上海市莫千山路50号7号楼4楼と鎌倉とパリへのお誘い

 雨もよいの5月の連休。昨夜の菅総理の記者会見では静岡県の浜岡原子力発電所の全炉停止の要請があった。夫金城の言う原発は要らない!が伝わっていくことを私も願う。
原発に変わる電源開発を急いで欲しい。

 さて、上海市にある大田画廊での展覧会にお誘いしたいです。来たる5月23日〜6月17日まで私の小品4点が展示されます。この期間に上海市を訪れる予定の方は是非お立ち寄りください。そして出来れば4点ともお買い上げください。3号サイズ4点です。
 また、北鎌倉の鎌倉古陶美術館では6月最初から“紫陽花展”が始まる予定で、私も出展予定です。今、紫陽花と戦っております。あの弱そうで弱くはなく、儚くもなく、色とりどりの、あぢさい。あぢさいを描く名人さんたちとご一緒ですから、勉強させていただく場です。どうかこちらの方もお出掛け下さい。
 もう一ヶ所はパリです。
巴里日本文化祭2011がパリ5区の Espace Evolution (rue Saint Merri) であります。6月21日〜23日
         二会期目は  Japan Expo (Parc d'Expositions de Paris-Nord Villepinte)です。6月30日〜7月3日
フランスの方達のご要望とかで、今回は水墨画での出品です。『和』のテーマに乗せられました。はじめての水墨画。半切。息を止めて和紙と墨に挑戦しましたが、弱かったかもしれません。お月さまと波だけです。「月のプロフィール」と題しました薄墨。表装が大変です。日本一という大経師表具師。表装に助けられて穏やかな海と月を描いてみました。パリ行きの計画が予定されている方は是非ご高覧ください。多田祐子の抽象画を知っておられるフランスのかた達が多田祐子の水墨画が見たいと仰ったそうです。どんな
評価が下されるやら。日に日に心配が募ります。

芸文絹糸金賞届く

 WAC世界芸術文化交流会を通じたタイ王族と日本の美術家との交流は10年という記念の年を迎えました。それを期して、タイ赤十字と世界文化交流会5カ国の支局は、世界平和に貢献した日本の美術家を精選し、『芸文絹糸金賞』を授与することとしました。以上「文化展望・bunten」2011April  vol.37 より
 5名の受賞者の模様。多田祐子にも記念の品が贈られてきました。5つのプチダイヤが嵌めこまれたデザインで、日本列島から東アジアの海岸線がタイランドからマレーシアやインドネシアまで刻印された蓮の花。ご報告までに。

ピンバッチ(2x3センチ)
芸文絹糸金賞
ピンバッチ(2x3センチ)

我が家の最近

 17. 8年前に「このように定期点検をやっているにもかかわらず事故が起きるのは何故でしょうね」とレポートに書き、「危険な原発は要らないですよね」との発言から、仕事が減った夫金城はごく最近、右手のパンチが相手に届かない、という同じ夢を何度も見たという。後、大地震がおこり、大津波に襲われ、「フクシマ」の原子力発電所の大惨事が起こった。「正夢」。夫は何だろうと思いつつも、話すことはなかった。
 日を追って、東京電力の社長の顔が全く見えないことや、無闇に広がる風評にストレスを増していった。水処理レベルの定期点検作業で、「フクシマ」や女川等作業をしたところは多い。水を送る電源が津波で使えなくなったということに怒りを顕わにした。日頃温和な夫は家の中で、原発は要らない、新たな電源の開発を急ぐべきだった、と繰り返し言う。放射性物質被害が少ない野菜が食べられずに刈り取られる様子にも、心から怒っている。
 目に見えないストレスがある日の朝右手に現れた。土曜日、病院へ。MRIで血栓があることが判る。相手に届かなかった右手のパンチ。原子力の怖さが判る故の血圧の変化。
今、力が全く入らずに、毎時リハビリをしている。一日おきに鍼とお灸に通い、自ら作ったリハビリグッズで訓練を重ねている。右手でドライバーが使えるように、箸が持てるようにと努めている。当然、4月5月6月の仕事はキャンセルとなった。注文先には、多大なご迷惑をかけてしまい、このことにも残念無念の日々。
 依然として、原発には怒りつつ。

モナコ・日本芸術祭2011 「カミーユ・ブラン」賞届く

 2011年3月4日〜6日にかけて開催されたモナコ・日本芸術祭は主催がモナコ公国政府観光会議局/モナコ公国文化庁であった。国立・レニエ3世オーディトリアムであり、総合監修はミッシェル・キング氏。2007年に初出品して「セルジュ・リファール」賞をいただいた。フランスを代表する舞踏家の名前で、舞台監督、オペラ座の首席ダンサーであった人の名を冠した賞であった。今回はモナコに隣接するフランスのボーソレイユ市の初代市長の名を冠した賞であった。ソシエテ・デ・バン・ド・メールの社長を兼任されたそうな。モナコ公国が制定した十代文化人の名を冠した賞。とある。モナコには今回も絵のみ行き私は経済的に行くことが出来なかった。3回目であったモナコでの展覧会にとうとう多田祐子は行かれず終いか?

涙する日々

 東日本大震災の被害にあった方々の怖い体験を毎日ラジオに聴き、新聞に読み涙が流れる日々です。元気を取り戻しつつある子どもの様子には更に胸が詰まって涙。原発の事故が収束つかず、怒る人々とは一緒に許せない気持ちです。時空の止まった3月がとても長く、とにかく自律神経失笑症をおこしました。被災地で被害を受けられた皆さまの事実を直視する姿には最大の敬意を贈りたいと思います。
 春の絵を一枚

紙に水彩とオイルパステル&油性ペン
花咲く頃
紙に水彩とオイルパステル&油性ペン

真紅組(あかぐみ)プロデュース春の特別公演

 そうそう昨日4月7日、真紅組の「えなげな街」の公演フライヤーが届きました。春の特別公演は4月22日,23日24日で6回の公演。大阪市浪速区日本橋5-12-4 インディペンデントシアターファーストである。前売り2.500円。当日2.800円。真紅組websiteで予約を。websiteは下記します。
 脚本/阿部遼子 演出/諏訪誠。ときは、明治4年。花街・新町の三流遊女たちが繰り広げる幸せな物語(たぶん)。とありました。「えなげな」、春の陽気に似合うような、ちょっと暖かな楽しい公演、艶やかな着物姿もぜひご堪能ください。と、かわら版。えなげな=かわいい、ひとつ覚えました。
                   http://www.akagumi.net/

私も大阪行きたい。しかし「かっぱ村」公報の発送作業を23日か24日にしようと世話役と予定してしまった。今回は5月5日号だが、大震災のお見舞いがあって義援金口座開設のお知らせを早くしたく、2週間ほど早めた。24日は日曜日なので、公報は22日に届くといいなぁと思い、はやく校正したいところ。
かっぱ村とは36年目を迎えた同好会。かっぱの存在を信じて、探している、ロマンとユーモアの好い加減な人たちの集まり。全国に村民がいる。

昨夜の地震はまた仙台市と私の故郷栗原市で震度6強。なおしたばかりのテレビが再び倒れたという。物もごちゃごちゃと友人たち。余震が止まりますように祈ります。

大自然のひとこま Ⅱ

 大自然の荒ぶるエネルギーの前に為す術のない自分を引きずっている。新聞を丁寧に読んで低体温症を経験。そして新聞を持った両手が震えること。しばらくは夫の見ている新聞を斜めに見るともなく見て、2週間あまり。昨日はもういいかと思って見ると、子供たちの様子を伝えている写真があまりにもたくましく、可愛らしく、思わず涙。 やっぱり震えるので、新聞が読めない。ストレスから急性大動脈解離を起こして入院している友人を松戸市の病院にお見舞いに行ったが、夫も一緒に行ってくれて助かったのは私。からきしだらしない自分を今回知った。  自宅と蔵と倉庫、全部倒壊で今、後片付けにおわれている栗原市若柳の同級生や縁者に、先日佐島のタコを2杯買ってきてさくら飯を作り送った。せめて一食でも作らずに、楽しんでもらおうと。今のところ米は充分にあるのだが、タコが小さくて、しかも4杯しかなかった。さくら飯の作り方を教えて欲しいという隣人と一緒に佐島に。彼女が1杯買い、私は残りを全部と思ったが、1杯は後の人の為に残した。ぬめりを夫に頼んで取ってもらった。ゆるりゆるりと実行したのは、やがて宅配便が軌道に乗ってスムーズに届くようになると。被災地に送ろうと考えた金柑の甘露煮は既に出来ていて、さくらめしに添えた。ほんの少しの量のさくらめし。また作って送ります。今回お送りできなっかった人たちに。金柑の甘露煮はもうお仕舞いですが。友人が絵だけじゃぁなくて料理もうまいんだねぇって、甘露煮がきれいに出来ていたので誉めてくれた。毎夜暗くなるまで、片付けにおわれているとのこと。さくらめしをメインに夕食をしてくれた。  一昨日、京都の上賀茂神社の「葵の里親プロジェクト」から葵の苗が届いた。夫と半日影の風通しの良いところに植えた。4株。来年の葵祭の時には殖やしてお届けしたい。  我が家の自然いっぱいの庭。いわゆる極めてナチュラルな庭に今年もヒヤシンスが咲いた。瓶栽培だったものを庭に植えて10年位。毎年咲く。株がかってに殖えて、今年 は2株。昨年は3株だったけれど。減ったのは肥料不足?二輪草も咲き始めている。シャガが咲いた。そういえば、紋黄蝶が飛んでいたと思ったら、最近飛ばない。寒いらしい。 桜が満開に近いので、紋白蝶、紋黄蝶が飛んでくれることを待っている。シジミ蝶も。

こうせんで作ったクッキー
初めの作品
こうせんで作ったクッキー
葵の植え込み
4月5日に植える
葵の植え込み
ヒヤシンス
地植えに咲いてくれる
ヒヤシンス

大自然のひとこま

先日庭に水を飲みにきました。夏毛に生え替わろうという時期でみすぼらしいたぬき。このたぬきが通る道筋(けものみち)の途中に咲く水仙。今年は手前にも3輪咲いて、合計12の花が咲きました。毎年増えていきとても愛おしいのです。写真を撮ろうと片膝を地面に着けましたら、たぬきの匂いが膝に残りました。いわゆるおしっこの匂いです。
甚大な被害にあった友人知人、人々には一日も早く平和な日が訪れますようにお祈りいたします。

夏毛に替わろうというたぬき
水を飲みに来ました
夏毛に替わろうというたぬき
この水仙の直ぐ左をいつも通っていくのです
9輪の花
この水仙の直ぐ左をいつも通っていくのです

大自然は変わりない様子

 3.11の巨大災害の後、救援活動が続く中、今年もはなももの木にはいっぱいの花が咲き、椿の木にも沢山の花が咲いている。給餌台にはいろいろな鳥が来て、鶯はすっかり本番の鳴き声。練習中のおぼつかない声を今年は聞いていない。家の中に閉じこっもっていたことがそれらのことから判る。
 3月16日は「多田祐子の会」があるはずだった。香川県の多田祐子さんが交通機関の乱れによって、来られず(仕事の講演の延期)、東京浅草の多田祐子さんも計画停電や余震の影響があって来られず、藤沢の多田祐子ファミリーも同じく強い余震があり、キャンセルということに。次回の計画が立てられそうにもなく、23日昼ランチを食べに行き、キャンセルのお詫びを。8名分をキャンセルした、ということは私の人生上未だかつて無い。勿論お店の方も責めてはいない。未曾有の地震被害。計画停電があって、テーブルはキャンドルでも済むが、オーブンやら使えず、包丁先も暗いのでは危険と。レストラン街は3時間の計画停電で閑古鳥。愉しかったはずの「多田祐子の会」は、希望の高校に合格した藤沢の多田家の息子さんのお祝いも兼ねていた。春から静岡県の高校の寮生活がはじまる。合格を誉め、寮生活を励ましたかった夫金城はちょっぴりがっかり。次回は秋?
と言うが見通しが立たない。4月の初めには寮に入るでしょうよ。と私。
 パキスタンに行っているMr.Fujiwaraも一時帰国を延期。5月か6月になった。パキスタンの人々からお見舞いの言葉を沢山いただくらしい。高山市からのお客も延期。
寂しい春には一日も早く終わりを告げたい。大いに酷い大自然。恩恵だけを求めています。それでも辛いこと哀しいこと、苦しいことが数多ありますのに。

はなももの花
今年も咲く
はなももの花

再び被災 届かぬ救援 朝日新聞3月18日より

 2008年6月に岩手・宮城内陸地震に襲われた宮城県栗原市。今回の大地震の震度7をまともに受けた栗原市。幸いにも津波、放射能の被害は免れているが、為に置き去り状態が続くありさまが伝えられてくる。甚大な被害の陰に隠れて、1週間が過ぎたが、いまだに、1000人以上の方達の避難所生活が続きしかもライフラインの途絶、生活物資の不足が
伝わってくる。いまだに停電が続き、固定電話はさることながら、携帯電話も通じない。わずかにメールで様子が判る。ショートメールはメーカーが違えば通信不能。
アドレスを知っている人間は限られ、消防隊員の甥っ子は大忙しらしく、ガソリンがないから、いよいよ大ごとらしい様子。
 2度もたてつづけの被災地、栗原市。どうか早く救援が行きますように遠い葉山から祈っています。私の故郷。私も一緒に寒さと戦っています。