展覧会のご案内

21日昼前、下北沢の画廊に。
2人のお嬢さんたちは学校に13;30までには行かないとと。その前に家によって、制服に着替えねば、と。
朝ご飯を無理に起こし目玉焼きとサラダに生ハムを加え、急ぎ腹ごしらえ。
寝るのはなにやら3時を過ぎている。ダンスの批評会のために優秀なダンスを見て、発言の準備に勤しんでいる。
前の晩はやはり4時頃になってようやく電気が消えた。1泊目は遅い朝ご飯で済んだが、鎌倉にいくというお二人さんを海岸通りで
逗子駅に送り、私は展覧会の準備を。

20日の夜の花火は買えなかったが、シャボン玉遊びの前は、ダンスを見せて貰って、歌声も聞かせて貰う。

さて、それからダンス大会の優秀作品をアプリケーションでみて、そこからが、彼女たち大変。寝ようにも、寝られないらしい。
私はベッドに。

彼女たちが選んだ電車に乗るために、私は鬼になって起こすしか無い。
食欲がわかないらしいが、サラダパプリカのサラダ、目玉焼き等昨日と同じものだが、とにかく食べて、荷造り。
慌ただしくも、時間の余裕通りに駅に到着。

混んでいない電車は快適。3人とも同じ井の頭線。渋谷駅ホームで記念撮影。

私は画廊の担当者Sさんが良く飾り付けをしていてくれたので、コロナ対策についての注意事項などを説明受け、小半時で再び暑い暑い外に。

展示の模様をアップします。

渋谷駅ホームで記念撮影。
 今年はマスクの年
渋谷駅ホームで記念撮影。
逆髪
逆髪
ちぎり絵4点
ちぎり絵4点

夏休み

とても愉しい夏休みを過ごした。異例の今夏。とにかく新型コロナウイルス拡大が止まらず、学校に通う子供たちの夏休みが短い。
私は夫金城を施設に預かっていただいている。嚥下の訓練も兼ねていて、私が口から食べさせて、ウッカリ誤嚥性肺炎を引き起こさないとも限らず、
訓練中。コロナ禍で、施設を訪問しても、会えない。用事を持って、玄関で熱を測り、記帳して帰るが、リハビリで玄関先にうまく来ている、
というわけに行かない。会えないというのは辛い。多分元気にしていると思うしかない。

さて、短い夏休みを利用して、姪の娘が友だちを連れて泊まりに来てくれた。二人とも、ピップホップ、そしてダンスを得意としている。
片付いていない広くもない居間で、踊って貰った。私はiPad で録画。夫に見せてあげられるのは9月7日以降。
大きな声で歌ってっていうリクエスト。都会とは違って、お隣には迷惑にならない。中学3年生の時に見せて貰ったヒップホップの “カモンベイビーアメリカ”
をリクエスト。スマホから流れる音楽に合わせて何曲か踊って貰った。うんとこさ愉しい夜。
食事は、沖縄の牛肉を塩胡椒でさっと熱を加え、大根おろしで食べる私の好きな食べ方。そしてサラダ、絹豆腐と味噌汁。ご飯少々。

食事の後は花火。その前にシャボン玉遊びを30分程。暗い方がシャボン玉がきれい、なそうで、大小の無数のシャボン玉が風に流れて行く様を眺めて彼女たちが
歌う歌声を聞いている。小さくなくて大きな声で歌いなさいとリクエスト。

花火の途中で大きな犬の散歩。犬好きの二人は花火を止めて5分程犬をかまう。犬好きを知って犬の方も腰にすりすり。昼間の暑さが半端じゅあないから夜のお散歩。
明日の分は明日コンビニで買おう、と全部終了。

しかし、今年は花火売っていないのです。コンビニ全部探しませんが、大きなスーパーで聞きましたら今年はないそうです。2夜連続は成りませんでした。
シャボン玉遊びは続きました。そして、部屋の中では無く、駐車場を広くして、ダンスパーティ。暗い庭で。

途中で、真中ちゃんが空を見上げて、あー星がキレイ!昨日よりもよく見える、と。そういう田舎、山に住んでいます。

愉しい楽しい夏の夜。掲示します

まなか
まなか
かりん
かりん

コロナに負けないで

一人お盆を過ごしている。夫金城は施設で、嚥下の訓練。口腔ケアの専門家と、医師の常駐する施設。コロナで面会が叶わないけれど、
再び口からの食事ができるように取り組んでいる。辛抱強い人なので出来る。
8月お盆の飾りをして、13日はお迎え火を、今年もひとりで。
ご先祖さまの五体を阿弥陀様と一緒に拝して、寂しいですが時空を超えて何処へなりと、いらしてください。
昼と夕飯時にはお帰りくださいね、などど、唱えている。今朝は私と一緒の目玉焼きがメイン。
宮城の田舎から小学校の同級生が果物尽くしを送ってくれた。千葉のコレクターからは梨、有りの実が、届き、お供物が沢山。
一夏の果物大尽。

届きものマンゴーメロン梨りんごザボンにミカン果物大尽

マンゴーは沖縄からの贈り物。
展覧会の準備をしている。梱包作業と、飾り付けのシミュレーションを。

先日いただいた奈良市にお住まいの仙人は、「をんなの時間さまざま」38の中から、たまたま手元に「枇杷」の画があったということで
達者な絵を葉書で下さった。
掲示します。

仙人からの絵はがき    絵 橋本征一氏
枇杷の実のたわわな枝を活けし時 しなる重みのその円みかな  祐子
仙人からの絵はがき    絵 橋本征一氏

手作り豆冊子38 と DM の印刷が出来てきました

さて、新型コロナウイルスがこのところ拡散していて、終息を願ってきた私としては、頭の痛いことである。
前よりも増えてくる! ということはいささ腑に落ちない。
オリンピック パラリンピックの 来年開催ということも、不安である。

庭に咲く赤い水引を眺めながら、手作り豆冊子の歌集そのNo38 を綴じ始めたところ。
豆冊子の表紙と共に、展覧会のDMも出来上がってきた。

8月24日からの個展で、64回を数える。途中の、マレーシアや、ブルネイでの展覧会は、個展形式とはいえ
アートフェアだったり、グループ展もどきのため、アンコール展として、実数には入れていない。
ルーブルだけは数に入っている。展示点数が多かったことと、お買い上げの方が7〜8人いらしたから。
そういえばアートフェアでは、時々お客様ができることがある。ありがたいことで、絵描き冥利につきる。

では展覧会のDM、ご案内を掲示。豆冊子の表紙と裏表紙も掲示します。

スマートシップギャラリーでの展覧会ご案内
スマートシップギャラリーでの展覧会ご案内
同上地図開催期間等
同上地図開催期間等
手作り豆冊子の表紙と裏表紙
新作を選びました。スマートシップギャラリーでは展示します
手作り豆冊子の表紙と裏表紙

九谷焼き

昨日九谷焼きの角皿が届いた。
第二段のイベントに参加して、自分の絵を皿に仕立てていただいた。
前と同じ九谷焼きの堀江祐夫子さんが手掛けたもの。
姪と姪の子、17さいの娘が金城のお見舞いに来てくれたので、夕飯の八宝菜を、それらのお皿に盛り付けて
楽しい食事をした。
夫金城はラコールでの食事で、17さいの娘が手伝ってくれたので、同時に夕食を始めた。
あとは、絹とうふに、納豆という手抜きで、我慢してもらって、デザートはカステラ。
昼食後はお持たせのケーキを頂いたので、何時も食べているチョコレートは遠慮。

今夜は友達から枝豆を頂いたので、それをお皿に盛って、やはり夫と同じ時間に夕食を。
後で一人で食べるのは寂しすぎるから、枝豆のことも、明太子のことも夫に話して、食べられるようになったら
食べようねと話しかけて、いただく。

そのお皿を掲示します。

九谷焼きの三枚のお皿
九谷焼きの三枚のお皿
枝豆を載せて
枝豆を載せて

梅雨空に

窓の外を黒揚羽が飛んでいる。雨が上がった?と外に出て、黒揚羽を追ったが、すでに何処かに飛んでいったらしい。
ほんのちょっとの間だ。先日から咲き始めているノウゼンカズラを見上げると、虫が蜜を吸っている。
黒と黄色の縞模様。タイガース色で、触角を持っている。カミキリムシ?
夫は眠っているし、言葉を失っているので、訊いては気の毒。
昆虫の辞典は持っていない。iPad を近づけて撮影したが逃げない。まぁ静かに邪魔をしないようにしたけれど。
お食事中をそれでも邪魔をしました。

さて、部屋のある箇所の書類の山が3日前に、なだれ を 起こした。2日前の日に手をつけて片付け始めたが、昨日は手付かず。
今日もすでに午後3時。眺めるだけで、手が出ない。要らないものばかりとは限らず、寄り分けに時間がかかる。
大きな箱を3個準備して、2箱はいっぱいになった。シュレッダーをかけないと捨てられないものでもないが、一応は手で破かないとならない。
後何日かかるかなぁー、と、また眺めるだけ。今8畳の和室が、紙でいっぱい。泊まりがけで来られる人がいると大変。
早く始末を!と、いうところを外に出て撮影。雨が上がっている。

食事中の虫
食事中の虫

雨に咲いています

今日6月19日は涼しい。雨の季節。雨の中をアジサイをipad で撮影。
ベッドの夫に雨の1日が始まったことを伝えて、山紫陽花の様子を見せよう。今眠っている。
小さな苗木を買って植えたのは金城。いろんな苗木を植えたのに、植えたことを忘れて仮払い機で刈ってしまった。
ようやく花壇に植えたものだけが育ったけれど、山紫陽花だから、こんなに大きくしなくても。されど育つ。
花の名前の名札だけが、花壇に残っていてどんな風に咲くんだったか、忘れている。
植えたわけでは無い月桂樹の木が西側の花壇を占拠。萩の木も無くなった。サツキの木がわずかに頑張って小さい木のまま
一つ二つ花をさかせる。ドウダンツツジ(満天星ツツジ)の木下で陽が当たらない。月桂樹にも栄養を取られて気の毒。
鳥のふんに混じって来た月桂樹の種。それが育っての木。大きくなるので低くすると、沢山の木木木木になる。もはや根は深く
て引き抜けない。
まだ咲き終わっていないけれどサツキの刈り取りはうまく行くかどうか。

コロナや、紛争、人種差別などには関係無く育ち、季節には花を咲かせ、鳥や蝶、虫 風をよんで雨に打たれている。
そういえば今空き地という空き地にどくだみの白いがく花。花では無いらしいがわたしには花、が咲いて金城の
作業小屋回りを浮島にしている。

名前は忘れました
可愛いでしょ

目の見えなかった人の所在が判らず仕舞いに

富士宮市の展覧会の折りに、目の不自由な方がご入場くださって、アッ!ここにピンクの絵があるのね、とか、赤い絵が多いのねぇ、といった具合に、展覧会を
見て下さった。見えないけれど、わたしの絵からの波動を感じ、赤やピンクが判るんだそうでした。私は勿論驚き、夫や会場におられた人達も一様に感心したのでした。
2012年の2月でした。
それからしばらくして、北鎌倉古民家ミュージアムで展覧会を開催しておりますと、そのご婦人がお友達を共に来て下さったのです。
見えなかった目の手術を受けられ、見えるようになったと仰って。目の手術は、一目で良いから「ひ孫」の顔が看たい、80を過ぎているから失敗しても構わないの。
そう電話で仰って。無事に見えるようになられ、私の展覧会にも遠路をお運び下さったのでした。
そこで、一点いただくわ、と。驚きました。選ばれた絵が「うずまき富士」。誰も買ってはくださらないだろう絵だったのです。エネルギーを感じるの、というご説明でした。
お供の方にもお買い上げ戴いたのですが、こちらも富士山の絵。お正月に飾るは、とのこと。雲海の上に赤富士を描いた絵でした。

さて、極最近、何となく落ちている写真がはいった小袋を手に取りました。富士宮市に展覧する前に上海市のギャラリーに出品していたことが判る写真でした。
担当者のコメントがあって、撮影する人が多くて、なかなか会場風景を撮ることが出来ませんでした。とのこと。
結局は上海では売れずに私の元に返ってきた作品でした。
見つけた写真と担当者のコメントをコピーしてお送りしたのですが、生憎と宛所に訪ねあたりません、とのことで戻って来たのです。
長い間お電話もしませんでした。展覧会のご案内は忘れたわけではありませんでしたが、来られないのが当たり前のことですので、格別には追いかけませんでした。
初めてお目にかかった時が80歳を過ぎて居られました。ご家族様と住むためにお引っ越しなさったのでしょう。
江戸川区にお住まいだった妙子さま、「波動を感じるの」ということをお話し下さってありがとうございました。

最も心に残り、どんな言葉での評論よりも衝撃的で、凄い出来事でした。画家冥利に尽きます。

豆冊子の表紙

手作り豆冊子の歌集第37の表紙を掲示します。今ホッチキスで綴じているのだが、時々飽きてしまう。ページを抜かさないように気をつけながらの、単純作業。
一度期にたくさん綴って、最後に残ったページがあったりするとガックリ。で、40冊づつにしている。今のところ単純作業は、大丈夫だが、途中でのれんが汚れているのが気になって、洗濯。布が横に切れている部分を糸でかがったりしている。
田舎、私とは反対に神奈川県から宮城県の栗原市に今住んで居る人から、栗駒山の残雪と、田植えの終わった田んぼにいろんな鳥がエサを探している画面をラインで送ってきてくれて、どうも「金成耕土」とは違う、伊豆沼辺りの田んぼらしいと、思いながら懐かしく繰り返し見ているところ。
で、白い画面に金と淡い緑で描きかけている私の絵のマット状態にあまりにも近い画面にも驚いているところ。
鳥を描いたら、具象画になるからどうしたものかと、ここ4日程になり、すっかり乾いている。思わず絵を撮影して送信した。
鳥を描き入れたら「堀越保二」画伯の真似ということになる。そんな地塗りのキャンバスを今日も眺めて終わったしまった。

さてさて、豆冊子の表紙です。「くえなんだらくうな」の大徹さん。始めの動きは一生の鏡、という意味と読んでいるのですが。間違いないでしょうか?

曹洞宗の高僧 「関 大徹」和尚の書  裏書きは多田祐子の薄墨
曹洞宗の高僧 「関 大徹」和尚の書  裏書きは多田祐子の薄墨

枇杷の実が届きました

土曜日の昼前。ご近所の枇杷の大木をお持ちの方が今年も実をたわわにした枝を持ってきてくださいました。いつものように先づ生けました。

[ 枇杷の実のたわわなす枝活けし時しなる重みの円みかな ] といった具合いです。

今昨夜から手作りしている短歌の豆冊子、第37番を取り急ぎ40冊作った。
はじめた頃の1〜8はきちんとして置かなかった。8番は1〜8までのものを一冊にまとめたもので、この8番は52冊の限定版。「揄雨」と題した絵の表紙を透明のビニールでカバーした。揄雨とは、雨だれを描いてあるから、雨に濡れないようにという思いからで、52冊でもうビニールが無くなってしまった。夫は北海道に出張で、夜遅くまで作業したことを思い出す。ビニールは夫のものだった。もらって良いかどうかは聞かずに使った。
今見ると粗末で、可笑しい。されど37冊目だって粗末。
1番目が無いけれど並べてみた。今回は表紙に自分の絵では無いものを使用した。曹洞宗の今は亡き高僧 関大徹さんの書を賜っているので、ご紹介がてら裏に私がおそれもなく描いたもので飾ってみた。この大徹和尚、「食えなんだら食うな」、という本を書いている。実家が曹洞宗なので弟に染み抜きをさせ、衝立に仕立てさせて所蔵させた。
豆冊子には2首歌ってみた。記録的に。
最近は81首にして綴じている。これ以上紙数が多いとホッチキスの針が通らない。最初から歌数が多いわけではなくて、既に37冊目になった。次の歌は19首ほど出来ている。ここいらで作っておこうと綴じているところ。

ではその37までの表紙をアップします。

私の手作り豆冊子歌集の表紙
私の手作り豆冊子歌集の表紙