら、お誉めの言葉が出品料に対してのものかも知れない一方で、“多田祐子の絵が何故無い”、“多田祐子の絵がみたい”という主催者側の言葉を頼りや励にして私は私の絵を描こう。
 自分の役割を務めるためには、芝居の全体を知っておかねばならないー老子の言葉からーONE WORLDーの中で。

有賀小学校に再度行きます

11月18日校長 鈴木安子先生からご連絡をいただき、12月16日に6年生14名と共に絵を描くことになりました。謂わば卒業制作です。なにやら子供の数の激減で近い将来には統合がありそうな気配。すると私たちには小学校、中学校、高等学校そして、若柳町まで、その名前が消える。まあオブラートに包まれたといった感じがいいのかもしれない。
それはさておき、それならずとも、校舎 学舎 その周辺を描かせたいという思いがある。もはや寒いけれど、戸外での絵画教室は可能だろうか。翌日から風邪引きの子供が
出てしまっては可哀想。お天気具合、風具合、ぽかぽか陽気を念じている。今日は雪なそうな。昨夜は初雪だったとのこと。いずれ体育館での実行でも寒いには違いない。
男の子8めい、女の子6名のクラスに思い出深い印象の一日にしたいものだ。
 出来ればこの機会に、展覧会を計画したいと思うのは私の贅沢かもしれない。
学校の廊下あるいは図書室のようなところでいいから、私の油絵を10点乃至12点、短い期間で、かまわない。子供達に見て欲しい。わかんなくていい。見るだけで良い。
授業時間を邪魔しようというのではない。やすみ時間にちょっとみればいい。
と思うのですが、運送について考えが及ぶと勢いが消える。
 今日はこの辺で。

上賀茂神社と願成寺と

 京都の東福寺塔頭:願成禅寺の苦労消除祭/阿保親王堂ご開帳は11月3日。紅葉には少し早かったが、夫金城と友人の篠原孝子さん、野崎波津子さん(神戸から)の4人で参詣。2日の午後2時には到着した。篠原さんは、花を生ける小川貴子さん(願成寺の理事)の手元としてお手伝い。金城は何やら諸々。わたしは苔の上に落ちている笹だけの葉を拾い、兎に角庭師のたまごらしいおにいさんの手伝いを。これが大変。踏みたくはない苔。チョツト踏まないと届かない落ち葉。2時間少々の奉仕作業。5時野崎さんの待つホテルへ。夜は小川さんのご案内で庭園の素晴らしいト コ ロへ。
3日朝、はじめに上賀茂神社に。明治節の行事でにぎわう境内。先ず社務所に寄り、お神籤のことやエルミタージュ美術館収蔵の件をお話申し上げる。“うるはしき神のみさとしあるからは万の願ひかなふとぞしれ”のおみくじを引いた翌年にエルミタージュのお話が有った。今回歌をご奉納しつつ、ご報告を、と申し上げる。すると思いがけずも、昇殿のお許しがあって、今しも明治節の式の最中である沢山の神主さんがたがお祈りを捧げておられる近くから、私たちも2礼2拍手の参拝がかなう。その後宝物殿にご案内をいただき真にもったいない朝の出来事。最高のステージを予想しませんでしたから、皆でいいのかしら?いいのかしら?。和歌を準備したこと等金城にも言っていなかったので、社務所に突然消えた私をどうした?と思って呆れていたら神官様の行列のあとから付いて来るように指示があってびっくりの4人でした。
 さて、急ぎ願成寺へ。お寺さんですが阿保親王の親王堂があり“阿保大明神”として祀られ、墳墓もあるのです。もう震えはきませんが、初めて境内に足を入れ、荒れ放題の様子や墳墓まであることで、鳥肌が立ち呼吸が苦しくなり目眩がしました。御可哀想。大明神の祠も実に小さい物で崩れ落ちんばかり。今思っても涙が出そうです。
在原業平、行平、大江音人のお父君。第51代平城(へいぜい)天皇の第一皇子。
桓武天皇のお孫君。今回ホテルの隣が護王神社。桓武天皇をお護りしたという和気清麻呂とその姉君が祭神。なんともいえず京都は難しい。行きたいところが多く、急ぎ行きたいものを、そうはさせてくれないのです。
 とにもかくにも、お隣に桓武天皇ゆかりの神社さん。みんなでお参り致しました。
来年は源氏物語の楽水苑と鳥羽離宮跡にも参ります。そこまで行くと平等院が近い。2泊3日では無理でしょうねー。

モスクワ国際芸術博覧会での賞

Heart art in MOSCOW: モスクワ国際芸術博覧会の賞状が届いた。 文化親善名誉作家認定証とモスクワ文化遺産至宝賞というものであった。 文化親善名誉作家認定証はロシア国立芸術アカデミー総裁のズラブ ・ツェレテリ氏のサイン入り。文化遺産至宝賞はどうも主催者であるHeart art Communication からのもの。日本現代芸術の発展および日本文化の普及に大きく貢献し独創性の高い素晴らしいものとして評価されました。とあった。博覧会全体からの賞状だから文句を言ってはいけない。しかしズラブ氏のサインがこちらにもあったらもっと嬉しかった。 絵は青い月の “嬉野の月” The moon of Japan であった。 ありがとうございました。

掲載の絵が違っていて、「若草」が載っています。本来の絵が載せられず、どうすればいいのか判りません。(修正しました)

佐賀県嬉野別館でのスケッチから
The moon of Japan
佐賀県嬉野別館でのスケッチから

作品を追加しました。

10月31日、MR.Fujiwara の更なるご協力をいただき、作品を旧作に新作を加えて追加しました。あまり多すぎるので、いずれは前ページといった具合にしたいと思います。
 さて、本日は絵画教室を実行してくださった母校の校長先生と全校児童のお手紙が届きました。1年生から6年生までの全員が私にお手紙をくださったのです。教頭先生が
先頭に為られて、何か子供達と共に感想文などを書いていると聞いていたので楽しみにしておりましたら、6冊の文集になって届きました。それぞれの表紙が花束で飾られて。ハートが上下にいつぱいならんでいる。中身の用紙にも工夫があって、柿の実をついばむ小鳥だったり、毛糸かごに毛糸と入っている子猫、靴の中にどんぐりとリス、かごの中の果物、たぬきが両手を広げていたり、栗の実だったり。なんというステキさ。それに思い思いの色がぬられている。あれあれ絵画教室は必要なかったか、と言うほどの出来栄え。参りました。こういう工夫をする時間を持てる児童たちは幸せ。良い母校を誇りたいです。みんな一様に大きな紙にみんなで絵がかけて楽しかったとあって、私もとても嬉しく、文集は宝物になりました。全員のお手紙を読ませていただきました。
 あっ、子供達に運動のことについてはなにも言わずに終わってしまいましたが、運動もとても大切。勝ったり、負けたり、精神性を考えるとき鍛えてくれるのは、勝負事。みんな身体を鍛えて大きくなろう!
今日はありがとうございました。fujiwaraさんも先生がたも子供達も、父兄のみなさんも。

母校小学校のPTA会長さんからのお手紙と掲載新聞到着

先日の母校での絵画教室、子供達の反応はまだ分からない。絵を描くことが好きな子供は風邪ぎみでも楽しみにして学校を休まなかったという情報を得ることができた。
私もPTAも初めての体験。児童の代表が「全校で絵を描くのは初めてでたのしかったです。また遊びに来てください」とお礼を述べてくださった。PTA会長の三浦健さんもこの体験が「芽吹き」となってもらいたいと、私の寄贈した120号のタイトルにかけておられる。また、私の活動の成果の程を故郷全体で念じておりますとあり、プレッシャーもあるが、ありがたい励ましのお言葉。
河北新聞が同封されていて大きなカラー写真を含めB5サイズの記事にまとめられていた。
さて、近々website HPホームページの作品を新しいものにしようかと思いつつおります。今度は25点程しかないのです。初めは52点でした。少なすぎでしょうか。
注文が来ませんので、寂しい気持ちです。注文はtakefreeのマガジンに掲載の話のみ。
掲載料をこちらから取るという悲しいもの。文化活動は地味で哀しいものです。
今日はこの辺で。また。

故郷の有賀小学校で

 10月12日に招かれて母校の有賀小学校に行きました。全校児童84名に幼稚園児の数名と参加してくださったお母さん方を加えて8チームに分かれ、体育館で絵画教室を体験しました。
幼稚園児の子供達は畳2枚分の大きさの紙。後のチームは畳3枚分の大きさ。小さな手に大きな刷毛を持ってもらって先ず地塗りから始め、花を描くチーム、葉っぱを描くチーム、魚のチーム、木の実のチーム、動物チーム、野菜チームと縦割りのチームがありましたから自由に描いてもらいました。ママさんチームには少し難しく乗り物をテーマにしました。空を飛ぶものと、文房具チームは残念ながら割愛。地塗りから何処まで完成に近づけるか時間との関係で心配もないわけではなかったのですが、進むうちにみんなはかどってきて、空きスペースには好きなものを描いてもらい、更に縞模様やよろけ縞を加えたり、☆模様を加えて画面をしめてみました。幼稚園児の子供達は虹を描きましたが、手首の力がまだ備わっていないので、刷毛を使ったりといったことや、紙が大きかったので大変そうでしたが、どうにかきれいに仕上がりました。ママさんチームも地塗りが美しく全体にまとまってできました。児童の6チームも1年生から6年生までの混成でしたからおもしろいものが出来ました。体育館の中央に8枚を縦に並べて見ました。1時間30分位の絵画教室でした。
体育館の2階に並べて展示してくださるそうな。写真が届くことでしょう。とても楽しみです。みなさんお疲れさまでした。楽しかったです。

44回目の展覧会を終えて

長いような短いような人生の中で先月30日に44回を数えた個展が終わった。数多の国際文化交流に関わってその出品料の支払いに苦しんでいる私に神様はあまり微笑んではくださらなかった。で、もう国際交流は止めなければと思うのに今年はインドとの間の
日印文化協定締結50周年にあたるそうな。まあとにかく色々と計画企画実行される。今、ヌーボウジャポニズムの時らしく、葛飾北斎に学んだ時以来の日本美術、
“日本芸術”に大きな期待が寄せられているそうだ。一方ではやはり励みにはなっている。
 個展で今回お買い上げくださった小学校以来の友達(同級生)は老人施設に勤めているが、その施設にしばらくは飾っておこうと言われた。以前は看護婦長という難しい
仕事をこなしておられた。そんなお話であったから、友達を偉いと思うと共に、ありがたかった。お年寄りに元気をあげたい!と言って買ってくださったんだから。
 さて、11日から小学校に講演に行くために出掛けます。講演依頼でしたが、みんなで絵を描こうとおもいます。講堂で。

日マレ友好50周年大賞

前のブログで賞をいただくとやはり嬉しい、と書きましたが、書いた後すぐに連絡が入り日本マレーシア友好50年の交流を記念しての展覧会で大賞をくださったそうです。
「日マレ友好50周年大賞」です。なにやら子供たちが大勢私の絵の前に集まって見ていたそうで、改めて検討、討論があったそうです。「カマル」という題名で猫を描きましたが、とても気高い猫なのです。まだしばらく手元には帰ってきませんが、10月には
戻るでしょう。NYの画商Mr.Jainと来年2月末と3月初めにドイツのArt Show に出点するのですが、さて此の「カマル」を持って行くかどうかは考えてみたいと思います。モナコに出展しようとしていたのですが、モナコには間に合いませんでした。
モナコではセルジュ・リファール賞(フランスの有名ダンサーで舞台監督の名前)を
モナコ政府から頂きました。『振り向けば』という作品でした。フランスのル・サロン現会長クリスチャン・ビエ氏が軽くタッチしておられます。
 さて、もうすぐ44回目の個展が始まります。後1〜2点仕上げたいと思いますが、
うまく仕上がるかどうかと、いったところです。
 ああそういえば今モスクワの芸術アカデミー美術館での展覧会が始まっているのです。見に行きたかったですが、かち合いましたし、今金欠の病に冒されていますので
ジイッと我慢です。では、どうぞ銀座1丁目5−6フタバ画廊でお待ち致しております。

「カマル」

芸術親善大使として

 7月28日~30日にかけて、マレーシア独立50年記念・および日本マレーシア国交樹立50年ということで“東方友好交流展”があった。これもどうにか出品したが、ツアーへの参加は出来なかった。WAC世界芸術文化交流会正会員としてはWACのメンバーにマレーシアが入っている以上、出品要請が(担当者を介してだが)再三に為る前に出品した。9月に入り、イタリアからの楯が届いた翌日、マレーシアからも楯が届いた。
芸術親善大使 と英語で書かれてあった。マレーシアはイスラム圏でアラビア語を話す人が多いと聴いているので絵のタイトルはアラビア語で“カマル”として出品した。月という意味。しかしムーンと表記されていてがっかり。
 さて、「国力」には文明に文化が伴わなければなりませんから、及ばずながら、国際文化交流に貢献してきた。もはや、金銭的に底をつきましたので、これからは、
「家計力」を養いわねばなりません。たった今もTELがあった出品要請をも断らざるを得ませんでした。海外に文化を輸出するのには多額の費用がかかるので、我々芸術家はそうとう大変。大家と呼ばれる方々の作品は保険が高額なのか、取り扱わなさそうですし、(大家の方もお出ししておられる方もいらしゃいますが)何かもう
少し企業や政府の後援があってもよさそうなもの。
 私のそもそもの海外への出品は、外国の美術館に日本人の絵画が無い(北斎はのぞいて)のでつまらないから、少しでも収蔵していただこうという思いからはじまった。それが、なかなか難しい。収蔵したいという話がない限り、輸出入の点数をあわせなければならない。国際交流展なのだから。
 たった今断った出品要請のことを考えながらーーーーー。