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鎌倉古陶美術館での展覧会が終了しました。

 9月15日に始まった第50回多田祐子・鎌倉古陶美術館展が終了しました。遠く九州や四国、大阪、神戸、静岡、北海道、秋田、宮城、群馬、茨城、福島等からのご来館をいただきました。雨の日も、嵐の日も開館しました。台風が近づいて居りました時には前夜から東京に来ていたという友人も4人あって感激の瞬間でした。
今回は東京の銀座や青山での展覧会とは違って鎌倉という「古都」の魅力が加わった趣のある古陶器とのコラボレーションでした。毎日が愉しいことのみ。本当に有り難うございました。葉山や逗子、鎌倉の多くの方々に多田祐子の世界を体感していただきました。有り難いことでした。
搬出作業には、飾り付けの際に駆けつけてくださった元フタバ画廊のスタッフに加えて、故郷の同級生富也さんが加勢してくれました。渡り鳥の研究者呉地氏もたまたま出張先の名古屋からの帰り道というので観賞がてら助っ人に変身。お陰さまで2時間の作業でした。感謝です。
さて、第51回展はニューヨークのA.Jain MARUNOUCHI ギャラリーです。12月14日がオープニングパーティ。5時からのパーティにお越し下さい。カーネギィホールのあるストリートです。ギャラリィビルディングの6階にあります。お待ち致しております。

ニューヨークのDMがとどきました

タイトル My Birthday (青い雪)

次の展覧会のご案内状DMが届きました。古陶美術館にも置いてご来館の方々にご案内したいと思います。
残暑の中で始まった第50回展は一月が過ぎスッカリ秋。古陶美術館は庭にある3本の金木犀がはなつ香りに包まれています。昨日入口付近の展示室に油絵の小品6点を新たに飾りました。舌ひでこさんの”かっぱさん展”が終了しましたので。パステル画を展示してある小部屋にも新作6点と油彩画3展を飾りました。残り5日間を愉しもうとおもいます

マンハッタンに行きます

常設画廊の Mr. JAIN の画廊でソロショウ・個展をすることに決めました。急なのです。ニューヨークでの個展をしばらく見合わせていましたが、Jainさんの呼びかけに応えて、預けている6〜7点に9点程送って、クリスマスのマンハッタンに行くことにしました。
 短い期間の個展です。それに12月19日20日と3人の多田祐子の会をすることに決めておりますから、滞在も短期間。
只今鎌倉古陶美術館での展覧会真っ最中。これまでにない個展です。建物といい、器といい、多田祐子の絵画が共鳴しあっている様子をご覧頂きたいものです。ここ3日間ほどは雨模様で観客の足がとほのきました。昨日からは京都の陶芸家夫妻の展覧会が片一方で始まりました。舌夫妻の作品の多くは “かっぱ”です。なんということでしょう。
これはもう偶然ではなく、必然のことでしょう。かっぱ村は今年34年目。そのかっぱ村公報を編集している多田祐子にとって話題に事欠きません。
また楽しみの多い日々がやってきました。
皆さま是非北鎌倉、鎌倉古陶美術館にお運び下さいませ。お待ち致しております。

鎌倉古陶美術館

3人の「多田祐子」集まる

 9月18日午後3時少し前。鎌倉古陶美術館は多田祐子の佃煮。建築家の多田祐子さん。元アナウンサーでブリリアント・ユウの多田祐子さん。で、私。(若い順から)
建築家の祐子さんは2度目のご来場といいますか無理にそして急の呼び出しに応じられて。ブリリアント・ユウの多田祐子さんは遙々と香川県高松市からの御目見得。
香川県出身の故中河与一が我々(金城のこと)のお仲人ということや、まんのう町の西念寺さんに絵を奉納予定のことなどがあって、驚きの連続。さらには単に名前が一緒というだけで、笑いがとまらない3人の多田祐子でした。

右からブリリアント・ユウの多田祐子さん。建築家の多田祐子さんと私。ダイアナの前で
右からブリリアント・ユウの多田祐子さん。建築家の多田祐子さんと私。ダイアナの前で
団体の入場者と「ご面なさい」(右上のインスタレーション)
団体の入場者と「ご面なさい」(右上のインスタレーション)
門に進出の暖簾
門に進出の暖簾

3人の多田祐子が近所のお団子屋さんに集っている時たまたま団体予約の鑑賞者があって、私の作品群を平安時代やら鎌倉時代の貴重な古陶器と共に鑑賞して頂いた。
朝は茨城県の那珂市の中学生5人が班を組んで古陶美術館を見学コースに選んだらしくラッキーにも現代美術の私の作品も観ていただいた。中学生たちは鎧甲と一緒に写真に収まっていた。私の絵の前でも撮っていただいて、次の見学コースに移って行かれた。

ご主人が栗原市若柳とおしゃるかたもご来場。高校も一緒で先輩になるのできっと早々にお越し下さるはず。そんな出会いの毎日に感謝。  合掌

古陶器とのコラボレーション始まる。

鎌倉古陶美術館(北鎌倉駅下車40m)での多田祐子展が始まって3日が過ぎた。やれやれの思いも強いが、多田祐子の作品が平安時代、鎌倉時代、室町時代、南北朝時代、安土桃山時代の陶器と共に展示ケースの中や広い空間に収まったことに今、かたじけなさに涙こぼるる、思いなのです。言葉よりも展示の模様を写真で紹介します。
自分で申しますが、マッチしております様をどうか大勢の方に観ていただきたくおもいます。10月18日までです。
なお、展示作業に駆けつけて下さった故郷の同級生や、元フタバ画廊のスタッフの女性陣とその友人及び従姉妹のかたがた、2日間に渡る作業を加勢くださいまして有り難うございました。厚くお礼を申し上げます。

それともう一件。明日18日午後2時過ぎに3人の「多田祐子」が集まります。建築家の祐子さんは初日にご主人とお運び下さったのですが、今日17日に入った電話で香川県高松市のブリリアント・ユウの祐子さんが明日遠路をお越し下さるとのことで、建築家の祐子さんにも再度お出ましをお願いしました。参ります。とのお返事。私の喜びは“ヒヤッホゥー・ホッ・ホッ・ホッー ではとても表現しきれません。では明日がとても楽しみな絵描きの多田祐子からでした。

展覧会の様子を写真にてご覧下さい。

入口の手作り暖簾と贈られた花々の花回廊
入口の手作り暖簾と贈られた花々の花回廊
入口付近から奥をみる
入口付近から奥をみる
私の安土と古陶器
私の安土と古陶器
振り向けばとのコラボレーション古陶器
振り向けばとのコラボレーション古陶器
ローマの雨と渥美焼
ローマの雨と渥美焼

Na・Silpaについて

 英国にSir.がある。それが泰国タイランドでのNa. だそうである。Silpaは芸術のことで、芸術の顔 となるとのこと。誠に以て面映ゆいことではある。2006年11月17日にシリキット王妃記念センターにおいてプミポン国王在位60周年記念展があった際に、プレゼンテーター王位継承四位のチャトリチャラーム・ユコン殿下より徽章をいただいた。愛称はチャトリ殿下とのこと。その殿下が私に“ハロー”といわれて、私は考えなしにハローと応じて仕舞ってすぐにいけない! と困ってしまったが、お咎めもなく、随行の側近の方がたが口々に私のこれまでのタイ王国に重ねて訪問していることなどを、ご説明の模様。微笑まれつつ私との記念撮影に応じて下さった。2005年にあったシリキット王妃記念美術館での「桜 月」出品の際には時間切れにもかかわらずに、記念写真を静かに撮っていただいた。映画制作や監督をなさっておられる気さくな殿下で助かったのです。2005年8月4日のこの午後にマハ・バジラロンコーン皇太子殿下との謁見が組まれていて主催者側が時間との闘いを何気なく疲労感とともににじませていたのです。わたしが最後の記念撮影者だったのかもしれません。そのチャトリ殿下との2006年11月17日の写真を掲載します。徽章を頂戴している模様などを。

Na・Silpaの徽章
チャトリチャラーム・ユコン殿下より徽章を戴く
2006年11月17日タイ王国国王陛下在位60周年記念収蔵作品の前にてチャトリ殿下との記念撮影

手討ちかも おうむ返しにかえせしハロー 王位継承四位の殿下

松竹大歌舞伎 近松座公演 見る

 9月1日は全国防災の日。ラジオは一日中防災関連の番組編成。そういえばここしばらく新しい防災グッズを準備して、いない。旧くなったと捨てたり、元に戻したりして後はそのまま補充しなかった。玄関に置きっぱなしのダンボールの丁度良さそうな大きさの箱に、新しく何かにと準備しないとなりません。地震の多い最近です。台風と一緒に地震災害が発生したならという心配が杞憂に終わることを祈るのみです。
 さて、午後2時からの大歌舞伎 近松座公演を横須賀芸術劇場に夫と楽しんできた。午前中に銀行や郵便局そしてスーパーと、用事をしたが前日の台風のお陰で何れも大混雑。銀行は大晦日なみの行列。葉山町役場にある横浜銀行派出所でさえ5人待ち。普段は一人も並んでいないのにと、腕時計とにらめっこ。スーパーで買ったお弁当を食べて開演15分前に劇場の指定席に到着。予約に手間取って今回は生憎と後ろの方。予約のタイムにかかってきた電話を素早く切ることが出来ずにいるうちに20分程が過ぎ、台詞が聴き取りにくい位置。夫が一言。後ろ過ぎる。舞台全体が見渡せたにしても、オペラグラスが要る距離。次の大蝋燭能は大丈夫。まえから4列目です。
 近松座。坂田藤十郎さんの御挨拶・お目見得が良かったです。気が利いていましたし情がありました。“くどいようですが”の2回使いは私も使わせてもらおうっと。
河竹黙阿弥 作「連獅子」 では修験者の中村亀鶴の舞踊が私には良かった。フアンになりました。

 今遊んでいるのは来年の展覧会のためではなくその次にくるだろう展覧会に向かった遊びです。よくよく遊んでいないと満足する絵が出来上がりません。勿論キャンバス上でもあれこれ四の五の遊んでフワッと仕上がるのが心地良いのですがね。くどいようですが、私はデッサンが出来ているものは硬ーくしか仕上がらないので納得がなかなかいかずにとても苦労するのです。毎度フワッと仕上がる事を期待しつつキャンバスに向かう。「連獅子」の村娘 中村壱太郎さんが着けていた淡い色ばかりの舞台衣裳。着物、帯。あそこを目指そう。と思った。淡い色ばかりで描く時はしっかりと地塗りを終えていないと後悔する。地塗りをせずにとても気に入った絵が目の前に現れると10日間以上は頭が痛い。ほとほと慌てて描く自分が嫌になる。壱太郎さんの着物からそんな後悔したことばかりを思い、ボツになった淡い名作?が脳裏を駆け巡っていたのです。

では、今月15日からの北鎌倉駅40mの鎌倉古陶美術館での展覧会にお運び下さいますようにお願いいたします。古陶器とのコラボレーションです。

爽やかな夏

 蝉の鳴き声がちょっと少ない今年の夏。渡ってくる風がここしばらくは爽やか。最早秋の気配濃厚。高校野球放送をラジオで楽しみつつ9月15日からの鎌倉古陶美術館での展覧会の準備をしている。数が多いので展示のシュミレーションをしたり、赤い紅絹の布地で看板暖簾をつくったり。昨日額装に小品のパステル画34枚を出し、ホットしている。
いじっているうちに何やら汚くなってしまい初めの爽やかさが損なわれていく。いつものジレンマ。底が深いままで爽やかな作品はやはりしっかりと地塗りが要る。
 さて、天地に変異の多いこの夏。地震が続いた時には心配した。いよいよ大地震が近いのか。荷物が多すぎてかたづけようがない。このまま荷物との闘いは先送りだ。
 昨日福岡県の直方市の知り合いから葉書があって、北鎌倉の展覧会に来てくれるという。故郷の従弟たちも来てくれる。こちらはたまたま都内で甥の結婚式があるそうな。
高校時代の友人コレクターや元画廊勤務のベテラン女性たちが、飾り付けの日に駆けつけてくれることになっている。神戸の方からも泊まりがけで予定してくださっている方がある。期間が長いのでその分楽しみも多い。
 ところで今朝早くゴーヤーが届いた。23日に、祭礼の振る舞いに料理するチャンプルーようにと。大きめが8本。有り難い。その少し前にキュウリが届いた処だったので、今日はどういう日。良い日だねー。まだ顔も洗っていない時間でした。玄関先で失礼したのです。有り難うございます。祭礼が終わり次第また展覧会に向けて緊張しましょう。

雨にしょんぼりでした。

 今日7月22日の日食をとても楽しみにしていました。部分日食であってもかなり欠ける太陽を見ようと、19日の日曜日には、大きめのダンボールを用意して、小さな穴をあけたところに、アルミホイールを貼り、そのホイールにさらに小さい穴をうがち準備万端。ダンボールの底に月のような影ができるはず。だった。「日食の観察」の仕方で一番簡単な方法みたいと。あとは上空の水蒸気次第だった。皆既日食はメディアを通して観るしかない。朝。雨の音。空を見上げる。雲が厚い。9時半になっても10時になっても、厚い雲は垂れ込めたまま。小雨も上がる様子がない。玄関では手作りの日食観察ダンボールが横たわったまま。10時ちょっと過ぎに日本郵便の配達の女性がやって来たので、雨で残念ねぇと見えない日食の話しをしながらもなんとか晴れ間がやってくることを期待。ダンボールの準備までしたことを話題にする。彼女の小学生の息子さんは学校へ行ったそう。先生の指導があるそうな。雨の所為とともに上空では欠けていく太陽のせいで室内はだんだん暗くなる。蝉は啼かない。単なる雨の所為? 雨は小降りになっても雲が厚い。とうとう時間切れ。幕切れ。なんともしかたのない一日。2035年までお預け。26年後。生きていよう。
子供のころに黒い下敷きを通して日食をみたことがある。部分日食だった。その頃は紫外線の危険は言われていなかった。今のようにオゾン層の破壊が無かった頃の時代。
同じく雨で観られなかった人々や飛行機に乗って雲の上で観た人たち、奄美諸島や鹿児島県で観た人、東京都下でもほんの一時、雲の切れ間から観ることの出来た方達の話しを聞いて今日の「世紀の皆既日食」の一日は終わりました。悪石島に出掛けられた人たちと同じくらいに私もがっかりでした。少し「輝く闇」を見たかったのです。